6月19日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第171弾!2020年6月19日(金)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第171弾!2020年6月19日(金)  たかやん


外は雨。暗いと夜だと勘違いして、目が覚めないことが多い。要するに太陽の光を感じないと起きられない体質なのかも知れない・・・。

東久留米
空を送って、東久留米の駅へ。まだ学校は1時間遅れで子ども達の登校時間がラッシュアワーと重ならないようにしているのだ。雨の日は駅前も大変なことになる。一瞬の駐車に神経を使うのである。

仕事
午前中はマンションの管理組合の仕事。今月から自主管理になったので、理事会は大変なのである。いい仲間とパソコンがあるから出来ることで・・・・自主管理にすることで、全員の管理費が浮く訳で・・・実にやりがいがあるのだ。理事会は全員完全無報酬。だからいいのである。川掃除と同じ。誰かの為にちょっと頑張るって、いいのよねえ。

議会報告
そして、隙間時間に「一生懸命」の6月号の作成に取り掛かった。駅立ちが出来なくて、何月号から配れてないか、記憶にないくらいだが・・・兎に角、書き続けるしかない訳で・・・それが俺の仕事な訳で・・・・

いつの間にか・・・
アルコールを飲まなくなって1年以上が経過した。飲みたいと思ったことが全く無い訳でもないが、別に絶対に飲まなきゃという気持ちにもならなかった訳で・・・あれだけ毎晩飲んでいたのに、どうやら「アルコール依存症」ではなかったらしい。それもスーパードライのお陰である。脳が飲んだ!と思ってしまったのだから凄い訳で・・・今夜もスーパードライで乾杯するのだろう。

掲示板
久しぶりに東久留米の西友で買い物。そのついでに郵便局へ。郵便局の前には都知事選の選挙ポスターの掲示板があって。ちょっと東久留米市民が羨ましかった。俺たちは「山本太郎」とも「宇都宮健児」とも書けないからねえ・・・。

痛感
あのバカ総理は言葉の意味が分かっていない。その発言は余りにも酷すぎて、本当に「教育上よろしくない」訳で・・・政治家としては勿論、人として終わっている。あんなに不公平な人間が総理などをやっていい訳がない。そして、バカ総理は言葉の使い方を知らないというか間違えているというか・・・汚いというか・・・「痛感」を辞書で調べて、
「一昨日来来やがれ!」って言ってやりたい・・・。

陵平
久しぶりに陵平に会いに行った。久しぶりに陵平に手を合わせた。そして、陵平と政江さんの絵を見た。小林憲明さんの絵は、本当にいい絵だった。陵平の目が優しくて、見ている人を抱きしめているような、そんな感覚になった。


夜は塾。中三の娘・息子達との集団塾。いい感じで数学と英語と社会に燃えたのだった。そして、同じ問題集を繰り返し3回やることの重要性を語ったのだった。

教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第820弾!   10階から見た景色

 久しぶりにマンションの10階から、綺麗な夜景を見ました。そして、陵平の家の廊下から下を見ました。足が竦むような高さでした。13歳10か月の陵平はこの高さから自分を落としたのですから、とんでもない恐怖だったに違いありません。
 問題は、その恐怖よりも、体育館で、「みんなの前で謝罪する」することの方が、何倍も何十倍も怖いと13歳の陵平が思ったことです。
 そうでなかったら、あの塀を乗り越えることはできません。あの10階から飛び降りる以上の恐怖を陵平に与えてしまったのは、当時の教師集団の余りにも未熟な生徒指導でした。
 そのことを認めない限り、新座の教育は前に進めない。そう思って、僕は議会で何度も何度も当時の教育長とぶつかりました。そうしなければ、陵平の尊い命が無駄になってしまう・・・そう思ったのです。そして、同じことが又起きてしまうのではないか・・・そう思ったのです。
 中二の男の子達が休み時間に「ハイチュウ」を食べたくらいで、学年の教師集団が「本気」で「足並みを揃えて」指導に入ったことに問題があるのです。「その場にいなかった友達の名前を言わせ」、「反省文を書かせ」、「親を呼び出し」・・・「学年集会で謝罪させる・・・」
それが「生徒指導」だと本気で思っていた、余りにも未熟な教師集団。そのど素人集団が陵平の命を奪ったことは間違いはありません。そして、そのことに気がつきもしない管理職がいたから、そういう実にマヌケな危険な生徒指導がいまだに続いているのです。
 
真優だってそうです。顧問や担任の教師まで「足並みを揃えて」真優の話を信じてくれなかったから、学校に行けなくなったのです。真優が「教科書を破られ」「上履きに画鋲を入れられ」「無視され」「言葉で傷つけられ」「階段から突き落とされ」「体操服を破られ」「防具を壊され」「骨折までさせられて」いるのに、友達の誰も助けてくれなかったから、担任まで「足並みを揃えて」見て見ぬ振りをしたから、耐えられなかったのです。それどころか「自作自演」「虚言癖がある」と報告していたのですから酷い話です。
一人でも真優の隣に居てくれる友達がいたら・・・、信じてくれる教師が1人でもいてくれたら、真優は今頃、弾ける笑顔で高校生活を満喫していたでしょう。(相談室の先生と教頭先生だけが真優の味方でしたが、もう教室に戻るには遅すぎたのです。)
 「自分のクラスにいじめはありません」管理職に報告して、虐めを見て見ぬ振りをする担任は教師としては勿論、人としてどうかしています。自分の評価を上げたい為に、平気で子ども達の人生を潰すのですから・・・
 「先生」も「親」も子ども達のことを思ってやったことだから、自分達は間違ってない・・・本気で子ども達のことを思っていたのだから間違っている訳がない。そう思い込みたいのです。しかし、陵平と真優の二人が、それが間違っていたことを証明しています。余りにも未熟な生徒指導が13歳の男の子の命を奪い、13歳の女の子からも「時間」を奪ったのです。そして、陵平のお母さんも真優もその時間がどんなに遠くに流れても、その苦しさや、その哀しみが、不意に襲ってくる人生を生きていかなければならないのです。
 だから、忘れてはいけないんです。二度と繰り返してはいけないんです。生徒指導の「せ」の字も知らない未熟な教師にならないでくださいね。未熟な「教師集団」は子ども達にとっては「凶器」になることもあるんです。
 久しぶりに陵平のマンションの「10階から見た景色」は美しく、そして、余りにも悲しい景色でした。その悲しみを打ち消すことはできないけれど、政江さんと真優が笑顔で生きていくことで陵平はきっと喜んでくれるに違いない・・・そう思いました。


今日の写真1
この絵を見る為に、久しぶりに陵平に会いに行ったのです。小林憲明という画家が「ダキシメルオモイ」という作品を描き続けているらしく・・・その方の1作品がこの絵です。子ども達が苦しむ学校、そして家庭に一番足りないものがその絵の中にはありました。みなさんも検索してみてください。

今日の写真2
これは陵平が書いた作品です。モニという猫の漫画なのですが・・・陵平はモニをもの凄く可愛がっていたそうです。そのモニは何と19歳まで生きたそうです。陵平よりも、陵平の分も長生きしたんですね。この漫画を見ているだけで、陵平の繊細な心が伝わってきます。同じ生徒指導をしても、陵平の兄の走太だったら、違う結果になっていたでしょう。だから「同一歩調」が怖いのです。だから「言葉が大事」なのです。だから「ダキシメルオモイ」が必要なのです。

今日の写真3
陵平は真優の大先輩ということになります。同じ中学で、同じように苦しんだ先輩と後輩です。そんな真優を政江さんは温かく抱きしめてくれました。真優は泣いていました。家族以外にも自分の苦しみを分かってくれる人がいた・・・そう思ったようでした。僕も久しぶりに泣きました。陵平の苦しみと政江さんの苦しみと、そして、真優の苦しみを想像したら、泣けてきたのです。他人に懐かない猫たちが真優には懐いていました。猫たちには真優の優しさが分かったようです。外見しか見えない教師とは大違いです・・・。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・・

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