6月29日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第181弾!2020年6月29日(月)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第181弾!2020年6月29日(月)  たかやん

事故
真夜中に塾の教え子が事故にあったという連絡が入った。『何で直士が・・・・?』夜中中心配で、心配で眠れなくなった。『夢であってくれよ・・・』そして、・・・朝になって、(ん?本当に夢だったの?)でも、そんな訳ないよね、と、思って直士のお姉ちゃんとお母さんに電話をしてしまった。心配性だよねえ・・・。ま、夢だったんだけどね。直士は元気に働いているらしい。よかった、よかった・・・・。

東久留米
朝、空を東久留米に送っていく。俺のDNAのせいで痩せている空。その後ろ姿を見送る。何が起こるか分からない今の時代、元気に行って、元気に帰ってきてくれたらそれだけでいい。

管理組合
午前中はずっと管理組合の仕事。集金代行サービスの会社と電話でやり取りしたり、沢山のコピーを取って郵便局で差し出したり・・・銀行へ行って振り込んだり、通帳の記帳をしたり・・・管理人さんがお休みだったので、ちょっと掃除をしたり・・・まあ、忙しかった。

久しぶりに・・・
本当に久しぶりに酒を飲みたい・・・そう思った。酒を飲んで、ちょっと雑念から脱出したい・・・そんな気持ちになった自分がいる。酒粕でも食べて、酔っぱらうか・・・。

モッコ
今日もモッコが来てくれて、パソコンで色々とやった。同じ長屋に住んでいるような、そんな感じで来てくれるモッコに感謝、感謝である。

Σ(シグマ)
空の数学で脳みそをフル回転する。等差数列、等比数列、階差数列・・・シグマの公式を忘れていて・・・何とか思い出して、というか、再確認して・・無事に問題を解いたのだった。面白いのは、問題を解いている時に高校の先生の顔を思い出すこと。人間の脳って面白い。それを習った時代に戻るんだから・・・。恐るべし、先生達の力である。


教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第830弾!   コンパス

 『一生懸命』幻の学級通信 第207弾!新座市立第六中学校2年1組1996.3.6から
コンパス
「ねえ、コンパスが無いんだけど」『どうしてテストの前の日に言うかなあ・・・』「だって」『だっても明後日もあるか!!』「・・・・」誰に似たのか、亮はいつもこの調子である。そう言えば、俺も“忘れ物の帝王”って呼ばれていたっけ・・・『ウッシー、コンパス持ってる?』「今日使わないですよ」『いや、1年生で・・・』「あ、どうぞ、どうぞ」こういう時、便利だよなあ・・・
*この会話は時間差があります。最初の方は3月5日の夜の我が家での会話で後半は3月6日の職員室での会話です。会話の相手は数学の牛木先生。マラソン界では有名な先生でした。先輩なのに、僕はため口で、ウッシーは僕に敬語を使っていたことが分かります。昔から生意気な奴だったんですね。

コンサート
『もう10時過ぎてるぜ』「小さい音で」『無理だよ。』「いきましょうよ」『やっちまう?』「きたきたきたあ〜!!」昨夜は卒業生達と、その友達が遊びに来て、みんなで夕食を済ませた後、いきなりコンサートになった。
“あるがままの心で生きられるね!!”“君と出会った奇跡が”!行かないで、僕のそばから!“”oh, Puff the magic dragon”一回歌い出すと止まらない・・・
『こら、亮・・勉強しろよ。』「無理だよ」『いいや、やれる。』「やれる」「やれる」「試験の前の晩だっていうのに、父親がこれじゃあね・・・」なんていう家だ!まったく・・・
*野寺の家かと思ったら、これは畑中のマンションかも・・・それにしても、夜の10時過ぎにコンサートはいけませんよねえ・・・それもテスト前の中学生の前で・・・今の我が家では考えられないことです。亮には可哀そうなことをしました。それにしても、この卒業生達は誰なんでしょう・・・誰か記憶にあるかな?

あゆみ
「元気でやってます」「結婚したんですよ」あゆみのお母さんから久しぶりに電話があった。あゆみは28歳になったはずだ。あゆみは学校に来られない子だった。小学校で4年以上休み、中学に入っても入学式から来なかった。両親の離婚がきっかけだった。担任の僕は最初から諦めていて、駄目なものと決めつけていた。それを子ども達が変えてしまった。固く閉ざしたあゆみの心を子ども達は少しずつ溶かしていった。1年2組はあゆみの為に燃え、あゆみの為に団結し、あゆみの為に涙を流した。そして、あゆみは教室に来た。そして・・・あゆみはベランダから飛び降りようとした。あゆみはみんなの期待に応えようとして自分を追い込んでしまったのだ。あゆみは入院した。そして、また始まった交流。卒業してもあゆみは僕のクラスのままだった。そのあゆみが結婚した。やっと卒業証書を渡せそうだ。    ともや
*八石小で4年間不登校だったあゆみは五中でも3年間不登校でした。それでも僕らは諦めなかったのです。あゆみの家に毎日「一生懸命」を届け、会話をしました。そして、卒業しても連絡を取ったのです。そして、あゆみは「看護師」になり、「結婚」しました。学校に行けなかったハンデは考えられないくらい大変なものだった筈です。それでも、あゆみは自分の夢を叶え、幸せになってくれました。あゆみが僕に「どんな子どもでも、ぜったいに諦めてはいけない」ことを教えてくれたのです。そして、卒業させたら終わり・・・ではないことも・・・。

今日の写真1
五中4期生の卒業アルバムの続きです。僕の最初の1年生との遠足ですね。画像は悪いのですが、みんないい顔をしているのが分かります。可愛くて、可愛くて、しょうがない・・・僕もそういう顔をしています。

今日の写真2
その子達と理科室で授業をしているところです。何を説明しているのかは分かりません。坊主がジャージで理科の授業をしていたんですねえ・・・・。

今日の写真3
これが本物の生徒会メンバーだと思います。生徒会の子達は優秀で才能あふれるいい子達でした。顧問には問題がありましたが・・・何で生徒会の顧問になったのかは不明です。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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