1月4日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第4弾! 2023年1月4日(水)    たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第4弾! 2023年1月4日(水)    たかやん

新車
新しい年になったので、新車を購入した。「どこにそんなお金があるの?」『ふふふ。宝くじに当たったのよ!3億円・・・』「本当に?」『うん。だから、軽自動車の1台くらい大丈夫。空の学費も大丈夫。』「ホントに?よかったあ・・・・」そこで、目が覚めた。時計の針は4時過ぎを差していた。

6時
今日もラジオ講座聞きながら、一日がスタートした。歯を磨いて、顔を洗って・・・・朝ご飯を食べて・・・テニスクラブに2番で到着。

朝練
8時から半ちゃんとの朝練がはじまった。何かわからないけれど、足が軽く・・・・いいショットが打てたぞ・・・

試合
そして、久しぶりに半ちゃんとの試合。2−0から3−3と逆転されて・・・そこから6−3で完勝。サービスも前の打ち方で打てるようになって・・・・バックハンドも打てるようになって・・・・なんか、ストロークが安定してきたのだった。

ダブルス
そこに恒さんと修ちゃんが来てくれて・・・ダブルス開始。最初は0−3,1−4,2−5とリードされるが、そこから5−5,6−6と追いついて・・・・タイブレークの末、7−2で勝ったのだった。ちょっと疲れていたが、そこに来た前田さんと桂司のペアと戦って、1−0,1−4,2−5,3−6で負け。でも試合内容はなかなかで・・・ちょっといい感じに戻って来たぞ。久しぶりに自分のテニスの可能性を感じられた一日だった・・・・。テニスが楽しくなってきたぞ・・・・・。

黒目川
空ママの代わりにココアの散歩へ。栗原一丁目公園で喫煙しているオッサンがいたので、『公園は禁煙だよ〜っ!』と教えてやると・・・・「すみません」と遊歩道で吸い始めた。ああ、余計なことを言ってしまった。遊歩道をランニングする人にはいい迷惑だから・・・・。公園は勿論、遊歩道も土手も禁煙にしなきゃ意味がないな・・・そう思った。それにしても黒目川には煙草の吸殻が多い。何とかしなきゃだ。

ジム559
車で買い物へ。最初にビバホームでテーブルクロスを買って、ジムへ。下半身、腹筋背筋、上半身をマシーンで鍛えて、全てテニスを意識して・・・・・今日のトレーニングは終了。そのまま西友で色々買って・・・

風呂
お風呂でゆっくりストレッチして・・・のんびりする。体重計に乗ると・・・67キロ台。体脂肪率も11%前半だった。いい感じである。

ノーマスク9
今日もジムに行った時だけマスクをして、それ以外はどこもノーマスク。気になったのは黒目川を散歩していた時、殆どの人がマスクをしていたこと・・・マスクをしているのが当たり前で、しないと何を言われるか不安なのだと思う・・・・いい空気を思いきり吸った方が抵抗力が上がるだろうに・・・・。


夜は塾。久しぶりの塾。中一、中二、高一の息子達との塾。「答え合わせして!」『え?答えないの?』「間違いだらけだから・・・・お願い。」『はいはい。何問?』「50問」『10分頂戴。』「俺のもお願い・・・・」『おいおい。答えは?』「ない」『・・・・・』という訳で、大忙しのたかやんであった。

絶対に打ってはいけない! 809   スパイクタンパクの怖さ4
mRNAワクチンのRNAはコロナウイルスの周りのトゲトゲたんぱくのRNA。 打つと体内でスパイクタンパクがつくられ続ける。 →血栓症 →脳梗塞、心筋梗塞 →自然免疫の限度の無い低下 →癌、心筋炎、感染症 →自己免疫疾患 結末 最大余命3年(放置した場合 #ワクチン後遺症 #コロナワクチン副反応
*ワクチンを打ち続ける限り、体内でスパイクタンパクが作られ続ける・・・・トゲトゲタンパクのRNAが怖い。免疫力が落ちれば、どんな病気になっても不思議はない。誰が病気になっても不思議ではない・・・それがこのワクチンの怖さなのです。


教師を目指す人・若い先生へのメッセージ第1745弾!「たかやん物語」109大力(1988年)

大力(1988年)
1年2組には大力(ひろりき)もいた。12月の終業式前夜、僕は41度の熱にうなされていた。五中の卒業生が数人遊びに来ていたのだが、苦しくて『お母さん!』って叫んだらしい。それくらい辛かった。多分、インフルエンザかなんかだったのだろう。その時に(通知表は書いてないけど・・・毎日、一生懸命を書いたから許してくれるだろう)そう思ったのだからどうかしている。しかし、その次に思ったことは、(まずい!一生懸命の連続記録が途絶えるぞ・・・)というものだった。不思議だったのはそう思っただけで熱が40度に下がったこと。そして、教え子達(多分純ピ・・・)に協力をしてもらって、「一生懸命」を書き上げると、熱は39度まで下がって・・・・『よし!これなら通知表が書けるぞ!』と通知表を書く気になって、2時間後に書き終えると、5時過ぎに・・・・熱は38度に下がっていたのだ。その時「熱が39度あるので、朝練やすみます」というメールが大力から来た。そこで、『了解!俺は41度あったけど、熱が38度まで下がったから、朝練に行くわ・・・』大力にそう、メールを打ってコートに行ったら・・・・大力も来ていて笑った。大力だって39度はあった訳だから、どう考えても休みだろう・・・・。二人とも普通じゃないが、僕も大力も本気だったのだ。青春ドラマじゃあないけれど、意地のぶつかり合い・・・そんな関係が僕と大力にはあったのだと思う。
 勿論、朝練が終わって、汗をかいた後は・・・二人とも平熱に戻っていた。病は気からというが・・・
この時、もし『一生懸命』を途切らせていたら・・・・10年以上、毎日書き続けることなどできなかっただろう。大力との意地の張り合いがその後の『一生懸命』に影響していったのだ。そして、それは今も続いている。前の晩、39度で朝練に来る生徒も生徒だし、41度で朝練に行く顧問も顧問なのよねえ・・・。それ以来、41度までは何とかなる・・・そう思うようになったのだった。
*大事なのは「通知表」の方なのに・・・僕にとっては『一生懸命』という学級通信の方が気持ちの上では大事だったということです。41度もあるのだから、通知表が無くても2組の子ども達なら理解してくれるだろう・・・そんなバカな・・・でも、本当の話なのです。


今日の写真1・2
寛子お嬢と双子の妹の郁ちゃんです。最初見た時、本当に似ている!そう思ったのですが・・・一日で見分けがつくようになりました。

今日の写真3
これが39度もあるのに、朝練に来た大力です。馬鹿ですよねえ・・・・。普通、来ないですよ。親も行かせないでしょう。でも、そういうの嫌いじゃなかったですね。顧問も馬鹿でしたけれど・・・・六中の硬式テニス部の赤ジャージはみんなバカでした。1年364日練習したんですから・・・・。

この日記を読んだ全ての人が明日も幸せでありますように・・・・・そして、ストレスから少しでも解放されて、よく眠れますように・・・・・ストレスを減らすには運動ですよ!!有酸素運動も筋トレもいいですよ!! 

20230104-1.jpg 20230104-2.jpg 20230104-3.jpg