3月30日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第90弾!2020年3月30日(月)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第90弾!2020年3月30日(月)  たかやん

川掃除のお知らせ
来月4月の川掃除は26日(日)になりました。9時に栗原一丁目公園に集合です。途中までの参加も途中からの参加も大歓迎です。栗原一丁目公園から両サイドの遊歩道を馬喰橋まで下りながら掃除します。そこから、川の中に入り(1名〜数名)川の中のゴミを拾いながら、土手を掃除していきます。栗原一丁目公園で一旦ゴミを下ろして、神宝大橋まで掃除をしていきます。そこで休憩して水分補給して・・・最後に土手と遊歩道を掃除しながら栗原一丁目公園まで戻ってきて、ゴミを下ろして解散です。夕方6時半から反省会があります。反省会だけの参加も大歓迎です。参加される方は090-6497−5737 たかやんまで・・・

トミーさんの言葉20
「不安の強い方は、人にお任せするのが苦手なことが多いわ。」とトミーさんはいいます。
日ごろから小さなことを他人に任せる練習をしておく方がいいわ。と言っているのです。
僕もそう思います。何でも自分でやろうとすると無理がでます。誰かに任せてしまえば、その分悩むことがなくなるし、他人に任せると、大抵は上手くいくものだし、仮に任せた人が失敗しても、それはその時に失敗した人と考えて、次に成功すればいい訳で・・・そんなことまで心配しなくていいんです。

志村けんショック
1950年生まれの志村けんが亡くなった。ドリフターズで出てきた時は好きではなかったが、「志村どうぶつ園」での動物達への愛情は本物で・・・段々好きになってきたので、ショックである。何といっても同じ世代。昭和25年の朝鮮戦争の時に生まれたのだから、丁度兄貴達の世代である。肺炎なのだから、呼吸が出来なくて苦しかっただろう。母さんも最後は肺炎だった。肺気胸の経験がある僕も気をつけないと・・・子ども達の為に、もう少しだけ、生きていないと・・・・それにしても、地域によってコロナの差がありすぎる・・・これは何かあるな・・・そう考えるのが当たり前な訳で・・・

緊急事態
テレビのコメンテーターが「この非常時に消費税の減税には意味がない」と言っている。そういうコメンテーターは経団連、財務省、自民党に重宝されている輩だろう。「現金支給」+「消費税0」が正しい経済政策である。「社会保障費をどうするんだ」って、そりゃあ「内部留保」を溜め込んでいる「大企業」に返して貰えばいいのだ。馬鹿みたいに株で儲けた「お金持ち」から出して貰えばいいのだ。緊急事態なのだから、こういう時こそ、「裕福」な人達に「社会貢献」して貰えばいいのです。「愛国心」というのは、そういうことじゃあないのかね。10兆とか60兆とかけち臭いこと言わないで、財政出動は100兆レベルでいこうぜ・・・・緊急事態なんだから・・・。


夜は塾。中三の娘に英語のtraining方法を教えて、1時間で単語を100以上覚えて・・・・
久しぶりにギターを弾いて、歌を歌って、いい感じで終わった。中三の娘との時間もいよいよ明日で終わりである。寂しい限りである。


教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第738弾!  思い通りにはならない

 そもそも、子どもは親の思った通りにはなってくれません。ましてや、教師の言うとおりになる生徒なんて、いる筈がない・・・そう思うことが大切です。
 自分の思いどおりにならないと、怒ったり、不機嫌になったり、酷くなると「内申」を下げたり・・・そんな情けない先生にだけはならないでくださいね。
 アドラー心理学を学ぶといかにそういうことが「無意味なこと」かが分かります。勿論、「僕はこう思う」「お前達にはこう生きて欲しい」「私はそういうことが嫌いです!」そう言うことはいいんですよ。でも、子ども達はそれをどうするか「選択」していいんです。「先生」のことが大好きになれば、先生の言うことを「選択する」そういう子は多くなるだろうし、「先生」のことが嫌いだと、まず、先生の言いなりになる子はいないでしょう。
 子どもは「教師」の言うことを聞くのが当たり前だと思っているから、思い通りにいかないとイライラするのです。最初から、思い通りにいく訳がない・・・そう思っていれば、何も悩む必要はありません。課題のやり方まで細かく指示することがお互いのストレスになるということです。
 僕は実にいい加減な教師でしたが、僕のクラスの子達は「ゴミは捨てない」大人になっていったと信じています。僕が子ども達に教えた、まともなことって・・・それくらいなのかも知れません。
「ゴミを捨てるな」は母さんの教えです。それが今の「川掃除」に結びついている・・・・僕の教え子達もそれが身に付いているから、10年以上も一緒にやってくれている・・・そんな気がします。
 
今日の写真1
これも昨日に続いて、六中の最初の赤ジャージの子達です。この子のことは「サル」と呼んでました。六中テニス部のキャプテンを1年生から3年生までずっとやっていた子なのに時々「エテ公」と呼んでいたのですから酷い話です。本名は「一久」で、テニスの世界では僕よりも有名です。今では僕よりも教え子が多いのではないでしょうか。

今日の写真2
この子は「お嬢」。「寛子」という立派な名前があったのですが、誰もその名前を呼ばなかった記憶があります。兎に角、育ちがいいので「お嬢」です。我が2組のピアニストでもありました。3年生になる時に、僕のクラスになれなくて、「一晩中泣いたんだから・・・」と言ってくれた子です。

今日の写真3
そして、「委員長」。2組の中ではちょっと大人扱いされていました。多分、最初の「学級委員」だったのがあだ名の素だと思います。僕は「千衣子」と本名も呼んでいたような気もしますが・・・・。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・・

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