Diary 2008. 2
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2月21日 (木)  『一生懸命』たかやんの議員日記 第52弾! 2008.2.21 

『一生懸命』たかやんの議員日記 第52弾! 2008.2.21   たかやん

一生懸命
前から思っていたのだが・・・「議員日記」という名前は詰まらない。と、言うことで、今日から『一生懸命』という名前に変えることにした。この名前は由緒ある名前で、僕の教え子達はきっと喜ぶと思う。五中時代は100号を超えるくらいだったが、六中・二中では244号は軽くいった学級通信の名前なのだ。要するに日曜日以外は毎日、11年間書いたのである。

議会報告
ついでに月に一度発行の「議会報告」も『一生懸命』という名前にしてしまった。月曜日に発行予定の3月号から『一生懸命』になる。お楽しみに!

『一生懸命』
本当は「一所懸命」が正しい・・・そういう人もいるが、僕は『一生懸命』の方が好きなので、正しいかどうかはどうでもいい。僕が子ども達に伝えたかったのは『一生懸命』なのだ。

結局
駅立ちはできなかった。熱が下がらなかったのだ。しょうがないので、家の中でできることをやっていた。

堀の内病院
余りにも酷い状態なので、堀の内病院へ行った。「ひどい花粉症ですね」と言われた。選挙中思い切り花粉を吸い込んでいたのだろう。こんな調子で3月議会に突入できるのだろうか・・・・

連立
今回の選挙で議席数を維持したのが7の公明党と6の共産党、そして3の民主党。そんな中で11から7へと激減したのが自民党。そう定数を削減して、沈んだのは実は自民党なのだ。4つ議席を減らした分で、何とか7議席を確保したというのが本当のところだろう。今、国会では自民・公明VS民主・社民・共産という構図なのだが、新座の場合、今までは民主が自民・公明と歩調を合わせてきた。公明7・自民7・共産6・民主3という議席数も不思議な数だ。無所属の平松大佑と島田くによを入れると民主系会派が5ということにはなるが・・・・。語る会はどうしたらよかんべさあー・・・・俺がどっかに入ったら、応援団は怒るべさかなーや・・まいっか・・・なるようになるさ。まだまだ考える時間はある。

議案
そんなことより、議案を読み込まなくては・・・・。議案と参考資料の束とにらめっこだ。
がんばるぞ!
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2月22日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん議員日記 第53弾! 2008.2.22   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん議員日記 第53弾! 2008.2.22   たかやん

一生懸命
毎日の議員日記も、毎月発行する議会報告も「一生懸命」にすることが決まった。何がなんだか分からなくなりそうだが、エネルギーが沸いてくるのは確かだ。子ども達との記憶が、今の僕のエネルギー源という訳で・・・。

議案
午前中は3月議会の議案に目を通した。分厚い資料を見ていたら、4年前の自分を思い出した。数字が読めないのだ。単位が千円の予算書に億のところで印を付けた記憶がある。「予算書の見方」などという講義もなく、いきなりの本会議。そして質問には勇気が必要だった。委員会でもトンチンカンな質問をして・・・あと5日で本会議がスタートする。頑張らないといけない。

丈児
五中の最後の卒業生丈児が遊びに来た。20年振りの再会は、選挙前のひばりヶ丘。そして今日久しぶりにゆっくり話すことになったのだ。そして今日は丈児以外にも、貢・エイト・じゃんこ・次郎・満寿子と応援団のメンバーが集まり・・・

陸上部
丈児は陸上部だった。じゃんこも陸上部。「あれ?久しぶり」「あ?知ってる!誰だっけ?」じゃんこは相変わらずとぼけている。高校3年生の時に、あの箱根駅伝に出たくなり、大学を受けるが失敗。社会人になってからはトライアスロンに燃えたという丈児はいい顔していた。

合格名刺
夕方からは塾。子ども達といると本当に元気になるから不思議だ。明日は歩美の都立受験の日。合格名刺を渡して、握手をする。これで大丈夫だろう。

餃子
今夜は満寿子の餃子で一杯やった。貢は川口から来たので、そのまま泊まりだ。ママの餃子も美味いが、満寿子の餃子も美味い。選挙で折角4キロも減量したのに、今夜だけで2キロ戻ってしまった。

健康第一
さあ、これから3月議会だ!というのに、体調がなかなか戻らない。選挙って奴はなかなか疲れるものなんだなあ・・・。4年間、地道に汗をかけってことだ。   たかやん



2月23日 (土)  『一生懸命』幻の議員日記 第52弾! 2008.2.23   たかやん

『一生懸命』幻の議員日記 第52弾! 2008.2.23   たかやん


夜中、ずっと咳が止まらなくて困った。喘息のようになってしまったのだ。腹筋が痛くなるくらい咳が続いて・・・意識が朦朧としたまま朝を迎えたのだった。

口内炎
体調が悪いと口内炎ができるというのは本当の話で・・・・。口内炎がひどくなり、歯まで痛くなってきたのには参った。体力が落ちているのを感じる。

鰹節
それでも朝は鰹節を削って、味噌汁を作った。みんなと一緒の朝ご飯は美味しい。若いということは凄いことで、みんなバクバク食べていた。

議案と資料
議会報告を作成しながら、再び議案と資料に目を通す。読んでいたら頭が痛くなってきた。
花粉症のせいなのか、20年度予算のせいなのかは分からない。本当に頭が痛い・・・。

春一番
あの嵐は何だったのだろう・・・。雨と間違えるくらいの黄沙で外は真っ暗になった。あれが春一番?凄かったなあ・・・。

順天堂
練馬の順天堂病院へ行った。茜のお見舞いである。扁桃腺の手術をしたのだ。「喉以外は健康そのものなの」「本を読むしかなくて・・・」と少し退屈そうな茜。あっという間にテニス界に復帰しそうだ。

石神井公園
久しぶりに石神井公園の前を通った。17歳の頃の自分を思い出した。よく行ったうどん屋さんはもうない。景色は昔と全く変わったけれど、公園そのものは昔のままだった。

通告
一般質問の通告の締め切りが近い。火曜日の正午だというから、早く作らなくてはいけない。大体はできているのだが、項目を絞るのが大変だ。さて、どれにしよう・・・選挙中に陳情されたこともあるし・・・うーむ。明日にしよう。 
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2月24日 (日)  『一生懸命』たかやんの議員日記 第54弾! 2008.2.24   たかやん

『一生懸命』たかやんの議員日記 第54弾! 2008.2.24   たかやん

起き上がれない・・・
どうも体がおかしい。朝、お風呂に入って、絶好調!と言うはずが、そのまま布団に横になってしまった。そして熟睡。昼寝とかいうレベルではない。夢を見るくらい眠ってしまった。咳が止まらず、熱もある。困った・・・。

イラストレーター
それでも、明日の駅立ちで配布する『一生懸命』の作成に燃えた。新しいB4タイプのものを作り、印刷してみる。ところが、どうもしっくりこなくて・・・結局A4タイプの形に戻したのだった。それにしてもイラストレーター(ソフトの名前)は奥が深い。まだまだ未熟者のたかやんであった。『一生懸命』は完成したが、明日の朝は配れそうもない。あと1週間先になりそうである。

子ども達
それでも塾の子ども達と会うと元気になるから不思議だ。昔からそうだったが、子ども達の顔を見ていると、気持ちで復活するのだ。今日も3時間があっという間に過ぎていった。

エイト
今回の選挙で一週間、ずっと車の運転をしてくれたのがエイト。小学校の先生からは「要指導」とブラックリストにあげられていた少年が、テニス部に入り、ダブルスで県のチャンピョンになる。シングルスも強く、全国大会まで団体戦では一度も負けなかった男である。彼は足が速かった。お父さんは県の中学生の記録保持者だったというDNAは本物で、高校時代は100Mをスパイク無しで10秒台で走ったというのだから凄い。そしてエイトは高校へ行っても、ダブルスで優勝したのだ。サウスポーから繰り出されるサーブは切れがよく、まともに入ると返せないほどだった。大学は東海大に進学が決まっていたが、お父さんが倒れ、農業を継ぐことに・・・・僕の塾の子ども達は、何度もエイトの農園で農業体験実習をやらせてもらった。そんなエイトが今回の選挙では7日間、ずっとハンドルを握ってくれた。1年生の時の担任の為に、そしてテニスの師匠の為に・・・・僕は教師を辞めたけれど、子ども達との関係はいくつになっても続いている。本当に幸せなことである。

ジャンコ
エイトと同じ1年1組にその子はいた。純という少年と純子という女の子がいた為に「じゃんこ」と呼ばれるようになった女の子は、陸上の選手だった。毎日、毎日ひたすらトラックを走り続ける中距離ランナーである。そのジャンコが僕の議会報告『一生懸命』の作成を手伝ってくれている。イラストレーターを駆使しながら、僕が書いた文を組み込んでいく。今回、名前を『一生懸命』にしたのもジャンコの影響である。彼女達にとって、『一生懸命』は中学時代の宝物だったのだ。そして僕にとっての宝物はジャンコ達だったのである。

満寿子
ジャンコのクラスに満寿子もいた。今はひとみの親友のような満寿子だが、1年生の時の3年生は遠い存在だったらしく、最初はずっと「野口さん」と呼んでいた。今では「ひとみちゃん」である。満寿子も今回の選挙では東大泉から毎日のように駆けつけてくれた。満寿子が来ると我が家が明るくなる。雰囲気というものは中学時代から変わらないものかも知れない。満寿子を見ているとそう思う。この間は五中のサッカー部だった努も一緒に泊まっていった。二組の夫婦と子ども達が一つの部屋に寝るのだから面白い。全員が五中だからかな。

舞ちゃん
フラフラだけど、明日の舞ちゃんだけは行かないと・・・。そして舞ちゃんに元気をもらおう。駅立ちは諦めた。みなさん、来週まで待っててください。
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2月25日 (月)  『一生懸命』たかやんの議員日記 第55弾! 2008.2.25   たかやん

『一生懸命』たかやんの議員日記 第55弾! 2008.2.25   たかやん

痙攣
夜中に足が攣った。久しぶりに大声を出した。痛かった。でも痙攣が心臓じゃなくてよかった・・・そう思った。体調が戻らない。そんな話ばかりで、この日記を読んでいる人には本当に申し訳ないのだけれど・・・。

舞ちゃん
笑顔で舞ちゃんのところへ。「苦しくても笑顔」は得意である。今日も舞ちゃんとたくさんお話をしながら石神小へ行ったのだった。

運動
体調が悪いのは運動不足かも知れないと思い。思い切ってテニスをしてみた。挨拶もかねて新豊テニスクラブへ。たくさんの人から「先生、おめでとうございます」「よかったですね」と言葉をかけてもらったり、握手してもらったり・・・うれしかった。ひとみ・優子・エイトとダブルスをやる。走ると胸が苦しい。テニスはあっという間に終わった。汗をかいて、風呂に入ってさっぱり!午後から市役所の予定だったのだが・・・

電話
市民からの一本の電話に僕の心は揺れた。「一人会派でいてください」「語る会でいてください」というものだった。そして他にも同じような電話が・・・・。元々一人が好きなのだ。自分が思ったことを言えるから。僕を応援してくれている人たちの思いを伝えることができるから・・・。なかなか何かを実現するのは難しいけれど・・・。

目眩
お風呂から出てきたら、目の前が真っ暗になった。何かかがおかしい。約束の3時前になっても回復しない。もう無理だとなってメールをして、布団に横になった・・・・・どれくらい眠っただろう。ひとみが帰ってきて、心配そうに顔を覗き込む。どうやらお客さんらしかったのだが・・・咳と熱でどうしようもない・・・・。電話を持ってきてもらい、電話でお話。本当に情けない・・・・そして申し訳ない。


布団から這い出して、それでも塾へ行った。子ども達にうつさないように、マスクを二重にして行った。熱は下がらない・・・でも、授業は楽しかった。授業中に鼻血が出た。体がどうにかなっているのか、それとも鼻のかみすぎか・・・これが俺の体なのか・・・悲しくなってくる。

駐車場
家の前の駐車場で少し寝た。明日は9時半から全協。一般質問の通告も締め切り。選管にも行かなくてはいけない・・・・自転車で気合で行くしかない。僕の運命はどう転ぶのだろう。一人会派でいくのか、それともチームの一員となるのか・・・。答えは自分が出すしかない。
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2月26日 (火)  『一生懸命』幻の議員日記 第56弾! 2008.2.26   たかやん

『一生懸命』幻の議員日記 第56弾! 2008.2.26   たかやん

運命の朝
咳が止まらない・・熱が下がらない・・・市役所に付いたのは8時半過ぎ。それから選管へ行った。選挙公営の書類を提出しなくてはいけない。選挙は後始末も大変だ。

刷新の会
9時過ぎ、刷新の会の控え室へ。みんな笑顔で迎えてくれた。早速みんなで一般質問の作成をする。「これ、どうですかねえ・・」と島田さん。4年前の自分を思い出す。

議員委員会
あいうえお順で並ぶと、左隣が滝本さんで、右隣が白井さん。何か不思議な感じがした。気になったのは平八さんが休みだということ。どうしたのだろう・・・

そして・・・
会派届けの時が来た。僕は一人会派「語る会」になった。仲間との楽しそうなチームは組めずに終わった。みんないい感じの人たち。残念だけど、これも人生。僕には一人が似合っている。

代表者会議
5つの会派の代表者が集まった。語る会もその一つだ。会派の控え室の話になった。僕は部屋は狭くなってもいいけれど、暗い部屋は嫌だ。それだけを主張した。他の会派は平林寺の林が見えて、風も入ってくる。一人会派の部屋からは外が見えない。それで暗いのでは悲しすぎるのだ。

昼抜き
フラフラで御飯が食べられず、そのまま議運に突入した。代表者会議とは別のメンバーが集まってきた。僕だけはそのまま・・・・一人会派の辛いところだ。ここで議長・副議長・監査の三役が決まった。僕が一人会派になった影響で、もめることなく決まっていった。議長は嶋野さん。副議長が工藤さん、監査が亀田さんという女性三人の三役である。
それから委員会の委員長も決まった。総務が川上さん、文教が平松さん、厚生が石島さん、建設が森田さん。そう、議運の委員長も平野さんとフレッシュな顔が揃ったのだった。

腹減った・・
5時半には会議が終了。4年前に比べると格段に早く終わった。これも「語る会」効果である。家に帰って夕飯を食べ、塾へすっ飛んでいったのだった。子ども達は試験前、質問に答えているうちに時間が過ぎていく・・・・そして長い一日が終わろうとしている。予想外の展開でなかなか面白い一日だった。人生って本当に不思議なものだなあ・・・。
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2月27日 (水)  『一生懸命』たかやんの議員日記 第57弾! 2008.2.27   たかやん

『一生懸命』たかやんの議員日記 第57弾! 2008.2.27   たかやん

肩たたき
目が見えない人は「目が見える」こと以上に
望むことは無いのでしょう
耳が聞えない人は「耳が聞える」以上に
望むことは無いのでしょう
この人達がもし目が見えたり 耳が聞えたりしたら
一生を感謝と報恩の気持ちで過ごすことが出来るのだと思う
今の私に何の不満があるというのだろうか

両手のない人が言っていました
自分の一生の願いは
「母さんの肩をたたくこと!」
その想いに胸を熱くしながら
「おまえも年を食ったな」と冗談まじりに妻の肩をたたく
そんな時「幸せ」を感じるのである

* 僕の親友、島至の詩だ。僕は人生の中で本当に苦しいことがあると、父さんの詩を読む。すると力が沸いてくるのだ。生きる力がわいてくる。そして、ちょっと癒されたい時、僕は島至の詩を読む。心が癒され、そして姿勢が真っ直ぐになる気がする。「詩」にはそういう力がある。

人生は詩である          島至

人生は自分が作る詩である
だから好きな詩を書く
だから美しい詩を書く
この詩は「言葉」ではなく
「行動」で書く

人生は真理の探求と言うより
詩の想像である

* 詩を書こう。言葉の詩も、そして人生という詩も。美しい、そして好きな詩を書こう。愛する息子達の為に、愛する妻の為に、たくさんの友達の為に。父と母の為に。そして何より自分の為に。

日記
そうだ、日記だった。相変わらず咳が止まらず、今日も自転車では行けなかった。その体力がないのである。車で送ってもらったのだ。つまり「5つの約束」を初日から破っていることになる訳で・・・。本当にさえないスタートだ。

一人会派
本会議が始まり、議長・副議長の選出があり、直ぐに休憩。次は議運だ。その隙にヒアリングが始まった。45分から議運だったので、43分に「あの議運が始まりますので・・・」と席を立とうとしたが、「あ、あと少しだけ・・・」「あ、はい」と立ったままで答える。我慢していたトイレに行き、そしてダッシュで議運へ・・・1分遅れて、注意を受ける。当たり前だ、みんなを待たせたのだから・・・僕が悪い。それからは控え室には帰らないことにした。そうすれば会議に遅れることはないから・・・・。いつも議会事務局の人たちと一緒にいれば安心だ。

惻隠の情
今日の議運で感じたことは「惻隠の情」がないということだ。大きな強い会派が何から何まで自分達の意見を通そうとしたら、弱小会派はひとたまりもない。一人になるのがいけないんだといわれればそれまでだが、それは障害があるのがいけないんだと言われているようなものだ。今日は「二十六分の一の権利」を主張し続けたが通じなかった。そんなに数が大事なら、どこかの会派に加わって、2年後の議運は徹夜もありにしてみようかという気にもなる。一人会派の主張を完全に無視するなら、議運に出る意味はない。昨日も一日中会議に出続けたのは僕独り。僕の友達は議会事務局の人達だけ・・・なんてね。

軟弱
今日は何度か説得をされた。その度に、その人たちの面子を考えてしまう僕がいた。どうも弱いのだ。喧嘩腰できてくれたら25人相手でも引かないのだが・・・・軟弱なのよねえ・・・僕って・・・。

お昼
控え室でお弁当を食べた。前は幸弘や星川さん、勇さんがいて賑やかだったのだが、今日は一人。学校に行っても、友達がいない子どもの気持がよくわかった。教育委員会へ行くと、宮本先生がお茶を入れてくれた。ソファーに座って、森田先生達と話していたら何だか心が暖かくなった。

フレッシュ
そんな議会だが、新人が増え、新しい議長、新しい教育委員長、新しい議運の委員長、そして委員会の委員長とみんなフレッシュな感じがして、ちょっと嬉しくなる。みんなが少し緊張し、そして張り切っているようにも見える。一人会派のおっさんも、少しは緊張して、そして張り切っていかねばならぬ。
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2月28日 (木)  『一生懸命』幻の議員日記 第58弾! 2008.2.28   たかやん

『一生懸命』幻の議員日記 第58弾! 2008.2.28   たかやん

小さな手
夜中に空が僕の手を握ってきた。小さな手だが、あったかい手。空は安心したのか、あっという間に眠ってしまった。そして、僕もまた空の手のぬくもりを感じながら、幸せを感じて眠ったのだった。

8番中田勇
僕の新しい議席は8番。そう、勇さんの席である。一番前の端っこ席で、隣りは議長の嶋野さんの席だから空席。その隣りは傑さん。なかなかいい席なのだ。マイクの前に立ったら、「8番中田勇です」と言ってしまいそうな気がしないでもない。星川さんの14番の席には誰が座っているんだっけ・・・島田さんかも知れないな。僕の9番の席は小鹿さん。本当に新しい議会が始まった。

ピザ名人
僕の目の前に座っている伊藤教育委員長はピザの名人である。何度か教えてもらったのだが・・・食べたいなあ、ピザ。教育委員長の顔を見て、ピザを思い出すのは僕くらいかも。

プレゼンテーション
全協の説明は確かに難しかった。「プレゼンテーションというのは、自分が伝えたいことを、相手に分かり易く伝えることが大事なんです。」という刷新の会の佐原さんの意見に大賛成である。数字をいくら上げられても、(結局何がいいたいの?)(何を伝えたいの?)と思ってしまうのだ。最後に(なあんだ。結局こういうことね!)となるのだが、そこに至るまでが長くて・・・今日の全協は久しぶりに、この僕が“眠気”と戦ったのだった。

施政方針
20年度の市長の施政方針演説を聞いた。成る程と思うこと、どうして?と思うこと・・・色々あった。サブタイトルは「進めよう 連帯と協働による 観光都市新座づくり」うーん、これが一番理解できないんだよなあ・・・。

合格発表
今日は都立高校の合格発表日。我が塾の受験生もめでたく合格した。大丈夫だと思っていても現実に合格すると嬉しいものだ。危ないかも知れないと思っていた時の合格は、更に嬉しい。今日は本当に嬉しい日になった。

お弁当
今日は議会事務局でお弁当を食べた。星川さんがいたら怒ったかも知れないが、一人では味気ないので、議会事務局の方達と一緒に食べた。転校生が初めて友達を作って安心した日のような気持ちだったかも知れない。勇さんも、星川さんも、幸弘も、文さんも、よっちやんもいない・・・「議会は学校じゃあねえ!」と怒られそうだが、僕は今、本当に寂しい。みんな考え方は違っていたけど、いい人達だったんだよねえ・・・。かといって、刷新の会の部屋には行きづらいし・・・・やっぱり議会事務局しかないか・・・・。

休会日
明日は休会日。お袋を連れて病院へ行こうと思う。僕の咳がうつってしまったらしいのだ。午後からは空のスイミング。8級から7級に上がったというから、見に行こうと思う。楽しみ、楽しみ。
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2月29日 (金)  『一生懸命』幻の議員日記 第59弾! 2008.2.29   たかやん

『一生懸命』幻の議員日記 第59弾! 2008.2.29   たかやん

休会日
今日は議会がお休み。久しぶりにゆっくりと起きた。昨夜遅くまでお客さんが来ていたので、お休みで本当によかった。掃除をする時間もありそうだ。

ゴミだし
庭の掃除をして、ゴミだしをした。この間の選挙から庭掃除をしていなかったのだ。あの黄砂を被ったままの庭は流石に汚れていた。

病院
お袋を連れて病院へ行った。目が赤く腫れてしまったのと、咳が止まらないのとで眼科と内科の診察を受けた。お袋のことも選挙が始まってからずっとほったらかしだったので、ちょっと気が楽になった。

7級
空が7級に上がった。久しぶりにスイミングクラブへ行くと・・・成る程、綺麗に泳いでいる。しかも笑顔いっぱいだ。親は子どもの笑顔を見るほど嬉しいことはない訳で・・・

メール
教え子からメールがきた。
今S小学校が卒業式の件で揉めています。卒業式の形式を去年までと違うものにするっていうのを、校長先生が何の説明もなく「私が学校経営者だから、私の言う事に従え」と言う感じで…それでは、保護者と児童と教師の一部も納得がいかず、署名を募っているんです。

おだやかじゃないですよね…。この時期に子供達が本当に可哀相で…。
来週から卒業式の練習も始まるし。

別に私は卒業式の形式が変わるのはいいんです。それが国や教育委員会の方針だというなら仕方ないのかもしれない。
でも校長は酷い。子供が今までの卒業式のスタイルでやりたい!と校長に言っても、親が説明を求めても、10のうち1も汲んで話しをしようという態度を見せず 「私が決める事だから!」と。親に対しては「子供を説得して納得させるのが親の役目」
教師に対しては「子供を説得して納得させられないなんて能力がない教師」
なんて…。
とても校長の言う台詞とは思えませんでした。
たかやんはどう思いますか?
この件 もう知っていたでしょうか?

* 「私が決めること」という校長が多くなってきた。行事も儀式も校長のものだと思い込んでいるタイプが多い。一見強そうに見えるが、案外脆いものである。そして、彼らは子ども達の記憶には残らない。子ども達が大人になっても忘れないのは、強い校長ではなくて、優しい校長先生なのだ。卒業式で涙を流す校長先生なのだ。こういう強いタイプの校長は卒業式ではまず泣かない。「儀式」だから泣けるわけがないのだ。そして任期が終わると、去っていき、誰からも思い出されることはない。大学を卒業してから、ずっと「先生」と呼ばれ続け、管理職試験に通り、(俺は偉いのだ!)と勘違いしているとこういう校長になることが多い。「経営者」なら顧客を満足させなくてはいけないのに、どうやらCSも知らなさそうである。
僕はこの小学校の校長は知らない。だけど、一言いっておきたい。
「学校の雰囲気を明るくすること。それが貴方の仕事です」と。僕は子ども達の心からの笑顔を見たい。きっと、先輩達が築いてきた伝統のある卒業式があるのだろう。その卒業式に子ども達は憧れを抱いているのだ。その小さな夢を壊さないで欲しい。
そう、卒業式は貴方が決めるのだ。子ども達や親が感動する卒業式にするか、貴方が押し付けて、感動のないただの儀式にするか・・・残念ながら学校は貴方のものではない。勿論、教育委員会のものでもない。学校は地域の宝なのだ。そういう校長は任期が終われば、忘れ去られるだけだ。地域の宝を輝かせた校長だけが人々の記憶には残り、そして校長自身もその学校のことを忘れないのである。僕は貴方を知らないが、どうか子ども達の記憶に残る校長先生であってほしい。

署名がどこに提出されるかは分からない。でも、月曜日には市教委や文教の委員長には伝わるだろう。子ども達のことを応援してくれるといいのだが・・・・
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