1月19日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第19弾! 2023年1月19日(木)    たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第19弾! 2023年1月19日(木)    たかやん

4時
起床。外はまだ真っ暗。新座駅南口に向かう準備をする。ホッカイロの数を確認して、フェイスタオルとティッシュを確認して、免許証と駐車料金のお金を確認して・・・ネックウォーマー、時計、スマホを確認して、小さな幟、ポスター、『一生懸命』を確認して、水を確認して、鍵を確認して・・・・おっと、手袋を確認して・・・仏壇の6人に手を合わせて・・・・出発!!ヤッホーッ!!

5時40分過ぎ
新座駅南口での駅立ちがはじまった。スマホの充電もバッチリ!大きな幟が無いので・・・準備は楽勝だ。

寒さ対策
昨日、寒さ対策で失敗したので、今日は十分に温かい格好をして・・・・ホカロンも火傷注意のマグマとかいう奴を2つポケットに忍ばせて・・・・いい感じではじまった。

英語
そして、6時から7時まではNHKのラジオ講座を聴きながらの駅立ちになった。まあ、僕にちゃんと聞こえないので・・・通る人も多分、聞こえない筈。(笑)

ゴリ
「お疲れ!」と後ろから来たのはゴリ。『おおゴリ!』と担任。いくら担任だからって、「ゴリ」ってあだ名はないよねえ・・・。もう、48歳になったゴリ。

8時過ぎ
めぐが登場して、ハグしてくれて・・・二人で話をしていたら、奇跡的に大輔が登場して、いきなりの3年2組の超ミニクラス会になった。「分かる?高寺です。」とめぐ。「わかるよ。」と大輔。そりゃあ分かるさ。「でも、成人式以来だよ。」とめぐ。大輔は少しふっくらしたけど、雰囲気は変わってない。
めぐと大輔と会ったので・・・もう大満足で・・・8時半に新座駅を後にしたのだった。

SMBC
空と二人でひばりが丘のSMBCへ。親切な対応で問題も無事に解決して・・・気持ちよく家に戻って来たのだった。

作文
段ボール2杯分の『一生懸命』を整理していたら・・・五中4期生2年1組の作文が出てきた。これを実名で出したら・・・みんな笑うだろうなあ・・・。あの1組の子達の文章が硬いのである。まだ僕と出会ったばかりだからかも知れないけれど・・・・・

ジム570
空ママの買物と一緒にジムへ。下半身・腹緊・チューブトレーニングそしてランニングというメニューをこなして・・・・お風呂に入って体脂肪率を測ると・・・体重は68キロに増えていたが、体脂肪率は11.2%と少し落ちていた訳で・・・・ま、いいんじゃないかな。


塾1
19時からは塾。中二と高一の息子達との塾。数学に準二級の英語に高校数学の授業をやって・・・・何か、凄く集中してたなあ・・・・みんな。あっという間に時間が過ぎていったのだった。


絶対に打ってはいけない! 826   週刊新潮を読もう!
週刊新潮「コロナワクチン 不都合なデータ」 ・自然免疫抑制と帯状疱疹、がん、悪性リンパ腫の関係 ・3回目接種率と同じペースで増えた超過死亡 ・なぜか致死率が10倍になった自己免疫疾患 ・米裁が開示命令、ファイザー社機密文書の中身 ・病理医が「因果関係あり」でも「評価不能」で逃げる厚労省
*日本の週刊誌の情報収集能力、情報分析能力は今の政府やTVより確かなものでしょうねえ。っていうか、嘘をつかないですよね。週刊誌の方が・・・・。


教師を目指す人・若い先生へのメッセージ第1761弾!「たかやん物語」126  ポパイ号

小学校低学年だったと思う。僕は自転車が欲しかった。小さいお兄ちゃん(達矢二つ上)も欲しかった。その頃、僕の家には自転車が1台しかなかった。その自転車は26インチで、小さかった僕は三角乗りでやっと乗れるくらいだったし、その自転車は大きいお兄ちゃん(和矢四つ年上)のだったから、自由には乗れなかったのだ。僕と小さいお兄ちゃんは一大決心をして、お小遣いを貯め始めた。毎月50円(猛おじちゃんからのお小遣い)と100円〜200円(お母ちゃんからのお小遣い)を殆ど何も買わずに貯めようというのだ。おまけにお正月のお年玉も貯金した。そうして、2年が過ぎた。

お父ちゃんとお母ちゃんが「よく我慢したね」と言って、半分お金を出してくれると言った。僕らは跳びあがって喜んだ。こうして僕らは中古の自転車を手に入れた。僕らはその自転車に名前を付けた。“ポパイ号”という名前だった。

 毎日、毎日僕はその自転車を磨いた。家に帰ると自転車があるので、毎日、毎日家に帰るのが楽しみだった。お母ちゃんに住所と名前も書いて貰った。そして、2週間が過ぎた。ポパイ号は突然姿を消してしまった。盗まれたのだ。僕は泣いた。大泣きした。2年も待ったのだ。ポパイ号は僕ら兄弟の宝物だったのだ。中古の自転車かも知れないけれど、僕らにとっては宝物だった。

 もし、今パジェロが盗まれたとしても、あれほどのショックは受けないだろう。マングースが壊れても、オートバイが無くなっても同じだ。ポパイ号は余りにも僕にとって大切なものであり過ぎたのだ。泣き止んだ僕は復讐を誓う。(2年分のお小遣いを取り返してやる!)

 僕の家は貧乏で牛乳もヤクルトも取れなかった。アパートの玄関に明治牛乳の箱がある家が羨ましくてしょうがなかった。僕は早朝マラソンをはじめた。牛乳屋さんが配達を終わった直後、僕は他人の家の牛乳を盗んで飲んだ。ヤクルトも盗んで飲んだ。美味かった。罪悪感はあったけど、(ポパイ号の分は飲んでやる!)と心に決めていた。僕の暗い少年時代がこうしてはじまった。

朝勉でこの話をした。編集手帳に働かされている児童が世界中に2億人以上いることが書かれていた。ユニセフが大戦直後の日本の子ども達を救ったこと。今の日本がそのことを忘れてしまっていることが書いてあった。読んでいくうちに給食の脱脂粉乳の味を思い出した。僕らは脱脂粉乳で大きくなったのだ。                      ともや

『一生懸命』幻の学級通信第167弾!新座市立第六中学校3年1組  1995年12月13日
から・・・・
*突然、1995年に時が流れます。何でポパイ号かと言うと・・・先日、兄の達矢から昔の写真が送られてきたからです。そこに映っていたのはあのポパイ号でした。2週間しか乗れなかったポパイ号の写真があったことに驚きました。従兄の正樹ちゃんが撮っていてくれて、それを兄のところに送ってくれたんだそうです。僕が悪の道に進んでいった原因をこの通信を読んで思い出しました。それまでは危険なことはやっても悪いことができない、とってもいい子だったことも・・・・・。
牛乳やヤクルトを飲んでいた近所の人には罪がないのに・・・小さかった僕にはそれが分からなかったのだと思います。小学生の低学年の兄弟が2年間も我慢して買った中古の自転車を盗んだ奴が一番の悪なのですが・・・・悲しくて、悔しくて、僕もまた悪に塗れていったのです。


今日の写真1
これがゴリです。酷いですよね。担任が生徒を「ゴリ」って呼ぶんですから・・・このクラスには「サル」もいました。彼は「えて公」とも呼ばれていました。もう滅茶苦茶です。でもね、超楽しいクラスでした。昨日まで登場していた六中赤ジャージの1年2組のことです。

今日の写真2
新座駅に立っていると二中の子達とも会えます。僕の最後のクラス、二中の3年2組の丈隼です。

今日の写真3
そして、同じ3年2組の大輔とめぐです。今日の駅立ちはこの子達と会えただけでも最高に幸せでした。いくつになっても、担任って「親ばか」なんですよねえ・・・。子ども達の笑顔で幸せになれるんですから・・・・。みんな長男の亮と同じ歳、同じ学年です。

この日記を読んだ全ての人が明日も幸せでありますように・・・・・そして、ストレスから少しでも解放されて、よく眠れますように・・・・・ストレスを減らすには運動ですよ!!有酸素運動も筋トレもいいですよ!!

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