10月9日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第283弾!2020年10月9日(金)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第283弾!2020年10月9日(金)  たかやん

駅立ちのお知らせ
12日(月)5時〜9時でひばりが丘北口、13日(火)東久留米で5時半〜8時半、14日(水)保谷駅北口で5時半〜8時半、15日(木)新座駅南口で5時半〜8時半、16日(金)志木駅南口で5時半〜8時半、次の週は清瀬駅北口と南口、朝霞台の予定ですが・・・台風も来そうなので・・・とりあえず、来週の分だけ予告しておきます。駅立ち仲間のみなさん、よろしくです。

命日
今年も陵平と父さんの命日を忘れてしまった。10月1日と2日、一週間も過ぎてから思い出すのだから酷い息子である。毎日『父さん』『お父さん』と線香をあげているのに・・・命日は忘れてしまうのだから・・・いやあ、陵平にも申し訳ない気持ちで一杯である。

潰す気だな・・
「日本学術会議」の任命問題。文句を言ったら、「存在そのものを潰すぞ」とも取れるようなことを言いはじめた。気に入らないものはとことん潰す。菅政権の腐れ切った心根と方向性が早くも見えて来た。どうぞ勝手にやってください。国民は見ているし、そんなに馬鹿じゃないからねえ。

ジム27
今日も午前中にジムに向かった。雨でもジムには人が1人・・・僕が入って2人。ランニングをしている間に3人4人5人と増えていき・・・活気が出て来たのだった。これで27日連続でジムでtrainingをしている訳で・・・・。

市役所
午後からは市役所。控室でスーツに着替えて第二庁舎に向かう。久しぶりの5階会議室。会議は2時間以上続いたのだった。


夜は塾。中三の娘と息子達との塾。数学をやって、英語をやって・・・あっと言う間に時間が過ぎて・・・後半は高2の娘との個別塾。色々話をしてから、物理を一緒に考えたのだった。そして、家まで送って・・・本日の業務は終了。

ゲド戦記
そして、仕事をしようとすると、「お父さん、見て・・・」と空に「ゲド戦記」を見せられる。「絶対に面白いから」「ここが大事なところ」という訳で、僕は今「ゲド戦記」を見ている。空の面白いところは、そのアニメの「描写の素晴らしさ」に注目しながら見ることだ。「これ、どうやって描くんだろう」「この朝陽の描き方凄いよね」とアニメーターの視点で
解説をするのだ。もう直ぐ1時。空の解説はつづく・・・・


教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第928弾!   職員室9

 20年という経験を五中・六中で積んで、教員21年目、僕は二中の職員室に入りました。赴任した日、校長室に呼ばれ「硬式テニス部は作れない」「生徒と仲良くするな」と言われた時は『はあ?』となりました。二中でも10年腰を据えて子ども達と頑張ろう!そう思っていたのに、出鼻を挫かれた感じがしました。そして、学年人事にも疑問を感じたのです。20年間で8回3年の担任をやってきましたから、別に3年の担任をやることには慣れてはいたのですが、異動してきたばかりの教師に3年の担任をさせるということは、2年生の時の担任の力が無かったということを言っているようなものです。1,2年と持ち上がった教師達が3年生に上がらずに、1年2年に在籍しているのを知って、しかも、その教師達が何単元も積み残したまま他学年に逃げたのを知って(この学校は本当に駄目だわ・・・)そう思いました。
 20年も五中・六中で学校の中心となって経験を積んできたのです。新任ではありませんから、二中でも最初の職員会議から「言いたいこと」ズケズケと言いました。
 『何故硬式テニス部を作ってはいけないんですか?』「ダメなものは駄目だ。」『何でダメなんですか?』「8年前の職員会議で決まったことだから駄目なんだ。」『8年前って、この中の何人がいたんですか?あなたもいなかったでしょう。今のメンバーで決めましょうよ。校長はどう思ってるんですか?』「ダメなものは駄目なんだ」『俺はあんたに聞いてるんじゃない!校長に聞いてるんだ!』
 まあ、教頭からすると・・・職員会議で平教員に楯突かれることなど想定しなかったのでしょうから、頭に来たんでしょう。その次の日の朝の職員集会から毎回「準備室に私物を持ち込んでいる人がいる」と報復がはじまりました。それが1月以上毎日続き、余りにもしつこかったので、6月には2組の子ども達に『俺はお前達と一緒にこの学校を卒業するからな。』と宣言しました。
 その後も、広島への修学旅行、女生徒のブルマー、体育祭、教育実習生、校外学習、受験指導のことなどで何度も衝突しましたが、3月には辞めることを決めていたので、職員会議では管理職の言葉など全く気にもせず発言していました。勿論、誰も僕の意見には同調はしてくれませんでした。二中の職員室は五中や六中の職員室のような自由にモノが言える雰囲気ではなかったのです。
その時は気が付かなかったのですが、そういう雰囲気に心を痛めている仲間達がいたのです。僕が辞めると知って「辞めないでください」「高邑さんがやめたら、本当に困るんです」そう言われて、驚きました。「寂しいです。残念です」と言ってくれた別の先生もいました。もう少し前にそれを言ってくれていたら・・・僕は彼らとずっと二中で頑張っていたかも知れません。でも、もう決めた後だったので、僕は辞表を叩きつけて学校をやめました。すると、暫くして、その彼も学校を去ったのです。授業がもの凄く上手な、とても生徒から人気のある理科の先生でした。
僕の職員室の思い出はそこで終わっています。その職員室はAETの先生が1人でポツンと座っていても、誰一人声を掛けない、そんな職員室でした。英語の教師まで授業以外では話をしないのですから可哀そうでした。勿論、僕は彼女に声を掛けて、自分のクラスに連れて行きました。そして、一緒に給食を食べ・・・沢山話をしました。その後、ケイティは僕の塾で英語を教えるようになりました。嫌な思い出しかない職員室ですが、そういう素敵な出会いもあったのです。
いつの頃からか、学校の職員室の空気でその学校の「気」を感じられるようになりました。
今は良い気の職員室が増えていくことを祈るばかりです。どんな先生も「不安」や「孤独」を感じないような、僕が五中や六中で感じたような温かい職員室が増えていって欲しいです。そして、それが感じられる管理職も増えて欲しいですね。
 
今日の写真1
この子達ももう高校生です。あっという間なんですね。小学生が高校生になるのは・・・そして、大学生になり、社会人になっていく・・・劇的に変化するこの時期に一緒に居られることが幸せなのです。

今日の写真2
空が陸上部に入ってくれたので、僕は五中陸上部の子達の大活躍を生で見ることができました。そして、若くて才能のある先生達とも出会えたのです。

今日の写真3
この9月議会での討論の様子だと思います。多分ですが、消費税減税の意見書に賛成討論をしているのかなと・・・・

*この日記を読んだ全ての人達が明日も幸せでありますように・・・

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