12月19日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第353弾! 2022年12月19日(月)    たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第353弾! 2022年12月19日(月)    たかやん

3時半
目覚まし無しで3時半に起床。スマホでワールドカップ決勝の結果を確認する。メッシがとうとう優勝したことを知って、ちょっと幸せな気持ちになる。

4時半
ひばりが丘に向かって出発。4時40分、シャッターが上がると同時に駅立ち開始。今日はワールドカップの勢いで、ノーマスクでやることを決意する。

5時
寒い。ホカロンが効かない・・・ネックウォーマーをしてこなかったことをちょっと後悔した。そして、紙が氷のように冷たく感じるのだ。指が出る手袋でやっているから、指が冷たい訳で・・・・。

コーヒー
5時半頃だったか、安孝の家のすぐ近くの加藤接骨院の加藤先生が温かいコーヒーを差し入れてくれた。そのコーヒーをポケットに入れて、時々握っていたので6時半くらいまでは右手が温かった。感謝、感謝!最初のツーショットは4期生のゆかり。

6時10分
維新の会の幟を持った人が登場。暫くして、幟を持って南口に移動していった。6時15分、ヒロが登場し、ツーショット写真にハイタッチ。顔が緩む。(残り4時間、行けそうな気がする)

チュンチュン
3番目のツーショットはチュンチュン。五中4期生の弘子の次男。4番目は五中2期生の武志。みんな暗い中の出勤。

真面目
今日はノーマスクなので?イヤホンをつけることなく、真面目に向かってくる人に集中した。勿論、無理に『一生懸命』を押し付けることはせずに・・・消極的なことは変わりなく・・・・

6時45分
(2時間が過ぎた。残り2時間半。行ける気がする!)手が滅茶苦茶冷たくなったが、ここは根性の出しどころ。

7時前
西東京市議選の候補者で自民党公認の人が近づいてきて、「選挙中は配れないんですよ!」といきなり注意してきた。『え?』「証紙が貼ってないチラシは選挙中は配っちゃダメなんですよ!」『あのう・・・選挙じゃないですよ・・・』(え?)という顔をして、「すみません」も「ごめんなさい」も言わずに彼は5m向こうに去っていった。選挙の時にしか立ってない人に言われたくないよねえ。そもそも、俺はいつものように襷していないんだから、候補者じゃないことくらい分かるだろうに・・・・。挨拶も何もなく文句を言ってくる。流石、自民党公認である。駅立ちのど素人に言われたくないよねえ。そして、彼らは何も配らず8時前には去っていった。一緒に居た女性は俺に頭を下げていったが・・・・。感じがよかったのはその人だけだった。普通、対立候補でも笑顔で挨拶するものだが・・・・。奢れる自民久しからず・・・だな。

8時15分
(残り1時間・・・いける気がする!)音楽も英語も聴かずに、真面目にやる駅立ちは久しぶりである。

誰?
「誰だか分かりますか?」と笑顔で登場したのは五中陸上部の愛実ちゃん。『分かるよ。ずっと会って来たんだから・・・・』ところが、次の子が「分かる?」と来た時は・・・『え〜?わからない・・・・・』「さりか」『え?サリちゃん?分からないよ!』女の子のお化粧に気合が入ると、別人になることを知った訳で・・・・「空によろしく言ってね!」とサリちゃん。小さなころからの友達っていいよねえ・・・。

ハグ
そして、向こうから超笑顔で来てくれて・・・思いきりハグしてくれたのが、ゆりちゃん。中学1年生の時から16年以上、僕の一生懸命を笑顔で受け取ってくれている女の子。教え子でも教え子の子でもない、ただの駅で出会ったおっさんと女の子がハグするって・・・凄いことですよねえ。

9時15分過ぎ
満面の笑顔で駆け寄ってくれた姉妹。「やっと会えた!」と嬉しそう。二人と一緒に写真を撮って・・・最高の気分で今日の駅立ちが終わったのだった。と、思って片づけていたら、最後の最後に笑顔で来た人にポケットに入っていた『一生懸命』を渡して・・・本当の駅立ちが終わったのだった。

3時間
明日は東久留米東口で5時半〜8時半の予定。今日の4時間40分に比べたら、超楽な駅立ちになりそうだ。

10時過ぎ
小豆水、温かい親子丼と味噌汁、サラダ、やせる出汁を頂いて・・・ちょっと休憩。ソファーで横になっていたら、意識を失ってしまった。

お風呂
お風呂に入ったのは夕方。芯まで冷えていたからだが・・・・やっと温かくなったのだった。


夜は塾。小六の娘との個別対応の塾。計算トレーニングをしてから、中一の一問一答のやり方を教えて・・・・あっという間に覚えてくれたのだった。4月からスタートダッシュできるといいなあ。

塾2
後半は中一の息子と中二の息子との塾。一問一答のやり方を基本から教えると90分集中できた息子達。いい感じである。「英語、全く分からないわ・・・・」『それが大事なんだ。』「国語一ミリもできない」『そこでこうやる訳だ・・・いいか、タイマーを使ってやるぞ。』二人は地理、歴史、理科1,理科2,数学、英語、国語と五教科を短時間で集中して全てやる方法を理解したのだった。


絶対に打ってはいけない! 794 ヤコブ病
長尾和宏医師 ヤコブ病(ワクチン接種後の最重症型) 「死ぬのが一番重症ですけど生きてる人の最重症型がクロイツフェルト・ヤコブ病。僕が把握した範囲で14人ほどいる。」 「2カ月ぐらいで寝たきりになる。」
*ヤコブ病・・・恐ろしい。たったの14人じゃない!その14人はワクチンを打たなければ寝たきりにならなかったのだから・・・・。

教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第1729弾!「たかやん物語」 93 やすし(1985年)

やすし(1985年)
1年1組には面白いメンバーがいた。卓球部に入った弘樹もその一人。保谷から転入してきた子だったのだが、顔がお笑いの横山やすしに似ているという理由で『お前は“やすし”な!』と担任は弘樹に「やすし」というあだ名をつけた。しかし、そのあだ名は広がらず、鮫島の島を省略して、彼はみんなから「鮫」「鮫ちゃん」と呼ばれるようになった。「やすし」は勉強ができた。特に理科には才能があった。1年1組で出会った担任の影響をモロに受け、「北大に行って、中学校の理科の教師になる」のが彼の夢になった。
 やすしは高校も石神井に行こうとしたらしいが、都立だったから断念。石神井に校風が似ている所沢高校に行くことになる。そして、高校では軟式テニスをやりながら勉強も頑張り、現役で北大水産学部に合格するのだった。五中時代も学年でベスト3には入っていたが・・・・所沢でもトップにいて、北大水産学部も首席で卒業したらしい。そして、そのやすしを教えたのが、僕と北大時代に同期だったテニス部の中谷だというのだから面白い。昔、僕がテニスを教えた中谷がやすしの先生になったのだ。
 やすしはその後、六中に教育実習に来て・・・・僕は幸せな二週間を過ごすことになる。安孝も鮫もクラスでは1年の時に一緒だっただけ・・・それなのに、一番影響を受けるのだから面白い。たった1年一緒に居ただけなのに・・・やすしの名誉の為に言っておくが、あのオッパイ事件のメンバーには入ってなかった気がする。多分だけど・・・・・
*鮫はその後、所沢に赴任、その後、新座に戻ってきて・・・新座中、三中、四中、市教委、県教委を経て、現在は四中の校長をやっています。担任とは違って、誰からも愛されています。鮫のことを「やすし」と呼んだ担任を鮫のお母さんは全く気にもせず応援してくれました。五中時代『一生懸命』に対する返信が一番多かったのは弘樹のお母さんだったのです。感謝しかありません。

今日の写真1
この子がゆりちゃん。なんの関係もないのに16年前から僕の「一生懸命」を笑顔で受け取ってくれている子です。この子と6時前から会っていたので、5時45分からひばりでは立つようになったのです。(その後、どんどん早くなって・・・今は4時45分)僕のこと何も知らないのに・・・大学生時代からハグしてくれるのですから、本当に駅での出会いって凄いって思います。

今日の写真2
これがチュンチュン。五中4期生の弘子の次男です。こんなに暗い内から仕事に行くんだから偉いです。教え子たちが頑張る姿を見られる僕も幸せですね。

今日の写真3
真ん中が彩帆ちゃんで、右が瑞帆ちゃん。向こうから笑顔で駆け寄ってきてくれて、「やっと会えた!」と言ってくれたのですから、嬉しかったです。4時間40分の駅立ちの最後の最後にこういう笑顔があるから、駅立ちがやめられないんですね。

この日記を読んだ全ての人が明日も幸せでありますように・・・・・そして、ストレスから少しでも解放されて、よく眠れますように・・・・・ストレスを減らすには運動ですよ!!有酸素運動も筋トレもいいですよ!! 

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