12月13日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第347弾! 2022年12月13日(火)    たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第347弾! 2022年12月13日(火)    たかやん

5時半
久しぶりに3年1組のクラス会。真ん中に座っているのはアッコ。「先生さあ・・・いくら久美ちゃんが可愛いからって、久美ちゃんのこと書きすぎじゃない?」『え?そんなに書いてる?』「名前が出てこない子の気持ち考えたことないでしょ?」『・・・・・』「大体、小田部が持ってきた牡蠣は広島じゃなくて、仙台の牡蠣だし・・・・」『嘘っ!』そこで目が覚めた。ちょっと汗をかいていたのだった。

6時
「基礎英語」「中高生の基礎英語」「英会話」と聴いて気がつくと「スペイン語」だった。どうも意味が分からなかった訳だ・・・。

朝ご飯
ご飯と味噌汁を美味しく頂いて・・・・外は雨。車で送ってもらうことにする。

8時45分
市役所に向かう。雨の日の空ママは大変だ。僕を市役所に送り、空を送り、生協やダスキンに対応し、ココアの散歩に行き、空の迎えの後は買い物とバイト。家に戻るのは22時過ぎ・・・・。円安だから、我が家はみんなで働いている。

9時半
今日のトップバッターは小野由美子さん。傍聴は5人。

9時42分
12分22秒残して小野由美子さんの1回目の質問が終わり、傑市長の答弁がはじまった。

10時10分
小野由美子さんの質問が続いている。緊張しているのが伝わってくるが、なかなかいい質問をしているぞ。

10時20分
3分38秒残して小野さんの質問が終わって・・・2番目は陽子。声を聴いていると・・・中学時代と同じ声。昔から落ち着いた話し方をする子だったが・・・変わらないのよねえ。45年前は担任と生徒だったが、議会では陽子が先輩。こんなことを書いたら怒られるかも(笑)

11時48分
残り時間0秒。ブザーを鳴らして陽子の質問が終わったのだった。「18歳までの医療費無料化に戻そうよ。」最後は熱くなって、なかなかいい質問だったぞ。

お弁当
控室でお弁当を食べながら、孝子と最終日の打ち合わせ。雑談の中で「語る会」が「市民と語る会」に変化していった経緯を話したり、平成16年の3月議会では一般会計予算に対する討論の場面で、『朝賀さんが反対討論して、尾崎さんが賛成討論して、星川さんが反対討論して、大佑が賛成討論して、カサジが反対討論して、その後に俺が反対討論したんだよねえ・・・。それで最後に文さんが賛成討論して・・・』「なにそれ・・・」『最初は刷新の会だったからね。最初から原稿は無しで其の場で手を挙げてたみたいね。』「流石・・・・」そんな下らない話をしながら、お弁当を美味しく頂いて・・・歯磨きをしたのだった。

13時
今日の3番目、黒田実樹さんの質問がはじまった。「配偶者に対する暴力」か・・・手を挙げたことも、挙げられたこともないなあ。父さんが母さんに手を挙げたこともないし・・・・喧嘩したのを見たこともない・・・。父さんは子ども達には厳しかったけど、お母さんには優しかったんだよねえ・・・・。


13時29分
4分39秒を残して黒田さんの1回目の質問が終わって、傑市長の答弁がはじまった。

14時半過ぎ
「ボール遊びが出来る公園」についての質問に燃える黒田さん。ブザーを鳴らして終わる。いいねえ。

徒歩
議会が終わって、家まで歩いて帰ることことに・・・・。これでジムでのランニングは省略。筋トレだけしに行くことに・・・・。途中で六中の中に入ると、「こんにちは!」と若い先生に声を掛けてもらったので、『こんにちは!』と笑顔で挨拶をして・・・下校する子ども達と一緒に校庭を突っ切って・・・・懐かしい校庭の写真を撮って・・・・45分後、我が家に着いたのだった。

塾1
夜は塾。中一の息子と娘達との塾。テストが終わったばかりだったので、冬の空を教えてから外に出て・・・ふたご座流星群の観測。2つほど流星を見てから中に戻って・・・今度は音楽。久しぶりにギターを弾いて、歌ったのだった。

塾2
後半は高一の息子と高二の息子との塾。生物と化学を少しやってから・・・・色々と語ったのだった。テストが終わった後は、人生を語るに限るね。


絶対に打ってはいけない! 788   それでも打つか!!2
アメリカ:新型コロナワクチン接種後の全死者数は32,621人。命に関わる障害 35,309件、一生治らない身体障害 60,758件、血栓症14,863件、心筋(膜)炎 35,718件、流産 4,615件、心臓麻痺 15,721件、帯状疱疹 15,172件、有害事象 1,476,227件(2022年12月2日現在) Source: https://openvaers.com/covid-data
*本当に恐ろしい・・・・。それでも打つか!?このデータ見てから打てたら凄い。

教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第1723弾!「たかやん物語」87   西村博文(1984年)

西村博文(1984年)
僕を関東ジュニア委員に推薦したのが立教中の西村博文。西村先生は東京教育大庭球部出身。僕の石神井時代の恩師、古川溥の後輩だ。「古川先生の教え子なら間違いないだろう」と推薦してくれたらしい。そして、古川溥本人も「たかむらなら大丈夫。」そう言ってくれていたらしい。
実は高校時代、僕は古川先生にはかなり逆らった生徒だった。1年生の夏、先生と試合をして7−5で勝ったのに、「松田はこの時期には6−2で勝ってたな。」糞っと思って、次に6−2で倒すと、「松田はこの時期はもう6−0だった」と常に1年先輩の松田さんと比較してきたのだ。東京チャンピョンでインターハイベスト16の先輩と比べられてばかりいて、僕はかなり気分を害していた。おまけに同学年で勉強でトップの方にいた公平に「野崎!数学100点だったぞ!」とテニスコートで褒める古川先生。(なんだよ。どうせ俺は30点だよ。悪かったな!公平にキャプテンもやらせればいいだろ!)と、臍を曲げた。『先生は公平が気に入られているんだから、お前がキャプテンやれよな!』「ええ!!」
この話、前にも書いたが・・・石神井での最後の授業は2時間続きの数学。古川先生の数学だったのだが、僕は男子クラスの仲間に声を掛けて、『校庭空いてるから、ソフトやるぞ!皆勤の奴以外、校庭に行くぞ!』と、先生の授業をボイコットして、遊んだのだ。そんな僕を古川溥は「たかむらなら大丈夫だ。」とテニス界の先輩達に言ってくれたのだから、本当に参った。日本のテニス界の大先輩達にそう紹介されたのだから、今度は先生には頭が上がらなくなってしまった。テニス界で古川溥は多くの方達から尊敬を集めていたから、その一言には重みがあった。
僕は西村博文と一緒に関東中学、全国中学と大会運営をしていくことになるのだが、常に古川溥を意識することになる。
 実はブルマ軍団が中三になったとき、僕は高校の教師になろうとして試験を受けていた。全国大会に行った子ども達と一緒に地元の公立高校に行ってインターハイに連れて行きたい。そんな夢を見たのだ。それを西村博文に伝えたところ、「ふざけるな!」と一喝された。
「中学校のテニスはどうするんだ。」「ふざけるな!」「中学テニスにはお前が必要なんだ!」「高校になんか行ったら駄目だ!」「ふざけんじゃない!」と真顔で言われて、僕は高校へ行くことを諦めた。
そして、その試験の日。面接で「なぜ、高校で教えたいと思ったんですか?」という面接官に『ああ、別に・・・・』「え?」『別に高校に行きたい理由が無いって言ってるんです。』「はあ?」『じゃ、失礼します!』と出てきてしまった。ホント、失礼な奴だよねえ。結果は勿論、不合格。そこで本気を出していたら・・・その後、五中でテニスをする子も六中でテニスをする子もいなかったことになる。西村博文の一言が、僕と子ども達の人生を変えたのである。

今日の写真1
六中の校庭はいつ来てみても綺麗でいい。「たかやーん」「おかえり〜っ!」って言われている気がする。それくらい、この校庭で走って汗を流し、大声で校歌を歌って、子ども達と涙も流したから・・・・。六中を愛する気持ちは・・・多分、僕が一番。それだけは間違いない。

今日の写真2
中一の娘のリクエストに応えて音楽の授業をやった。練習をしていないと、声が出ないのよねえ・・・特に高音が・・・練習しよっと。

今日の写真3
高一、高二の息子達です。やっぱりマスクが無いと・・・いい表情をしているのが分かります。高校生達は、「マスクをずっとしていることの危険性」も「ワクチンの危険性」もちゃんと頭で理解しています。流石、僕の息子達です。

この日記を読んだ全ての人が明日も幸せでありますように・・・・・そして、ストレスから少しでも解放されて、よく眠れますように・・・・・ストレスを減らすには運動ですよ!!有酸素運動も筋トレもいいですよ!! 

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