10月4日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第278弾!2020年10月4日(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第278弾!2020年10月4日(日)  たかやん

爆睡
疲れていたのか、久しぶりに6時過ぎまで爆睡したらしい。音を消していたのだろう、真夜中のラインには全く気が付かず・・・申し訳ないことをした。

本音のコラム    「学術会議は支配できない」
菅義偉首相による日本学術会議の六人の会員の任命拒否は、憲法が保障する学問の自由の侵害であり、日本学術会議法に違反する行為である。
 「学者の国会」と呼ばれる学術会議は、科学者たちが学問の自由や言論の自由のもとで議論し、政府に勧告などを行う、政府から独立した自律的な機関である。その委員は学術会議が選考し、学術会議の推薦に基づいて首相が任命する。「基づいて」という法律用語は強い拘束力を意味する。原則として推薦どおりに任命するということだ。首相の任命権は形式的なもので、実質的な任命権は学術会議自身にある。
 菅首相は任命権を自分の好きなように使えるものだと勘違いしているようだ。人事権を行使して官僚組織を支配してきた彼は、学術会議もその手で支配できると思ったのだろうが、学問の自由の世界を相手に同じ手は通用しない。彼は学問の自由について考えたこともないし、意味も全く分かっていないのだろう。
 学術会議は、任命しなかった理由を明らかにし、六人を改めて任命する文書をまとめた。菅首相は六人を任命から除外した理由を記者に聞かれて「法に基づいて適切に対応した結果」と答えたが、全く答えになっていない。実のところ、理由を答えられるはずはないのである。やってはいけないことをやったのだから。   前川喜平

*陰湿な男が数の力で首相になってしまったことは日本の悲劇である。経済対策は全くダメ、外交もダメ・・・そして、何よりも日本国民のことなどこれっぽっちも考えていないのだから終わっている。自由民主党が聞いて呆れる。自分達は何でも「自由」にやるけれど、国民には「不自由」を押し付ける。そんな政党にいつからなってしまったのか・・・今の日本には「言論の自由」も無くなりつつあるのだ。僕らが好きだった昔の自民党とは「月と鼈」である。

最終校正
午前中は「一生懸命」の入稿準備。最終校正に時間をかける。書きたいことが山ほどあって、何をどう削るか・・・悩みに悩んだ。文章が多いと、写真が少なくなり、つまらない読み物になってしまう。それも悩みどころである。

片付け
空の片づけは「これぞB型」という徹底ぶりで・・・空父は勿論、空母もなかなかOKが貰えない。機能重視の空父の片づけに対し、芸術的センスのある空とでは食い違うことが多い訳で・・・でも、見る視点を変えると、なるほどなあとも思うのである。「老いては子に従え」ってか・・・。

会議
午後からはマンション理事会の会議。勿論、全員マスクをしての会議である。途中から防犯カメラの業者さんが来て、説明を聞く・・・少しでも安く、でも安全第一で我が理事会は動いている。多くの有能なメンバーのお陰で、会議は楽しく・・・そして充実したものになったのだった。感謝、感謝である。

モッコ
今日もモッコが来てくれて、空の英語を見てくれた。90分間、ずっと英語だけの二人。「空の英語、結構凄いよ。大したもんだ・・・。」とモッコ。カナダに行く前に、モッコ先生に鍛えて貰って・・・ある程度の力をつけてから行ってもらうことにしよう。


夜は塾。日曜日だけど塾。高1の息子と高3・大2の娘達との同時塾。高校生の二人は違う学校だが、共通していることは「学年1位」だということ。「学年でペケから6位、クラスで最下位」の僕とは「月とスッポン」な訳で・・・・彼らの勉強との向き合い方に頭が下がるのである。法政大学に通っている大2の娘はお喋り。それがまた楽しい。大学の英語の授業の話を聞いて大笑いしたのだった。

ジム21
テニスはしなかったが、ジムには行った・・・「継続は力なり」を信じて・・・。次郎は時々休まないと駄目だよ・・・と言っていたが、一度休むとどんどん休んでしまいそうで怖いのである。真夜中のジムは男だらけだった。黙々とトレーニングをする男たちの中に爺さんが一人という感じである。

教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第923弾!   職員室4

 五中職員室での「遊び」と言えば・・・先輩への悪戯を思い出します。前にも書いたような気がしますが・・・・大好きだった女の先輩に「蛙のミイラ」をプレゼントしたのです。
好きな女の子に構いたくなる男の子の心境でしょうか・・・僕はその数学の先生の机の上の紙袋に「蛙のミイラ」を入れておいたのです。
 もう、朝からその先生が職員室に来るのをワクワクしながら待っていました。そして、その先生が紙袋を開けた瞬間、「ギャーッ!」という声が職員室中に響き渡りました。「キャーッ!」という叫び声を期待していた僕は、その「ギャーッ!」にビビってしまいました。
「誰!」っと振り返ったその顔は今思い出すだけでも恐ろしい、鬼の形相という奴でした。
 職員室中の顔が僕を見つめました。そりゃあそうです。弁当を喰うのは本田誠でも、女の先生の机に「蛙」を置きそうなのは僕しかいません。まさか、同じ理科の久保昇が置く訳がないのです。僕は直ぐに白状しました。そして、謝ったのですが・・・多分、ニヤニヤして謝ったのでしょう。その女の先生の目は笑っていませんでした。何とかその場から逃げ出したい僕は『お願いを3つ聞くから許してください!』と火に油を注ぐような言葉を言い
ました。まさか、(先輩のことが好きなんです!)とは言えません。その後の記憶は飛んでいるのですが・・・暫くして、許してくれたような記憶があります。
 それから、数十年後。その先輩は議場にいました。それも「教育委員会委員長」という名前で僕の目の前に座っていました。石神井高校の5年先輩の鈴木松江はいつの間にか「教育委員長」になっていたのです。僕は松江さんが好きでした。子ども達も松江先生が好きでした。そう、松江先生は子ども達から愛される担任であり、数学の授業が本当に上手だったのです。そして、時々脱線するのも魅力的でした。あの「蛙事件」から40年・・・3つのお願いの内1つは有効活用したようですが、まだ2つお願いが残っています。松江先生はもう忘れているかも知れませんが・・・・。五中、六中、そして議会でも怖くて、素敵な松江先生と一緒に働くことができて、僕は幸せでした。

今日の写真1
話していて気がついたのですが・・・この子達のお母さんは二人とも五中の10期生でした。卒業式の練習で泣いた子達です。

今日の写真2・3
次郎に言われて、このスクワットもやっています。右と左で全然違うんですよねえ。六中時代に痛めた左ひざがを筋トレで治したいなんて思っている訳で・・・・・。

*この日記を読んだ全ての人達が明日も幸せでありますように・・・

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