2月6日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第37弾! 2020年2月6日(木)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第37弾! 2020年2月6日(木)  たかやん

駅立ちのお知らせ
本日2月6日(木)5時20分〜9時の新座駅南口での駅立ち、無事終わりました。明日、7日(金)は5時20分〜8時半で東久留米東口の予定です。185弾!(赤色)を配布します。

たかやんの応援団の皆様へ
いつも応援ありがとうございます。9日(日)〜15日(土)の間、選挙カーを運転してくれる方、ウグイス(カラス)など選挙をお手伝いしてくれる方を募集しています。また、お知り合いの方を紹介して頂ける方も大歓迎です。楽しい選挙を経験したい方、1日でも数時間でも構いません。連絡をお待ちしています。
たかやんの応援団団長、一瀬猛彦(五中1期生)    090−6497−5737(たかやん携帯)

4時
気合で目が覚めた。3時間くらいしか寝てない筈なのだが・・・新座駅で遅刻する訳にはいかないので・・・ちょっと頭がボーっとしていた。

5時20分
新座駅南口での駅立ちがスタートした。気温は低いし、風は強いし・・・山本太郎が何度も何度も風で倒れる度に、太郎を起こした訳で・・・

駅立ち仲間登場
6時前だったかな。公明党の白井さんがポンと僕の肩を叩いた。『あ、おはよう!』「寒いね」『うん』「北口に行くね」『うん。』

ライバル登場
7時頃、強烈なライバルが登場した。僕は南口のいつもの場所にいたのだが、彼女は突然現れ、何も言わずに僕の左側1m、前方2mのところで大声を出して、チラシを配り始めたのだ。14年間、駅立ちをしてきたが、流石にそういう人には会ったことがなく・・・でも、観察している内に、悪い人ではないな・・・そう思った訳で・・・彼女は僕にいきなりこう言った。「あんたと会うの初めてだよね」『はい』「あんたも選挙にでるの?」『はい。』僕の幟を指して「あんた、タカヤンて言うの?」『はい』「面白いね!」
上田さんは、8時になると「お茶飲んでくるわ、じゃあね」と去って行ったのだった。昭和18年生まれの上田さん。8時から9時までは少し寂しい気持ちになったのだった。

超、消極的

今日も超、消極的な駅立ちをした。「いい気」を出してない人にしか、一生懸命を差し出さない駅立ちである。勿論、頭も下げないし「おはようございます」も言わない。ボーっと突っ立ちながら、英語を聴いたり、音楽を聴いたり・・・そんな駅立ちを4時間近く続けたのだった。

めぐ
今日の最後も娘のめぐ。9時過ぎに登場。ハグをしてくれて・・・少し話した後、駅立ちグッズの片づけを手伝ってくれたのだった。車に幟を積んでいると・・・「今日はチラシは無いんですか?」と若い男性。『あ、ありますよ。ちょっと待ってください!』と、最後の1枚を男性に渡したのだった。

点描の唄
今朝もかなりの時間、点描の唄をずっと歌っていた。高音域はとっても声がでないので、オクターブ下げて歌ったのだった。

16日目「空腹こそ最強のクスリ」
昨夜の夕飯から数えて16時間後・・・朝ごはん。スタート時の体重は75.2そして、今朝の体重は72.1だった!体脂肪の方は19.7でスタートして、今日は19.7%。血糖値は122だった。体重が減らなくなったぞ・・・とほほほほ。

ポスティング2
2時頃、清瀬の立憲民主の宮原りえさんが、六中時代の教え子の宏を連れて登場。昔話に盛り上がって・・・そこから、4人でポスティングに突入したのだった。2時間後、用意していた「一生懸命」は全て無くなり・・・僕らは大満足で解散したのだった。


7時からは塾。今日も全学年揃っての塾。なかなか高度な質問が来て・・・基本的な質問も来て・・・なかなか充実した3時間が過ぎていったのだった。

教師を目指す人へのメッセージ  第686弾!   義隆のノート

昨日、突然ノートを2冊持ってきた。開けてみると、読売新聞の編集手帳がびっしりと書いてあった。4月15日から2か月以上、義隆は殆ど休まず続けていたのだ。「継続は力なり」今は分からなくても、力は確実につているはずだ。少なくとも、その基盤はできてきたと思う担任であった。

ボーナス
今日は嬉しいボーナス支給日。木下校長のボーナスを覗き込み『ひっひっひっ俺の方が現金支給額上じゃん!』と俺。「おっ、負けたか・・・」笑うキノッピー。「貯金が違うよひっひっひっ俺の方が現金支給額上じゃん」『ゲーッ!本当だ。』そりゃあそうだよな。俺の方が校長よりボーナスが多い訳がない・・・。
「これはへそくりだな」「これは母ちゃんには内緒だな」笑う職員室。俺も貯金しよっと。
*義隆は「ライオン丸」と呼ばれていました。髪の毛が長髪で金髪だったからです。当時、余りにも目立っていたので、教育長が僕の理科の授業を見に来たくらいです。でもね、義隆は努力していたのです。外見しか見えない教育者の目には「真面目に理科の授業を受ける金髪の義隆が不思議な光景」に見えたようです。
キノッピーは職員室を明るくする校長でした。五中時代、僕と「学級通信」の号数を競えたのはキノッピーだけでした。水泳部の子達と国語科準備室で筋トレしていたキノッピーを見習って、僕は地下準備室にベンチプレスを置いたのです。ああいう校長になら、なってもいいなあ・・・そう思った記憶があります。校長の仕事は職員室を明るくすることです。それが分かっていた校長でした。


今日の写真1
北口で頑張った白井さんとのツーショットです。二人とも顔が固まっています。無茶苦茶寒い朝に立っていると、こういう顔になるのです。主義主張は違っても、僕は頑張る人が好きです。この日の朝の寒さを感じた仲間達に乾杯!

今日の写真2
新座駅で最後に登場しためぐです。寒すぎたので、思い切りハグしました。21年間で最後のクラス、二中3年2組には素敵な子どもたちが沢山いました。

今日の写真3
大量のポスティングに力を貸してくれた宏とりえさんです。清瀬駅の駅立ちでりえさんの旦那さん(北大の後輩)と知り合って、お互いの選挙を応援し合ってきた不思議な仲間の一人です。前回のりえさんの選挙では僕が選挙カーの運転やカラスをやりました。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・・

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