6月4日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第156弾!2020年6月4日(木)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第156弾!2020年6月4日(木)  たかやん

爽やかな朝
4時。少し駅立ちモードにしておかないと・・・この季節は駅立ちにいいのである。花粉はもう飛んでないし・・・朝は涼しくて、暑くも寒くもない訳で・・・駅立ちには最高の季節である。子ども達が普通に学校に行きはじめたら・・・立とうかなあ・・・

チーン!
庭の掃除をして、洗濯物を干した後は・・・・チーン!一日の最初にやれよ!って話だけれど、何故か少し動いてからじゃないとチーン!の気分にならない訳で・・・お父さん、お母さん、嵒さん、神さん・・・そして、沢山のその他のみなさんにチーン!!

朝勉
そして、朝勉。パソコンを使って「歴史」と「英語」のお勉強をする。勿論、ヘッドフォンをしている・・・・今朝も男は黙って「アサヒスーパードライ」を飲みながら、朝勉である。

血糖値
今朝の血糖値は126。まだちょっと高い。昨夜のビールが悪かったか・・・それとも、運動不足か・・・

東久留米
空を東久留米に送る。昨日は午後登校だったので、今日は朝登校。2年生になって3回目の登校である。学校に行きたくなさそうな空であった。

練習
今日も血糖値対策でテニスコートへ。壁打ちの場所に行くと・・・六中緑ジャージの芽衣のお父さんがいたので、「やりましょう!」と誘って練習。芽衣のお父さんとの練習の後もナベさんと練習をして、汗だくになって・・・家に戻ったのだった。


夜は塾。中二の息子との個別塾。高1の息子は珍しくお休みしたので、前半だけで終了。やる気満々の息子達を見ていると、こっちまでやる気になってくる訳で・・・・幸せな気持ちになるのである。子ども達が僕を幸せにしてくれるのは、五中に赴任してから、今まで40年以上ずっと続いている。つまり、40年以上、ずっと幸せでいるということである。

教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第803弾!   公園

そして、これがこの6月議会に提出した通告の4番目です。

Covid19の影響で休校が続き、市の施設も使用できなくなり、子ども達が運動できる場所が無くなりました。運動したい子ども達は自然に公園に行きます。ところが、公園では「ボール遊び」が禁止されている為、サッカーボールでリフティングしているだけで、親子でバトミントンのシャトルを使ってトスバッティングしているだけで、警察に通報されるようなことが起きています。公園は近隣住民の庭ではありません。子ども達も含めた全新座市民のものです。こういう時こそ、安全な場所で子ども達に運動をして欲しいと思いますが、いかがでしょうか。「ボール遊び禁止」という貼り紙を外して、時間でボール遊びができるようにはできませんか。子育て世代を呼び込む為にも新座の子ども達が伸び伸び遊べる公園をもっともっと増やしてください。
 
*学校の問題ではありませんが、学校や子ども達と大きく関係している問題です。学校の中にしかいないと、地域での子ども達の姿が見えてきません。僕は部活でなかなか外には行けませんでしたが、みなさんには時々外の子ども達の姿を見て欲しい・・・そう思います。よく学校は「学校と地域と家庭が力を合わせて・・・」のような事をいいます。その割には「家庭訪問」はやらなくなり、「地域での子ども達の姿」を見る努力をしていないのです。学校にいると、それに気がつきませんが・・・地域から学校を見ると、そう見えるのです。そう、少しだけ「視点」を変えることが大切なんです。子ども達は地域のスポーツクラブに行ったり、地域のボランティア活動に参加したりもします。その時に学校の先生が自分の活躍を見に来てくれたら・・・・子ども達は飛び(跳び)上がるほど嬉しいでしょう。是非、学校では見られない子ども達の姿を見てください。学校での姿だけが彼らの本当の姿ではありません。そこに気がつくと、いい先生になれると思いますよ。

今日の写真1
左が北大庭球部で1年先輩でダブルスのパートナーだった多喜志。1年先輩なのに「多喜志」と呼び捨てにする後輩は余りいませんよね。右が北大庭球部で1年後輩の圭司。僕の代わりに函館で授業を受け、テストも受け、卒業証書も本人のフリして受け取ってくれた恩人でもあります。誰も気づかなかったというのだから、その「替え玉」の凄さが分かります。今じゃあ、二人とも退学なんでしょうねえ。

今日の写真2
五中の最初の職員旅行です。凄いなと思うのは、4組の担任が5組の担任に抱きついていることです。どれだけ仲がよかったかが分かります。神さんも嫌がらずに笑顔でいてくれてよかった。今やったら、セクハラだったかも・・・神ハラですから、天罰が下りそうです。

今日の写真3
これは五中の1年目なんでしょうね。子ども達と写っているのは親友、重一郎。穏やかな男でしたが、「精進様」という物騒な棒を持ち歩いていて、結構痛かったらしいです。僕が学校を辞めた時、「俺も辞めたい・・・」というから、『馬鹿言ってんじゃないよ。重一郎が辞めたら、子ども達が可哀そうだろ!絶対に辞めちゃ駄目だぞ。』と言った記憶があります。その後、暫くして辞めてしまいましたが・・・二人でサッカーの練習をした若き日々が懐かしい・・・。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・・

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