3月7日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第66弾! 2023年3月7日(火)    たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第66弾! 2023年3月7日(火)    たかやん

真夜中のライン
今日がテスト最終日の高校生から、ラインで質問が来る。もう直ぐ卒業式の後輩からもLINEが来る。野寺に住んでいた頃、「勉強の悩みは0時まで」「恋の悩みは1時まで」「人生の悩みは3時まで」そんなことを言っていた気がする。「電話をするか・・・家に来るか・・・玄関のドアはいつも開いているよ。」それでも、中には部屋の窓から入ってきた子もいたっけ・・・。今じゃ、考えられないけど・・・常に我が家には誰かが居た気がする。今はラインがあるから、勉強の悩みも恋の悩みも人生の悩みも24時間相談できるようになった。ビデオ通話にすれば、顔を見ながらだって話せる。地球の裏側からでも・・・・ホント、便利な世の中である。

バイト
空を駅まで送りながら、色々と話す。こんな何気ないことも、あと数か月でできなくなる。一緒にいる時間を大事にしないとね・・・。

テニス
余りにもいい天気なので、テニスクラブへ。3番コートで桂司を捕まえて・・・練習開始。ショートテニス、シングルスストロークの後、サービスをつけてダブルスコートで順クロスラリー。休憩の後、アドコートで逆クロスラリー・・・・サービスの練習にもなったし、リターンの練習にもなったし・・・なにしろ、相手が桂司なので、球は速いし、回転はかかってるし、伸びてくる訳で・・・・本当にいい練習になった訳で・・・・・大分、感覚が戻ってきたぞ!!余りにも楽しくて、今年になってから、初めて短パン・半袖でやったぞ・・・。

ジム609
Rinちゃんに乗って、隙間時間にジムへ。最初にチューブトレーニングをやってから、下半身をマシーンで鍛えて、腹筋背筋をやって、上半身をマシーンで鍛えて、最後に30分間ランニングで締めくくったのだった。

塾1
夜は塾。中一の息子と娘達との塾。試験も終わったので、みんなが苦手な英語の授業をやった。英語を喋りまくり、書きまくり・・・あっという間の90分だった。

塾2
後半は高二の息子との個別対応の塾。「試験終わったから、何もやることない」『馬鹿野郎
かお前は!』そんな会話の後、少し早めに終わったのだった。

絶対に打ってはいけない! 878   Germany Declares mRNA Jabs ARE
Germany Declares mRNA Jabs ARE Deadliest in History.
ドイツ政府がmRNAワクチンは人々の心臓や脳への悪影響が大きく「史上最も致命的なワクチン」であると宣言。 イギリスでもフランスでも接種が廃止され、米国ではmRNAワクチンを接種することを犯罪にする法案が提出された州もあるなか、日本ではワクチン接種が強く推奨されている。
*これがなんで報道されないんでしょうねえ。AUでは禁止されている農薬が日本にはバンバン入ってきているのと理屈は同じでしょう。「規制緩和」って聞こえはいいけど、最悪の言葉ですよ。


教師を目指す人・若い先生へのメッセージ第1809弾!「たかやん物語」173  答辞4(最終便)

在校生のみなさん。五中には素晴らしい伝統がたくさんあります。どうか、その伝統をしっかり受け継いで、さらに高めて、もっともっと素晴らしいものに作り上げていってください。
五中の創立以来、ずっといらっしゃる先生が10年間温めてきた、日本一の校歌の歌声だけは、絶対に受け継いでください。
これから、いよいよ僕達の新しい旅立ちがはじまります。仲のよかった友達、クラスの仲間、413人の中がみんなバラバラになってしまいます。でも、この3年間に悔いはありません。何故なら、どんなに困った時でも、後で考えると、あれは失敗だったという時でも、その時自分が出来ることを精一杯やってきたからです。
これからも、たくさん悩むことがあると思います。どんな時でも自分の夢は絶対に捨てないで努力していきます。
最後になりましたが、手のかかる僕達を常に愛情をもってご指導してくださった先生方、3年間どうもありがとうございました。また、僕達の成長を時にはハラハラしながらも見守っていてくれた、お父さん、お母さん、本当にありがとうございました。僕達は今、大きな夢に向かって旅立っていきます。
さよなら   五中    好きです    五中

昭和62年 3月14日   第10回卒業生代表   鮫島 弘樹

*弘樹のこの答辞が終わって、「巣立ちの歌」の合唱がはじまったんだろうから・・・そりゃあ、みんな泣くでしょう。これを読んだだけで、当時の気持ちを思い出す自分がいます。新任で新設校の五中に赴任して10年、僕もこの子達と一緒に五中を卒業したのです。卒業していく子ども達への思いと、1・2年生のテニス部の子達が残る五中への思い。僕らは神さんだけを残して、10年五中に居た仲間たちもみんなバラバラになっていきました。五中を卒業していった、全ての子ども達が幸せになるように祈りながら・・・
 弘樹はその後、所沢高校に進学し、現役で北大の水産学部に入り、僕の同級生(中谷助教授)の下で勉強しました。そして、六中の緑ジャージの学年で教育実習。でも、採用試験にはまさかの不合格。その代わり、六中に臨採で来てくれて、僕の代わりに理科を担当。僕は臨時免許で体育教師になって、二人は同じ学年の同僚となったのです。まさしく「夢が実現」した瞬間でした。そして、弘樹は1年遅れで採用試験に合格、所沢市の中学校に赴任して・・・。僕は上山口中の弘樹のクラス合宿に参加します。
その後、弘樹は新座市に赴任、市内中学校の理科の教師として、また僕に接近してきます。そして、なんと新座市議会で再会するのです。指導主事と議員として・・・ヒアリングをすることになります。これは面白かったですね。当時の中に出てくる宮本先生(ミヤモツ)も議会で再会して、笑ったのですが、弘樹との再会は別格でした。その後、弘樹は県教委に行き・・・新座市に戻って、若くして中学校長になります。13歳のとき「中学校の理科の教師になる」と決めた子がその時の担任と同じ大学に行き、同じ学部で学び、本当に中学校の理科の教師になるのですから、人生は面白い。  そして、この春、弘樹は校長として、2回目の卒業生を送り出します。どんな式辞を弘樹が用意しているのか・・・四中の子ども達に何を語るのか・・・僕は今、それが気になっています。

今日の写真1
この写真、数年前の弘樹と僕です。この答辞を書いたときと、全く変わらない関係が続いています。15歳だった少年が51歳になっても・・・

今日の写真2
テニスの練習に付き合ってくれた桂司です。僕より数段強いので、本当にいい練習になりました。桂司と対等に打ち合えた時間帯もかなりあったので、自信になりました。

今日の写真3
中一の息子と娘達です。みんな学校が違います。「その制服可愛い」「六中の制服ださくて・・・」『ばかだな。可愛い子が着れば、六中の制服だって可愛いんだよ。』「そりゃあ、そうかもしれないけど・・・」『ちょっと短くするとか、可愛くすればいいじゃん。』「だめなのうちの学校・・・」『バカだねえ・・・可愛くない制服着たくないだろうよ・・・・』

この日記を読んだ全ての人が明日も幸せでありますように・・・・・そして、ストレスから少しでも解放されて、よく眠れますように・・・・・ストレスを減らすには運動ですよ!!有酸素運動も筋トレもいいですよ!!


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