10月29日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第302弾! 2022年10月29日(土)    たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第302弾! 2022年10月29日(土)    たかやん

5時
今朝も朝読書。こども達に言ったことは、自分がやらないとね・・・。

6時
起床。歯を磨いて、顔を洗って・・・前の番に空ママが用意してくれた朝食を温めて・・・・美味しく頂いて・・・洗い物をして・・・1時15分、テニスクラブに向かう。

7時半
テニスクラブに到着。3番コートで半ちゃんを待ちながら読書・・・・。

8時
半ちゃんと練習開始。昨夜張ったラケットで初めて打つ。38ポンドと過去最低テンションだったが、肘に負担がないので、いい感じかも・・・

シングルス
半ちゃんとはシングルスの練習を繰り返す。首は痛いけれど・・・大分戻ってきたかも・・・・

ダブルス
小林さんと大島さんの二人のテクニシャンに声を掛けて・・・・半ちゃんと組んでダブルス開始。頑張ったのだが、3−6で完敗したのだった。トホホホホ。

ストレッチ
お風呂に入って韓国ドラマを見ながらストレッチ。

バイト
空がバイトに行って・・・・空ママもバイトに行って・・・僕とココアが留守番。

10月号・11月号
今日は塾もお休みなので、10月号の完成と11月号の作成に取り掛かった。また、途中で色々変更があるんだろうけれど・・・取り合えず、書かないとね。

絶対に打ってはいけない! 744   
ワクチン死の急激な増加が始まった。既に十数億人に送り込まれたスパイクタンパク質。http://blog.nihon-syakai.net/blog/2021/06/12452.html?g=220101
*この方もよく調べてますよね。そして、少しでも多くの人に情報を知って貰おうとしています。


教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第1679弾! 「たかやん物語46」猛彦と博子(1977年)

猛彦と博子(1977年)
僕は3年4組の担任になった。当時の中学校は全国的に荒れていたので、新任が担任を持つこと自体が殆どあり得ない時代だった。中三の担任をやる新任は日本で僕一人だけだったのは間違いない。進路指導と生活指導の両方を大学出たての新任に任せようとしたのだから、中村敞一郎の初代校長としての判断には驚くばかりである。
 その時のことは一生忘れられない。始業式があった日の朝、3年4組の教室に入ったときの光景は想像できないものだった。『おはよう!』と4組のドアを勢いよく開けたのだが・・・誰一人として席についていなかったのである。子ども達は全員怖い顔をして教室の周りに立っていたのだ。
 『どうした?席に着こうよ。出席番号順でいいから・・・』「・・・・・」『さあ、座って、座って。みんなどうした?』困った顔で僕が立っていると・・・女の子の誰か(多分、博子)が「座りましょうよ」と言ってくれて、女の子達は席に着いてくれた。『男子も席に着こうよ。』と言ったのだが、「嫌だね!」と、一番小さいのがふてくされたように言いやがった。(この野郎!)と思ったが、グッと堪えた。すると、頭に剃りが入った気合の入ったのが、「おい、座れよ!」と一言。ダダダダッ!その一言で全員が席に着いた。(こいつだ!こいつを味方にすれば勝ちだ!)僕の勘がそう教えてくれた。それが猛彦だった。クラス名簿を見た時、猛彦のカードには×がつけられていたが、そんなことはどうでもよかった。×を付けたのは新座中の先輩達で僕ではない。僕には猛彦の力を借りるしか生きる道がない・・・そう思った。
 その勘は当たっていた。猛彦と一緒にいることで、僕は3年生の男子から攻撃されることは一切なかったのだ。2年生の番長からは体育館に呼び出されたが、『タイマンならいいよ。』「わかった」で解決。タイマンで体育会系男子が中学生に負ける訳がなかった。
 猛彦とは放課後も一緒に居た。僕の400ccのバイクの後ろに猛が乗り、「暴走族」の検問にひっかかったこともある。「このバイクは誰のだ」『俺のです。』「お前ら、どういう関係だ?」『ああ、教師と生徒です。』「どっちが教師でどっちが生徒だ?」僕は実年齢より若く見え、猛は老けて見られがちだったのだ。僕と猛はまるで兄弟のようにいつも一緒にいた。
 一方の博子(ヒーコ)は学級委員をやりながら僕を助けてくれた。3年の担任と2年生の理科を持たされて、もうアップアップしている僕を見て、ヒーコはやれることは何でもやってくれた。出席簿を付けるのは4月の最初から卒業まで1年通してヒーコ。僕の理科の授業ノートを完璧に取ってくれて、テスト前には僕にコッソリ貸してくれたのもヒーコ。僕はヒーコのノートを見ながらテストを作ったのだから滅茶苦茶である。
 出席簿は公簿だから、生徒がつけていい訳がないし、生徒のノートを見ながらテストを作る教師なんてあり得ない話なのだが・・・僕は実際にヒーコのノートに助けて貰っていたのだ。それくらい、余裕がなかったのである。最初の1年、猛とヒーコ。この二人が僕の精神的支えになっていたことだけは確かである。公立受験の日、「暇だからどこか行かない?」というヒーコの誘いに負けて、私立合格組と石神井公園に遊びに行ったのもいい思い出だ。『みんなが受験の日に遊びに行ったなんてバレたら大変だから、絶対に秘密な。』「わかった。」「絶対に秘密ね」という訳で・・・あの時、県立を受けていた子達。そして、秘密を守っていた子達、両方に「ごめんね!」結局、秘密を守れなかったのは俺だったわ。
*あの時15歳だった子達も今年還暦です。猛彦は4月生まれだからもう60歳・・・信じられない程の時間が流れています。45年前の秘密を知った子達はどう思うかな。多分、猛彦も知らないと思うんです・・・猛彦達公立チームが入試の日、僕らが遊んでいたことを・・・。これを読んで、「ふざけんなよな!」ってなるかも知れませんね。いよいよ、今日から五中のお話に突入です。誰がどういう風に出て来るかな・・・。

今日の写真1
半ちゃんです。僕のテニスの師匠です。怖そうな顔をしていますが・・・優しくて、真面目な半ちゃんが僕は大好きです。

今日の写真2
僕と半ちゃんを軽く倒した、右から大島さん、コバちゃんです。二人とも実に柔らかいテニスをします。完敗でした。

今日の写真3
ガットを張る裕ちゃんです。後ろにお母さんの裕美ちゃんとお父さんの健ちゃんがいます。いつもみんな笑顔なんだなあ・・・この家族は・・・このスペースの写真を撮るのが好きなのよねえ・・・。

この日記を読んだ全ての人が明日も幸せでありますように・・・・・そして、ストレスから少しでも解放されて、よく眠れますように・・・・・


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