5月12日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第133弾!2020年5月12日(火)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第133弾!2020年5月12日(火)  たかやん

小雨
外は小雨。同じ雨でもこういう優しい雨が好きである。風も無く、静かに降る雨・・・そういう穏やかな雨の中、愛する人と腕を組みながら、1つの傘で歩いていると・・・突然、彼女が僕の唇を・・・『コラ!ココア!わかった!起きるから・・・ココア―っ!』もう、久しぶりにいい夢を見ていたのに・・・・

ぬか漬け
今朝の朝ごはんのメインは「ぬか漬け」。姉ちゃんに貰った「ぬか漬け」を朝から美味しく頂いた訳で・・・ちょっと幸せな気持ちで一日をスタートしたのだった。

検察庁改正法案
「種苗法の改正案」といい「検察庁改正法案」といい、ショックドクトリン(惨事便乗型資本主義)そのものである。まあ、ドサクサ紛れにやりたい放題やろうとしている、安倍政権の質の悪さに流石の国民も頭に来ているのだ。定年延長されようとしている、黒川検事と言えば、「小渕優子」「甘利明」の不正経理に「加計学園から下村博文への裏献金」そして、「森友問題」で全て安倍政権が有利に働いたとされている人間だ。このタイミングで河合夫妻の「選挙違反」に「桜を見る会」を有耶無耶にするにはうってつけの人事という訳だ。「コロナで滅茶苦茶な対応」を現在進行形でし続けている安倍政権にとって、こんな都合のいい男はいないという訳だ。

散歩
コロナ自粛でやることがパターン化してきた。ココアの散歩に行って、その後は買い物へ。そして、隙間時間に「韓国ドラマ」と「プリズンブレイク」を見て・・・庭でテニスをする。そういう何でもないことが、実は幸せなことだということを体験上知っている訳で・・・
家族みんなが健康で、暖かい布団に寝られて、暖かいご飯を食べられて、暖かいお風呂に入れることがどれくらい幸せなことか・・・そのどれか一つでも失った時に「ああ、当たり前のことが実は宝物のようなものだったんだ」そう気づくのだ。
昔、「ホームレス」を経験したことで、今の自分の生活がどれくらい幸せなことか・・・僕は知っている。そして、「ホームレス」や「難民」と呼ばれている人達の苦しさも想像できるのである。

サンダル
今日はひばりが丘のライフで買い物。相変わらず、駐車場の誘導員の接客が素晴らしい。「みんなライフで研修すればいいのにね」と空ママ。もう暑くなってきたので、空ママのサンダルを買って・・・ココアのボールを買って、空父のビールとつまみを買って、帰ってきたのだった。

マスク
我が家にもマスクは不足している。毎回、新しいマスクをする気にはならず・・・5枚ほどのマスクを使ってはアルコールで消毒し・・・それをクルクル使い回している。


夜は塾。少し大人になってきた2年生の息子達との塾は面白かった。「ああ、またやっちゃった!」「そういうことか・・・」「できた!」伸びていく子ども達に共通の言葉がポンポン出てきたのだ。そして、とてもいい表情をしていた訳で・・・こういう時はみんなで伸びる時なのである・・・・

世界史
塾の後、空は夕飯と同時に「世界史の一問一答」をやっている。出題しているのは空ママ。大学入試で「世界史」は満点だったのだが・・・それはもう50年くらい前の話で・・・・空に勝てないのである。「ヒッタイト」「シュメール」「オリエント」「ヘブライ人」「セム語」「フェニキア人」「ダビデ王」「アッシリア」「バビロン捕囚」「メシア」くらいは分かっても「ラメス2世」「カデシュ」「オシリス」「カナーン人」となると、なんじゃそりゃ!って感じで・・・

教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第780弾!    研修

 前にも書いたような気がしますが、僕は「新任研修」が嫌いでした。新任なのですから、研修があって当たり前なのですが、研修に行くと、それだけ「授業」が遅れる訳です。楽しい研修なら、学校で役に立つような「いい話」を聞けるのならよかったのですが、実に詰まらない話を聞かされて・・・(なんの役にも立たないぞ・・・時間の無駄じゃん!)そう思ってしまったのです。
 「こんな詰まらない話なら、新任の俺が同じ新任に話をした方がよっぽど面白いわ」生意気な僕はそう思いました。今の自分が置かれている状況を当時の新任の仲間達に伝えるだけで、きっと誰もが自分が今置かれている状況を「幸せ」に感じると思ったのです。
 それくらい、僕は「日本で一番苦しい新任」だと思っていました。その時の講師の話は本当に詰まらなくて・・・「お前、俺の代わりに五中に来て、授業やってみろ!」そう言いたくなったほどでした。「きっと、お前じゃできねえだろうけどな・・・」そんな風に思っている自分がいました。
 五中に新任で赴任した昭和52年、日本中で3年の担任をしたのは僕一人だけでした。そういう時代だったのです。(今でもあり得ないだろうけれど・・・)校内暴力が吹き荒れる時代でしたから、新任が担任をすること自体が殆どありませんでした。要するに、先輩達だって、そんな経験をした人は誰もいないのですから、当時の僕としては「新任研の話」は全く役に立たない話だったのです。
 授業の準備が大変でした。一週間に3年の4時間×4クラス、2年の4時間×1クラスの計20時間+学活、道徳と何かみたいな時間割だったのですが、4時間の内、1分野が2時間と2分野が2時間だったので、一週間に違う授業を最低でも4種類やらないといけなかったのです。
 1回でも経験していれば、何てことはないのでしょうが・・・一度もやったことがない授業を2学年同時並行で進めていくのは、本当に大変でした。「新任研」などに行っている暇はなかったのです。行けば授業が確実に遅れてしまいます。次の日の準備もできなくなる訳で・・・僕はなるべく「研修」をサボるようにしました。
 「新任研」をサボるなんて・・・そう思うかも知れませんが、僕は殆どんどの「研修」に行きませんでした。五中での「授業」こそが、僕にとって一番の研修だったのです。
 その上、当時の3年の担任は2学期になると、高校訪問に行ってましたので・・・「研修」などに行く暇もなかったのです。
 学年主任の神宮司久子も校長の中村敞一郎もそれを許してくれていました。という訳で、僕は「新任研」を殆ど受けていない「新任」になりました。そして、その癖は五年時研修、十年時研修でも繰り返されたのです。
 僕は「研修」には行かず、自分の学校で、授業が上手な先輩(たまに後輩)の授業によく参加しました。さりげなく授業を覗き・・・そして、盗むのです。それが僕にとっての一番の研修でした。余り参考にならない話でごめんなさい。
 
今日の写真1
僕の愛用のカメラはニコマートFTNというニコンのカメラでした。200oの望遠レンズがついていたので、子ども達の何気ない表情を撮るのが好きでした。

今日の写真2
五中4期生の剣道部の二人です。2年間持ち上がりのクラスだったのですが、最初は女の子達に「嫌われて」いました。彼女達は僕の「いい加減さ」を見抜いていたのです。それでも担任の僕にこんな表情を見せるようになってくれたのです。

今日の写真3
当時の男の子達から絶大な人気があった京子ちゃんです。残念ながら僕のクラスになったことはありませんが・・・こうして見ると、確かに美人さんです。同窓会で会ってみたいですね。2年生の時かなあ・・・。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・・

20200512-1.jpg 20200512-2.jpg 20200512-3.jpg