6月9日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第161弾!2020年6月9日(火)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第161弾!2020年6月9日(火)  たかやん

朝刊
4時半過ぎ。東京新聞の朝刊はちゃんと来ていた。凄いなあと思う。その時間に働いている人がいるのだ。左胸の痛みはあれからかなり弱まってきている。違和感はあるのだが、我慢できない状態ではない。何かに集中していれば忘れられる・・・そんな痛みである。

電話
「大丈夫ですか?」『え?滝本さん?』「そう、体調大丈夫?無理しないでくださいね。」『はい。大丈夫です。ありがとうございます・・・』どうやら、僕の左胸の痛みはみんなに知られているらしい。「気胸」の痛みなのだが・・・このご時世である。いらぬ心配をかけてしまったと反省している。

市役所
9時過ぎ、市役所に到着。初めて孝子に負けた。いつもは兄の方が早いのだが、今朝は妹の方が30秒程早く控室に入ったのだ。

控室で・・
事務局長も心配して来てくれた。その後、議長も来てくれて・・・『議場に行かない方がいい?』「熱は?」『ありません。控室にいましょうか?ネット中継見てればいいから・・・』「いや、その症状なら大丈夫かなと・・・」日記に左胸の痛みのことを書くからこんなことになってしまったのよねえ・・・どうも、日記に嘘は書けないというか・・・息子達や教え子達の為に書いている日記だからなあ・・・でも、心配させてしまって、本当にごめんなさい。空ママの熱も下がったし、二人ともコロナではありませんので・・・・。

一般質問
9時25分頃、孝子は「独りで大丈夫」と控室をでた。議席までの道をもう掴んだのだろう。嬉しいような、ちょっと寂しいような・・・それにしても、凄い感覚である。今度、俺も控室から議席まで目を瞑って歩いてみようっと。9時半過ぎ・・・大輔が資料要求をまとめて求めて・・・一般質問がはじまった。久しぶりに嶋野加代さんが質問をしている。懐かしい声である。もしかしたら、8年振りくらいになるのかな・・・そして、ふと思ったのだ。議場にあの博子さんがいない。ちょっと怖かったけど、優しかったなあ・・・そして、同級生の川上さんもいない。アッぺも薫さんもいない。大佑も和久も和平もいない・・・秀さんも新太郎さんも森田さんもいない・・・

傍聴
そして・・・ふと、右後ろの傍聴席を見ると・・・俊さんが座っていた。右手を上げると笑顔で応える俊さん。その感覚は前と何も変わらない。8年間の「相棒」生活が阿吽の呼吸を僕らにくれたのだろう。大人になってできた「生涯の友」である。きっと、孝子ともそんな風になるんだろうな。

お昼前
今日の一般質問は4人だったのだが、午前中に終わってしまった。コロナ対策で大変な執行部に気を遣ったのかも知れないが・・・まさか、お昼前に終わってしまうとは思わなかった訳で・・・・明日のトップは孝子。どんな質問をしてくれるかな。兄としては妹が心配でもあり、楽しみでもあり・・・いい加減な兄と違って、妹はしっかりしているから大丈夫か。

誘導員
市役所に入る時も出る時も誘導員の態度が気になって仕方がない。一度、俺が見本を見せてやりたい・・・そう思うくらいなってないのだ。誘導員がいて、市民の安全性が増すのなら意味があるのだが、どう見てもそうは思えないし、気分は害するし・・・本当に税金の無駄遣いだと思う。やっている人達だって、嫌々やっているようだし・・・歩行者も車も見ていないのだから、本当に考えものである。

朝ごはん
朝の血糖値が高かったので、家に帰ってから朝ごはん。それでも、血糖値は116で・・・昨日、運動しなかったツケが今日きているのだと思った。ご飯の後にスクワットをしたのは言うまでもない・・・

交差点
長渕の交差点という唄がある。「君の胸の痛みが、僕に分かるといいね」ではじまるのだが・・・「僕の胸の痛みが、君に分かるといいね」という感じの痛みが左胸に広がって・・・
暫く、横になりながら「経済」の勉強をしていたら・・・いつの間にか、眠ってしまっていたのだった。

買い物
眠ったら、ちょっとスッキリして・・・熱が下がった空ママと二人でヤオコーへ。このスーパーには感じの悪い誘導員が3人もいるので、行きたくなかったのだが・・・今日も実に感じが悪く・・・何でああいう態度なのかねえ・・・棒で指示をするだけで、車にも人にも頭を下げるということを知らない人達に、誘導員をやらせてはいけないのである。

買い物2
空のリクエストで文具を買いに、空ママと二人でライフへ。このスーパーには感じのいい誘導員がいるので、いつも自然に笑顔になる。「いらっしゃいませ」と笑顔で頭を下げてくれるので、こちらも思わず笑顔で頭を下げてしまう。帰りも同じだ。周りに目を配りながら「ありがとうございました!」と笑顔で誘導してくれるので、こちらも「ありがとう!」と頭を下げながら出ていく訳で・・・実に気持ちよく買い物ができるのだ。そういう意味ではロイヤルの女性誘導員もいい感じである。プロ意識があるかないかで、全く違うのである。そこは学校の先生も同じ。笑顔で子ども達を迎える先生と無表情や怖い顔で生徒を迎える教師との差はでかい。駐車場の誘導員も教員も心がけ1つでお客さん(子ども達)を幸せな気持ちにできるのである。


夜は塾。中二の息子との個別塾。今日も「社会の授業やって」と息子。どうやら、この間の歴史の授業が滅茶苦茶面白かったらしい。調子に乗って、歴史の授業で喋りまくる・・・途中に地理や経済のお話も入れて・・・「超面白かった!」と言わせる。今頃、社会科の教師になればよかったかも・・・そんなことを思うのであった。
後半も中二の息子との個別塾。「数学の授業」のリクエストに応える。一次関数の授業をガンガン進める。流石、元数学教師である。ビシバシバンバンいった訳で・・・
そして、後半は英語。苦手な英語が少し得意になってきた息子に笑顔が溢れたのだった。

感染者数の合計に意味はない・・
今日も日本全国の感染者数の合計をテレビが報じている。実にくだらない。何万とか何千とか多そうな数字が並ぶだけで、パニックになる人もいるだろう。今日感染した人の数だけを教えてくれればいいし、退院して回復した人の累計を教えてくれればいい。1億人が感染したって、みんな元気ならそれでいい。これ以上、国民を必要以上に不安な気持ちにさせないで欲しい。感染者数の合計に意味などないのである。

国会
それにしても、お粗末な内閣である。憲政史上最低最悪の内閣であることは間違いない。トップが邪悪だと官僚達も邪悪になっていく。金の流れが酷すぎる。コロナにかこつけて、ぼろ儲けしている奴らがいる。電通に竹中平蔵のパソナである。韓国ドラマに出てくるような汚い奴らだ。奴らには李氏朝鮮の血でも流れているのか・・・吸血鬼のように国民の血税を吸いやがる・・・・

0時過ぎ
「お父さん、この英語教えて・・・」と空。英語が得意な空が分からない英語の問題とは何?と思って問題集を開けると・・・全て大学の入試問題だった訳で・・・「4ページやらないといけないんだ」『4ページって、もう12時過ぎてるんだぜ・・・』しかし、やる気のある空に『お父さんはもう寝る』とはとても言えず・・・1時半過ぎまで付き合ってしまった空父であった。英語の長文を読むのは楽しいのだが、引っ掛け文法は辛いよねえ・・・。でも、久しぶりに英語の難問にぶつかって、楽しかったかも・・・ああ、目が冴えてきたぞ。という訳で・・・時計の針はもう2時。そろそろ寝ないとね。明日は孝子の一般質問。議場で寝る訳にはいかないからねえ。

教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第809弾!  師匠より兄貴がいい

 昔々、職員室に入る時、「失礼します!」と言わないと怒る先生がいました。今でもそうかも知れませんが・・・・当時、職員室の廊下から「たかやーん!」と呼ぶ生徒がいると、「その呼び方はなんだ!」と怒る先生がいました。
 「先生と生徒の間には線を引かなきゃ駄目だ!」という主張が分からない訳ではありません。そうしておいた方が、自分がちょっと偉い気分でいられるからです。
 でも、教育というものは、教師からみて「楽」で「気持ちいい」ことがいいことなのではなく、子ども達からみて、「楽しくて」「充実した」ものでなければなりません。
 確かに人生に「師匠」はいた方がいい。でも、「俺は師匠だ」「私は師匠よ」と言うのはどうなのでしょう。児童・生徒の前で「校長先生は」と自分を一人称で呼ぶ人達を見ていると、恥ずかしくなるのは僕だけでしょうか。校長に先生をつけるのは教育長に先生をつけるようなものです。世の中の「社長」が自分のことを「社長様は」と呼んだらおかしいでしょう。同じことです。あなたが「師匠」かどうかを決めるのはあなたではなく、子ども達であるということです。
 特に若い先生は「師匠」よりも「兄貴」の方がいいと思います。若いということは、中学生の親の年代にはなっていない訳です。「親の気持ち」は想像できても、「その年代の子育て経験」がないのですから、「親」や「師匠」になるのは難しいし、ちょっと背伸びをしないといけません。その点「兄貴」「姉貴」は難しくありません。ちょっと前までは自分も中学生だったので、「その気持ち分かるなあ」「その気持ち分かるけどね」と不安な子ども達に寄り添うことができるのです。「俺もそうだった」「私はもっと酷かった」「僕も不安でしょうがなかったよ」「わたしも苛められたことある」「俺も勉強苦手だったんだ」「先輩が怖くて」「憧れる先輩いたなあ・・・」「親ってそんなもんだよ」「親になるまで親の気持ちわからなかったなあ」とまあ、軽い気持ちで寄り添えるのです。子ども達は頭ごなしの「師匠」や「親」からの意見よりも、自分に身近な「兄貴」や「姉貴」のアドヴァイスに安心するのではないでしょうか。
 僕が23歳から44歳までの21年間、担任をやってこれたのは、常に「兄貴」だったからかも知れません。「たかやん」という呼び方は、「先生」や「師匠」ではなくて、「兄貴」という意味なのかも知れない・・・最近、そう思うようになりました。「先生」と言われると、ちょっとこそばゆいのは、「師匠」らしきことをした記憶がないからです。僕は子ども達に「兄貴」以上のことはしてないかも知れません。だから、「たかやん!」と呼ばれると「兄貴!」って呼んでもらっているようで、気持ちがいいのでしょう。まあ、一握りの子達からは「父やん!」と呼ばれていて・・・それはそれで泣きそうになるのですが・・・・。

今日の写真1
多分ですが・・・18歳の頃の僕だと思います。左が親友の榊原博。真ん中が僕らの代のキャプテン野崎公平。ここはどう見ても石神井のテニスコートです。公平は天才で俺と博はバカでした・・・はい。

今日の写真2
多分ですが・・・19歳の頃の僕だと思います。こんな帽子を被っていたんです。大学時代はこんな感じだったのかな・・・・

今日の写真3
五中7期生の尊子が1年生の時の写真だと思います。ラケットの持ち方がぎこちないですから・・・・。尊子も先生達から人気があった子で、1年生の時に担任しただけで、2年生の時も3年生の時も他の先生に持って行かれました。元気にしているのかなあ・・・これを読んでいたら、連絡してね!尊子。会いたいよーっ!

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・・

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