5月21日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第142弾!2020年5月21日(木)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第142弾!2020年5月21日(木)  たかやん

曇り
今朝もどんよりした天気だった。庭に出ると、空気が冷たい・・・いい感じである。風も無いし・・・いい感じである。

朝勉
6時からは朝勉。どうも、頭が悪くなっているような気がするから、頑張らないといけない。
っていうか、小さい頃から「バカ」って言われて育ったから、いくつになっても努力をしないとね。

経済
午前中は経済のお勉強を少々。どうみても、このコロナショックは「世界恐慌」に繋がると思われる訳で・・・日本政府の財政出動が絶対に必要なのだが・・・

Dad
昨夜のお話。空が「Dad、can I see Anayuki2?」と言ってきた。空はそういう時だけ、調子がいいのである。そして、まんまとAmazon primeで「アナ雪2」を見はじめた訳で・・・空父の懐から399円が消えていったのだった。

皓ちゃん
お昼過ぎに隙間時間が1時間あったので、テニスクラブに向かった。そして、高3の皓ちゃんにお願いして、練習を一緒にしてもらった。ウォームアップでショートテニスをちゃんとして、打ち始めたのだが・・・皓ちゃんのフォアハンドのスピードが凄くて、それを打ち返すのが超楽しくて・・・1時間、ビッシリ・・・汗をかいたのだった。休憩の間は学校の話。「受験」の話をしたり、歴史の話をしたり・・・それがまた楽しかった訳で・・・休校のお陰で、現役の高校生と話ができて、幸せを感じたのだった。

昼寝
寝不足が続いていたからか、ココアと一緒に横になっていたら・・・いつの間にか眠っていた。それも半袖・短パンで寝ていたので、寒くて目が覚めた。寝た時間は短かったのだが、かなり寝た気がしたのだった。

賭け麻雀
小学校1年生の頃から親子で「賭け麻雀」をするという家庭に育った僕としては、「賭け麻雀で辞職ってなんなの?」という気持ちがある。「常習賭博」とか言われると、「高邑家」は完全に「賭博一家」である。父さんも母さんも「賭博常習者」ということになる。僕は貧乏学生だったから、下宿代も麻雀で稼いでいたりしていた。不良教師だったから、教え子達にも「教えて!」と言われれば、当たり前のように「麻雀」を教えていた。そんな僕だが、いつの間にか麻雀をしなくなった。煙草が苦手になったからなのか、そういう時間がなくなったからなのか、そういう体力が無くなったからなのか・・・そういう相手がいなくなったからなのかは分からない。体力があり、煙草の煙にも強く、仲間がいて、時間もあった時代。家庭訪問に行ったら、お父さん達が3人待っていた時代・・・怒られるかも知れないが、そんな時代がちょっぴり懐かしい。
大体、本当に賭け麻雀が駄目なら、全国の「雀荘」は廃業しなけりゃならんだろ。ギャンブルが駄目なら、パチンコ、競馬は勿論、カジノなどはモッテノホカである。


夜は塾。中二息子と数学、そして英語の授業に燃える。実にいい感じである。そして、後半は高1になった息子とのマンツーマンの塾。「世界史」「難解な因数分解」「順列と組み合わせ」「集合」「英語」などに燃えて・・・それがまた楽しくて・・・あっと言う間の3時間が過ぎていったのだった。


教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第788弾! たかやんのクラスだった1年間

 3年生の1学期、初めてたかやんに出会った。初めはこんな先生が担任でこれからやっていけるか心配だった。そして、たかやんは「クラスのみんなを名前で呼び合おう」と言い出した。その時はびっくりしたけど、今思えばクラスのみんなが仲がいいのは、名前で呼び合うことが出来たからだと思う。今では名前で呼び合うのがうちのクラスでは当たり前になっている。名前で呼び合う事はとてもいいことだと思う。
 そして、体育祭という大きな行事がやってきた。うちのクラスだけ学年種目のダンダンの練習を一生懸命やった。当日、1番目の組、明菜と尚子がこけたけど、練習の成果がでて余裕で1位をとった。凄く感動した。練習は辛かったけど、その分やればできるという事をたかやんから教わった。そして、最後の体育祭で総合優勝することができた。
 大きな行事パート2、合唱祭・・・・。更にうちのクラスは燃えた。金賞を目指して・・。最初に決めた曲では金賞は貰えないという事が分かって、みんなで話し合って「青葉の唄」になった。その曲は3年6組と同じ曲だった。どうせやるなら6組に勝ちたいと思っていた。そして、うちのクラスの特訓がはじまった。結構厳しくて最後まで残って歌った時もあったけど、頑張って練習して大きな声で歌うことができるようになった。当日、朝早くに集まって本番に向けて練習をした。本番ステージ裏ですごく緊張した。ステージに上がった時、たかやんはビデオを撮っていた。その姿が少し見えた。歌いはじめたら、緊張しなかった。みんなの声が凄く聞こえた。6組の順番がきた。6組はとても女の子の声が良く出ていた。
 そして、お昼。賞の発表の時間がやってきた。1.2年生の発表が終わり、いよいよ3年生。銅賞・・・3組。キャーという声が聴こえた。静かになって、銀賞・・・6組、この時はもううちのクラスは駄目だと思って少し諦めていた。そして、金賞・・・2組。この瞬間、みんな抱き合って、凄く喜んだ。凄く嬉しかったけど、信じられなかった。体育祭の時もそうだったけど、努力をすれば何でもできるんだって思った。たかやんのクラスになって、沢山思い出が出来たし、いろいろ教わった。たかやんから教わったことは一生忘れないと思う。とっても楽しい1年間だったよ。1年間が短かった。
 そして、受験・・・私が最後までみんなに迷惑をかけちゃって・・・。めぐとくるみの勉強の教え方はとても上手だった。めぐはきっといい先生になれると思った。たかやんは私を最後まで面倒みてくれた。有難う。とても嬉しかった。また遊びにいきます。うどん作って待っててね。次、遊びに行く頃はきっと洗い物がちゃんとできて、料理ができるようになってるよ。それまで待っててね。             美緒

*僕は最後のクラスでも「受けたい高校」を受験させていました。当たり前です。高校受験が人生で最初の挑戦の子達もいるのです。最初の挑戦から、「逃げる」ような、最初から「諦めるような」経験をさせたくはありません。自分で「選択」した高校であれば、どこでもいいのです。偏差値なんか関係ありません。「行きたい学校に挑戦する」ことが大切なのです。美緒は最後まで挑戦して、そして、最後の最後にちゃんと夢を叶えました。素敵な子でした。

今日の写真1
中学時代、僕の隣で勉強を教えてくれた裕美さんです。もう完全に憧れていた記憶があります。同級生なのに、3つも4つも歳上のような感覚でした。英語が凄くて、都立駒場時代に通訳の資格を取ったと聞いています。歌が無茶苦茶上手くて・・・本当の憧れていました。この写真は僕らの卒業式の日の1シーンです。

今日の写真2
この二人も西戸山の友達です。和田君と益子さん。和田も無茶苦茶賢い奴でしたね。益子さんもできました。二人とも都立戸山高校だったかなあ。。。3年生になると、僕の周りは僕よりも出来る子ばかりでしたね。その影響で自然に出来るようになりました。高校生になった時の写真だと思います。

今日の写真3
数年後の和田君と益子さんと僕ですね。後ろに僕も写っています。この写真、もしかしたらですが、成人式かなんかの後にみんなで集まって、河合先生の家に行った時の写真かも知れませんね。西戸山中の友達は越境していた子が多く・・・新宿区の成人式には出られなかったのです。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・・


20200521-1.jpg 20200521-2.jpg 20200521-3.jpg