5月23日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第144弾!2020年5月23日(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第144弾!2020年5月23日(土)  たかやん

いい感じ
数日テニスをしていないせいか、朝起きて左胸が痛くなかった。いい感じである。こういう時は気をつけないといけない訳で・・・慎重にやっていこう、そんなことを朝、思ったのだった。

仕事
午前中は仕事に燃えてみた。内容は・・・秘密です。おほほほほ。

隙間時間
ラケットを持ってテニスコートへ。壁打ちをしていると、渡辺さんが声を掛けてくれて・・・そのまま練習。それがまた超いい練習になった訳で・・・『やっちゃん!ダブルスやろう!』と声を掛けると、やっちゃんと半ちゃんが来てくれて・・・ダブルスがはじまった。僕らはいい感じで5−2とリードしていたのだが、やっちゃん・半ちゃんの反撃がはじまって・・・7回目のマッチポイントで何とか6−5で勝ったのだった。いやあ、やっぱり強いわ・・・

所沢
空が所沢に行きたいというので、コートからダッシュで家に戻った。そして、東久留米まで送って・・・家でまた仕事。

所沢2
そして、空を迎えにココアも連れて所沢へ。空はおばあちゃんの家でもずっと勉強をしていたらしい。僕らがご飯をご馳走になっている間も、隣で「課題」に取り組んでいた。

ワクチン
Covid19のワクチン開発が急がれている。が・・・出来上がっても、僕は接種しないと思う。薬は飲むだろうが、今までの多くのワクチンの副作用を考えると、接種するリスクが否定できないからだ。ま、どういう選択をするか・・・人生の分かれ道なんだろうねえ・・・

教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第790弾!   公立入試

 僕が大学を卒業して、教員になって初めて担任したのが3年生。今じゃあ考えられないことだけど、(その当時でも埼玉で1人、つまり全国でも1人だった。)僕は進路指導なるものをいきなりやったのだ。浦和高校以外の高校を知らなかった僕が、どうやって査定会や三者面談を切り抜けたのか、不思議でしょうがない。ただ言えたのは何も知らないから『どんどん挑戦しろ。』とはっぱを掛けていたことは確かだ。川越女子を受けたいのだが、弱気になって「先生、所沢にした方がいいですか?」と聞いてきた、さかえちゃんには『お前は御茶ノ水を受けると思っていたのに・・・』と言って自信をつけたり、「あたし偏差値10も足りないんですけど。」と言う政美ちゃんには『大丈夫、俺は30くらい上がったよ。やってみろよ。』と言った。まあ、それはいい加減というか、適当というか・・・公立1本になった子達には『俺は高校も大学も一つしか受けてないぞ!』と全く論理的でないことを言っていた。
 当然、プレッシャーはかなりのものだった。急性胃炎になって救急車で運ばれたこともある。そんな中で僕に出来ることは彼らと一緒に勉強することだけだった。毎日、毎日子ども達と一緒に勉強した。日曜日は子ども達が僕の家に来て勉強した。そして、あっという間に入試の日が来た。その時、(あれ、僕にはもう何もしてあげられない。心配しても何をしてもどうしようもない。子ども達が自分の力で頑張るしかないのだ。)そう思った。そう思ったら急に気が楽になって、僕は私立の合格組の子達と石神井公園に遊びに行き、ボートに乗って人生を語ったのだった。合格発表の日まで僕は毎晩、子ども達の合格をお風呂の中で祈った。43人のクラスだったから、全員のことを祈っているとのぼせてしまう。それでも毎晩祈っていた。 
 合格発表の日のことは今でも覚えている。とにかく全員合格した。どこの高校に合格したかよりも、全員が自分の希望校を受験できたことが嬉しかった。そして、子ども達はみんな希望校に合格した。あの子達も、もう39歳になる。兎に角、年齢の近い弟、妹という感じの子ども達だった。
 「もう俺達好きなことができるぜ」と男子。「あ〜あ、これで高校へ行けないや」と女子。それが4月に僕を初めてみた時の子ども達の感想だったそうだ。あれから僕は何度も3年生の担任をやった。(多分、新座で一番たくさん。)勿論、決めていたことは“子ども達が受けたい高校を受けさせること”“それにはどうしたらいいか、情報を具体的に教えること”だった。僕は内申書を子ども達に必ず見せた。僕も中学の時にそうやって教えてもらったし、子ども達が自分の調査書に何が書いてあるか知らないのはおかしいと思ったからだ。
 今日の受験が終わって、隼も洸司もあかねも、何かホッとしたような爽やかな顔をしている。今、3人とも明日の面接の準備をしているが、やるだけのことはやったという充実感なのだろう。今、3人ともいい顔をしている。来年の今頃は泰佑達が面接の練習をしているかと思うと・・・1年があっという間に過ぎていきそうである。       たかやん
大昔の『たかやん塾日記』から・・・
*整理していたら、昔の塾日記が出てきました。これを書いた時点で、さかえちゃん達は39歳でしたが、今この子達は58歳になっています。23歳と15歳・・・8つしか違わなかったのです。*整理していたら、昔の塾日記が出てきました。これを書いた時点で、さかえちゃん達は39歳でしたが、今この子達は58歳になっています。23歳と15歳・・・8つしか違わなかったのです。この時、中二だった泰佑も今は立派なお父さんになっています。ということは、今から20年近く前の「塾日記」ということになります。教師をやって21年、そして「塾」をはじめて21年。時の流れを感じます。教師が生徒と共に生きる時間は思ったより短いのです。子ども達と悔いの無い時を過ごしてくださいね。この時、中二だった泰佑も今は立派なお父さんになっています。時の流れを感じます。教師が生徒と共に生きる時間は思ったより短いのです。子ども達と悔いの無い時を過ごしてくださいね。
      

今日の写真1
これは大学の2年生くらいでしょうか。連絡船に乗っていますね。北大庭球部の先輩と同級生と一緒にどこに行ったんだろう・・・・。

今日の写真2・3
大学2年生になって、1年後輩の蒲生と組んで東北大との対抗戦に出た時の写真だと思います。コートは北大ですね。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・・

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