4月9日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第100弾!2020年4月9日(木)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第100弾!2020年4月9日(木)  たかやん

川掃除のお知らせ
今月4月の川掃除は26日(日)になりました。9時に栗原一丁目公園に集合です。途中までの参加も途中からの参加も大歓迎です。栗原一丁目公園から両サイドの遊歩道を馬喰橋まで下りながら掃除します。そこから、川の中に入り(1名〜数名)川の中のゴミを拾いながら、土手を掃除していきます。栗原一丁目公園で一旦ゴミを下ろして、神宝大橋まで掃除をしていきます。そこで休憩して水分補給して・・・最後に土手と遊歩道を掃除しながら栗原一丁目公園まで戻ってきて、ゴミを下ろして解散です。
*夕方からの反省会は「自粛」することになりました。来月はやれるといいな・・・。

朝勉
今朝も6時起床で朝勉。基本は英語なのだが、今日は「経済」の勉強もした訳で・・・それがまた面白かった訳で・・・大学受験の時、「慶応の経済」が滑り止めだったことを思い出したのだった。間違えて慶應に行っていたら・・・俺の人生はどうなっていたんだろう・・・分かっていることは、絶対に教師にはなってないということ。埼玉県とか新座市には絶対に住むことはなかっただろうし、誰かにテニスを教えることもなかっただろう。教師は勿論、選挙にでることもなかっただろうし、PTAの会長とかもあり得なかった訳で・・・・。塾をやることもなかっただろうから・・・多くの子ども達の人生も変わってしまうことになる訳で・・・・慶応には行かなくてよかったのだ。そういう結論に落ち着いたのだった。

テニス
今日もテニスコートへ。テニスをしないと死んでしまうのだから、しょうがないよねえ。あの嘘つき総理が言ったことなどとは関係なく、自分達のことは自分達で守るのだ。クラブハウスでの飲食は出来なくなっていたが、コートは普通に使える状態でみんなボールを追いかけていた。着いて直ぐ「梅ちゃん」から声が掛かり、シングルをやることに・・・途中まではかなりいい感じだったのだが、終わってみれば「完敗」で・・・その後のダブルスも負けたのだが、ちょっといい感じになってきたので、楽しかったぜ。人生、何か楽しみがないとねえ・・・・。

風呂勉
今日もお風呂の中で「英単語training」・・・いい感じである。いい感じのことは続けないとね。

買い物
三人でノジマ電機で買い物。空が欲しいものが無くて・・・254のヤマダ電機まで行って・・・いいのを見つけた訳で・・・その後、いなげやで買い物をして、家に戻ったのだった


7時からは高1になった息子と「個別」の塾。英語と数学を中心に進めて・・・今後の勉強の仕方を教え込んだのだった。後半は中二の息子との個別塾。数学の授業を進めて・・・その後、英語のtrainingに燃えて、今日の塾は終わったのだった。

108兆円
嘘つき総理の言葉には必ず裏がある。「世界的にも最大級」と、あのバカ総理が自画自賛した数字にもカラクリがある筈である。今まで嘘ばかりついてきたバカ総理の言うことを信じる訳にはいかない。早速ネット上では「本当は40兆程度じゃないのか」という声が出回っている。108兆も出すというのなら、国民への全額補償だって可能だろう。ICUつきの病床を増やすことも可能だろう。それを「複雑な条件付き」で「申請しないと貰えない」というのだから狂っている。腹が減ってはコロナには勝てない。「コロナの恐怖」よりも「食えない恐怖」の方が勝れば、人はどんどん動くしかないのだから・・・・。

教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第747弾!   光

「タカヤン」『ん?』「痔なの?」『あのねえ・・・』「それもイボ痔・・・・」『普通、そういうこと大声で言っちゃう?』嬉しそうな光。その後、罰が当たり、足の爪を剥がす・・・バカな奴。


理科の授業で『ヘモグロビン(血色素)と似ているもので、毎日お母さんが食べなさいって言うものなんだ?』という質問に「メラニン色素」と答えたのは巌。『お前、毎日そんなもん食わされてんのか・・・メラニン色素ってえのはな・・・』大爆笑の2年1組。

あと5分
今日も遅刻が多かった。巌が1分遅れ、智恵、裕子、聡美、達宣の常習組が5分以上遅れてきた。「またかよ」「またいつものメンバーだ」と1組。『あと、5分早く起きればいいのに。』と担任。「寝るのが遅いんすよ」『だから、5分早く寝ればいい・・・』早く寝て、早く起きた方が気持ちがいいということを、きっと知らないんだろうなあ・・・早起きなんて、習慣にすれば楽勝なのに・・・

続ソフィーサラ
友達から電話がかかってきて・・・ソフィーサラの話をしたらバカ受け・・・・。「あのサイドギャザーのついた奴でしょ?」『なんでそんなこと知ってんだよ。』「そりゃあ、テレビのコマーシャルとかで」『見ねえだろう普通・・・』「やっぱり興味あるじゃないすか」『アホか・・・』「あれ、お尻につけるんじゃないっすよね」『そう、それ初めて知った。パンツに付けるんだよねえ・・・知らなかったよ。』「でしょう。僕もついこの間知って笑われました・・・彼女に・・・」『幸せそうだね。上手くいってる?』「バッチリですよ」
*はて、この友達は誰だろう・・・少し敬語が入っているから、後輩か・・・それとも教え子か・・・それにしても、これが「学級通信」とは・・・まあ、子ども達は読んで楽しいでしょうけれど・・・

今日の写真1
これは僕が高校2年の時の写真ですね。僕には当時、内海、長崎、平林という3人の友達がいて・・・みんな僕より頭が良かったのです。(僕は学年で最下位でしたから当たり前です。)その3人が、僕が余りにも勉強しないことを心配して、「高邑、少し勉強した方がいいよ。」「大学行くんだろ?」『ああ、早稲田か法政に行くよ。』「勉強しないでいくのか?」『ああ、テニスで行くから大丈夫。』「大丈夫じゃないって・・・お前、やれば出来るんだから、今から少しでもやっておけよ」そう言ってくれたのです。彼らはそれぞれ早稲田、慶応、新潟大歯学部への進学しました。僕も彼らのアドバイスのお陰で少し勉強をはじめ・・・1浪しましたが、何とか大学にいけたという訳です。出会うべき時に出会った友達です。

今日の写真2
その石神井の最後の授業が終わった直後の写真です。僕は最前列の右から2番目です。男子しかいないのは男子クラスだったからです。僕らの最後の授業は2時間続きの古川先生の数学。僕がクラスメイトに声を掛けて『校庭空いてるから、皆勤の奴以外校庭でソフトやるぞ!』と唆し・・・ソフトをやった直後の写真です。3年間お世話になった顧問の古川先生を裏切ったのですから・・・本当に悪い奴です。それでも古川先生は僕がテニス部の顧問になると、「関東テニス協会」や「全国テニス協会」の錚々たるメンバーに「高邑はいい奴です」「高邑なら大丈夫です」と僕のことを褒めてくれていたというのだから、先生というのは凄い仕事な訳で・・・・一度、手紙でそのことを書いて謝ったことがあるのですが、先生は「そんなことがあったかな」と笑ってくれました。

今日の写真3
場所はどこだか分かりません。ただ、1977年1月とありますから、43年前、僕が22歳の時の写真です。大学卒業前の写真ですね。場所は東京かも・・・向かって左が2年先輩の幸弘。右が1年後輩の圭司です。幸弘は北海道では有名な建築家で、圭司は僕の代わりに授業を受け、テストも受け、卒業証書も貰ってくれた有難い後輩です。僕が受けたテストは「可」ばかりでしたが、圭司が僕の代わりに受けてくれたテストは全部「優」でしたから、卒業できたのは圭司のお陰ということになります。それでも単位を落とした教科が3つあって・・・それについては、持ち前のプレゼン能力で切り抜けて、何とか卒業させてもらいました。その時、卒業してなければ、猛彦達とは会ってなかったことになります。勿論、新座市の教師になることもなかったでしょう。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・・

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