7月11日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第192弾  2019年7月11日(木) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第192弾  2019年7月11日(木) たかやん

川掃除のお知らせ
今月の川掃除は14日(日)の予定です。いつものように9時に栗原1丁目公園に集合です。トング、軍手、ゴミ袋はこちらで用意します。馬喰橋まで土手を歩きながら掃除をし、馬喰橋から川の中にも入り、土手と連携しながら神宝大橋まで遡り、そこで休憩して、栗原一丁目公園まで戻り、終わりです。途中までの参加も途中からの参加も大歓迎です。夕方5時から反省会があります。雨でも反省会だけはあります。来月初旬に行われる「川遊び」の打ち合わせも同時に行います。反省会だけの参加も歓迎です。
連絡は090 6497 5737 たかやんまで。みなさんの参加をお待ちしています。

川遊びのお知らせ
来月8月4日(日)に毎年恒例の「わいわい川遊び」を行います。栗原一丁目を中心に、川掃除をした後、魚とり教室、お魚教室、ボート、カヌー遊び、スイカ割などで一日楽しみます。勿論、無料です。お昼には石神集会所で「冷や麦」「ソーメン」などが無料で食べられます。(50名まで先着順)参加希望者は090−6497−5737 たかやんまで。

朝勉518
今日も6時から基礎英語1.2.3、そして英会話。塾の子ども達と一緒に聞く約束をしているので、ラジオの向こうに子ども達の顔が見える訳で・・・みんなの頑張りが楽しみでしょうがないのである。

期末テスト4日目
空は期末テスト4日目。最終日である。昨夜もかなり遅くまで起きていた空。今朝も7時過ぎに元気よく階段を駆け上がって行ったのだが・・・・「ファイル忘れたーっ!」と悲痛なラインが来て・・・「持ってきて!」「いや、取りに帰る」「諦めたあ・・・」と悲しいラインが来たのだった。

お線香
お通夜、告別式と参列できなかった甥っ子が線香を上げに来てくれた。石垣島で出入国管理の仕事をしているので、先月の葬儀には間に合わなかったのである。「昔、花札で遊んで貰いました」と、何十年も前の母さんのことを思い出してくれた甥に「今度ゆっくりご飯しよう」と言った叔父であった。

お線香2
午後一で下の兄がお線香を上げに来てくれた。そして、四十九日の打ち合わせ。僕は今でも下の兄貴を「小さいお兄ちゃん」と呼んでいる。小さい頃からそう呼んでいるので、出てしまうのである。「お母ちゃん」「お父ちゃん」と同じである。小さい頃は怖い存在、憧れの存在だった「小さいお兄ちゃん」だったが、今は本当に頼れる存在になっている訳で・・・


郵便局
午後は石神郵便局へ。そこでくぎやのひさしくんとばったり。「いやあ、お母さんがいない世界っていうのは、結構キツイよ」「想像しただけで、泣きそうです」とひさしくん。「俺も超非行少年だったからねえ。それでも母さんだけは味方でいてくれたんだ」「俺もっす、俺もいつもお袋だけは味方でいてくれました」と二人でお母さん自慢をしたのだった。石神郵便局で・・・・。

堀之内病院
今日も堀之内病院へ。頼んでいた書類を受け取りに行ったのだが・・・・書類に不備があり、再び病院へ。そこでバッタリ、良さんに会ったのだった。


夜は塾。高1の娘との塾はレポート中心の塾。レポートとは言っても、中学校の3年間で殆ど授業を受けられなかった娘に、「生物」の授業をしたり、「英語」の授業をしたり、「数学」の授業をしたり・・・レポート提出を最優先しながら、何とか3年間を取り戻しながら、高校の授業も取り入れ、尚且つ「対人関係」のアドヴァイスをするという無茶苦茶な90分である。心の優しく育った娘が「安心」して生きていく為の90分になっていると信じている。
後半は中三の中に中一が入っているという不思議な塾。中三が二次方程式の授業をやっている間、中一は英語の授業。勿論、同時展開である。そして、食塩水の濃度の難問題と歴史は全員一緒に・・・それが何とでもなってしまうところが面白いのである。子ども達の出来なくて悔しがる顔と、出来たときの笑顔が堪らなく好きなのである。


教師を目指す人へのメッセージ   第477弾!   コントロールしようとするな

 人には「コントロール欲」というものがあります。誰かをコントロールすることで、自分の存在価値を感じるタイプの人は思ったより多いのです。例えば、子ども達の「勉強法」「進路」「友人関係」そして「結婚」までコントロールしようとする母親っていますよね。そうされた子ども達は本当に可哀そうです。自分の考えで生きていく力がなかなかつかないのです。間違えてもいい、失敗してもいい、その時一人で立ち直れるように育てればいいんです。まあ、それがなかなか難しいので、間違える前にコントロール・・・という訳です。子ども達に料理を作らせない母親を想像すれば分かります。
最近は母親に限りませんが・・・・生物学的に父親は最初から「離れている」存在なので、いちいち口を出すことは少ないものですが、母親は赤ちゃんの頃からの「自分がいないと死んでしまうのではないか」と思うことが当たり前になり、小さい頃は勿論、大人になっても息子や娘の生き方をコントロールしないと気に済まなくなるのでしょう。
昔「母源病」という言葉が流行りましたが、その病気が消えてしまった訳ではありません。母親にコントロールされ続け、自分で感じ、考える事が出来なくなった子ども達の人生は悲惨です。コントロールされた子は自分が母親になった時、同じようにコントロールしようとするからです。それは虐待の連鎖とも似ています。
 さて、教師という職業は「授業」や「クラス」や「部活」という複数の子ども達と接しないといけないので、母性とは別の「コントロールしたい病」がでやすいのです。多くの子を同時に相手にするので、大変なことは分かりますが・・・・・彼らは理不尽なルールを作り、子ども達に「理屈抜き」で従わせることで、「生徒指導」をした気になります。そして、教師の優越感を満足させる人が多いのです。挨拶一つとっても、子ども達に先に「礼」をさせて、自分は子ども達の様子を観察し、全員が頭を下げていないと怒る教師がいます。「礼の心」を本気で教えたいのであれば、自分自身も子ども達に「心のこもった礼」をすればいいのに、それが出来ず、形に拘ります。下の者が上の者に先に挨拶をするのは当たり前と「挨拶」を押し付けている訳です。子ども達に先に「おはよう!」という気持ちよさを知らない教師が多いということでもあります。
「課題を出しまくって」内申で子ども達をコントロールしようとするのも同じです。「内申」という武器を最大限に使って、自分の言うことを聞く「よい生徒」を作っているのです。力の無い教師程、それが「気持ちよく感じる」のです。自分が子ども達の「人生の指揮官」になったような気になるからです。駐車場で偉そうに指示するおっさんと心理は何も変わりません。
親も教師も子ども達の「人生の根っこ」になればいいのです。「お母さんだけはいつも味方よ」「何があっても大丈夫」これは母さんが小さい頃、僕に言ってくれた言葉です。「お前は俺の子だからな」「俺は信じているよ」「大丈夫、お前なら出来る」「困ったらいつでもおいで」これは、僕自身が子ども達に言った言葉であり、僕が「先生」に言われた言葉でもあります。
母は「勉強しなさい」は勿論、「勉強法」や「勉強量」に口を出したことはありませんでした。そして、僕の「高校」にも「大学」にも「職業」にも「結婚」にも「異を唱えた」ことは一度もありません。何か失敗しても、母さんだけは味方で居てくれる・・・という安心感の中で、僕は生きてきました。
そして、先生達の「言葉」や「生き方」を真似しながら今日まで子ども達と接してきました。僕はコントロールという言葉とは全く別の「先生達の生き方」「先生達の言葉」を信じて生きてきました。その力は強く、僕が間違えそうになると、ちゃんと引き戻してくれます。
「先生」という言葉の中にはそういう意味が込められているのです。自分が教えたやり方でないと認めない!そんな教師にだけはならないでくださいね。子ども達は我々の知らない世界で生きていかなくてはなりません。生き方の根っこ、学ぶことの根っこを教えれば、子ども達はどんな世界でも活躍できる筈です。それが「先生の仕事」です。

今日の写真1
今朝の朝ごはんです。とても糖尿病の人間の朝ごはんとは思えません。でも「長生き味噌汁」「酢ショウガ」「おからパウダー」などが入っているので、大丈夫なのです。

今日の写真2
我がマンションには素敵な住民がいます。この夫婦は本当に素敵な夫婦で、会うといつも笑顔になってしまいます。子ども達も可愛くて、可愛くて・・・可愛い甥っ子と姪っ子のような気持ちになっている自分がいます。目の前のウエルパークでパチリ(笑)

今日の写真3
母さんに線香をあげてくれている本当の甥の誠です。遠く石垣島から来てくれました。本当に久しぶりなので、きっと、母さんも大喜びしてくれていると思います。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・


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