11月8日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第313弾!2020年11月8日(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第313弾!2020年11月8日(日)  たかやん

午前4時
久しぶりに畑中のマンションへ。ちょうど塾の卒業生のあかね夫婦とバッタリ会って・・・あかねが突然、つわりで苦しみ始め・・・背中をさすっている内に場面が変わって、六中の体育館裏に・・・何故か和と太陽が取っ組み合いの喧嘩をはじめて・・・先輩だけど、小さな和が太陽の「腕ひしぎ十字固め」に苦しんでいるのを助けたところで目が覚めた訳で・・・・

8時
朝ごはんを食べて、痛み止めを飲む。今朝も起きる時・・・お腹が痛くて、起き上がれなかったのだ。腰の痛みはお腹ほどではないが、相変わらず・・・困ったものである。

8時50分
リヤカーを組み立て、黒目川へ。小平からは祐晴夫婦、畑中からは宣樹親子、そして五中4期生の文夫、賢二、直弘・・・五中OBの服部君、そして六中の3年生が4人とかなりの人数が集合したのだった。そして、途中から「ぜんちゃん」父子も来てくれて・・・ここ数年年で1番の大人数での川掃除になったのだった。

11時過ぎ
川掃除が終わった。冷たい川の中に入ってくれた二人の六中生は全身ずぶ濡れになって・・・風邪を引かないかと心配である。

川掃除のお知らせ
今月の川掃除は本日8日(日)無事に終わりました。多くの方に参加して頂き本当にありがとうございました。特に、先月に引き続き参加してくれた4人の中学生、そして小学生のみなさんには感謝、感謝です。反省会は今月も出来ませんが、来月も今年最後の掃除、よろしくお願いします。

高邑新太郎
大正11年(1922年)11月8日、父さんは生まれた。生きていれば98歳。58歳になる年に逝ってしまったので、もう40年前にはこの世にいなかったことになる。激動の時代を生きた人だ。魚津中学から中央大学法学部へ進学するが学徒動員でビルマ戦線へ。トイレの裸電球の下で勉強し、見習士官になり・・・機関銃部隊の陸軍少尉(小隊長)として、英国軍と戦い部下と共に捕虜になる。部下の
食料を確保するために、命懸けで英国軍の缶詰を盗むような人だった。復員して大学を中退、厚生省に入省。労働省に移り、中央労働委員会で文書課長を務める。その後、富山県労働基準局長、茨木県労働基準局長となり退官。雇用促進事業団から魚津労災病院事務長となり、そこですい臓がんが見つかり、半年後・・・57歳で逝く。我々が小さい頃は社会党を支持していたが、魚津中学の先輩、住栄作が衆議院議員に出馬すると、住栄作の応援団長となり、自民党を応援するようになる。中央労働委員会時代、新宿百人町の公務員住宅にいくつもの「お中元」「お歳暮」が届いたが、全て送り返していた。「労使の仲裁のするのだから、公平でなくてはならないからね」と言って・・・。おっかなかったけど、末っ子の僕にとっては「安全地帯」のような人だった。何があっても僕のことを守ってくれる・・・そういう安心感があったのだ。

猛おじちゃん
という訳で、千葉のおじちゃんに電話をした。父さんの声はもう聴けないので、『取り合えず、おじちゃんに電話しちゃった』というと「そうか・・・それは嬉しいな」と言って、それから20分以上、おじちゃんと話してしまった。おじちゃんは「お爺ちゃんや父さん、登るおじさんと一緒に三兄弟で黒部川に釣りに行った日」の話や「おとうさん(新太郎)に入善町長に立候補したら、お前(猛)は応援してくれるか?と聞かれた時、分からないと答えてしまい、お父さんが激怒した話」などを、笑いながら話してくれたのだった。

教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第958弾!  素質100

「昨日の女子高生の話、ネットに出てました」『そう・・・昔、六中でも似たようなことがあったのを思い出したよ。』「似たようなことですか?」『うん、卒業式の前に靴下の指導があってね。俺はそんなのどうでもいいって言ったんだけど・・・学年が煩くてね・・・』「どうなったんですか?」『ハイソックスを脱がないなら、卒業式に出さないってなってさ。本人はどうしても嫌だってなって・・・』「どうなったんですか?」『ああ、泣いてくれた先生がいたんだよ。お願いだから、卒業式に出てって・・・浩子ちゃんがいない卒業式は嫌だって・・・泣いたんだ。』「たかやんは?」『ハイソックスで出席しろ!って・・・。』「学年で対立したんですね」『ああ、どうでもいいことだからね。いつもの格好でいいし、来賓がどう思おうと関係ないし・・・』「外見に拘った先生がいたってことですね」『そうだね。普段はいいけど、卒業式は駄目だって感じかな。まあ、普段から煩いよりはマシだけどさ。』「普段はみんなハイソックスだったんですか・・・」『ああ、俺のクラスはミニスカートにハイソックスが当たり前。ハイソックスを穿いてない子は1人だけだったかな・・・気にもしてなかったけど、卒業式の前にチェックしろってなって・・・見て見たらそうだった。』「タカヤンはスカートの長さとか靴下とか気にならなかったですか?」『全く・・・っていうか、スカートは短いに越したことはないけど・・・』「これだ・・・・」
『だけどな。来賓の目を気にして、ルーズソックスを脱がせるのはアウトだろうよ。自分が育てて来た子達を誇りに思って卒業させるのが卒業式だから・・・』「で、結局どうなったんですか?」『ヨッシーの涙に負けて、卒業式に出たよ。ハイソックスを脱いでね。俺はそのまま出ろって言ったんだけど・・・ヨッシーの涙に勝てなかったなあ・・・』「その子はどうなったんですか?」『ああ、ヨッシーに憧れて、中学校の英語の先生になったよ。』「マジですか・・・」『ああ、ヨッシーは背中で一番大切なものがなにかを教えてくれたんだ。』「背中でか・・・・」『そうだよ。担任の愛もヨッシーの涙には勝てなかったぜ・・・』「・・・・・そのヨッシー先生はどうしてるんですか?」『ヨッシーか・・・そういう素敵な先生は、今の学校には居場所がないのかもな。』「え?辞めちゃったんですか?」『ああ、ヨッシーを守る人がいなかったんじゃないかな・・・俺が居たら絶対に守ったんだが・・・』「何か残念ですね」『ああ、授業も滅茶苦茶上手だったし・・・子ども達に対する愛が半端なかったからね。』「会ってみたかったなあ・・・写真とか無いんですか?」『あるよ!』


今日の写真1
橋の下はゴミだらけでした。それもかなり怪しいゴミばかりで・・・・六中の3年生は果敢に拾ってくれました。

今日の写真2
先月に続いて、川の中に入ってくれた六中の3年生の二人です。胴長がなかったので、かなり寒かった筈です。

今日の写真3
昔は僕もこうして中に入っていたのですが・・・5年くらい前からは五中4期生の文夫や直弘に任せるようになりました。こうして中学生達が入ってくれると、本当に助かります。まあ、技術と体力はまだまだですが・・・・

*この日記を読んだ全ての人達が明日も幸せでありますように・・・

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