11月8日 (火) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第312弾! 2022年11月8日(火) たかやん 『一生懸命』幻のたかやん日記 第312弾! 2022年11月8日(火) たかやん 4時半 「あら、ひさしぶり!」『あれ・・・延世お母さん!』「元気だった?リョウブウはどうしてる?」『ああ、元気ですよ。雪にも空にも優しいし・・・』「あの、リョウブが・・・・」久しぶりの延世お母さんの笑顔を見られて、幸せな気持ちで目が覚めたのだった。 100歳 今日は父さんの誕生日。大正11年生まれだから、生きていたら100歳の誕生日だ。どうしているのかなあ、父さん。もう少し待っててね。空が一人前になるまでは・・・お願いね。お父さん、いつも僕の無理なお願い聞いてくれてありがとう。雪や亮や空だけじゃなくて、沢山の教え子たちが困った時も助けてくれてありがとうね。100歳の誕生日おめでとう。僕は今でもお父さんの言葉を力に替えて生きています。じゃあね。おとうさん。 5時 顔を洗って、歯を磨いて・・・視察の準備をする。 5時半 空ママが朝ご飯を作ってくれて・・・美味しく頂く。 6時半 空ママに東久留米まで送って貰う。 西武池袋線 6時半過ぎの電車だというのに、滅茶苦茶混んでいたのには参った。通勤のプロはバックパックを前に掛けるということも知って、同じように前に持ってきたのだが、余りにも混んでいたのでバックパックを網棚の上に揚げて・・・・数学と化学の問題を解き始めたのだった。 池袋 都営地下鉄で行こうと思ったら、この切符は受け付けませんという表示が出て・・・・JRに切り替えて、山手線は意外に空いていたぞ・・・東京駅に着いた瞬間、芳宗さんと白井さんにバッタリ・・・・ 新幹線 黒田実樹さんが11番のAなのに、何故か12番のAに座ったことで、結構ぐちゃぐちゃになって笑った。12号車だということと12番だということを勘違いしただけなのだが・・・そのお陰で茂君(平野議員)と隣の席になって、親の話から子ども達の話、サッカーの話・・・話題はつきることなく・・・実に有意義な時間だった。 名古屋 名古屋に来るのは久しぶり。丁度40年前に市邨高蔵中と練習試合をしたことを思い出した。日本一の学校に無名の公立校が挑戦したのだ。勿論、ぼろくそに負けたけど、高蔵中の練習を盗ませて貰ったお陰で、五中は全国2位、六中は全国1位になれたのだ。今回の視察でも、名古屋市の方達に実に有意義な施策を教えてもらって・・・質問も沢山して、本当に勉強になったのだった。 名古屋城 新幹線に乗るまで、少し時間があったので、ダッシュで名古屋城へ。金の鯱をチラッと見て、名古屋駅に戻って・・・昼食。お蕎麦を食べる積りが「つけ麺」になってしまった・・・トホホホホ。 京都 名古屋から京都に向かって、結構早い時間にチェックイン。時間があったので、芳宗委員長の提案で京都市学校歴史博物館へ行く。多くの資料が残されていて、京都市の教育レベルの高さを感じた時間だった。その後も助川さんと小関先生と三人で歩いて、いろんなお寺を見たり、街路樹を見たり・・・・どこかに街づくりのヒントがある筈だ。そんな気持ちで京都の街をずっと歩いたのだった。 最年長 久しぶりの視察。兎に角。部長達が若い。五中時代の僕の同僚に習った人が多くて・・・ビックリした。要するに昔の生徒の代が新座市の部長クラスなのだ。昔の視察と言えば、おっかない先輩達と一緒だった訳で・・・自分の意見なんて、全く通る筈もなく・・・・ただ言われるままに付いていって、先輩の荷物を持って・・・ただ、どの視察でも質問だけは沢山させて貰った記憶がある。 絶対に打ってはいけない! 754 ファイザー社の第I-II-III相臨床試験データで21,926人の2回接種群における敗血症死亡率は通常の21倍であり、心血管系死亡率は通常の2倍であった事が判明した。 敗血症が免疫システムの故障によって引き起こされることから新型コロナワクチンが免疫を破壊する事をファイザー社は治験段階で知っていた。 教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第1689弾! 「たかやん物語56」 昌和(1978年) 昌和(1978年) 1年3組に昌和という子がいた。小学校からの連絡で「体育の授業が嫌で学校をやすむことが多い」と書かれていた。それを読んで直ぐに嵒に相談した。「何とかしよう。暫く体育の授業に参加して。」と嵒。『分かりました。』僕は時間割担当の陽子(旧姓吉崎)に頼んで、3組の体育と僕の空き時間がなるべく重なるようにしてもらった。そうすることで、昌和を安心させようと思ったのだ。その作戦は成功した。僕は1年間全ての体育の授業に参加し、昌和は1年間、いや3年間一度も学校を休むことなく卒業していったのだ。僕の空き時間は体育の授業で潰れたが、その代わりに子ども達と一緒に何でもやるという喜びを手に入れたのだった。汗びっしょりのまま授業をやられた子達は迷惑だったかも知れないが・・・・。 *あの頃は、一人の生徒の為に、みんなが動いて、その子を何とかしよう・・・そういう雰囲気がありました。たとえ1人であっても、何とか学校に来てもらう・・・・そういう雰囲気が当時の学校にはあったのです。 今日の写真1・2 京都市学校歴史博物館には本当に色々な資料がありました。 今日の写真3 折角名古屋に来たので、隙間時間に金の鯱を見たくて、ダッシュで名古屋城に向かいました。入場料があったので、外側から名古屋城を見ることにしました。 この日記を読んだ全ての人が明日も幸せでありますように・・・・・そして、ストレスから少しでも解放されて、よく眠れますように・・・・・ |