1月22日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第22弾! 2023年1月22日(日)    たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第22弾! 2023年1月22日(日)    たかやん

神さん
久しぶりに小学校にお邪魔した。「ねえ、お尻タッチ鬼ごっこやろうよ」『なにそれ?』「お尻をタッチされたら鬼になるんだ。」『まあ、いいけどさ・・・どうせやるなら、お尻タッチ、手つなぎ鬼にしない?』「え〜!」『じゃあ、校庭に集合ね。』「いえ〜い!」ところが校庭が工事中で・・・『じゃあ、体育館に集合!』「は〜い!」そこでお尻タッチ手つなぎ鬼をやっていたら・・・・「あんたは何をやってるんだい!」と登場したのが神さん。(神宮司久子)『何で神さんがいるの!?会いたかったよ〜!全然変わってないじゃん!』と神さんに抱きつく。「お尻タッチなんてやったら駄目でしょ!」『え?それは子ども達がやってたんだよ。俺はただそれをアレンジしただけなんだけど・・・』「今の親はうるさいから、そんなことやってたら首になるよ!」『わかったけど・・・そんなことどうでもいいや。久しぶりだね。』とまた神さんに抱きついたところで目が覚めたのだった。

5時半
そんな夢を見て、今朝もゆっくり起床。川掃除は9時から。楽勝である。明日は3時半起き。気合を入れるしかないねえ・・・。

9時前
庭にしまってあるリヤカーを外に出して・・・トング、ゴミ袋、箒に塵取りなどを積んで栗原1丁目公園へ。9時2分過ぎ、公園には既に4人のメンバーが来ていて・・・『ごめーん!遅れちゃったかな。あけましておめでとう!』

13人
今日の参加メンバーは13人。その中に小学生が3人も居て・・・自然に笑顔になった。多くの人に「ありがとうございます!」「いつもありがとう!」と言われて、嬉しかったなあ・・・。黒目川がどんどん綺麗になっていって・・・みんなに喜ばれて・・・

吸殻
今回の掃除は13人居たのと、川の中に二人入ったので、大量のゴミになったが・・・・やはり一番多くて気になったのは、煙草の吸殻。『何でこんなに捨てるかねえ・・・・』「ここまだ禁煙にならないの?」『禁煙にしたいねえ・・・公園と一緒だもんね。ランニングしている人もウォーキングしている人も多いし・・・・禁煙にしたいよね。』「そうだね」と、いう訳で・・・3月議会で再度提案いきます。

11時過ぎ
朝霞漁協の小林さんと看板についての話し合いをして・・・11時半過ぎに解散。

お昼
久しぶりにうどんを茹でて・・・鰹節で出汁を採って・・・久しぶりに美味いうどんを食べた。美味しいものを食べると人間は幸せになれるのよねえ・・・・。へへっ。

一生懸命
昔の『一生懸命』の整理をしていたら、本当に面白い記事が一杯出てきて・・・・これがまた幸せな気分になった訳で・・・今日の午後はテニスもジムにも行かずに・・・只管、昔の学級通信の整理に集中したのだった。


今日は長女雪の誕生日。44年前の今日、雪は生まれた。何で「雪」っていう名前を付けたのか・・・・去年の日記にはこう書いてあります。
僕が25歳のとき、長女の雪が生まれました。可愛い子でした。「目の中に入れても痛くない」という諺が分かる気がしたのを覚えています。雪の運動会で僕はスーパーヒーローでした。中学生達と走り回っていた僕は、普通のお父さんにはまず負けなかったのです。
雪はスピードが出るものが好きでした。400ccの僕のバイクに乗ると、背中でよく寝ていました。スキーも上手で・・スキーを履いた初日にスイスイ滑っていました。
「雪」という名前は札幌に居た大学1年のときに決めた名前です。それを言うと雪は怒るのですが・・・0時過ぎに雪にラインをしました。「雪、誕生日おめでとう。雪がたくさん、幸せを感じられる年になるといいね。父やん」


絶対に打ってはいけない! 829  5類
3発目からは本番です。 後天性免疫不全症候群。 ワクチンに有効性はありません 早急に解毒を開始して下さい! 「新型コロナワクチン後遺症」  (twitterから)
患者の会 HP http://vaccinesosjapan.wixsite.com/website
*5類になれば、ワクチンが有料になるだろうから、接種率が下げる。それでいいのだ。それで、死者数も後遺症も減るだろうから・・・・今のまま接種し続けたら・・・・日本の経済も人口も病院も大変なことになる。ワクチン接種者の方が感染リスクは高くなるし、他人に感染させる率も高くなるというデータも出ている。この患者の会HPを見てください。酷い話ばかりです。免疫力が落ちると、なかなか戻らないんです。国を信じて、テレビのコマーシャルを信じで接種したのに・・・悔しいですよね。
今の自民党政権を信じていい訳がないのに・・・・


教師を目指す人・若い先生へのメッセージ第1764弾!「たかやん物語」131 星空

「何しに学校に行ってるんだ!」と父に怒鳴られ、『テニスをしに行ってるんです。』と答えたのは高一の1学期だったと思います。「勝手にしろ!」と言われ、『勝手にします。』と、こたえました。
 テニス部の練習はきつく、その当時は地獄のように感じたものでした。関公園3周のランニングにはじまり、片足跳び、両足跳び、うさぎ跳び、カニ、手押し車、スクワット、電気椅子、足上げ、腕立て、ダッシュ・・・・それを毎日。本当に毎日やらされました。あのガントレが超楽に感じるくらいですから、相当なものです。
 夏の暑い日にも水は一切飲ませて貰えず、僕ら1年生は2年生の目を盗んで、関公園の橋の下の湧き水を飲んだりもしました。(飲めない水なのに・・・お腹は壊しませんでした)
 授業は寝てばかりいました。2時間目と3時間目の間に早弁をし、また眠って、昼休みになると2個目のお弁当を食べていました。
 朝練があるので、起きるのは4時半、冬になると家を出るときも帰るときにも、よく星空を見ながら歩きました。(早く2年生になりたいなあ)そう思いながら、星空を眺めていました。地獄のような1年でしたが、それに耐えた仲間が8人いました。
 練習中、ボールを拾いに行って、肥溜めに落ちてしまった天野。可愛い1年上の女の先輩に惹かれて入部した榊原。高校生になっても自転車に乗れず、僕らと石神井の校庭で猛練習して、やっと乗れるようになった石田。トレーニングの最中に両手、両足、腹筋まで攣って、死にそうになった大杉。夏、「何で休んだんだ!」と部長の高野さんに聞かれ「アポロの打ち上げ見てました」と正直に答え、「何がアポロだ!ふざけるな!連来責任だ!」と、俺たちみんなをボロボロにした田口。「おーい、また100点だったぞ」とテニスコートで古川先生に褒められていた優等生の野崎。いくら練習してもバスケットの方が断然上手かった、スポーツマン辻。そして、学力テストの結果が学年でペケから6番だった私。顧問の古川先生に逆らってばかりいた私。
 高校3年、最後の授業は古川先生の数学。2時間続きの数学。その最後の授業で『校庭空いてるからソフトやろうぜ!皆勤の奴は残れよ。後の奴は校庭行こうぜ!』とみんなをけしかけたのは私。古川先生は皆勤の5人を相手にいつものように授業をされたらしい。
 いつか謝らなくてはいけないと思って18年。やっと謝るチャンスが巡ってきました。
『先生、ごめんなさい。先生の(そして僕らの)最後の授業だったのに・・・本当にすみませんでした。』
私は今、新座六中でテニス部の顧問をしています。私は石神井でインターハイには行けませんでしたが、教え子達は毎年のように全国大会で活躍してくれています。朝の6時から練習したり、夜の10時まで体育館で練習したり・・・・。あの時見た星空と同じ星空を私の子ども達も見ているでしょう。そして、私は今、あの頃の古川先生と同じ立場にいるのです。
 考えてみれば不思議なものです。先生に一番逆らったヤツが先生の後を継いでいるのですから・・・。
 今日も子ども達と校庭をランニングした後に、一緒に星空を見上ました。もうオリオン座が東の空に昇っていました。『いっかあ・・・あの赤いのがベデルギュースだ。下の白いのがリゲル。ほら、あそこにスバルが見える・・・』「先生、どこどこ?」「あ、あれだあ」子ども達の笑顔を見ていると、テニスをやっててよかった。石神井のテニス部で3年間、頑張ってよかった。そう思うのです。(24回生)
追伸  古川先生は退官されてからも関東テニス協会ジュニア委員長として子ども達のテニスに熱い情熱を注がれています。お元気です。(石神井高校創立50周年記念誌より)

『一生懸命』幻の学級通信 第135弾!新座市立第六中学校1年4組  1991年10月31日から
*これ実は昨日の前の日の学級通信なんです。登場するのは僕の高校時代の仲間と恩師。高校の50周年記念誌に投稿したものを『一生懸命』に掲載したのです。こんな風に先生に謝ったんですね。兎に角、僕のテニスの原点が石神井にあることは間違いありませんね。石神井の練習を中学生にやらせたのですから、子ども達は肉体的にも精神的にも鍛えられました。鍛えすぎだったかも知れませんが・・・あの練習に耐えた子達は凄いと思います。

今日の写真1
13人もいると、こんな感じで川の中も土手も広がって掃除できます。

今日の写真2
その中に小学生が3人。4年生、5年生、6年生です。

今日の写真3
神宝大橋でドリンク休憩直後の写真です。


この日記を読んだ全ての人が明日も幸せでありますように・・・・・そして、ストレスから少しでも解放されて、よく眠れますように・・・・・ストレスを減らすには運動ですよ!!有酸素運動も筋トレもいいですよ!!


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