3月6日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第65弾! 2022年3月6日(日) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第65弾! 2022年3月6日(日) たかやん

5時55分
久しぶりに友春の笑顔を見ていたら、何だか嬉しくなって・・・英二も元気、安孝も土ちゃんも貴光も満寿子も純ピも美佐子も和子もみんな元気で・・・目が覚めたら5時55分で・・・あ、やっぱり夢だったんだ・・・。でも、いいことがありそうな予感がした朝だった。

8時
久しぶりにゆっくり起きた。っていうか、布団からでずに「英会話」の本を読んでいた。右足の脹脛を治すにはゆっくり寝ないとね・・・。

やせる出汁
昨夜、やせる出汁を全て飲みきってしまったので・・・朝から、煮干しを煎って、鰹節を煎って、お茶と昆布をミキサーにかけて・・・「やせる出汁」を作って・・・朝ご飯と一緒に飲んだのだった。

狂犬
弱い犬ほど吠えるというが・・・プーチンの馬鹿を見ていると、その「弱い犬」を思い出す。人相は悪いし、目が人間の目をしていない・・・・。核兵器を使うぞ!と世界を威嚇しているのだから、「弱い犬」というより「狂犬」である。第3次ロシア革命が起こるんじゃないかな。ってか、起きてくれ!!

予算説明書
明日の委員会に備えて・・・予算説明書にもう一度目を通す。さっと目を通しただけなのだが・・・質問項目が30項目以上出てきて・・・質問の仕方を考えないと・・・委員会が大変なことになるから・・・工夫しないと・・・。

栄公民館
「新座の地域福祉を進める集い」に参加する為に、栄公民館に向かった。エレベーターの前で電話がかかってきて・・・心配していた猛おじちゃんからの電話だったので、期待して電話にでると・・・叔父ちゃんの声が聞こえてきた。(やった!復活したんだ!)僕はもう嬉しくて、嬉しくて・・・「早く行こうよ」という孝子の言葉など全く無視して、叔父ちゃんと話し込んだ。そりゃあそうだ。ずっと待っていた瞬間だったから・・・。毎朝、毎晩、父さん、母さん達にお願いしていたのだから・・・・。もう一度、猛叔父ちゃんと話をさせてください!って・・・。

地域福祉
「新座の地域福祉を進める集い」は充実したものだった。俊さんの話もよかったし、岡田先生の話もよかった。今までの地域福祉の知識が1だとしたら・・・100の内の25くらいにはなったような気がした。久しぶりに時間が速く感じたぞ・・・。


気がつくとビデオ通話のリクエストが来ていた。休憩の時に参加すると、空と空ママで話をしていて・・そこに加わって・・・色々話をしたのだった。塾の子達の進路も決まって・・・後は空の大学だけ。いつも塾の子ども達を優先してきたから・・・今度は空に集中して、父さんと母さんと嵒さんと神さんにお願いするとしよう。

新座市民体育館
孝子を送って、ダッシュで市民体育館へ。登録をして、塾の「球技大会」をやろうという訳で・・・。「スーパー公園でサッカー」の予定が・・・市民体育館でバスケットという話になって・・・無事、登録を済ませたのだった。

桓武天皇
直ぐ上の兄貴から「大河ドラマ 鎌倉殿の十三人に畠山重忠が出てくるよ。お袋のご先祖様だよ。」と突然ラインが来た。『小さい頃、聞いたことはあるけれど・・・』「桓武平氏の畠山重忠は北条氏に滅ぼされたけれど、その後は足利氏の一族が養子に入って家を残したんだよ。だからお袋の家系は桓武天皇と清和天皇の血を継いでいる訳。知っていた?」と兄貴。『え?俺たち桓武天皇の子孫なの?』「お前の嫌な天皇家の血が流れているんだよ(笑)」
『 最近、好きになって来たよ。国民に寄り添っているからね。秋篠宮は嫌いだけど・・・先代と今の天皇は好きかな。愛子と遠い親戚なのはいいけれど、秋篠宮とも遠い親戚っているのは・・・嫌だなあ・・・。』「お袋のご先祖の畠山氏は能登の守護だったのだけれど、上杉謙信に滅ぼされたのだよ。逃れた一族が輪島に逃れてお寺さんになったのだよ。」『その話は昔聞いた記憶がある・・・。畠山のことは覚えていたけど・・・天皇家の血筋っていうのは知らなかったわ。上杉謙信は俺たちの敵だったのね・・・それにしても桓武天皇と清和天皇の子孫だったとは・・・』


打ってはいけない!502   整形外科医の言葉

外傷で治療中の小学生のお母さんからコロナワクチンを受けて良いかどうかの問い合わせがあった。 「治療に支障はありませんが、私は小児へのコロナワクチン接種に反対してます。メリットは何もないし心筋炎などで死亡する可能性があるからです。」と答えました。届けこの思い。
*そう、メリットが何もないのです。小児たちにとって、ワクチンはリスクしかないのですから・・・・。

教師を目指す人・若い先生へのメッセージ  第1439弾!   思うようにいかない時も

「思うようにいかない時期もあるわよね。」(1秒で幸せを呼び込む言葉から)
でもそれは、思うような時期になった時、その喜びをかみしめるためにあるのよ。無駄はないのよ。
*僕が思うようにいかなかった時期・・・勿論、五中の1年目はどうにもこうにも思うようにはいきませんでした。当たり前です。先輩達の1%の力もありませんでしたから・・・。でも、4年目くらいには先輩達の200%くらいになったような気がしていました。その僕が思うようにいかない・・・そう思ったのは11年目の六中1年目のこと。五中でやってきたことを悉く否定された時でした。六中になど何一つ負けるものがなかった五中で築き上げたものを否定されたのですから、頭にきました。思うようにいかない日々は2年間くらい続いたでしょうか。でも、3年目には六中は僕の学校になったと思えるようになりました。
 そして、21年目の二中での1年は「全く思うようにいかない1年」でした。帰られたのは2組の子ども達だけ・・・あと2年頑張れば、変えられたのでしょうが・・・・1年生の担任だったら、間違いなくやったでしょうが・・・3年の担任だったので、思い残すことなく学校をやめることにしました。その時の僕は44歳。別の人生を歩くのにはちょうといい年齢だったのです。学校を辞める!という決断が今の僕をつくりました。思うような時期になった今、それをかみしめています。人生、何が起こるかわかりませんね。

今日の写真1
今朝の朝ご飯はこんな感じでした。たまにはいいよねえ・・・。

今日の写真2
昼ご飯はこんな感じ・・・たまにはいいよねえ・・・。

今日の写真3
栄公民館での「新座の地域福祉を進める集い」の様子です。右が俊さん、左が岡田先生です。二人とも話が上手なので、時間が短く感じました。

*この日記を読んだ全ての人が明日も幸せでありますように・・・・・

20220306-1.jpg 20220306-2.jpg 20220306-3.jpg