3月12日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第71弾! 2022年3月12日(土) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第71弾! 2022年3月12日(土) たかやん

朝ご飯
昨夜から煮込んだカレーが美味しかった。ご飯を食べて、直ぐに新座ローンへ。7時半過ぎ、3番コートを確保して・・・半ちゃんを待ちながら「英会話」のトレーニング。

朝練
先週の土曜日、右足の肉離れをやってから・・・久しぶりのテニス。体が重く・・・足が重く・・・半ちゃんのストロークに全くついていけない・・・2−6、2−6というスコアーで完敗したのだった。

ダブルス
そこにちゃーちゃんと桂司が来て・・・「1人残って・・・」というから、絶不調の僕が残ることに・・・。僕と桂司が組んで、ちゃーちゃん・浜ちゃんペアーと対決。その試合は5−6で惜敗したのだが・・・次の試合は7−6で勝利!!滅茶苦茶たのしかったぞ・・・。

風呂勉
テニスの後は風呂勉。風呂勉はいい・・・中三の時からやっているが・・・嫌だと思ったことがない。「快食」「快眠」「快便」というが、それに加えて、「快風呂」「快勉」も大事だ。

おじいちゃん
「もしもし たかやん!」『おう』「あたし」『どうした?』「わかる?」『たー坊だろ?』「うん。えへへへへ。あのね。ちょっとびっくりすることがあったんだ。」『子どもでもできたか?』「あたりーっ!」『よかったじゃないか』「うん、今3ヶ月なの」『そっかあ・・・できたか・・・』「たかやん、おじいちゃんだよ」『そっかあ、おじいちゃんか・・』
久代貴子(小杉貴子)24歳。五中時代、1,2,3年と担任したテニス部員。まるで男の子のようだったから、たー坊。20歳を過ぎて、社長秘書になっても“ター坊”。そのター坊がお母さんになる。ター坊は200日くらい内に下宿していたから、まるで子ども。だから俺はおじいちゃんということになる訳で・・・「明日か、明後日二人で行くから・・・」『おう、待ってるよ。赤ちゃん、気をつけろよ。俺の大切な孫なんだからな』「うん」
『一生懸命』幻の学級通信 第7弾!  1993年 4月16日  6中3年4組から
*今から27年前の僕の学級通信です。ター坊の娘、詰まり僕の孫はもう27歳になっているということです。昨日が命日のたー坊のことを考えていたら・・・昔の学級通信が出てきました。

打ってはいけない!508  0.00%

コロナワクチン接種後 死亡報告 1444件 (10代 6人) 重篤報告 6370件 (10代 387人) 心筋炎、アナフィラキシー、歩行障害 日常生活が困難、学校に行けない子どもたちがいます 10代以下 コロナ感染重症率.致死率 0.00% この数字を知らない保護者の方々に届きますように・・・。
*おじいちゃん、おばあちゃんたちの為に、小さな子ども達がワクチンを接種する必要はありません。だって、おじいちゃんやおばあちゃん達は9割以上ワクチンを打っているんだから・・・。それでも死んでしまったとしたら・・・それはワクチンが全く効いてないか、ワクチンが原因で抵抗力がなくなっているってことです。ワクチンが効いてなかったとしたら、子ども達にも打つ必要はありませんし、ワクチンが原因で抵抗力がなくなったとしたら、子ども達も打ってはいけません。


教師を目指す人・若い先生へのメッセージ  第1445弾!   無知

いじめが始まったのは、少女が福島から新潟に避難した半年後。「おまえテレビに出てたな。」小学校二年の正月明け、男子児童に言われた。冬休み中に、父親らが避難者として出た番組に家族も映っていた。
 「放射能じゃん。おまえ汚れてるんだろ」「放射能ってうつるんでしょ。お母さんが言ってた」。言い返しても止まらなかった。
 2011年夏に新潟に移り住んだ時は、すぐに友達ができ、外で思いっきり遊べるとうれしかった。だが、学校はこの日から恐怖の場所へと変わった。
 「菌」「気持ち悪い、こっちに来るな」「放射能」「消えろ」・・・。仲のよかった子も「ごめん。私も怖い」と離れていった。教師に訴えても、状況は変わらなかった。物がしょっちゅう無くなり、くすくす笑う声が聞こえた。休み時間も教室にいられず、トイレや階段の踊り場で泣いた。
 母親に「保健室でやすんだんだ」「福島って言われた」と漏らしたことがある。でも「どうしたの」と聞かれると口をつぐんだ。慣れない地で自分と妹を抱える母親に心配をかけると思うと、言い出せなかった。
 小三の時、母親がいじめに気づいた。口元を切って帰宅したのを見て誰かに殴られたと感じ、母親が担任に対応を迫ると「やられる方にも責任がある」と言い返されてあぜんとしたという。「一度休んだら学校に行けなくなる」と、行きたくないと泣き叫ぶ自分を引っ張り、母親は幼い妹を背負って片道二十分の道を毎日送り迎えしてくれた。
 いじめは暴力にエスカレート。後ろから飛び蹴りされたり、背中や腰など外から見えない部分を殴られたりした。だが何よりもつらかったのは、大好きな福島を侮辱されることだった。
「福島って汚いんでしょ」「きのうスーパーに行ったら福島のものがあってさ。汚くて食えねえ」。怒りで震え涙を必死でこらえた。思い出したのは福島の祖父母の作ったもぎたてのトマトやキュウリのみずみずしさ。「何も知らないのに言うな!」と叫びたかった。祖父母や友達のいる福島に帰りたかった。悔しさと悲しさで破裂しそうだった。
 非難してから二年半、父親は新潟に転職するまで、福島との二重生活を送った。平日は残業、週末は片道160キロを車で往復し、疲れ切っていた。父親と離れるのが不安で、別れるたびに火がついたように泣いた。
 なぜ家族がばらばらなのか。やり場のない思いを政府と東電に対してメモ帳につづったこともある。「今、お父さんと一緒に暮らせてません。福島を返してください」
 住む場所も仕事も変え必死に守ってくれる両親を困らせたくない。明るく振舞おうとしたが、心から笑えなくなっていった。「中学を受験していじめから離れる」。その思いがかろうじて自分を支えていた。(片山夏子、東京新聞 今朝の朝刊から・・・)
*この子を虐めた子ども達には多くの「無知な親」がいた筈です。放射能がうつるというのも無知ですが、福島をひとくくりにする無知さ加減には反吐がでます。海外から見たら、新潟も福島も同じ日本です。福島を馬鹿にすることは自分自身を馬鹿にすることだということが分かってない。そして「やられる方にも責任がある」と言った教師には教師をやる資格はありません。余りにも無知すぎる、この馬鹿教師に育てられたこの新潟の小学校の子ども達が可哀そうでなりません。放射能は伝染しませんが、「無知」は伝染するからです。
 ここに登場する新潟の馬鹿教師もまた「無知」な親と「無知」な教師に育てられた筈だから・・・
*片山夏子・・・東京新聞の前は埼玉新聞。昔も今も、子ども達に寄り添う記事を書いている。埼玉新聞時代は六中テニス部問題を記事にして、子ども達の気持ちを世の中に知らせてくれた。彼女がいなかったら、六中の硬式テニス部はとっくに廃部にされていただろう。

今日の写真1・2
今朝の新座ローンです。梅が綺麗でした。風はないし、天気はいいし、梅は綺麗だし・・・一年で一番テニスが気持ちよくできる季節かも知れません。プーチンの馬鹿のせいで、ウクライナはとんでもないことになっていますが・・・僕らはこんな場所でテニスができるのですから幸せです。今の日本が平和であることを感謝しないといけませんね。

今日の写真3
僕とダブルスをやってくれた右からちゃーちゃん・浜ちゃん・桂司です。みんな僕より若いし強いので・・・もうギリギリでやっていました。

*この日記を読んだ全ての人が明日も幸せでありますように・・・・・

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