10月28日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第301弾! 2022年10月28日(金)    たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第301弾! 2022年10月28日(金)    たかやん

5時
今朝も朝読書。いい習慣になりそうな予感。

6時
「基礎英語」「中高生の基礎英語」「英会話」を聴いて・・・

7時半
独りで、ちょっと寂しい朝ご飯。

8時半
テニスコートに到着。直ぐに長尾さんから声が掛かって・・・「ちょっとフォームを悩んでいて・・・」というから、中学生に教えたように、アドヴァイス。

桂司
3番コートに桂司を呼んで、二人で練習していると、半ちゃんから声が掛かって・・・ダブルスをやることに。相手は半ちゃんと安斎さん。

ダブルス
0−1でスタートするも、2ゲーム目の僕のサービスをラブゲームでキープ。1−1となる。そこから2−1,2−2,3−2,3−3,4−3,5−3,6−3で終了。2セット目は0−1,1−1,1−2,2−2,3−2,4−2,5−2,6−2で勝利。桂司のスマッシュが凄くて・・・・凄く楽だったぞ。

栗原
お風呂に入って、空ママと二人で栗原へ。家に戻って・・・ダッシュで市役所に向かう。

第五次新座市総合計画特別委員会
13時半から全協で会議。各分科会からの調査結果報告があって、特別委員会において協議すべき事項について、意見が出されて・・・

ジム519
Rinちゃんに乗って久しぶりにジムへ。7秒スクワット方式で下半身・腹筋・背筋を鍛えてから、上半身も鍛えて、最後に軽くランニングで終わったのだった。首はまだ痛いが、大分回復してきた感じ。


塾1
中二の息子達との塾。成績が滅茶苦茶伸びた子もいれば、そんなに変化が無しの子も・・・・それぞれにアドバイス。

塾2
高一の息子との個別対応の塾。そこに中一と中二の息子達が振り替えで集合し、面白いことに。みんなで地理と化学の勉強をしたのだった。才能を見せる高一の息子。ちょっと感動したのだった。


絶対に打ってはいけない! 743   忘れないで・・・

努力義務とした国と親が悪い。3回打つ必要があると言っているが、最初2回で良いと言っていたことを忘れたのか?今、5回目やで。打たせようとする国が一番悪いが、打つ方にも問題がある。だが、子供には全く責任はない。スパイクタンパク質製造人間を増やしてどうする。(twitterから)
*そう子ども達には責任がないんです。大人が考えてあげないと・・・・


教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第1677弾! 「たかやん物語44」校長と神さん

校長と神さん(1977年)
 僕が赴任することになったのは新座市立第五中学校という新設校だった。驚いたのは4月の初日、職員室に行くと、一番前の真ん中に座っていたのは、あの中村敞一郎だったのだ。『なんでいるんですか?』「ははは、俺が校長だよ。」『え〜っ!』敞一郎先生は二次試験を受けてなかった僕を自分の学校に採用してくれたのだ。
五中に赴任して、一番驚いたのが“第三学年”に配属されたことだった。他の新任の仲間達は1学年か2学年なのに、僕一人だけが“三学年”。これには参った。しかも用務員のおばさんだと思っていた太っちょのおばちゃんが学年会に居たのだ。そして、その太っちょが神宮司久子という「学年主任」だというのだから本当にビックリした。しかも、最初の学年会議ではもっと驚くことが待っていた。担任が決まらなかったのである。新座中と三中が合わさってできた新設校の五中だから、先輩達が担任することを嫌ったのだ。校内暴力吹き荒れる時代だった。クラスの半分が知らない生徒ではベテランの先輩達でも自信がなかったのだろう。
「たかむら先生、校長先生が呼んでます。」と太っちょの神宮司先生が言った。嫌な予感がした。校長室に入ると敞一郎先生はこう言った。「お前、3年の担任やれ!」『無理ですよ!』「お前なら大丈夫だ。」『何を言ってるんですか!俺、浦和高校しか知りませんよ!』「大丈夫だ。お前ならやれる!」敞一郎校長のその言葉の意味は分からなかったが、採用の時の恩を考えると、断るという選択肢はなかった。『分かりました・・・。』そう言うしかなかった。学年会に戻ると、1組の甲神嵒が「大丈夫、たかむらさんなら大丈夫。」と真顔で言ってくれて・・・不思議と安心したのを覚えている。嵒は僕の9つ先輩。その後、僕の本当の兄のような存在になっていく・・・。
3年の担任。それだけでも大変なことなのに、次の日の教科部会で信じられないことが起きた。「たかむら先生、2学年も1クラスだけ持ってください。」そう言われたのだ。(そりゃ、無理だろうよ。3年の担任をやるのだって、無茶なんだから。その上、2年生も1クラスって・・・・)『いやあ、流石にそれはちょっと・・・・』「大丈夫でしょ。たかむら先生なら・・・」その時の“大丈夫”には何の愛情も感じなかったのを覚えている。“大丈夫”には「優しい大丈夫」と「非情な大丈夫」があるのだ。大学を出たばかりの新任に3年の担任をやらせ、2学年の授業もやらせる。そんな「優しくて非情」な先輩達との1年がはじまろうとしていた。
*その1年で人は見かけによらないことを僕は知ることになる。学年主任の太っちょの神宮司久子は僕にとって、本当の母のような存在になっていく・・・・。今、「神さん」は父さん、母さん、嵒さんと一緒に我が家の仏壇に笑顔で居てくれて、今でも僕を励ましてくれているのです。


今日の写真1
朝ご飯はうどんでした。これがまた美味しかった訳で・・・・

今日の写真2
今朝、僕のテニスの相手をしてくれた右から安斎さん、半ちゃん、桂司です・・・・。

今日の写真3
地理のトレーニングをしてから、化学のトレーニングをする三人です。

この日記を読んだ全ての人が明日も幸せでありますように・・・・・そして、ストレスから少しでも解放されて、よく眠れますように・・・・・

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