3月30日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第89弾! 2022年3月30日(水) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第89弾! 2022年3月30日(水) たかやん

5時
今朝も5時から朝読書。今日は半ちゃんと朝練があるので・・・ちょっとたのしみ。

6時半
「中高生の基礎英語」「英会話」を聴きながら朝ご飯。「今日も元気だ!ご飯が美味い!!」

7時半過ぎ
新座ローンの3番コートに到着。半ちゃんを待ちながら「英会話」のトレーニング。そして8時、半ちゃんとの練習開始。

6−1,6−1,6−1、6−0
最初の試合は半ちゃんとのシングルス。このところ連敗していたのだが、0−1から何かが変わって・・・6−1で完勝。2セット目1−2となったところで、女の子達の挑戦を受けることに・・・・最初は13歳11歳のペアと戦って、6−1、次は13歳の二人とやって6−1、最後に僕が13歳の子と組んで、13歳11歳の二人とやって6−0。女の子だけれど、滅茶苦茶速いボールを打つ子達で・・・スコアーよりも内容はかなり競っていたのだった。ああ楽しかった!!

幸せ
多くの人が働いているであろう水曜日のこの時間に、朝からテニスが出来るのだから・・・本当に幸せである。この幸せはお金では買えない訳で・・・・。駅立ちの前に楽しむぞ!!

母校の桜
久しぶりに五中へ。桜が余りにも綺麗なので・・・車を停めて校庭に入って写真を撮っていたら・・・感じのいい若い先生達が挨拶してくれて・・・・後輩に会いたくなって・・・久しぶりに教頭のマッサンと話ができたのだった。やっぱりマッサンはいい。子ども達のことをいつも一番に考えているから・・・。やっぱり五中はいいわ・・・。

ジム369
隙間時間にジムへ。下半身、上半身、腹筋背筋をマシーンで鍛えて・・・軽くランニング。いい汗をかいたのだった。

風呂勉
そしてお風呂。英会話のトレーニングをして・・・・夜の塾に備えたのだった。

ワールドカップ予選2
久しぶりの生中継で感じたことをいくつか・・・。まず「君が代」。選手達の中で大きな声で歌っていたのは少数だった。「君が代」の君は天皇のことだ。大きな声で歌えばいい。少なくとも国の威信をかけて戦うのだから、試合前には大声を出した方がいい。その点、ベトナムチームは大声で歌っていた・・・観客も一緒に。観客と言えば、ベトナムのサポーターが多かったのは・・・それだけ日本に来ているベトナムの人たちが多いということだろう・・・。移民政策の成果というかなんというか・・・。そして、3点目はキャプテン吉田の反戦スピーチだ。ちょっとたどたどしかったけど、「唯一の被爆国」という言葉も出てきたのには驚いた。スポーツ選手の中にもそういうスピーチができる選手が出てきたことが嬉しかった。官僚が作成した文章しか読めないアホな国会議員の気の抜けたスピーチよりも、何百倍も心に響いたぞ。自分の言葉で話す吉田キャプテンに「あっぱれ!!」


夜は塾。4月から高1の息子達が3人と高2になる息子が1人。「今日も男ばかり」と高2の息子。『いいじゃん。男だけだと球技大会できるじゃん!』と俺。4人の息子達と高校数学、高校英語、高校古文・漢文に燃えたのだった。

打ってはいけない526    ノーマスク

マスクをしないで議場から退場させられた町議がいるらしい。今の日本では「奇人変人」の扱いをうけているが・・・自分が感染していないのなら、非難すべきものではないと思う。僕は花粉の季節だし、有難くマスクをさせてもらっているが・・・マスクをしたくない人がいたら、しなければいい。特に外では・・・。みんなが、しているからする・・・というのは「メダカ症候群」だということだ。
 ワクチンも一緒。みんながするから接種する・・・そういう人が多いのだと思う。マスクは場合によっては身を守ることになるが、体の中に治験段階の異物を入れるのは流石にできない。遺伝子組み換え食品を食べたくないのだから、遺伝子組み換えワクチンを注射で体内に直接取り込むなどとんでもない話である。


教師を目指す人・若い先生へのメッセージ  第1462弾!   指標

大変な時期の記憶は、意外にも役に立つのよ。(1秒で元気が湧き出る言葉から)
辛いとき「あのときに比べれば幸せだ」と思うことができる。「自分がここまで耐えられた」という指標だと思えばいいわ。
*僕の人生で一番肉体的・精神的にきつかったのは高校1年生の部活。毎日、毎日、早朝から夜まで部活でしごかれて・・・体重が48キロしかありませんでした。その1年間の苦しさに耐えられたから、1日13時間の受験勉強なんて・・・「超楽ちん」でした。
 でも、大学の乗船実習で荒れた日本海上で一晩に13回吐いた時の苦しさは、瞬間的には高校時代の苦しさを上回っていました。流し刺し網を9キロ流して・・・それを何時間もかかって引き上げる作業もまた肉体の限界かと思わせるものでした。
 でも、精神的にきつかったのは・・・大学を卒業して、直ぐに新設校の3年生の担任をした1年間だったと思います。猛彦やヒーコに会えたので、今思えば幸せな1年間でしたが・・・途中まではアップアップしていたのです。でも、その指標があったから・・・その後の20年で何があっても耐えられたのです。その1年に比べたら・・・どんなことでも何てことなかったですからね。苦しいことは「無駄」にはならないんですよ。
 

今日の写真1・2・3
僕が愛する五中の桜です。空達が走っていた五中の校庭には潤も良介もいませんが、あの頃の子ども達の頑張りと、若くて優秀な顧問達の姿が僕には見えました。

*この日記を読んだ全ての人が明日も幸せでありますように・・・・・

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