1月16日 (日) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第16弾! 2022年1月16日(日) たかやん 『一生懸命』幻のたかやん日記 第16弾! 2022年1月16日(日) たかやん 2時 色々あって、寝たのは2時。そして、目が覚めたのが5時・・・・。ふーむ。ちゃんと寝ないといけないのに・・・・。朝勉開始。しかし、直ぐに眠くなり・・・そのまま爆睡。気がつくと空の声が聞こえてきて・・・ 東大事件 東大医学部を目指していた高二の子が無差別に人を刺した事件。彼は「医者」を目指していたのではなかったのだ。医者になって、病気に苦しむ人を助けたかったのではなく、「東大医学部」という肩書が欲しかっただけなのだろう。彼のような医者が増えないことを祈るばかりである。共通テストの1日目に事件に遭遇した受験生たちが可哀そうでならない。 そら 今日も朝の早い内に電話が来た。どうやら、自分が行きたかった学部のある大学の出願に失敗して・・・相当落ち込んだらしい。「この歳になって何やってるんだ・・・・」「日本に帰りてえ・・・」と、空ママには言ったらしい。一度トライして、失敗して、期限がまだ先だからと、学校のテストとTOEFLの勉強に集中していたら、自分が勉強したかった「脳科学」の出願に間に合わなかったらしいのだ。他の学部だったら、出願はまだ先らしいのだが・・・。 そういうドジなところは、俺に似ちゃったのかも知れないなあ・・・・。でも、そういうのって、そういう運命というか・・後で、そんなこともあったっけ・・・って思えるんだよね。最後は「じゃ、勉強するから切るね」と少し元気になったそら。空ママの声を聞いて、少し元気になったのかも・・・。カナダに行ってから、初めて「帰りたい」と言った空を少しだけ心配する空父である。 ジム334 今日も隙間時間にジムへ。下半身と腹筋・背筋を鍛えた後に上半身のトレーニングをして、ランニングをして終了。今日はチューブトレーニングをする時間が無くて・・・・ 風呂勉 スマホで英語のお勉強。なかなか口が回らないぜ・・・・。ま、いっか。入試が待っている訳でも、TOEFLが待っている訳でもないから・・・。 塾 午後は塾。受験前の中三の息子達と「英語」と「数学」に燃える。今日は9割以上を「英語」に割いて・・・みんなでYouTubeを使って、英作文のトレーニングに燃えたのだった。 打ってはいけない!451 ジョコビッチ3 遂にジョコビッチがオーストラリアオープンから締め出された。ワクチンを接種していないという理由で「陰性」のアスリートを締め出したのだから、「暴挙」以外のなにものでもない。発信力のある「ワクチン反対派アスリート」への見せしめなんだろうが・・・この「暴挙」はいずれ、「オーストラリアの歴史」と「オーストラリアンオープンの歴史」の汚点として人々の記憶に残るだろう。 ジョコビッチがウィルスに感染していたのなら分かる。世界一の選手を何日も練習させておいて、ルールを守らないから「国外追放」って・・・どんなルールじゃい!! 教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第1389弾! 給食の思い出 西戸山小学校の時は脱脂粉乳を毎日飲んでいた。友達の仲には「気持ち悪い」といって飲めない奴もいたが、僕は美味しかったのでいつもお代わりをしていた。小学校時代は運動会とか特別な時だけ「牛乳」が出た。僕は牛乳が大好きでいつも人の分まで飲んでいた。 西戸山中学に入っても、僕の牛乳好きは続いた。放課後校庭でサッカーをやったあとに給食室まで行き、そこに残っていた牛乳を何本もまとめて飲んだりしていた。ところがある日、ちょっと酸っぱいかなと思いながら飲んだら・・・・・学校帰りの地下鉄の駅で目の前が真っ暗になり意識を失くしてしまった。腐った牛乳に当たったのだ。僕はそれ以来、牛乳を飲めない体になってしまった。だから高校時代も大学時代も牛乳は飲んでいない。飲むとお腹がごろごろしてひどいことになるのだ。ところが教師になって、困ったのが毎日の牛乳。生徒の手前まさか飲まないわけにはいかない。そこで「清水の舞台から飛び降りる」覚悟で飲んでみたのだ。すると不思議なことになんともない。調子に乗って普通の牛乳を飲むとすぐにゴロゴロ。学校の牛乳だけはOKという変な体になってしまったのだ。一つは精神的なものだと思うが、もう一つは学校の牛乳は薄いということからくるのかも知れない。 冬にストーブがあるときは子ども達と一緒によくパンをストーブで焼いて食べた。その時の美味しさが忘れられず、教室にトースターを置いたことがあった。パンはトースターで焼くと添加物が全部飛ぶから体には絶対にいいのだ。でも匂いがするので、他のクラスからクレームがつき、トースターを準備室に持っていった記憶がある。 お代わりのルールは小学校によって違うらしく、1年生の最初は結構もめていた。だから僕はいつもじゃんけんにしていた。男の子も女の子も教師もとにかく公平にジャンケンという訳だ。座る席もくじ、後片付けもじゃんけんというのが僕のクラスのルールだった。 ある時、体が不自由な子をいじめた子達がいた。僕はその子達に給食を持ってくるようにいった。そしてみんなの見ている前で3人の子達にその給食を頭からかけてしまったのだ。その日の給食は「フルーツポンチ」。教室全体から「悲鳴」が上がった。 僕はその時、子ども達にこういった。「フルーツポンチがかかったって、髪の毛は洗えば元に戻るんだ。でも一度言葉で傷ついた心は元には戻らないんだぞ!分かったか、この馬鹿たれが!」 この間、その子達とクラス会があった。その時フルーツポンチをかけられた子が二人いた。その二人がこう言ったのだ。「たかやん、あの時は本当に怒ってくれてよかったよ。いや、本当に怒ってくれてよかった。」そしてその時いじめたYに向ってこう言ったのだ。「あの時は本当にごめんな。俺達何にもわかってなかったんだ。でも今日来てくれて本当に嬉しいよ。本当にごめんね。」フルーツポンチの思い出である。 「たかやん日記」2004.6月8日 (火) 第84弾!から・・・ *若い頃は間違いもします。何があっても、子ども達の頭に給食をかけていい訳がありません。いつもなら、ゲンコツやケツ竹刀で済ませていた僕が、どうしても許せなかったのだと思います。フルーツポンチの苦い思い出ですが・・・この子達の親は一言も文句を言わず、「ありがとうございました!」と言ってくれたのです。そして、この事件から5年後・・・この子達も「ありがとうございました!」と言ってくれたのです。六中での「フルーツポンチ事件」は苦く、そして、嬉しい思い出になりました。 その二日後の日記。 ドライカレー フルーツポンチの思い出を日記に書いたら、尚代からこんなメールが来た。 私が中一のときにも同じようにクラス内でいじめがあって、 智がいじめられてたんだけど、やっぱりたかやんは怒りました。 怒って、給食の乗っていた机を蹴飛ばしました。 その日のメニューはドライカレーでした。 フルーツポンチの話を読んで、その日のことを思い出しました。 いじめた中には今も私が時々連絡を取っている人が一人いて、 それは笹島広志なんだけど。 ひろがフルーツポンチの彼等と同じように、 たかやんに怒ってもらえてよかったと思っているといいなぁと思いました。 *実はこの尚代達というのはこころ達の代の子達で・・・・あのフルーツポンチ事件よりも3年前のことになるのだ。うーん、そう言えばドライカレーが教室中に飛び散った記憶がかすかにあるかも知れない。きっとその時の「一生懸命」を読めばはっきりすると思う。学級通信にはほとんどの出来事をそのまま書いていたと思うから。そう・・・テニスコートでコーヒー牛乳事件というのもあったなあ・・理準でも何かやった記憶がある。やられた方は覚えているんだよねえ。やった方は忘れちゃうけど・・・・・ *いやいやいやいや・・・「虐め」があると、怒りを「給食」にぶつけていたんですねえ・・・当時の僕は・・・・。給食は何も悪くないのに・・・ 今日の写真1・2 パソコンからYouTubeをテレビに飛ばして、英語の勉強方法を子ども達に伝えました。「このYouTubeを見るといいよ。」だけでは、子ども達は何も出来ないものです。一緒にやり方を覚えて・・・英語を学ぶ楽しさを覚えれば・・・独りでもできるようになります。今日は3時間、一緒にトレーニングしました。「英語、分かって来たじゃん!」「楽しいだろ」「書けたら読めるよ。」「発音できたら、聞こえてくるよ」「自信ついたでしょ?」「やるねえ」「凄い!」「これが書けたら英語は5の力があるよ!」と心地よい言葉をバンバン言いながら伝えることが大事です。残念ながらYouTubeはそういう言葉は言ってくれませんから・・・。 今日の写真3 最近、気に入っている紙でできたペン立てです。100円だし、紙でできているので温かいし・・・環境にはよさそうだから・・・ *この日記を読んだ全ての人が明日も幸せでありますように・・・・ |