1月2日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第2弾! 2023年1月2日(月)    たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第2弾! 2023年1月2日(月)    たかやん

5時半
久しぶりに札幌の本学での練習はなかなか刺激的だった。ネットダッシュの練習にオーバヘッドの練習、いつもは上を向けない首が、普通に曲がるのに驚いた。そして、サービスも速かったり、曲がったり・・・・土手の上で見ていた女子高生達から拍手と歓声が起きて・・・調子に乗って、いいところを見せようとして、走り回る。妙に足が軽い・・・・そこで目が覚めた。

6時
ラジオ講座を付けながら、朝練の準備をする。歯を磨いて、顔を洗って・・・・朝ご飯の準備をして・・・

7時20分
新座ローンに到着。1番乗りで3番コートへ。『あけましておめでとうございます!』「あけましておめでとうございます!高邑さんが一番です!」と言われて、ちょっと嬉しかった。何事も1番は気持ちがいい。その後も次々と新年のご挨拶をして・・・・

8時過ぎ
半ちゃんとの練習がはじまった。2023年もこうして快晴の空の下で、半ちゃんとテニスができる。それだけで幸せな気持ちになったのだった。

ダブルス
9時半前に恒さんが登場したので、『ダブルスやるよ!誰か一人連れてきて!』と生意気な後輩。すると「岸さん連れて来る」と岸さん、恒さん対僕と半ちゃんというダブルスになった。
『要するにだ。俺が幼稚園の年長の時、君たちは小1、小2,小4だったってことだろ?』と僕。「そういうことになります、はい。」と半ちゃん。今日の4人は全員が早生まれで、恒が1月1日に70歳になったので、僕だけが60台で後の3人は70台という集団になった訳で・・・・
幼稚園児と4年生が君で、小1と小2が組んでの戦いは・・・・小1・小2チームが6−4,6−4で連勝したのだった。『糞っ!正月早々、禿に二連敗かよ・・・・』と岸さんをからかう。「最高!」と岸さん。絶対にリベンジしてやる!!

風呂
お風呂でストレッチして・・・所沢に行く準備をする。午後から所沢でお墓参りと初詣をするのだ。空は美容院の予約が入っているので、空ママとココアと一緒に所沢へ・・・

初詣
山口観音は超混んでいた。勿論、そこでもノーマスク。空ママと二人でお墓参りをして・・・・今日はジムをお休みしたので、丸一日ノーマスクだったぜ。

従弟
空の高一の従弟と久しぶりに会ったら、なんと僕より大きくなっていてビックリした。空ママにお年玉を貰って、空も叔父ちゃんにお年玉を貰って・・・・

すき焼き
夕飯はすき焼き。空と空ママと空ババとみんなで食べて・・・・滅茶苦茶美味しいお肉で・・・・幸せだったよん。

散歩
今日も所沢でココアの散歩に付き合って・・・・ココアは大喜び・・・・可愛いねえ・・・

ノーマスク7
ジムに行かなかったので、今日は最初から最後までノーマスク。残り少ない人生、人らしく生きないとね。

憲一
「五中1年2組の憲一です・・・」と電話がかかってきた。『おお、憲一!どうした?あ、年賀状ありがとう!近い内に返信が届くからね。楽しみにしててね。』そこから、30分近く話をして・・・五中7期生の1年2組のことを思い出していたのだった。まさか、1年2組の解散の日に、父さんの詩集を全員に一言書いて贈っていたとは・・・・忘れていたわ・・・・「あそこに書かれていた意味が、やっとわかりました!」と憲一。二十代の僕が書いた言葉を五十代の教え子が今でも気にしてくれているんだから・・・・教師って仕事は凄いよねえ・・・。

居候2
昨日の我が家の居候って誰が居たっけ?という話・・・出てきた名前が紀、ババツ、賢一、昭弘、オタンコ、道哉、正美、和人、啓輔、直人、大力、こころ、さっち、敏そして次郎・・・・
それだけの訳ないよなあ・・・少なくとも・・・・あと10人はいる筈だろ・・・

絶対に打ってはいけない! 807   スパイクタンパクの怖さ2
mRNAワクチンのRNAはコロナウイルスの周りのトゲトゲたんぱくのRNA。 打つと体内でスパイクタンパクがつくられ続ける。 →血栓症 →脳梗塞、心筋梗塞 →自然免疫の限度の無い低下 →癌、心筋炎、感染症 →自己免疫疾患 結末 最大余命3年(放置した場合 #ワクチン後遺症 #コロナワクチン副反応
*体内でスパイクタンパクが作られ続ける・・・・お年寄りは勿論、若い人も気をつけて!!


教師を目指す人・若い先生へのメッセージ第1743弾!「たかやん物語」107スカート(1988年)

スカート
硬式テニス部の1年生は僕が役員をしていた大会に見学や手伝いに来ることが多かった。東京に行くと・・・都会の高校生は勿論、中学生もスカートはミニスカート。それが流行の先端だった。ところが、六中はスカートが長いのがお洒落の最先端。特にツッパリ少女達はみんな長いスカートを引きずるように履いては生徒指導部から呼び出しを受けていた。そこでテニス部の顧問は考えた。『明日から、女子は全員、スカートは膝上にして来い!』「えーっ!!」『生徒手帳には膝下何センチまでとは書いてあるけど、膝上の規定はない。』「そっか」『今時、スカート長くして粋がってるのは、田舎っぺ丸出しだ。お前たちで六中の常識を変えてやれ!』「はい!」次の日、50人以上の1年生の女子が膝上のスカートで登校すると、六中は揺れた。そして、3年生のツッパリ女子3人が2組の部屋に怒鳴りこんで来た。そして、そのうちの一人が「おまえら、なにやってんだよ!」「パシッ!」一番背高かった佳絵の顔を引っぱたいたのだ。(この野郎!)「パシッ!」その次の瞬間、佳絵はその3年の横っ面を引っぱたき返した!それには担任が驚いた。そこで、間に入った担任。
お前ら、ちょっと来い!泣き出す佳絵はそのまま教室で待っているように言って・・・。3年生を3人連れて、理科準備室へ。
『なんで3年生が1年生に手出すかなあ・・・』「勝手なことやってるから」『お前らだってスカート長いじゃねえか。』「あたい達は3年だから・・・」『あのなあ、3年が1年に手出してんじゃねえよ。1年に手出したら、俺が相手だからな。いいか。』「・・・・・・」『その代わりだ・・・お前たちが高校生や他の中学の奴や、理不尽な教師に何かやられたら、俺が守ってやる。絶対だ。いいか。』「・・・・」話が通じたらしく、その子達が1年生に手を出すことは二度となかった。そして、その子達もミニスカートへと移行していき・・・六中から「スケ番スタイル」は一瞬で消えていったのである。
*“校長の話とスカートは短い方がいいんだよ!”そんなことを言っていた記憶があります。五中の子達からすると、当時の六中の子達はファッションセンスが余りにも遅れているように感じました。まあ、それも1年2組とテニス部の子達によって、あっと言う間に洗練されていく方向に進んでいくのです・・・・。

今日の写真1
これが古都です。今でも『古都』「父ちゃん」と呼び合っています。もう、運命としか言えないような出会いでした。古都のクラスにいたから、一久もテニス部に入ることになります。

今日の写真2
そして、これが一久です。古都と同じように3年間、僕のクラスでした。そして、3年間テニス部のキャプテンだった一久。今は僕の代わりに子ども達にテニスを教えることを生きがいにしています。

今日の写真3
赤ジャージの子ども達との出会いも運命的なものがありましたが、「いっちゃん」との出会いもそうでした。一郎が1組、僕が2組・・・それだけは3年間変わりませんでした。「先輩!」『一郎』二人の関係もまた、今も続いています。

この日記を読んだ全ての人が明日も幸せでありますように・・・・・そして、ストレスから少しでも解放されて、よく眠れますように・・・・・ストレスを減らすには運動ですよ!!有酸素運動も筋トレもいいですよ!! 

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