7月2日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第184弾!2020年7月2日(木)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第184弾!2020年7月2日(木)  たかやん

7月の川掃除のお知らせ
黒目川の川掃除を12日(日)に行います。午前9時に栗原一丁目公園に集合です。そこから川の両サイドの土手を馬喰橋までゴミを拾いながら歩いて、馬喰橋から川の中に入り(1人〜3人)土手のメンバーと協力しながら、川の中のゴミを拾います。栗原一丁目公園まで遡り、一度ゴミを下ろして・・・神宝大橋までゴミを拾います。そこの自販機で水分を補給し、遊歩道と土手を掃除しながら栗原一丁目公園まで戻って終わりです。
9時から11時までの2時間を予定していますが、途中からの参加も途中までの参加も大歓迎です。参加される方は090−6497−5737(たかやん)まで連絡ください。メール(takayanchan@outlook.jp)やFACEBOOKでの連絡もオッケーです。

晴れ
久しぶりの晴れ。日の出とともに目が覚める。何か良いことが起きそうな予感。仏壇に手を合わせて・・・一日がはじまったのだった。

英文メール
朝一でカナダにメールを書く。僕らが小さい頃には考えられないような仕組みができていると改めて感じる。13時間の時差があっても、瞬間で地球の反対側にメッセージが届くのだから・・・少し前は手紙と電話でやりとりしていたのに・・・・下手をすると顔を見ながら話せる訳で・・・ただ、こっちの朝は向こうは夜。こっちの夜は向こうの朝。今も昔も変わらないのは「返事」を待つドキドキかも知れない。

東久留米
今朝も東久留米まで空を送る。余裕を持って階段を上がっていく空。その帰りに公園でアランと遊ぶモッコを発見。二人でカナダやアメリカの話をして、ゲラゲラ笑っていると・・・そこに傑市長の選挙カーが登場。公園で手を振って出迎えると、「高邑さん、ありがとう!」というウグイスさんの声。傑さんと少しだけ話をして、手を振って見送る。議会では対立していても、選挙で頑張っている朝賀さんと傑さんの二人の選挙カーには手を振りたくなる。投票率が少しでも上がるといい。それが、市民の新座市のプラスになる筈だから・・・。

ココア
久しぶりにココアと散歩。ココアを見て、笑顔で「あら可愛いわねえ」「お利口さんねえ」と言ってくれる人がいるのが嬉しい。天気がいいとみんなが笑顔になる訳で・・・・

控室
久しぶりに控室へ。新しい控室に初めて入った。前よりも狭くはなったが、二人の部屋にしては十分な広さである。孝子が机は並んでいた方がいいというので、その通りに机を並べて、本棚やロッカーを僕らの机に並べる配置にして・・・後は業者さんに任せることにしたのだった。

銀行
午後は管理組合の仕事で東久留米の銀行へ。忙しいのだが、慣れてくれば大丈夫だろう。今の内に管理組合の仕事の道筋さえ作っておけば、後の人達が楽に出来るようになる。そして、マンションの管理が自分達で出来る仕組みを作り上げられるという訳だ。


夜は塾。高1の娘からラインで数学の質問が来る。直ぐにラインで返したのだが、よく分からなかったみたいなので、『おいでーっ!』と誘う。そして、中二の息子と高1の娘との塾がスタートしたのだった。高校の数学は面白い。確率の難問も分かり易く解答できたぞ・・・。中二の息子は英検の準2級の単語トレーニングで遂に632個の単語を制覇した。凄い記憶力である。きっと右脳が開けてきたのだと思う。高1の娘とは英文法も一緒にやる。
そして後半は高1の息子との個別対応の塾。いつも難題を持ってくるので、脳みそが刺激されて面白い。まあ、空の質問が過激なので、空の質問に比べると楽勝なのだが・・・・昨夜は徹夜でテスト勉強したと言っていた。「やる気」があるということは凄いことである。
超楽しい3時間があっという間に過ぎていったのだった。

教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第833弾!   そいつは突然やってきた

『一生懸命』幻の学級通信第202弾! 新座市立第六中学校2年1組 1996年2.28

そいつは突然やってきた
テニスの練習が終わってから、何となく股関節が痛かったのだが・・・野菜スープを作り,
ゴーストを見ながら幸せな気分で眠ったのに・・・
夜中の3時、激痛で目が覚めた。右を向いても左を向いても足を曲げても伸ばしても股関節が痛い。思い当たることはなにもない。(骨肉腫、リュウマチ?うーん、何なんだ、この痛みは・・・)どうしようもないので朝まで我慢する。
『ウォーっ!』と叫びながらベットから起き、『オリャーっ!』と声を出しながら椅子に座る。「大丈夫?」『大丈夫、元気、元気。』何をしても痛いのには参った。
それでも車で朝練へ。寒い体育館で声だけ出す。階段は全く昇れない。物は拾えないし、靴下も独りでは履けない。。。。何なんだよ・・・。
最初の医者は「靭帯が伸びてるね」と電気をかけ、湿布をしてくれた。痛みはとれない。次の医者は「完全に脱臼しとるわ。よう歩けたな。」と僕の足を持ち、関節を入れ始めた。『
ギャーッ!ウォーっ!』痛いの痛くないのって・・・「テーピングしとくからな」『あの、どれくらいで治りますか?』「安静5週間やな・・・」『5週間ですか?』「そう、普通それくらはかかる・・」『ガーン!』
という訳で、俺のこの春の「青春」は終わった。スキーもスノーボードもテニスもあかんらしい。そう言えば、昔々、教え子達とプロレスごっこをしていて、スピニングトーホールドなる技を3人がかりで掛けられて、ギブアップしてもやり続けられて、脱臼したことがあったっけ。それ以来、少し癖になっていたのかも知れない。テニスやって脱臼なんて、洒落にもならない訳で・・・
このままテニス部もやめちまうか。。などと、やや投げやりな気分になってしまった。それにしても脱臼という奴は痛い。参ったなあ・・・・
*この「一生懸命」を読んで、六中での脱臼の謎が解けました。多分ですが、テニスの練習中にハードルを跳んで・・・前方亜脱臼という怪我をしたのです。それが亜脱臼レベルではなかったらしく・・・脱臼していたんですね。その時「外股で歩いたらいかんよ」と言われ、それ以来、少し内またで歩くようにしていたような気がします。結局、五中、六中、二中で1回ずつ、僕は脱臼をしていたのです。
それ以外に21年間で7回骨折していますから、この脱臼を「骨折」の中に入れると、21年間で10回も骨折していたことになります。ま、折れたところは強くなるといいますから・・・10か所補強したと思えばいい訳で・・・・昔から怪我をする子どもでしたが・・・大人になっても、教師になっても、その癖は治らなかったということですね。僕の怪我を治してくれたお医者さん達に感謝、感謝ですね。
それにしても、どう読んでも学級通信と呼べるものではありませんね。ただ、年間244弾も書いていたら、中にはきっといいものもあったのだと思います。そういうことにしでおきましょう。

今日の写真1
五中7期生の卒業アルバムです。6組が満っちゃんで、7組が飯先、8組が僕で9組が嵒という布陣でした。左奥に宇人もいます。たかやんバンドで宇人と子ども達と一緒にコンサートをやったのもこの少し後くらいだったと思います。

今日の写真2。
その当時の僕の理科の授業の様子です。このジャージでやっていたんですね。隣の女の子がこの間登場した「あゆみ」です。3年間、僕のクラスでした。とっても素敵な女の子でした。

今日の写真3
山口常義です。僕が大好きな校長先生でした。文化祭で舞台に上がり、子ども達の前でハーモニカを演奏してくれました。そして、この笑顔です。子ども達の名前を覚えられる素敵な校長でした。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・・。

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