Diary 2011. 3
メニューに戻る
3月11日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第70弾! 2011.3.11(金)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第70弾! 2011.3.11(金)   たかやん

幸せ
5時過ぎ、目が覚める。(ああ、今日も生きていた・・・)最近、そんな風に思うようになった。今日も幸せに生きられる。本当に自分は幸せだって・・・そう思うのだ。

最後
空は来週から通学班が変わる。折角慣れたのに、かわいそうな気もするが、新しい友達ができる喜びもある。基本的には「集団登校」には賛成できない空父であるが、ちょっと楽しみにしているところもある。みんなに「ありがとう!」を言った空父であった。

シュワッチ!!
東門での見守りが終わり、2組へ。みんなが「空父!」と挨拶に来てくれた。そこへ、1組の子達が乱入。4〜5人が何故か戦闘モードで、足を踏むわ、蹴とばすわ・・・応戦に忙しい空父。ま、いくら集団と言っても1年生な訳で・・・空父の強さを十分に見せつけてしまったのだった。おほほほほ。

読み聞かせ
今日は金曜日なので読み聞かせ。先生もいるし、読み聞かせのお母さんも来るので、早々に引き上げた。今日も足に重りを付け、ダッシュで坂道を登る空父であった。

親子丼
午前中の一般質問が終わり、昼食休憩。今日はお弁当がなかったので、清さんと二人で外に食べに行った。二人で食べたのは親子丼。なかなか美味しかった・・・。

そして・・・
工藤さんの質問の最中に地震が起きた。どうしたらいいか分からないという顔が多い中、「外へ出た方がいい!」と、議場の扉を開けて、外に出る。市役所の1階玄関は外へ逃げ出す人で溢れそうだった。若い職員が「押さないでください」「落ち着いて!」と、冷静に対応していたのが嬉しかった。

携帯
我が家に電話するも携帯が繋がらない。メールは飛ぶが、返事がこない。空のいる八石小は大丈夫だろうか・・・新座市の学校は23校全てに耐震補強工事をしているから、学校が一番安全なのかも・・・そんなことを考えながらアイフォンで自信速報を見る。「震源は宮城県沖で、宮城は震度7だって!」とみんなに伝える。

災害対策本部
直ぐに災害対策本部が立ち上げられ・・・議会は解散。月曜日に延期になった。着替えて、ダッシュで石神へ。八石小経由で行こうか悩んだが、兎に角我が家へ向うことにした。我が家に着くと、みんながいてほっとした。こういう時は職場が近いのがなによりだ。歩いてでも帰れる距離というのがいい。

連絡
太平洋沿岸にいる友達に電話をしたり、メールをしたり・・・ツイッターを覗くと、色んな情報が飛び交っていた・・・。友だちは停電に見舞われていたり、家に帰れなかったりはしているが、みな無事の様子・・・少しホッとする。

8.8
マグニチュードが8.8というのは凄い数字だ。まあ、理科の教師だったから・・普通の人よりは地震に詳しい訳で・・・関東大震災が確かマグニチュード7.9だったから、約30倍近いエネルギーがあったことになる。それにしても・・・自然の前に人間の力の小さいこと・・・

今日の写真1.2.3
市役所の外に非難する人達です。第二庁舎の揺れも酷く、外から見て揺れているのが分かる程でした。こんな地震は人生で初めてのことです。地面があんなに揺れたのは経験がありません。これで、プレート達は落ち着いてくれるのでしょうか。それとも、これはさらなる大地震の前触れなのでしょうか・・・。被害がこれ以上広がらないように祈るしかありません・・・・。

20110311-1.jpg 20110311-2.jpg 20110311-3.jpg



3月12日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第71弾! 2011.3.12(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第71弾! 2011.3.12(土)   たかやん

悪夢
テレビが目を覆いたくなるような映像を流し続けている・・・新聞の写真もだ・・・亡くなった人の中に、行方不明になった人の中には空と同じ歳の子達がいるはずだ。もっと小さい子達もいるはずだ。ひとみと同じ歳の女性も、僕と同じ歳の男性も、母さんと同じ歳のお年よりもいるだろう・・・・誰かの息子、娘、夫、妻、母、父、祖父、祖母、そして兄弟、姉妹がバタバタと倒れている。胸が痛い・・・胸がきりきりと痛くなる。

ポスティング
そんな中、いても立ってもいられなくて・・・亮と二人でポスティングを始めた。午前から午後1時過ぎまでポスティングをして歩いたのだ。何かをしていないと、おかしくなりそうだった。

ガソリン
どういう訳だかガソリンスタンドに列が出来ていた。何かあるな・・と、並んでみると「売り切れのガソリンスタンドがあちこちで出ているようです」とのこと。一応、レギュラー満タンにしておく。

パン
ライフへ行ったひとみが「パンが全く無かった!」と驚いて帰って来た。いなげやへ行って驚いた。本当にパンが無いのである。ついでに言うと、納豆も売り切れていた。水や電池も売り切れが目立つ。これから来る余震に備えてのことだろうか・・・・。

1000倍
阪神淡路大震災の1000倍のエネルギーだという解説も聞いた。とんでもないスケールの地震なのだ。被災地が多すぎて、どこへ行けばいいのか、何をすればいいのか・・・政府は大変だろう。こんな時に戦争をしかけてくる国はないから、全ての自衛隊を被災地に向けるくらいの勇気が欲しい。世界中の国が日本を助けようと救援隊を送ってくれているのだ。まずは日本の自衛隊が動かなくてどうするのだ。自衛隊員は24万人はいるはずだ。100%は無理としても20万人はいけるだろう。俺が菅直人なら、20万人には出動命令を出す。

フランスとメキシコ
パリに留学している友だちとメキシコに行っている友達からメールが来た。世界中のテレビがNHKの映像を流しているらしい。日本の中には通じない地区があるのに、海外とは通話できる・・・そんな馬鹿な・・・

電気
停電の地域が多い。青森の友だちも停電で寒いといっていた。我が家がもし停電になったら・・・大変である。ご飯は炊けない、風呂には入れない・・・エアコンも炬燵もアウトだし、テレビからの情報が無くなる訳で・・・電気がある生活に感謝しないといけない。

パジェロ
阪神淡路大震災の時は、パジェロの中にいた。電気も水もトイレもない生活を自分達がしていたので、一緒に辛さを味わっていた気もしないでもなかった。今回は違う。自分達は恵まれた生活をしているのだ。まだまだ屋上で、室内で取り残されたままの人もいるだろう。寒くて、お腹をすかした人達も沢山いるはずだ。それなのに、何もできないもどかしさ・・・僕らができることは何なのだろう。

川掃除
明日の川掃除はやる気満々だったのですが、状況次第では取りやめにするかも知れません。明日の朝の状態で判断しますので、各自待機していてください。

お知らせ
2月の日記からfirefoxを使うと日記が読みづらいようです。Internet exploreで見て下さい。原因は分かりません。解決次第、お知らせします。   たかやん

今日の写真1
先日倒れて逝ってしまった、北大テニス部後輩の久野君です。老けた後輩で、「久野先輩!」といつもからかっていたのですが・・・過労で倒れてしまいました。長く生きていると、嬉しいことも沢山ありますが、悲しいことも沢山経験しなくてはいけません。

今日の写真2
こんな時に元気になれるのは子ども達の笑顔一杯の写真です。ここにうつっている子達はみんな空のお友だちです。イコール、空父の友だちでもあります。空のお陰で、こんな子たちとも友達になることができました。感謝です。

今日の写真3
雪の誕生日の写真だと思います。母さんも若いなあ・・・。所沢のパークタウンにいた頃の写真で、7期生の子達が祝ってくれたようです。それにしても雪の可愛いこと・・・。

20110312-1.jpg 20110312-2.jpg 20110312-3.jpg



3月13日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第72弾! 2011.3.13(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第72弾! 2011.3.13(日)   たかやん

代打
交通指導員さんのTさんから電話があった。お母さんが危篤とのこと・・・電話の向こうで泣いているのが分かる。「月曜の朝は任せてください!気をしっかり持って!」と伝えた。土日に何かがあった時に、学校には連絡ができないのだ。こういう時に、交通指導員さんとの繋がりがあってよかったと思う。日本中が緊急事態。僕のやることなど、何でもないこと・・・。少しでも誰かの役に立てたら嬉しい。

中止
今日の川掃除は中止になった。メンバーには父親が多く、やはり家族には頼りにされている訳で・・・この余震がいつ起きるか分からない状況の中では、家族と一緒にいてもらったほうがいい。そう判断したのだ。こういう時だからこそ、やろう!という動きもあったのだが、悔いは残したくないので・・・今日は中止。次回は未定です。

役員会
今日はマンションの管理組合の役員会。と、いっても男4人の会なのだが・・・みんなでマンション一軒、一軒を訪ねて「地震による被害はありませんでしたか?」「困っていることはありませんか」と聞いて廻った。築5年未満のマンションなので、これと言った被害はなかったのだが、同じマンションに住む人達の顔を確認できただけでも収穫はあったと思う。何かが起きたときは、一番近くにいるのが我々なのだから・・・・。

電池
明日から3時間の輪番停電が始まるかも知れないのに、懐中電灯の電池が無い。探しに行ったのだが・・・・。どこに行ってもないのだ。結局、塾に置いてあったのを思い出して・・・めでたく電池を確保。明日からの停電に備えたのであった。ふーっ!

食べ物、水、・・・
兎に角、家族に辛い思いはさせたくないので、最低限のことは父親としてやっておかねばならない。最低限(1週間程)の食糧の確保。水の確保である。この3日間にマグニチュード7以上の余震が70%以上の確立で起こるというのだから、何もしないわけにはいかない。このマンションが潰れることはないだろうから・・・寝る場所は大丈夫だとして・・・やはり食べ物と水である。電気もガスも水も止まることを想定して・・・ここは頭の使いどころ・・・頑張れねば!

ポスティング
何も手がつかないので、午後からまたポスティング。遠いところだったので、バイクで行ったのだが・・・途中でエンジンがかからなくなり・・・押して歩くことに・・・暫く休めてキックしたら、エンジンがかかって・・・無事帰ってこれたのだった。

確定申告
こんな状態なのに、確定申告の締め切りが近づいている。今日、明日で申告するしかないのだから忙しい。電子申告じゃなかったらアウトのところだった。今夜、頑張るしかない・・・。

集団下校
保護者の間で、金曜日の集団下校が話題になっている。地震が起きる前に下校させた学校はともかくとして、地震の後に「集団下校」させてしまった小学校に疑問を感じる人が多くいるのだ。都内で仕事をしている保護者は「帰宅難民」になった人が多かった。携帯電話も繋がらない状況はみな知っての通りだ。学校からすれば、児童が下校してしまえば確かに責任は無くなる訳で・・・・「ええい、集団下校じゃ!」と、なったのかどうかは分からないが、確かに想像力がなかったと言われると・・・その通りなのである。新座の小学校は全てが耐震工事済みであり、安全度は高いのである。それに先生という絶対的に信頼できる大人が一緒に居てくれたら・・・こんなに心強いことはないだろう。金曜日のような大災害の時こそ、「保護者のお迎え」下校が妥当なのではないだろうか。下校時に何かがあったら、親はたまらない。親がいない家で何かがあってもたまらない。たくさんの保護者が不信感を持つのも分かるのである。何もなかったからいいようなものの・・・大きな余震でもあったら、大変なところだった。親は家にいる・・・訳じゃあないのだ。交通網がどうなっているのか、確認するくらいのことはして欲しかったと思う。電話が通じないことくらい、分かっていただろうに・・・。マニアルがどうなっていたかは分からない。市教委の指示があったのかどうかも分からない。ただ、想像力が乏しかった・・・そう思うのである。

今日の写真1・2・3
今日のいなげやの状態です。1はカップラーメン、2は水、3はパンの棚です。日本のスーパーでこんな状況になるとは・・・天災は本当に恐ろしいです。そして、思い出すのが昔からのこの言葉。「地震、雷、火事、おやじ」腑抜けになってきたおやじは論外としても、残りの3つは本当に恐い。地震は火事より2ランク上にあるのですから、本当に昔から恐かったのでしょう。

20110313-1.jpg 20110313-2.jpg 20110313-3.jpg



3月14日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第73弾! 2011.3.14(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第73弾! 2011.3.14(月)   たかやん

東電め!
何が計画停電だ!朝早くからの停電に備えて、どれだけ準備をしたと思っているんだ。そりゃあ停電しないに越したことはないけれど、昨夜からの電話やメールやツイッターでのやり取りは一体なんだったのだ。もっと頭のいい奴はいないのかね・・・。

3本
新座市の場合、野寺4丁目や石神5丁目などは、第1グループ、第3グループ、第4グループの3つのグループに入ってしまっているのだ。これは新座市に送電線が3本走っているせいなのだと市長は説明していたが・・・実のところ、東電自信もどこに送電しているか、詳しいところはつかんでないのかも知れない。テロ対策で複雑にしたという見方もあるようだが・・・新座市もなめられたものである。昨夜から今朝にかけて、携帯は大忙しだった。市の職員も徹夜したようだが、僕らもそれに近い状態だったのだ。みんな東電がいけないのである。

原発
福島の原発の状態は極めて危険である。教え子がこんな情報を教えてくれた。http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html
日本の原発のいい加減さが分ると思う。福島原発が心配である。

9時半
本会議が始まって、直ぐに代表者会議に移行した。代表者会議では今週の議会は全て取りやめることが決まった。僕らの一般質問は中止(延期の可能性はあるが)となり、議会は22日、23日の閉会を目指すことになった。今回の地震の影響は実に大きい。

議運
義捐金100万円を被災地に送ろうということになった。詳しいことはこれからだが、僕ら議員が毎年積み立てたお金を送ろうということになったのだ。

全協
11時過ぎからは全員協議会。今回の地震での市全体での被害状況や計画停電、これからのことなどの説明が執行部からあり、議員からの質問があった。僕は「集団下校」についての質問をした。教育長は「家が倒壊している状態であれば、勿論学校に残しましたが、それ程の被害でもないので、大丈夫だと判断して集団下校させたものです。」というので、「大きな余震があった場合は、帰宅難民がでることなども考慮して判断してください。」とお願いしたのだった。

2450m
計画停電のこともあり、議会の延長も予想し、インフルエンザの流行も考えて、今日の塾は中止を決定していた。ところが、停電が解除され・・・何もすることがなくなった。辛いシーンばかりのテレビも見飽きていたので、アトリエが中止になった空をプールに連れて行った。そこで力強く泳ぐ空を見て、頑張らなければ!と、思った空父であった。空は今日の練習で2450m泳いでいた。ちょっと前まで1500mでヘロヘロしていた空が、2000mを超えても気合で泳いでいる姿は感動的だった。明日から、頑張るぞ!

今日の写真1
今朝の関越です。上りが大渋滞でした。電車を諦めた人が、車で通勤しようとしたのですねえ。

今日の写真2.3
我が家の前のウエェルパークです。トイレットペーパーやティッシュペーパー、そしてインスタントラーメン、パン、米等が全て売り切れ状態でした。我が家は11日の日にもうお米やトイレットペーパー等は買っておいたので大丈夫です。本当の非常時にはチョコレートと野菜ジュースが効くと思っているのですが・・・。勿論、水もしっかり準備しています。

20110314-1.jpg 20110314-2.jpg 20110314-3.jpg



3月15日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第74弾! 2011.3.15(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第74弾! 2011.3.15(火)   たかやん

4時
今朝はいつもより少し早く起きてみた。確定申告の締め切りが今日だったのだ。電子申告をするので、資料を整理して、計算して・・・停電による作業中止も視野に入れての早起きだった。

東門
それでも東門へ。通学班の編成替えをしたので、先頭を歩くこの顔が変わっている。小学生達の挨拶は先頭の子の力の影響が大きい。いつもより、大きな声で挨拶する班もある訳で・・・にやっと笑う空父であった。

代打
今日は五中の34回目の卒業式。行く気はなかったのだが、この地震で娘婿が式に出られないと分かり、代打で行くことになった。楓が3年間お世話になった恩田先生に挨拶もしたかったし・・・・。

34回
最初の卒業生は当時15歳。彼らの卒業式が第1回だとすると・・15歳に33歳を足すと、今の彼らの歳になる訳で・・・48歳かよ!おっさんやんけ!

君が代と校歌
何年経っても変わらないのが校歌。「一同御起立願います!」で起立し・・・君が代。なかなか上手い手口である。が、保護者席からの君が代は聴こえてこなかった。君が代は戦争へ行った父さんと小学校時代の先生に「歌わんでいい!」「歌うな!」と教えられた歌。今更歌うわけにもいかず、黙っていた。でも、校歌は違う。五中の校歌には僕自身の魂も入っているのだ。前にいた二年生がおとなしく歌っていたので、僕と隣にいた雪の声が目立つくらいの声で歌ってしまった。ま、40%くらいの音量だったけどね・・・。(雲の上の神さんが怒っているかも・・・)

式辞
嫌いなのが式辞とか告辞とかいう言葉。その言葉だけで固っくるしいのである。それでも校長の式辞はなかなかよかった。みやもと先生の話は僕もよく塾の子達にしているし、92歳を越えて詩人になった人の話もなかなかよかった。型通りの言葉に失敗はないかも知れないが、子ども達の心にはこれっぽっちも残らない。要するに本当の意味での失敗である。

記念品
卒業記念品が卒業証書の筒だけだとは知らなかった。財政難なんですねえ・・・一生記念に残る印鑑はよかったのになあ・・・。

来賓紹介
保護者席にいて、一番いらないと思ったのが「来賓紹介」。みんな名前を呼ばれると「はい!おめでとうございます!」と、どこを切っても金太郎飴。泣きたい気持が、スーっと引いていったのは親だけではないだろう。

答辞
我が塾生が学年代表になっていることを知らなかった。みゆはなかなか目だっていた。2組の学級委員だったことも今日知った。

大地讃頌・旅立ちの日に・仰げば尊し
卒業生は3曲も歌った。少ない人数だったが、なかなかの歌声だった。面白いもので、学校の力が合唱に出ることがある。合唱にはそういう力があるという見方もできる。力を合わせないとできないのが合唱。男女のバランスも大事だ。あの体育祭をやる子達なのだ。いいものを持っていると思っていたが・・・やはりいい合唱をしていた。

3年1組
恩ティーには3年間、担任をしてもらった。僕も生徒からは「暑苦しい」と言われたことがあるが、恩ティーは僕よりも熱い、いや暑苦しいティーチャーかも知れない。(誉めているのよ)毎日のように書く、学級通信・・・最後の学活でのお話。どっちもイマイチ(失礼)だったが、子ども達は恩ティーのクラスで幸せだった。式場では全然泣かなかった子達が、1組の教室では泣いていた。恩ティーは最後まで涙を堪えていたが・・・(泣けばいいのに・・・)


卒業式の涙は予想できない。五中の体育館ではもう泣くことはないだろう。そう思っていたら退場の時に泣き出したこともある。どこから涙が出てくるのか、自分でも全然分からないのだ。教室での最後の学活は泣ける。歌を歌うと、子ども達が泣くから・・・こっちも泣きながら歌う。そうすると、また子ども達が泣いて・・・学活が終わらなくなるのである。2時間歌った学活が懐かしい・・・

先生!
何人もの五中の卒業生と会った。「先生!」と呼ばれると、反応してしまう自分がいた。子ども達が「先生!」と呼んでも、ふと振り返る自分に笑った。僕を「先生」と呼ぶ中学生はいないのだ。

今日の写真1
五中の体育館です。ここでどれだけ泣いたことか・・・ここでどれだけ笑ったことか・・・ここでどれだけ歌ったことか・・・最初の年に2年生の津金と決闘したのもここでした・・・3年1組で「ハンカチ落とし」をやったのも「ウルトラクイズ」をやったのもここ。神さんが「みんないなくなっちゃう!」と泣いていたのもこの体育館でした。剣道部が真夜中から朝まで稽古していたのもここだったし、僕らテニス部が夜の11時まで練習したのもここでした。久保先生がドリブルシュートの練習をしていたのもここだったし、マーシャルと空手の練習をしたのもここ。ギターを弾いて、ピアノを弾いて、本当によく歌いました。五中の体育館には僕らの魂がしみこんでいるのです。

今日の写真2
娘の長女は僕が担任した3年1組と同じ1組を卒業していきました。担任の恩ティーの目には涙が・・・一人一人に花束を用意してくれていました。子ども達に「ありがとう!」と、花束に気持を込めたのでしょう。女の人にはもてないかも知れないが、子ども達には人気があるのです。僕がファンなのだから間違いありません。(いい写真なのですが、肖像権の侵害だ!と、校長か教育長から電話があったら、他の写真に差し替えますね)

今日の写真3
我が塾の卒業生二人、みゆとゆかです。五中陸上部のスーパースターで、走ったらまず勝てないでしょう。駅伝で新座の学校が関東大会に出場したのは初めてのことだとか・・・・。二人とも中距離の選手なのですが、受験勉強は短距離走で駆け抜けました。5時間でも6時間でも勉強に集中できる二人でした。みんな卒業おめでとう!!    たかやん

20110315-1.jpg 20110315-2.jpg 20110315-3.jpg



3月16日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第75弾! 2011.3.16(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第75弾! 2011.3.16(火)   たかやん

大忙し
今朝は交通指導員さんのTさんがお休みなので、代わりに石神三丁目の信号機のところに立った。子ども達を全員渡らせ、東門にダッシュ。さっき挨拶したばかりの子ども達を追い抜き、東門へ。何とかギリギリ間に合った。それから1年生の教室へ行って・・・子ども達とハイタッチして・・・我が家に戻ったのだった。

情報
福島原発に対しての情報が混乱している。マスコミの発表を鵜呑みにする訳にはいかないから、空には「外で遊んでもいいけれど、マスクをするんだぞ」「できたら教室で遊んでね」と伝える。大丈夫だったとしても念には念を入れなければならない。空のことで後悔したくはないのだ。「東京の住民へ。どうなっているか解らない。政府は影響を恐れて言わない。しかし米軍が厚木の居住者にすら、屋外活動控えるように勧告しているのは根拠なしでないだろう。自らの健康は自ら判断する時。残念ながらここでは日本政府より米軍情報を信頼して屋外活動を控えよう。」「「反核医師の会」が「日本のマスコミが放射能汚染の危険をレントゲン撮影の放射線量などと比較している事」を批判する声明を発表。報道機関がウラン等の放射性同位元素による危険を無視していることは容認できないと。」「厚生労働省が原発修復作業員の被爆許容限度を100mmSV/hから、一挙に250mmSV/hに引き上げ。250mmSV/hは米国原発作業員の許容量の5倍。」こんな情報がある限り、子ども達の安全には大人が責任を持たなければ・・・そう思ってしまう。心配のしすぎであって欲しい。そう思うのである。

あちゃちゃ!
3月号の作成をしている途中で、誤って2月号の一部を消してしまった。三週間前に作成した内容なので、自分が作ったものなのに、内容を完全に記憶しておらず・・・あちゃちゃ!である。その代わり、3月号は出来上がったのだが・・・・ああ、もったいないことをした。

我慢
母さんの食パンを買いにパン屋さんへ。最後の食パンを手に入れた。我が家にはパン焼き器もあるので、いざとなったら自分で焼けばいい。うどんも蕎麦も沢山あるから、あと1ヶ月くらいなら、何とか食べていけると思う。東北の避難所では餓死する人も出てきている、という情報もある。今こそ、日本中が力を合わせる時である。力を合わせて我慢する時である。

今日の写真1
左から真次郎、亮、直人、母さんです。3人とも六中ですね。真次郎は赤ジャージのサッカー部、直人は緑ジャージの陸上部、亮は青ジャージのテニス部という組み合わせです。この時は真次郎が高校生で、直人が中学生で我が家に居候、亮が小学生でした。兄弟のような3人でした。

今日の写真2
左が六中の赤ジャージの大力、そして緑ジャージの 尚代です。二人とも六中のテニス部で、二人とも関東優勝、全国3位の時のメンバーです。その共通点に今、気が付きました。彼らの時代はテニスコートが空いていることはありませんでした。今はガラガラ・・・。もう部活を懸命にやる時代ではないのでしょうか・・・。子ども達の果てしないエネルギーは何に向けられているのでしょうね。

今日の写真3
その六中テニス部の顧問になってくれたゆうじです。その向こうは奥様。もう新座の先生ではありませんから、クレームはこないでしょう。僕の後のテニス部の顧問は全員、新座市外へ飛ばされました。結果的にはみんなよかったと言っていますが・・・。子ども達は可哀そうでした。本当は六中のテニス部を潰したかったのかも知れませんね・・・。


20110316-1.jpg 20110316-2.jpg 20110316-3.jpg



3月17日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第76弾! 2011.3.17(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第76弾! 2011.3.17(木)   たかやん

代打
今朝も交通指導員さんの代打で一日がスタートした。最初の登校班を見送り、空を見送っていると・・・教頭先生の笑顔が見えた。そこでバトンタッチし、東門へ。東門に付いたのは7時50分頃。いつもより5分も早く着いて、子ども達の笑顔に会えたのだった。

平和
1年2組の窓を開けると・・・そこは本当に平和な世界だった。「空父、見て見て!」と自分のチューリップを見せる子ども達。今朝は水やりの日なのだ。お休みのふゆちゃんの分も水をあげる空。空が休みの時には七海が水をあげてくれていたらしい。誰かが休むと、誰かが代わりに水をあげる・・・さすが、好子先生のクラスである。1年2組の空気は暖かい。東北を中心に日本中が大変なことになっているけれど、1年2組を見ていると、「平和だなあ・・」と、空父は思うのである。

9時50分
窓を開ける。我が家の前のウェルパーク前に列ができた。「ちょっと行ってみようよ。トイレットペーパーとティッシュペーパーがあるかもよ。」と空ママを誘う。そろそろ我が家でも危険な状態になってきたのである。友だちからも頼まれていたし・・・「お一人様一品」と書かれてあったので、二人で行ってみたのだ。すると、お米もトイレットペーパーもティッシュペーパーもあった訳で・・・ところがレジで「一家族一品でお願いします」と言われ、絶句。(聞いてないよ・・・一人一品て書いてあるじゃない!)僕がレジを打ってもらっている間に、ひとみも別のレジで打ってもらっていて・・・結局、2家庭分買ったのだが・・・何か気まずい思いで帰って来た。夫婦で来た人達は、一人一品だから二人で来ていたんじゃないかなあ・・・。ま、いっか。

募金
気まずかったけれど、募金だけはしっかりとしてきた。今日一日で財布が空になったのだから・・・かなりの募金である。やれることはやっておかないと・・・。

14時
土地開発公社の理事会があった。勿論、自転車でダッシュして市役所へ。足の重りにも負けず、坂道を立たないで登れた。控え室でスーツに着替えて会議へ。会議は16時近くまで続いたのだった。

大規模停電
ネット情報で、大規模停電の可能性があることを知った。「計画停電」は確か、その大規模停電を防ぐ為に計画されたのではなかったか・・・・。それなのに、平気な顔をして「大規模停電」の可能性を発表する海江田何とかという政治家の顔をまじまじと見てしまった。東電にも民主党にも偏差値の高い人物がいない。EQが高い人物もいない。こういう非常事態なのだから、自民からも共産からも公明からも社民からもトップクラスの政治家を集めて考えればいいのに・・・。自分達で解決できないことは、人の頭脳を借りて考えればいいのだ。それを考えられないところがお馬鹿さんである。頭は悪くても、自衛隊のヘリで現地に飛んで、生身の被災者と生活をともにすれば、政府が何をどうすればいいかは分かるはずである。兎に角、国からの指示が少なすぎるのである。自衛隊に任せて、報告を受ける。東電に任せて、報告を受ける。そんなことだったら、サルにでもできるではないか!(できないか・・・)前にも書いたけれど、最初から自衛隊を20万人つぎ込んでいれば、こんな事態にはならなかったと思う。(国防は在日米軍に任せればいい。その為に思いやり予算を毎年差し出しているのだから・・・)自然災害と原発事故でこれだけパニックになるのだから、戦争などが始まったら・・・どうにもいかんだろうね。原発を二つも壊せば、日本の機能はガタガタになるだろうから・・・。それにしても東電は酷すぎる。政府の管理下に置きたい会社である。政府がだらしなければ同じだけれど・・・。


予定
計画停電の嘘と大規模停電のデマで、今日の予定は大幅に変更することになってしまった。楽しみにしていた塾もできなくなり、空はスイミングの選手コースで10分しか泳がないで帰って来た。明日の朝も「計画停電」だからと、水を必要以上に貯めて・・・・夕飯も早めに食べて、お風呂も早めに入って・・・結局、電気が消えることはなく・・・今もこうしてパソコンに向っている。東電と民主党に振り回された一日だった。でも、東北のことを思えば・・・これしきのこと。我慢、我慢。

今日の写真1
五中7期生の1年2組の集合写真です。五中のプールの前ですね。まだ入学したてという感じですね。革靴の子がいますねえ。僕も中学校は革靴で通っていましたけれど、制服には革靴の方が似合うかも知れませんねえ・・・。

今日の写真2
このリボンは二中です。僕の最後の卒業式の写真です。98年の月ですから、今からもう13年も前のことになります。左が晶子で右が真澄です。3年2組の子達はみんな良い子達でした。当時の二中には幻滅していましたが、この学年の子ども達には大満足でした。二中での最初で最後のクラスでした。

今日の写真3
そんな僕を支えてくれたのが、2組のお父さん、お母さんでした。卒業式の夜、こうしてお別れ会をやってくれたのです。僕の学級通信「一生懸命」の最後の読者に支えられて、僕は最後まで担任としての仕事をさせてもらいました。ありがとうございました!!

20110317-1.jpg 20110317-2.jpg 20110317-3.jpg



3月18日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第77弾! 2011.3.18(金)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第77弾! 2011.3.18(金)   たかやん

代打3
今日も交通指導員さんの代打。少し早い時間から立っていると、「先生!おはようございます!」と声を掛けられた。工事現場のおじさん(失礼)は教え子のお父さんだったのだ。「まさか先生が代わりに立っているとは思わなかった!」とDさん。「いやあ、いつもお世話になっているので、なんのこれしきです!」と空父。今朝は、教頭先生が来なかったので、子ども達を最後まで渡らせて・・・ダッシュで東門に向ったのだった。

読み聞かせ
今日は読み聞かせ。今年度最後の読み聞かせである。「小人」の絵本で教室中から歓声やら悲鳴やらが聞こえてきて・・・子ども達と一緒に楽しんだ。時間が余ったので、最後はじゃんけんゲームに「ドビン・チャビン・ハゲチャビン」で閉めたのだった。ああ、楽しかった!!

自転車
この際、自転車を直すことにした。ガソリンがなくなったら、頼りになるのは自転車しかない。ひとみと空の自転車を自転車屋さんに出して・・・僕は親友の家でお茶を飲みながら、タイヤ交換を待ったのであった。

16年前
僕と亮はその親友の家に居候になった。そして、それからパジェロでの100日間の車上生活の途中で、あの阪神淡路大震災があったのだ。12歳だった亮は28歳になり、4月から社会人。そして10歳だった太陽も26歳になり、4月から社会人になる。「大丈夫!何とかなる!」と、明るい太陽をみていたら、本当に何とかなるような気がしてきた。


今、命がけで原発で仕事をしている人達がいる。最初から原子炉を潰す気でいたら、そんなことにならなかった人達だ。福島第一がチェルノブイリになったら・・・そう思うと、心が揺らぐのである。自分の命を犠牲にすれば、母さんや空が助かるのなら・・・沢山の子ども達が助かるのなら・・・行ってもいい。そういう気持になってきている。もう若くはないから、何ができるか分からないが、もう十分に生きたという気もする。心残りはひとみと空のことだが、自分が犠牲になることで放射能汚染から逃げられるのであれば、守ることには変わりない。生きて、守るか、死んで守るかの違いである。父さんが死んだのも57歳。早すぎたとは思うが、子ども達は3人とも立派に?なった。空だって、きっと立派に成長しれくれるはずだ。今から60年以上前に、父さん達が戦地に向った気持が・・・少し分かるような気がする。彼らは家族の為、その家族の集合の日本の為に戦争へ行ったのである。
ついさっきまでは空とひとみだけは埼玉から一時脱出させることも考えていたが・・・家族を守るということはそういうことじゃあない。そう思いはじめてきた。誰かが死ななきゃ、守れないのだとしたら・・・それが自分でもいい。そう思い始めたのである。何なんだろう、この不思議な感覚は・・・・。何か人の役に立ちたくてしょうがないのかも知れない・・・。うーむ・・・。小さいことで悩むのはやめよう。水や食糧や寒さで悩んでいる人が何十万人もいるのだから・・・。ああ、何とかできないかなあ・・・。

テニスと水泳
暫くテニスをしていない。大学の集まりも、公式試合も全て中止・延期になった。貧乏でもテニスができるってことは幸せなことだったんだなあ・・・しみじみそう思う。今日も空をスイミングへ連れて行った。小さな体で2400mを懸命に泳ぎきった空は爽やかな笑顔でプールから上がってきた。スポンジのように何でも吸収し、成長していく空を見ることも、本当に幸せなことなのだ・・・。その幸せがこれから数日間、数週間の福島原発にかかっている。

今日の写真1
今朝の1年2組です。何だかほんわかした、暖かーい感じがしませんか。表情は見えなくても、背中からも感じられると思います。朝から、この空気の中で生活できる子ども達は幸せです。そして、そういう子ども達を持つ親もまた幸せです。

今日の写真2
そして今朝の読み聞かせ風景です。1年生は読み手のボランティアが多く、見守りもメンバーもいて、みんなで協力してやっています。かなり練習もするので、仲間意識も強くなってきて・・・本当に楽しい1年間でした。

今日の写真3
今日の絵本は「小人」のお話で・・・空はプールにも小人がいるんじゃないかと言って、かなりビビっていました。どこにでも小人はいるというお話だったのです。何でも疑ってかかる大人と違って、何でも信じてしまう心をまだ持っているのですねえ・・・。(反省しなきゃか・・・)

20110318-1.jpg 20110318-2.jpg 20110318-3.jpg



3月19日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第78弾! 2011.3.19(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第78弾! 2011.3.19(土)   たかやん

3600m
今朝の8時から空は泳ぎ始めました。朝練と午後練で泳いだ距離は3600m。その中には50mフリースタイルの連続20本(1000m)もあり、見ている方が倒れてしまいそうでした。でも・・・嬉しいのです。テニスではなくても、サッカーではなくても・・頑張っている空を見ることができるのは・・・福島原発次第で、この幸せが続くか、終わるか・・が、決まるんでしょうねえ。

なんだかいいね!
練習の後、東久留米のイトーヨーカ堂へ行きました。ひとみと空と僕の三人で自転車にのって行きました。いい天気で、風が気持ちよくて・・・。その時、空が言ったのです。「なんだかいいね。家族三人で自転車に乗るのって・・・・」「それ、お父さんか、お母さんの台詞でしょ!」と大笑いしたのですが・・・本当に、なんともいえない、いい時間が流れていました。東北で被災した方達のことを思い、自分達が幸せなことをかみしめた時間でもありました。

返信1
昨日の日記に返信が来ていました。
昨日のブログをみて メールしました。たかやんが書いていた、自分が死ぬことで 愛する人を守ることができるなら、それでもいいという考え方は少し違う気がしています。

若輩者が差し出がましいのですが、それは自分勝手な考え方ではないかと思います。
私は 愛するということ=「責任を取り続ける」ということだと思います。たかやんが考える 原発を止めにいく というような、家族を含む困っている多くの人のために 身を投げうつ行動というのは、残された家族が 気持ちの隙間を埋めるために考えることであって、
本当は 死ぬ瞬間まで一緒に暮らし、夫として父としての責任を果たし続けていくこと。それが 愛する者を守ること だと私は思います。

死んでしまっては何もならない。守り続けることはできません。どんなに苦しい状況にさらされても、瓦礫の前に立ちすくんでも、生き続けなければ 愛することはできません。

TVを見ていれば、はっきりしない国の姿勢に憤り、自ら原発を止めにいきたくなる気持ちも物資を届けに行きたくなる気持ちも、とても良くわかります。

しかし こんな状況下であっても世の中は少しずつ動いています。誰もかれもが指を加えて見ているだけではありません。みなそれぞれに与えられた役割があり、自らの役割の中で愚直に職務を全うしようとしています。

乗れる保証もない駅で電車を待ち、何時間もかけ職場と自宅を行き来する人たちがいます。
大混雑の駅で ここにいる全ての人に家庭や職場や役割があり、それを止めずに動かそうと必死に生きているのだと思い、誰一人として取り乱すことなく 静かに行動する姿は感動さえ覚えます。

たかやんには
父・夫・息子・市議・先生…どれも大切な役割がたくさんあります。それに関わる全ての人たちを、死んで守るなんて事は許されませんよ(苦笑)

これからも 震災前と何一つ変わりない愛で 地域の子どもたちを愛し、地域に残り そして教え続けてほしい。

私が選んだ 高邑市議としての役割では、こんな事態になっても 本当に観光都市新座を貫くのか、もう一度 市長に問うてほしいし、子どもたちの塾の先生としてのたかやんには
塾を楽しみにしている子どもたちのために、もっともっと学ぶ喜びを教えてほしい。そして何より愛するご家族と地域の子どもたちのために、新座に残り続けて 今までと変わらない愛情を注ぎ続けてほしいのです

たかやんを 信頼する人生の先輩として尊敬すればこそ、本当に失礼千万を承知の上でメールをしました。

* 実は昨日の日記を書いて、暫くしてから思ったのです。同じことを・・・自分ができることはなんなのか・・・家族や塾の子達に対する責任はないのか・・・ただ、書いたときは・・・自分が行くことで、子ども達が助かるのなら・・・そういう選択もありだな。そう思ったのです。ずっと死ぬことんは抵抗があったけど、子ども達の為に死ぬなら・・・そんなに悪くないぞ、という気がしたのです。勿論、それは僕が死ねば、みんなが助かる・・という設定です。犬死は嫌ですから・・・。ただ、気持だけでも、そういう気持になるんだということが不思議でした。子ども達の為に、まだまだ死ねない!そう思っていた自分が、子ども達の為になら・・死ねそうだったから・・・そんな自分の心境を書いてみたくなったのだと思います。原発はとりあえずは落ち着いたようです。チェルノブイリみたいに「石棺」を造り切るまでは安心できませんが、それまではそういう「気持」を持ち続けたいと思っています。そして、父として夫として、息子として、弟として、塾の先生として、僕は自分の責任を生きることで果たしていかなくてはいけない。今はそう思っています。勿論、市議会議員の僕を応援してくれている、沢山の応援団の方達の為にも・・・・。

空の涙
一日に3600m泳げても、中学生よりも計算が早くても、後ろ二重跳びが出来ても・・・ずっと大震災のテレビを見ていたからでしょう・・・「お父さんもお母さんも空も死んじゃうんだよね」と、言って突然泣き出しました・・何ができても、やっぱり心は7歳なんですね。僕も50年前に同じことを感じて、泣いたことがありました。そのとき、母さんは「大丈夫、とんちゃんが死ぬ前にお父ちゃんもお母ちゃんも死んでいるから・・・大丈夫、とんちゃん一人じゃないからね。絶対寂しくないからね。」僕は、母さんのその一言で心が落ち着き・・・死ぬことを考えることで悩まないようになったのです。きっと、今日はひとみが空に同じことを言ってくれたでしょう。「大丈夫だよ、空。お母さんも、お父さんもずっと空を見ているからね。ずっと一緒だよ!」って。

僕らに出来ること
空が寝てから・・・友だちが、我が家に集まりました。テーマは「被災者の為に、僕らが何をやれるのか」でした。支援物資を運ぶドライバー。被災者を受け入れる為の協力者を募る、募金活動・・・その為の掲示板の開設・・・話は真夜中の0時まで続きました。政府が民間の緊急車両を認めるまで動けませんが・・・「僕らに出来ること」はあるはずです。

今日の写真1
僕の相棒です。東門に毎朝立っている純一です。僕は駅立ちで抜けることがありますが、純一は殆ど毎日で・・・頭が下がるのです。

今日の写真2
僕が大好きな「観光プラザ」でのツーショット?です。僕が嫌いなのは「観光新座」。でも、ここの空間は好きなのです。不思議ですねえ・・・。

今日の写真3
チームたかやん?の写真です。みんなテニスが大好きで・・・語るのが大好きで・・・テニスをやっていてよかったなあ・・そう思います。僕がテニスをやってなかったら、この中の半数以上はテニスをしていなかったはずです。僕にテニスをさせてくれた神様に感謝です。

20110319-1.jpg 20110319-2.jpg 20110319-3.jpg



3月20日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第79弾! 2011.3.20(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第79弾! 2011.3.20(日)   たかやん

アルバム
空が入学してから1年間のアルバム作りをはじめた。4月の8日にスタートし、今月の25日で終わる予定のアルバムである。入学式での先生や友達との出会い。読み聞かせや朝顔を世話する子ども達の表情を見ていたら、ふいに涙がでてきた。この子達に明るい未来があって欲しい。そう願わずにはいられない・・・。全ては福島原発にかかっている・・・。

東北大
僕は北大庭球部(北大は卒業したけれど、本当に学んだのは北大庭球部だった)出身だが、第二の出身校は東北大庭球部だと思っている。それくらい、東北大の先輩達には可愛がってもらっているのだ。もうどっちがどっちの先輩か分からないくらい・・・・。そして、今のダブルスのパートナーも東北大の西谷昭。この地震で仙台はかなりの被害を受けていたし、東北大の現役の子達も心配で・・・東北大庭球部のホームページを覗いたら・・・現役は全員無事との書き込みがあって、ほっとした。そして、先輩の方達も大丈夫みたいで・・・今年のOB七大戦は中止になって会えなかったけれど、東北が復興すれば、またテニスができるようになって会えるようになると思う。少しほっとした空父であった。

募金
このところ毎日のように募金している。なかなか動けないから、少しでも役に立てたらいい・・そういう気持なのだ。

ムース
昨日、近くのバイク屋さんで、六中の赤ジャージの子とバッタリ!向こうが「たかやん!」と、呼んでくれたのだ。「Wです」「おう、久しぶり!確か赤ジャージだったよね。茜や道下と一緒だったよね。」「そうっす!」「俺の学年じゃあないのに、何で君らの学年のこと覚えているんだろう・・・そうか、2クラス教えていたからか・・・」「覚えていますか、ムース事件・・・」「いや、何かやった?」「俺、授業中頭にムースつけてたんですよ。そうしたら、ベランダからいきなりたかやんが現れて・・・俺、顔中にムース塗りたくられて・・・一生忘れないですよ。」「ごめん、ぜーんぜん覚えてないわ・・・」「嘘!」「悪いねえ。やった方は覚えてないのよ。やられたほうは覚えているらしいんだけどね・・でもね、怒ったらそれで終わりだから・・。どんなことで怒っても引きずることはなかったよ。」「そうですよね!」「そうよ、それが大事よ!」赤ジャージの腕白坊主は立派なお父さんになっていた。それも空と同じ学年のお父さんである。どこかの入学式で、また会うのかも知れないなあ・・・・。

スクール
久しぶりにスクールを見た。みきちゃんと成瀬校長の関係が微笑ましかった。自分のことを「校長先生」と呼ぶのは勘弁して欲しかったが、それ以外は(ありかも・・・)と思ってみていた。

不登校
ちょっとしたことが原因で不登校になる時代である。担任の先生が行っても、なかなか会えなかったり、来てくれなかったり・・・。六中時代、僕はこんな手を使った。無理やり、彼の部屋の漫画を借りたのである。「これ貸して!」と漫画を借りる。そして、「続きを借りに来た!」と部屋に押しかける。クラスメートが僕と一緒に遊びに行くようになる・・・その数がどんどん増えていく。そして、その数がクラスの大半になった時・・・彼は当たり前のように学校に来ていた。

経験
それは五中での経験から学んだ方法だった。僕は毎朝、彼女と一緒に学校へ行った。彼女の家に寄る為に、バイク通勤をやめ、ひばりが丘から電車で通い始めたのだ。最初は勿論、二人だけの登校だった。それが、段々増えていき・・・クラスの何分の一かが一緒に登校するようになって・・・彼女はご飯が食べられるようになった。気が付くと、笑顔が戻っていたのである。ちょっと時間はかかるけど、みんなの力を自然にかりる・・・それが一番である。子ども達には、教師が持っていない力があるのだ。それを僕は五中で学んだ。

今日の写真1
五中の何期生かは覚えていません。学校での演奏を禁止されたので、僕らと一緒に中央公民館を借りて、コンサートをやりました。学校でやるよりも、遥かに自由だったので、服装もこんな感じで・・・・。笑えますよね。やんちゃな中学生と一緒に、やんちゃな教師達もコンサートをやったのですから・・・・。やんちゃな教師の片割れは・・・どこかの市で静かに先生を続けているようです。もう一人は、学校を飛び出し、海外へ行ったり、うどん屋をやったり、塾を始めたり・・・挙句の果てに議員になって、教育長に噛み付いているらしいです。

今日の写真2
可愛いですねえ・・・。五中の10期生の1年1組の子達です。左から和子、伸一、真奈美です。中1がこんなに可愛いのですから、中学校の教師から見ると、小学校6年生なんて・・・赤ちゃんのようなものです。小学校の先生達にもその感覚が欲しいなあ・・そう思うことが、時々あります。

今日の写真3
同じクラスの男の子達です。どうしてみんな坊主なのでしょう。それはですね・・・。担任が坊主になったからです。「暑いから、男は坊主にするぞ!」と学活で宣言して、3日ほどで全員坊主になりました。1年1組はそれで連帯感ができて・・・殆どの行事で優勝しました。みんな坊主じゃあねえ・・。燃えるしかありませんから・・・。親からのクレーム?そんな親は一人もませんでしたねえ・・・。

20110320-1.jpg 20110320-2.jpg 20110320-3.jpg



| 1 | 2 | 3 | 4 |
2011/3
SuMoTuWeThFrSa
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

前月     翌月