5月24日 (日) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第145弾!2020年5月24日(日) たかやん 『一生懸命』幻のたかやん日記 第145弾!2020年5月24日(日) たかやん 5時 薄明かりで目が覚める。いいことである。自然の光を感じて目が覚めるということはまだまだ正常だということだ。 新聞の切り抜き 庭の掃除をして、一番にやったことが新聞の切り抜きの整理である。東京新聞の朝刊で楽しみにしているのが「本音のコラム」。今日のコラムは前川喜平。文科省にもこういう素晴らしい人がいたのだから、日本の官僚機構も捨てたものではない。今朝の朝刊で気になったのは前川喜平のコラムと「つくり出された恐怖」という帝京大学文学部長の投稿である。そこにはこう書いてあったのだ。 思い出しても嫌な日々であった。町と生活を新型コロナウィルスの恐怖が襲っていたからである。一日の感染者が東京都で数人程度になってみて、この日々は何だったのかと、ようやくゆっくり考えられるようになってきた。米国などと比べ被害者は少なかったが、多くの産業に甚大な被害が出た。倒産した老舗などはもう戻らないであろう。どうしてこうなったのか。 まずワイドショーなどの報道はすさまじかった。連日欧米の惨状を映し出し、「二週間後には東京もこうなる」としきりに解説したのである。 政府の専門家会議の関係者が何度もメディアに出て、その「権威」を基に42万人が亡くなる可能性があるなどと言い、安倍晋三首相の「人との接触を8割削減」との発言も出てきた。多くの人が恐怖したのも当然だろう。それからは休業しない店への嫌がらせ、海岸・公園等での監視、県外ナンバー車の追い出し、感染者・医療従事者へのいじめと差別という恐ろしいまでの「自粛」が行われた。 しかし、国内で年間約1千万人が罹患し、3千〜1万人が亡くなるというインフルエンザに比べ、犠牲者ははるかに少ない。3月27日に新規感染者数のピークが来ていたのなら、緊急事態宣言は不要ではなかったかなどの疑問が出てくるのは当然だ。 内閣、専門家会議、テレビを中心としたマスメディアらが不安・恐怖をつくり出したのだ。検証が進めば。誰がどの段階でこうした「恐るべき事態」をつくり出したのかがはっきりしてくるだろう。 本紙の場合、「民間病院6月危機『資金底をつく』(4月24日朝刊1面)は、患者がいっぱいで病院が崩壊しそうだという当時の認識を、全日本病院協会長のインタビューで覆した貴重な報道であった。実は多くの病院は新型コロナ以外の患者の減少で経営危機にあり、これからますます深刻化するという実相を初めて知らせたのである。 一方、希望者への抗体検査の結果を伝えた「抗体検査5.9%陽性」(4月30日朝刊1面)は、調査の基本ルールである無作為抽出ではない検査の報道で問題だったが、これは実質的な訂正(5月12日朝刊3面)が出ている。 「数理モデル『8割減わかってほしい』(5月2日朝刊4面)は、西浦博・北海道大学教授の予測を分析した記事だが、客観的とはいいがたい。「マスクをつけ、濃密な接触に気をつければ過度に心配する必要はありません。」(週刊文春デジタル、1月31日)という過去の正反対の発言をチェックする慎重さがほしかった。 こうした形での紙面の見直しが、感染の第二波で何より役に立つのではないか。 (筒井 清忠 帝京大文学部長) *そう、マスクをして、手洗いうがいをして、濃密な接触に気をつければいいのだ。それが普通になれば、ウィルスに対抗する薬が完成するのに間に合うだろう。そして、学校には子ども達と繊維たちの笑顔が溢れ、経済も段々元に戻って・・・日本中に笑顔が戻るんじゃないだろうか。 会議 10時半から会議。マンションの管理組合の理事会である。マンションの中で、本当にいい仲間に会えたことが嬉しい。全員、ただのボランティアである。そこが町内会とは違うところだ。多くの町内会には役員手当てなるものが存在する。大変な仕事だから町内会費の中から役員手当てを支給するという仕組みである。僕らはそれが嫌だから、全員が完全なボランティア。それで、マンション全体の経費が抑えられたら、それでいい。そういう仲間達である。会議は12時半まで続き・・・みんな笑顔で解散したのだった。 練習 今日の練習は夕方。資料を作成してからテニスコートへ。3時半から5時までの間、今日も皓ちゃんに練習を付き合ってもらった。5時ピッタリに練習は終了。皓ちゃんの球が速すぎて、合わせるのが精一杯という感じだったけど、いい練習になった。皓ちゃん、今日もありがと! 通告締め切り 明日の12時が「一般質問の通告締め切り」である。しかし・・・まだ1文字も書いて無い訳で・・・大丈夫なんだろうか。明日は朝いちばんで銀行に行かないといけないし・・・間に合うんだろうか・・・ま、いつもそんな感じなんだけどねえ・・・・。現在、24日(日)夜11時半。通告のつの字も書けてない・・・・。 教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第791弾! 秘密 私は3学期の2月くらいから、めぐ姉と美緒と高木さんと尚子と5人で、小林君の研究隊をやっていた。因みに会長は尚子です。 思いで このクラスの思い出。 1. 体育祭総合優勝、垂れ幕の二冠 2. 合唱祭金賞 3. 散歩に行って、空き地でサッカー、手つなぎ鬼 4. 体育着で掃除1週間 5. 「二中病」とタカヤンに怒られた。 6. なみちゃんお別れで大号泣。 7. 修学旅行で男子の部屋に行って怒られた。 個人的な思い出 1. 尚子とあっこと大喧嘩。 2. タカヤンちでうどん食べた。 3. タカヤンの誕生パーティー 4. 高校合格 5. 授業サボったのが見つかって、怒られた。 明菜 *これも二中3年2組の明菜の卒業文集です。『お前ら、二中病だ!』と怒った記憶があります。それくらい、当時の二中の子達は「校則」や「内申」に縛られて生きていたのです。そんな中で子ども達と一緒に生きた1年でしたが、子ども達の思い出って、こういうものなんです。僕の授業は覚えてなくても、体育祭や文化祭そして、友達との喧嘩や担任との喧嘩は思い出になるのです。そして、授業や掃除をサボって怒られたことも思い出になるのです。 6月1日から学校が再開し、授業最優先のカリキュラムが組まれるようですが、それでは何の思い出も残らないのでは・・・。と心配になります。何とか工夫をして、授業時間を手に入れ、少しでも多くの行事を子ども達に経験させたいものです。それが、今のあなた方に出来る最高のことです。難しいかも知れませんが、学校によって壁は高いかも知れませんが・・・僕が現役で学校に居たら、絶対にやると思います。土曜授業を復活させましょう。授業時間を短縮して、授業数を増やしましょう。こういう時こそ、子ども達の為に考えに考えて、やれる最大限のことをやりましょう。流されるのではなく、子ども達の為に流れに逆らって、逆らって・・・子ども達の学習権を取り戻すのです。そして、子ども達と一緒に思い出を作るのです。大変な1年になる分、いい思い出ができる筈です。自分が中学生だったら、どうしたいか、先生達にどうして欲しいか考えて、考えて、考えてください。 今日の写真1 最近の朝ごはんはこんな感じです。豆乳おからパウダーとサラダを中心の朝ごはんになっています。ご飯と味噌汁がちょっと懐かしいですね。 今日の写真2 「たかやん!」東久留米のイトーヨーカ堂の本屋で声を掛けられました。見ると勝がいました。「お父さんの先生なんだよ」と勝。「えっ!先生?」『同級生だよ。同じクラス・・・』「そうなんだ・・・」「まあ、確かに同じクラスだったけど・・・」『お前、マスクしてたのによくわかったね!』「えへへへへへ」 今日の写真3 たかやん塾の最年少の生徒です。まだ小学校1年生になったばかりです。たかやん塾は「掛け算の九九」が出来ないと入れないので、正確に言うと入る為のトレーニングをしているところです。久しぶりの小学生・・・超、可愛いです。 *この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・・ |