9月15日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第258弾! 2022年9月15日(木)    たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第258弾! 2022年9月15日(木)    たかやん

8時
ちょっと遅い朝ご飯。空と並んでカレーライスを食べる。平和な一日の始まりである。亮の熱も下がって昨日から職場復帰したみたいだし、楓(雪の長女)も大分回復したみたいだし・・・家族がみんな元気なのが一番幸せなことで・・・。よく眠れて、美味しいご飯が食べられて・・・今日も9時から22時まで働くけど・・・5時から23時まで働いていた時期もあったから、それに比べたららくちん、らくちん・・・なんてね。

8時45分過ぎ
今日も『行ってきまーす!』と、空の肩を叩いて家を出る。大分涼しくなったのだが、半袖・短パンでRinちのゃんに乗って市役所へ。今日は最高スピードで走る気で、車の脇をダッシュですり抜ける。昔、青梅街道で停まっている車にドアを開けられて、大けがをしたことを思い出したわ・・・・・。

たかやん!
Rinちゃんを駐車場に停めて・・・玄関に向かって歩いて行くと、正面から来た3人に「たかやん!」と声を掛けられた。法政大学と早稲田大学に行った娘達と五中10期生の愛子が笑顔で向かってきた。何という偶然・・・中学生の時に会った教え子。そして、その娘二人が「たかやん塾」に通ってくれて・・・今は二人とも大学生。そんな三人に市役所の玄関前でバッタリ!奇跡とは言えないけれど・・・何かいいことが起きそうな一日になるかな・・・そんな気がしたのだった。

9時
いつものように控室でトレーニングをしてからスーツに着替える。今日も議場一番乗りかな・・・と、思ったのだが・・・・。

議場
今日の議場は2番目。共産党の嶋田さんに負けた。「たかむらさんは途中で学校を辞めたのよね?」『はい。根性がなかったものですから。嶋田さんは最後まで?』「はい。60歳になるまで・・・年金ももらるし・・・」『偉いなあ・・・・』そんな会話をして、二人で笑ったのだった。今日は共産党デイ。傍聴人も20人以上・・・。

9時半
という訳で、今日のトップバッターは共産党の嶋田さん。給食費、福祉、道路関連の質問をしている。7年間放置されている新堀の市道について食い付いている。そして、給食費の値上げについて噛みついて・・・・

休憩後
10時50分、共産党の大輔の質問がはじまった。六中時代の教え子(教科を教えたことはない。上履きの踵を踏んでいて、かなり痛い罰をくらわしたことはあるらしい。)なのだが、昔から実にいい質問をする。若いけれど話す力があるのだ。

昼休み
大輔の質問が終わったのが12時半過ぎ。1時間半以上やったことになる。ブザーを2回鳴らして、終了。直ぐにお弁当を食べて・・・・歯を磨いて、議場へ。

午後
共産党の小野由美子議員の質問がはじまった。緊張が伝わってくる。一般質問は何年経っても緊張するものだから、新人の方たちの緊張は並大抵のものではないだろう。

14時25分
共産党の陽子の質問がはじまった。五中1期生の3年4組の卒業生なので、本物の教え子である。五中1期生の3年4組の2人が同じ市議会で働いているのだ。(笑)当時はそんなことになるなんて、思ってもみなかった・・・。真面目だった女子中学生と不良だった担任が同じ職場で働くなんて・・・しかも、女子中学生の方が先輩議員な訳で・・・本当なら「陽子先輩!」と呼ばなくてはいけないのだろうが、いつも「陽子」と呼び捨てにしている不良担任である。

16時過ぎ
Rinちゃんに乗って家に向かう。途中、ふと六中が懐かしくなり・・・いつもの道から外れると・・・体育館前の門から1台の車が出てきて・・・・まあ、俺のことを知っている人はいないだろうと思っていたら、「たかやん!」と声を掛けられて・・・『え?優美ちゃん!!』「やっと会えたあ〜!」『たまたま通ったら来るか!!奇跡的だな。』「うちの子テニス部に入ったの」『いいね。』「さっき、顧問の先生と丁度たかやんの話していたの。六中の硬式テニス部作ったの、たかやんだって。」嬉しくて、二人で暫く話をしてたら・・・久しぶりにテニス部の練習を見てみたくなり、母校に侵入。ちょっとだけ練習を眺めさせて貰って・・・家に戻ったのだった。


今日の塾は中二の息子達との個別対応の塾。数学に燃える二人。今週の土曜日が体育祭だと言う二人。数学に集中したり、中二の男の子話に集中したり・・・・「最近の女子・・・怖いんだよね」『そうなの?』子どもたちと学校の話をしていると本当に面白い。


ジム494
塾が終わってからRinちゃんに乗ってジムへ。夜だから人が少ないと思ったら・・・・滅茶苦茶混んでいてビックリ!その中に教え子と我が子を発見。ちょっとだけ声を掛けてから、自分のトレーニングに集中。今日は腹筋・背筋、下半身をマシーンで鍛えてから、ランニングに集中したのだった。

夜風
汗をかいたあとの夜風は冷たく感じた。坂をくだるときなどは寒いくらいだった。たまにはこういう時間でのトレーニングも悪くはないなと思った。

意見書
お風呂に入ってから、意見書を考える。0時を回ったので、みんなで寝よう!という話になったのだが、空がお世話になった最初のホストマザーからメールが来ているのに気がついて・・・・その内容が空のスマホの契約に関することだったので、空と相談しながらショートメールでやり取りをして・・・最後は良い感じで終わったのだった。それにしても、空の英語力は凄い。


絶対に打ってはいけない! 698 コロナワクチン副反応データベース検索7

後悔する前に「コロナワクチン副反応データベース検索」で検索してみてください。実際に何が起こったかを見てください。
*578ページに8歳の女の子(接種して0日後)、8歳の男の子(接種して3日後)、11歳の男の子(接種して0日後)、9歳の男の子(接種して2日後)、9歳の男の子(接種して1日後)、10歳の男の子(接種して1日後)の重篤な副反応が記載されています。このページには11歳の女の子の死亡例も記載されています。(接種して1日後)この女の子が接種したのは今年の4月28日。亡くなったのが4月29日でした。こういう悲劇を二度と繰り返してはいけないのです。4回目とか新しいワクチンだとか・・・慣れていくことが怖いのです。何が起こるのか、誰にも分からないんですよ。


教師を目指す人・若い先生へのメッセージ 第1633弾!  「たかやん物語」4.正子ちゃん

正子ちゃん(1966年)
中学校1年の6月のある日、僕は休み時間に正子ちゃんに呼び出された。正子ちゃんは西戸山小中学校で学年1番の才女だった。(なんでだ?)僕の心臓はバクバクした。生まれて初めて女の子に呼び出されたのだから・・・。
 チャイムが鳴ると、僕は正子ちゃんのクラスがある3階へ駆け上がった。「たかむら君、あのね・・・6年3組のクラス会のことなんだけど・・・・」正子ちゃんの話はクラス会の話だったけれど、僕の心臓はバクバクしたままだった。クラス会の話から友達や先生の話になって、正子ちゃんと僕は正子ちゃんのクラスの前の廊下で、チャイムが鳴ってからも暫く話し込んだ。『あ、次の授業数学だった!アマテンだ!やばい!じゃあね!』僕は後ろ髪を引かれる思いで正子ちゃんとバイバイして、階段に向かった。そして、階段の途中でいつものように手すりを跳び越えて反対側の階段に向かって飛んだ・・・ヒュー!(やばい!ちょっと手前で跳び過ぎた!)グキッ!!その次の瞬間、僕の右足首は階段を踏み外して(痛くて動けない・・・)
 結局、僕は担任のアマテン(天野先生)のテントウムシ(フォルクスワーゲン)で病院に搬送された。診断は「骨折」だった。そして、運動しかできない少年が松葉杖になった。『どれぐらいでギブスが取れますか?』「最低でも1か月はかかるね。」それから1か月間、代々木の体育館には行っても、練習を見ているだけで、何もできない日々が続いた。
 それでも体育の授業には松葉杖のまま参加した。体育の先生が鬼のように怖い宮田先生だったからだ。宮田先生は中央大学バレー部の主将だった人で、体育の授業の見学を殆ど認めない先生だった。『見学させてください!』という一言が怖くて言えず、僕はギブスをしたまま50mを走り、走り幅跳びをやった。すると、宮田先生はそれまで見せたことのない笑顔で「お前、無理しなくていいぞ。休んでいいぞ。」と言ってくれた。僕は『いえ、大丈夫です。やれます!』と無理に笑顔を作って・・・ギブスをしたまま体育の授業に出続けた。宮田先生は、僕が松葉杖をつきながら走り幅跳びをするのを見て、ニヤニヤ笑っていた。それから僕は体育教官室に笑顔で入れる数少ない生徒の一人になった。
 1月後、ギブスが外れて、久しぶりに代々木の体育館に行って練習をしたのだが、伸び盛りの仲間の成長は余りにも早かった。練習もリハビリ状態の僕では全くついていけないくらいの練習内容になっていた。
 そして、全日本対UCLAの国際親善試合の日がやってきた。僕らはハーフタイムに代々木体育館の大観客の前で試合をやることになっていたのだ。仲間は1月の間に、オフェンス・ディフェンス両方のフォーメーションを鍛えられていたが、僕だけはそれが全く理解できなかった。僕がボールに触れる度に観客から笑いが起きた。(バスケットでオリンピックに行く!)という僕の夢はその笑いと共に消えていった。
 1学期の内に僕はバスケット部に退部届を出した。トップチームに居たのに、下手くそになって笑われる自分に耐えられなかったのだ。勉強で笑われるのには平気でも運動で笑われるのには耐えられる筈がなかったのである。要するに根性がなかったのだ。
*今の僕があるのは正子ちゃんと根性なしの12歳の自分のお陰である。

今日の写真1
五中10期生の愛子と愛子の娘二人です。愛子の勧めで「たかやん塾」に入った子も多いのです。愛子のお陰で成績が伸びたり、合格したりした子が多いということです。

今日の写真2
控室に着いたら直ぐに腕立て伏せですね。
今日の写真3
中二の息子達です。塾で勉強した後はスーパー公園で友達とバレーボールやってました。

この日記を読んだ全ての人が明日も幸せでありますように・・・・・そして、ストレスから少しでも解放されて、よく眠れますように・・・


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