6月28日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第180弾!2020年6月28日(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第180弾!2020年6月28日(日)  たかやん


外は雨。日曜日だというのに雨。でも、左胸(背中)が痛くて最初からテニスが出来ないから・・・雨でテニスが出来ないという悔しさはない。月曜日・・・病院に行くかなあ・・・でも、マンションの理事会の仕事が一杯あるから・・・火曜以降かな。

朝刊
今朝は朝勉ではなく、朝刊を読むことで1時間使ってみた。そう言えば、母さんも朝刊を隅々まで読んでいたなあ・・・・。

安倍総理から・・・
町議のおばちゃんの言葉が生々しい。自民党の町議の立場で「安倍総理から・・」と言われて渡されたら、拒否できないだろうなあ・・・。俺だって長久保先生にフェデラーからだよってラケット出されたら・・・・断れるかどうか・・・うーむ。

都議選
宇都宮健児と山本太郎の〇×が一致している。オンライン討論の中での10の質問に対する回答の話である。二人が力を合わせて動いてくれていたらなあと思う。宇都宮健児の選挙カーに山本太郎が乗り、あのパワフルな演説をしたら・・・宇都宮健児の弱者に対する優しさと、山本太郎の熱い思いが合わさったら・・・女帝小池を倒す可能性は十分にあるのにねえ。

市長選
そして、新座市長選もはじまった。健治さんは勿論、幸弘も大佑も加代さんもいない選挙である。現職の傑市長と英義さんとの一騎打ちという、ポスターに二人という構図は久しぶりの気がする。

邪ニーズ?
手越祐也のジャニーズ退所報道と渡部建の不倫騒動が賑やかである。都知事選はどうした?国会はどうした?1億5000万はどうした?イージスアショアはどうした?辺野古埋め立てはどうした?元々ジャニーズに興味はないが、悪いのはそれを報道することは分かっているが、テレビではしゃいでいる手越祐也を見ているとお前は「ジャニーズじゃなくて邪ニーズだろ!」って言いたくなる。

A・N会談
憲政史上最低のバカ総理と最も人相が悪い幹事長爺さんとが会談をしたらしい。どうでもいいけど、国民の税金で飲み食いしながら、怪しい相談をしてんじゃねえよなあ。って言いたくなるのは俺だけか。1億5000万の河合杏里事件の買収容疑ではやく捕まえてくれないかなあ・・・。二人とも。


お友達の産業遺産
ユネスコ世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の内容を紹介する「産業遺産情報センター」が15日公開された。
 2015年7月のユネスコ世界遺産委員会で登録が決まった際、日本政府は「意思に反して連れてこられ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者がいたこと」を認め「犠牲者を記憶にとどめるため」情報センターの設置を約束していた。だが実際には、朝鮮半島出身者が働かされていた軍艦島(端島炭坑)で、朝鮮人差別は「聞いたことがない」という元島民の証言が展示されている。これに対し、韓国政府は「歴史的事実の歪曲」だと反発。ユネスコ事務局長に書簡を送り、世界遺産委員会で日本政府に約束の履行を求める文書の採択を求めた。
 この案件は、安倍首相の幼なじみである加藤康子という人物が熱心に進めてきた。安倍氏は加藤氏に「俺がやらせてあげる」と約束していたという。13年9月、文化審議会が答申した「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を押しのけ、政治的に推薦案件に決定。その異常な経緯は、京都産業大学を押しのけて加計学園が獣医学部を新設したのによく似ている。情報センターの所長でもある加藤氏は、軍艦島で「虐待を受けたという証言はなかった」と言って憚らない。歴史修正主義という点でも、加藤氏と安倍氏はお友達なのだ。
(東京新聞 6月28日朝刊 本音のコラム    前川喜平 現代教育行政研究会代表)

*なるほど、軍艦島に対する違和感はこういうことだったのかと納得した。当時の日本人が朝鮮人(同じ日本人ではあったとしても)に対して優越感を持って接していたことなど容易に想像がつく。今でさえ「ヘイトスピーチ」をする輩がいる国なのだ。朝鮮半島から来た若者たちを奴隷のように扱ったことは確実だろう。それは沖縄県民に対する当時の日本軍の非道極まる行為や今の日本政府の対応からも想像できる。嘗ての日本軍がどれだけの残虐行為を行ったかは、僕自身が陸軍少尉だった父からも聞いている。そして、英国軍が日本軍の捕虜に行ったことも・・・戦争は綺麗ごとでは済まされないのだ。あったことを「無い」、天地神明に誓って「無い」と言ったからって、事実は消えないのだよ。嘘に塗れた安倍政権にはもうウンザリである。そのバカ総理を担ぎ上げている奴らにもウンザリである。

教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第829弾!   発表

 朝からどうも落ち着かない。テニス部で一人だけ決まっていない育美の結果はどうだったろう・・・。推薦で落ちた時は理準で目を真っ赤にしてたっけ・・・。今日は最高の笑顔で握手したいな。来年の今日は、今日の何倍も落ち着かないんだろうなあ。

教師の服装
“先生の服装が乱れているから、先生にも制服を着用させる”という話が新聞に載っていた。「ジャージで登校する先生までいる」俺のことかいなと思った。俺だって、最初の日はスーツで来たさ。でも、その日の内にプロレスごっこでネクタイで首を絞められて、(こりゃいかん!!)次の日、ジーパンに運動靴という格好になった訳。最初の担任が3年生だったこともあるけどね。要は仕事がし易い服装であればいいんだと思う。俺は子ども達とプロレスごっこをするのも仕事だと思っていたからジーパンだったし、不登校のこと一緒に体育の授業を受けるのも仕事だと思っていたから、ジャージで登校もした。大体“服装の乱れは心の乱れ”などという言葉を信じて疑わないおバカさんがいるから、制服なんていう発想があるのだろう。日本人がみんなホワイトカラーだとでも思ってるんじゃないのかなあ。第一次産業をなめちゃいけない。泥にまみれて汗水たらして働いている日本人はネクタイなんざしてねえよ。

育美
美希と二人で理準に飛び込んできた。「合格しました!」『やったね。』握手して、思いっきり抱きしめた。目がウルウルしてなんかもうすっごく嬉しかった。
あの時、『落ちた悔しさ、悲しさを絶対忘れちゃいけないよ。そういう苦しみを知ることが、必ずこれからのお前に役立つ日が来るから。落ちて良かったって思える日が来るから・・・次は絶対に大丈夫。』『俺のパワー、全部あげるから大丈夫。全国大会の時だって、二人で苦しい試合勝ったじゃない。』俺はそう言って育美の手を握った。
そして、育美はプレッシャーに負けないで合格した。今日の育美は凄く素敵な笑顔だった。
*『一生懸命』幻の学級通信 第208弾!新座市立第六中学校2年1組 1996年3月7日

育美は六中テニス部の赤ジャージ。そんなことがあったんですね。この『一生懸命』がなかったら、思い出せませんでした。でも、読んでいたら・・・美希と二人で理準に飛び込んできた育美の笑顔を思い出しました。そして、全国大会で二人で戦って勝った日のことも・・・・。そして、この『一生懸命』を読んでくれた六中緑ジャージの子ども達のことも・・・当時14歳だった彼らももう39歳になるんですね。

今日の写真1
昨日に続き、五中4期生の卒業アルバムから、我が1組の合唱コンクールの時の写真だと思います。指揮は理子。ピアノは森っ子だったのかなあ・・・美香だったのかなあ・・・何を歌ったのかは記憶にありません。

今日の写真2
当時の五中は女の子もギターを弾いていたのですね。自分で曲を作っていた子もいました。そういう僕も自分の唄を作って歌っていましたね。

今日の写真3
この写真は面白いですね。川島勝治の「壁ドン」です。壁ドンされている子は誰でしょうか。川島勝治の向こうに見える男の子は賢一だと思うのですが・・・そうすると、ここは1組前の廊下?勝治に聞いてみないと分かりませんね。この頃の僕は26歳ですから、川島勝治は35歳くらいだった筈です。若くて格好いい先輩でした。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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