7月8日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第190弾!2020年7月8日(水)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第190弾!2020年7月8日(水)  たかやん

7月の川掃除のお知らせ
黒目川の川掃除を12日(日)に行います。午前9時に栗原一丁目公園に集合です。そこから川の両サイドの土手を馬喰橋までゴミを拾いながら歩いて、馬喰橋から川の中に入り(1人〜3人)土手のメンバーと協力しながら、川の中のゴミを拾います。栗原一丁目公園まで遡り、一度ゴミを下ろして・・・神宝大橋までゴミを拾います。そこの自販機で水分を補給し、遊歩道と土手を掃除しながら栗原一丁目公園まで戻って終わりです。
9時から11時までの2時間を予定していますが、途中からの参加も途中までの参加も大歓迎です。参加される方は090−6497−5737(たかやん)まで連絡ください。メール(takayanchan@outlook.jp)やFACEBOOKでの連絡もオッケーです。

痙攣
久しぶりにサッカーをやって、オーバーヘッドをやった瞬間に足が攣った。余りの痛さに、『ちょっと待った!痛い・・・助けて!』と、叫んだところで目が覚めた。本当に足が攣っていた・・・今朝の3時過ぎのお話。

誕生日
今日は我が家の三男の9歳の誕生日である。朝からかまって、かまって・・・とまとわりついてくる三男。面倒くさいけれど、誕生日だから、抱っこしてやったのだった。

6時
昨夜のリスニングとレーニングのやり過ぎで、頭の中が英語だらけになっている。いいことである。久しぶりにそんな気分の頭になってきたかも・・・・。頭はそうでも、口の筋肉が言うことを効かないのよねえ・・・。

東久留米
今朝も割合と余裕で電車に間に合った空。満員電車ではないので、行き帰りに勉強もできるようだし・・・・。電車の行き帰りも大切な時間。頑張っているといいことあるぞ!

伸之
久しぶりに僕の初めての1年生が我が家に来てくれた。五中4期生で1年3組の超やんちゃだった、伸之である。その伸之が中二だったか中三だったか・・・庸介と一緒に大泉のヤクザのところに家出をして、俺達が乗り込んだ時の話になって・・・・「あの時、先生達が来てくれて本当に良かったです。」『そうだったの?』「あの時、実はヤバかったんです。あと少しで入れ墨彫るところでした。」『嘘!そうだったの?知らなかった・・・』「3人で居て、Nはもう肩に桜を彫って・・・疲れたからって、ちょっと休憩して、次は俺か庸介っていうところで、ドンドンドンって、先生達が来てくれて・・・」『マジか・・・俺はタダ、お前達をヤクザのところから奪還したことしか覚えてなくて・・・・』話は40年前の事件で大いに盛り上がったのだった・・・・。
伸之は今、立派な会社の社長。若い頃の自分を少しは誉めてやるとしよう。

クリッタ
その時の相棒がクリッタ。2つ下の社会科の親友である。当時のクリッタは埼大を卒業して新任でいきなり担任。2年3年と持ち上がり、初めての卒業生が伸之達だったのだ。そのクリッタに久しぶりに電話をすると・・・・「伸之・・・懐かしい名前だ。」『大泉のヤクザのところに行ったの、覚えてる?』「覚えてますよ。忘れもしない。大泉の駅前の喫茶店で二人で張り込んで・・・・思い出したくもない・・・」『思い出したくない。そっかあ・・・そうだったっけ・・・ああ、やったかも・・・忘れてた。』クリッタの声は昔と全然変わってなかった。「あ、チャイムが鳴っちゃった。」『おう、じゃあまたね。』「はい、たかやんも元気でね」『うん。』
 そこで、また思い出したのだ。その後、俺は単独でまたそのヤクザのところに乗り込んだことを・・・「なんだてめえは」『俺は教師だ!俺の子を返せ!!』真夜中の大泉、五中の教師対大泉のヤクザの2度目の対決だった。ま、無傷で帰って来たし、庸介は取り戻したんだけどね。ふう、悪いことではヤクザのお前らなんかには負けてねえぞ!!そんな気合で行った気がする。(笑)

モッコ
今日もモッコが来てくれた。本当に頼りになる友達である。そして、一緒に居て楽しい。マンションの仲間達とどんどん仲良くなっていく・・・まるで昔の百人町の公務員宿舎のようだ。モッコは塾が終わった後にも来てくれて・・・

栗原公園
ボール遊び禁止の貼り紙が劣化し、風で飛んでしまったらしい。そのままにしておけばいいものを・・・また、新しい貼り紙が張られた。公園はこの雨と暑さで草がぼうぼうだというのに、そういうことだけははやいんだから・・・ま、きっと「貼り紙がなくなった」と市役所に電話がいったのだろう・・・


夜は塾。中二の息子とのマンツーマンの塾でスタート。世の中では「少人数学級」が話題になっているけれど、個別対応はもう全くの別物な訳で・・・「少人数学級」はたかやん塾では「集団塾」それも「超満員」の塾ということになる。ただ、自分が現役の頃は40人〜50人の子達相手に授業をやるのは全く苦にならなかった訳で・・・その辺の感覚が面白いのである。後半は中三の息子達も来ての集団塾。理科、英語、歴史・・・色々やって、あっと言う間に3時間が過ぎていったのだった。

真夜中
空の部屋は1時を過ぎても電気がついていた。明日は英語のテストがあるらしいのだ。「前回100点だったから、点数を落としたくない・・・」らしい。高校時代に落ちこぼれていた俺とはえらい違いである。

教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第839弾!   合格発表

『一生懸命』幻の学級通信第209弾! 新座市立第二中学校3年2組 1998年3月6日

合格発表

長い一日だった。一年の中にはこういう日もあるんだね。(朋矢)

嬉しいけど、実感がわかない・・・。(佳代子)

自分の受験番号を見ても、あまり実感がなかった。今でもない。(美幸)

とても嬉しかった。(大輔)

嬉しかった。本当に自分の番号か何回も確認した。はじめは余り実感がなかった。(麻奈美)

既に受けた時からキセージジツだったから、別に何も感じなかった。(翔)

発表を見た時、自分の目を疑いました。高校に行くまでの間、絶対に受かってないと思っていたので“4207”を見つけた時、とっても嬉しかったです。受験の日の5日前ぐらいから、朝早く来るようになって、帰りもみんなに勉強を教えて貰いました。朝の話で、『ギリギリで合格した人が多い。』とたかやんに聞いた時、この5日間がなかったら、絶対に合格しなかったと思いました。5日間、勉強に付き合ってくれた人達に感謝したいです。(佐知子)

推薦で落ちた時は、これからどうなるかと思ったけど、晶子や友里やますみが最後まで朝勉に付き合ってくれたり、励ましてくれたから合格できたんだと思う。いい友達をもったなあと実感できた。(英里)

面接で言いたいことがうまく言えなくて不安で堪らなかった。でも、自分の受験番号を見つけた時はもう涙が止まらなかった。初めて嬉し泣きをしました。(亜沙子)

蕨駅から川口工高まで歩いているとき「絶対に合格できる」と言いながら歩いていた。(緊張していた)高校に着いて、合格発表の紙に近づく度に緊張が高まってきた。自分の番号が書いてあって、凄く嬉しかった。(これからは友達と一緒に行ける) (大介)

面接では5人の中で自分が一番落ちそうな気がしたけど、合格してよかった。(健一)

*このクラス、僕の21年間の最後のクラス3年2組・・・進路会議で滅茶苦茶言われたクラスです。「無謀だ」「進路指導になってない」「親からもクレームが来ている」親からのクレームは本当かどうか疑わしいですが・・・進路会議で管理職に馬鹿にされたのは初めてのことでした。だって、進路に関しては僕の方が彼らより遥かにベテランだったからです。
僕は新任のときから21年間、子ども達が「受けたい」と言った高校を受験させてきました。チャンスがあれば、勿論「推薦」だって受けさせました。受験は何が起こるか分からない・・ということを知っていたからです。進路指導で一番怖いのは、一番やってはいけないのは「受けたい高校」を受験させないことです。教師の仕事は子ども達の夢を全力でサポートすることです。夢を諦めさせるのは教師の仕事ではありません。本当の仕事の逆をやってはいけないのです。
 勿論、このクラスも全員「合格」しました。全員が合格できたから、こうして「一生懸命」に掲載できるのです。私立の入試がある。国立の入試がある。推薦入試がある。チャレンジすれば必ず失敗する子がいます。その時に、合格した子達がどうするか・・・クラス全体でどうするか・・・それが大切なのです。このクラスは合格した子達が、不合格の子達にずっと寄り添ってくれました。朝、早くから・・・そして放課後も・・・ずっと、一緒に勉強をしてくれたのです。そして、全員が合格したのです。本当に素敵な素晴らしい奴らでした。僕の自慢のクラスでした。

今日の写真1
三男ココアの誕生日のケーキです。おめでたい日だけあって、今日はいいことが沢山ありました。とても充実した、幸せな一日でした。

今日の写真2
僕が尊敬している先輩の斎藤一男から、「わたしのいい話集め 28」が送られてきました。その中身が凄いのです。読みながら泣きました。流石一男さんです。

今日の写真3
母さんが空ママに教えてくれた「パリパリ蕎麦」です。これがまた、なかなか美味しい訳で・・・・血糖値にはよくないと思われるのですが、まいっかなと・・・・。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・・。

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