6月6日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第157弾  2019年6月6日(木) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第157弾  2019年6月6日(木) たかやん

川掃除のお知らせ
今月6月の黒目川の川掃除は23日(日)に決定しました。朝の9時に栗原一丁目公園に集合です。そこから、馬喰橋まで遊歩道を掃除します。馬喰橋から川の中に入り、土手を掃除しながら川を遡ります。栗原一丁目公園でごみを下ろし、さらに神宝大橋まで、土手、遊歩道、川の中を同時に掃除していきます。そこで、休憩して水分を補給したら、また栗原一丁目まで土手と遊歩道を掃除し、栗原一丁目公園でゴミを下ろして終わりです。
トング、ゴミ袋、軍手はこちらで用意します。途中までの参加も途中からの参加も大歓迎です。午後5時から石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加も大歓迎です。
連絡先 090 6497 5737 たかやん  まで。

駅立ちのお知らせ
6月の駅立ちは24日(月)からの予定です。あくまでも予定ですが、24日(月)ひばりが丘北口で5時〜9時、25日(火)東久留米東口で5時半〜8時半、26日(水)保谷駅北口5時半〜8時半、27日(木)新座駅南口で5時半〜9時、28日(金)志木駅南口で5時半〜8時半、7月1日(月)清瀬駅北口で5時半〜8時半、2日(火)清瀬駅南口で5時半〜8時半、3日(水)朝霞台駅で5時半〜8時半です。駅立ち仲間のみなさん、よろしくお願いいたします。

朝勉484
6時00分から「基礎1」「基礎2」と聞いて、空と一緒にビバホームへ行った。体育祭で使うクラスの旗の作成の為に塗料と刷毛を買ったのだ。どうやら、絵の出来を誉められたらしく・・・空はそのまま張り切って東久留米駅東口の階段を昇って行った。駅から戻る車の中でも英語を聞いて、ご飯を食べている間も英語を聞いて、市役所に向かう車の中でも「英会話」を聞いて、今朝の朝勉は終わったのだった。

一般質問はじまる
控室に到着したのが9時。今日から一般質問がはじまる。トップバッタの和平も同じくらいに到着して・・・着替えながら話をしていたら、9時20分過ぎになっていた。

9時半
和平の質問がはじまった。傍聴はいないが、なかなか落ち着いて質問をしている。いい感じである。会派は違うが、同じ部屋にいるだけで、応援したくなるから不思議である。

るーちゃん
昼休み、るーちゃんからラインが来た。「市役所なう」「たかやんいる?」というラインだった。いつも保谷の駅で会ってはいるのだが、その時はちょっとハグするだけで、話が出来る訳ではないので・・・久しぶりに控室で話ができてよかった。

13時45分
中学校でいうと5時間目。子どもも大人も眠くなる時間である。そりゃあ、そうだ。血液は消化に使われ、脳に流れる血液は減少している時間帯、お休みの方があっちにもこっちにも・・・その眠気を飛ばすには、手を動かすのが一番である。パソコンのキーボードにメモを書き続けたり、ペンを動かしたりしていると・・・自然に目が覚めるのである。

母さん
母さんは今日も眠っていた。「お母さん」と呼んでも、髪をなでても、頬を擦っても・・・起きない。看護師さんが「血圧測りましょうねえ」と声を掛けても、眠ったまま・・・
ふーむ。ちょっと寂しかったけど、無理やり起こすのは可哀そうなので、「じゃあね、お母さん、また明日ね!」と言って、戻ったのだった。今回の入院は少し長引きそうである。

長期政権
憲政史上最低の総理大臣が在職日数歴代3位になったらしい。それが日本という国の悲劇なのだ。株価が上昇したって、大企業が空前の利益を得たって、総理大臣の友人たちが大儲けしたって、国民の生活はちっとも豊かになっていないのだから・・・。国民の実質賃金はどんどん下がり、貧困化しているのに、「景気がいい」はないだろう。安倍晋三のお抱えメディアのそんな言葉に騙される方にも責任はあるのだが・・・


夜は塾。高1の娘との90分はあっという間に過ぎていった。二人で生物の勉強をしながら、レポートを完成させていく。その過程が楽しい。時々、学校での楽しい出来事や愚痴を聞きながら、幸せな時間を過ごしたのだった。
後半は数学と英語と理科の質問を同時進行で・・・同時進行は中学校時代に何度も何度もやっているので、全く平気なのである。


教師を目指す人へのメッセージ   第444弾!  昭和52年4月 新座市立第五中学校

 42年前の五中の職員室の景色を僕は覚えています。正面は中村敞一郎校長、向かって左側に神田瑞穂教頭、右側に山田秀一教務という並びでした。当時の敞一郎は確か48歳くらいで、若い校長でした。23歳の僕にはいい親父にしか見えませんでしたが・・・
 僕の席は校長から見て一番奥の列で一番左が1組甲神嵒。2番目が2組笠原進、3番目が3組帯刀俊男、そして4組高邑朋矢、1.2組副担千田修子・・僕らの向いは左から6組原日出夫、5組学年主任神宮司久子、そして僕の正面が大熊孝子、理科の柴崎房代という9人の布陣でした。僕らから見て、左側の窓側には1年生、廊下側は2年生でした。
 窓側の1年生は学年主任が若狭先生、副主任がキノッピーという学年で、同期の鈴木満男や五十嵐由和,そして関重一郎がいたのですが、みんな入学式の日からずっと笑顔で、それが羨ましくて、羨ましくて・・・僕は始業式の日から3年生との「戦争」でしたから・・・・。
 廊下側の2年生は山田茂先生が学年主任で、同期では小山亨、本田誠がいました。僕が好きだった宮下博子も1年先輩の久保昇もいて、やっぱり羨ましかったですね。だって、僕が配属された3学年には若手は誰もいなかったからです。1年生には高校で5年先輩の鈴木松枝、2年生にも5年先輩の宮下博子という綺麗な先輩達がいたのですが・・・3学年には綺麗な先輩の代わりに、超おっかない女の先輩達(失礼)がいたのですから夢も希望もなかった訳です。 
 3学年は一番下が23歳の僕。その上が28歳のカサジ、その上が32歳の嵒という無茶苦茶な「年寄り集団」だった訳です。不思議なのは、写真も残っていないのに、今でも鮮明に当時の五中の職員室を覚えていることです。生まれて初めての職場としての職員室だったからかも知れませんね。
 しかし、五中1期生の猛彦達を卒業させた後の2年目の五中職員室はハッキリとは覚えてないのです。覚えているのは、僕は窓側の席で1年3組。僕の左となりには4組の渋谷先生がいたこと。渋谷先生は綺麗な先生でした。後は1組が甲神嵒で2組が千田修子・・・それくらいなんです。職員室の席順はちゃんと記憶にありません。学年主任は変わらず神宮司久子でした。この時の4期生に文夫、直弘、賢二、智・・・・という「川掃除」メンバーが1年生として在籍していました。この日記によく出て来るババツ、アキ、オタンコ、賢一、アッコ、宏美・・・久美子、直子などもこの学年です。初めての1年生だったことや、クラスが持ち上がったことも関係あるかも知れませんが、教師と生徒というよりは、兄と弟、妹という関係に近いかも知れません。楽しいことは意外と記憶に残らないのかも知れませんね。最初の3年4組などは、子ども達の席順を覚えているくらいですから・・・・。
 42年〜40年前の五中は「学力は勿論、部活も県のトップを目指す」そんな雰囲気があった新設校でした。猛彦達のお陰で1年目を何とか乗り切った僕は2年目から、何とか五中の役に立つようになります。考えてみると、1年目の僕は「教育実習」をしていたのかも知れません。それは、それは恐ろしい1年間の「教育実習」でした。だから、今でも五中職員室の風景をハッキリと覚えているのかも知れない・・・どうも、そんな気がするのです。

今日の写真1
昼休みに遊びに来てくれた「るーちゃん」です。いつも保谷駅北口でハグしてくれる五中の8期生で空ママの同級生です。五中の8期生のテニス部はみんな仲が良く、時々我が家に集まってくれます。

今日の写真2・3
母さんが寝ている時はこんな風にsnowを撮り、起きている時もこんな風に撮って、母さんを笑わせます。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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