10月9日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第282弾! 2022年10月9日(日)    たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第282弾! 2022年10月9日(日)    たかやん

4時
韓国ドラマの高校生のように片方ずつイヤホンをつけて二人で「あいみょん」の歌を聴いて、手を繋いで公園を歩いて・・・・というところで目が覚めた。時計を見ると4時。いい雰囲気だったし、大事なシーンまであとちょっとだったのに・・・・。体は疲れていても、駅立ち週間だと目が覚めてしまうのだろう。目覚ましをかけてないのにねえ・・・。

朝ご飯
テニスをやるので、朝ご飯を一人で食べて・・・車で新座ローンへ。

テニス
恒さんとの約束時間まで少し時間があったので、壁打ちをしていると・・・なべさんが「ダブルスしない?」と誘ってくれたので、『OK,アップ無しで大丈夫。』と言ったのがいけなかった。最初のゲームで腰にピリっと痛みを感じて・・・・・なかなか動けない。ぎっくり腰まではいかないが、思いきり打てなくなって・・・・4−6で惜敗。準備運動の大切さを実感したのだった。

恒さん
「ごめん、遅刻した」と恒さんが来たので、『2番コートで練習しよう!』「おっけー!」と健ちゃんと木村さんが二人で練習しているコートへ。調子は悪いし、腰も痛かったのだが、隣の若くて強い二人がガンガン打ち合っていたので、恒さんと二人で、そのリズムに必死に合わせて打っていたら・・・・どんどん調子が上がってきて・・・・大分調子が戻ってきたのだった。ニューボールで打ったのもよかったのかも知れない。「いいボール打ってたよ!」と恒さん。『いい雰囲気で強い人と練習できたからね。』と僕。「準備運動大事だよ。もう高齢者なんだから」と恒さん。そうだよねえ。気持ちはまだ30台くらいなんだけどねえ。体は50台。家に戻ると・・・また腰が痛くなったけれど・・・何とかなるだろう・・・。若いから・・・。


昼ご飯は鰻。白いご飯に鰻を載せて・・・オホホホホ。美味しかったなあ・・・・。血糖値は測らないぞ・・・・。


夜は塾。火曜日から中間テストの中学校に合わせての特別授業。数学に集中して、なかなか面白かったぞ・・・・。

絶対に打ってはいけない! 722   4歳以下24日スタートって  アホか!!

 4歳以下に接種3回で発症予防7割。それがどうした!と、言いたい。そもそも、売る側の臨床実験をそのまま信じる方がおかしい。ファイザーの発表をそのまま信じて、子ども達の命と未来を危険に晒していい訳がない。子ども達が本来持っている免疫システムとファイザーのどっちを信じるのだ。子ども達のワクチン接種を否定している国も沢山ある。当たり前だ。オミクロン株など、健康な子ども達にとっては屁でもないからだ。ファイザーの儲けの為に、日本の小さな子ども達の命を危険に晒して、実験って・・・・。本当に勘弁して欲しい。


教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第1657弾! 「たかやん物語」26 事件

 事件(1971年)
3年生になって、僕はいい感じでテニスが上達していった。でも、そういう時に限って事件が起きるのだ。良い感じになると事件が起きる・・・僕の人生の特徴である。3年の1学期、その日はインターハイ予選の直前だった。僕は親友の哲夫と二人で新青梅街道を走っていた。僕は自転車、哲夫は50ccのバイク。同じスピードで並走していた。僕は時々哲夫の肩につかまって、新青梅街道を疾走していた。と、次の瞬間、僕の自転車のブレーキのワイヤーが哲夫のバイクのハンドルに絡まった。時速40キロ以上で走っていた僕の自転車のハンドルは90度回転し、急停止。僕は新青梅街道の車道にとび出てしまった。その距離数十メートル。ドカン!柔道の受け身をしたのだが・・・僕の肩は道路に打ち付けられて・・・・大怪我。後続の車が来なかったから轢かれることはなかったが、その怪我でインターハイ予選に出られなくなってしまった。これはショックだった。インターハイに出られなければ、早稲田も慶應も法政もない。(まさか、頭で大学に入らないといけないの・・・)
1年生の1学期、雨が降るとテニスができないからと、15日も学校を休んで体育の評価は1。同じ1年生で、英語のグラマーの先生の発音が気に入らず、(この先生の授業はやる気しない・・・)と白紙で答案を出して評価は1。2年生になって、(お前の授業は詰まらない!)と倫社のテストで書いた答案を消しゴムで全部消して0点。本当に失礼なヤツだった。勿論、倫社の評価も1。大学を受験するのに、1が3つもあったら・・・まずいよねえ・・・。テニスで入るにしたって、内申は関係あっただろうに・・・もう思考が小学生だった訳で・・・・。
それでも僕は北大を受けようと思ったのだから笑える。慶応の経済は、お金が無いから無理だということに気づいて断念。もしかしたら、最初は慶應ではなく、北大を目指していた鍛冶さんの影響かも知れない。僕が狙ったのは北大の水産学部。「お父さんは商船大に行って船乗りになりたかったんだ。」という父さんの言葉を覚えていたのだ。だから“外国航路の船長になる!”僕はそんな夢を持ったのだろう。そこで候補に挙がったのが、水産大、商船大、長崎大、鹿児島大。そして、北大。その中で一番テニスが強かったのが北大だった。結局、僕は船に乗って、テニスもする!北海道で優勝してインカレに行ってやる。そういう理由で北大を選択することになる。インターハイには行けなかったから、インカレに行ける可能性がある大学がいい。そう思ったのだと思う。

今日の写真1・2・3
新座駅南口には二中の卒業生が来てくれます。二中の職員室にいい思い出は一つもありませんが、教室での楽しい思い出は沢山あります。子ども達の笑顔が職員室で孤立していた僕を救ってくれたのです。「生涯一教師」という予定は崩れましたが、彼らのお陰で「最初から最後まで一担任」として、笑顔で子ども達と一緒に中学校を卒業できたのです。

この日記を読んだ全ての人が明日も幸せでありますように・・・・・そして、ストレスから少しでも解放されて、よく眠れますように・・・・・

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