Diary 2016. 8
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8月11日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第224弾!  2016年8月11日(木)

『一生懸命』幻のたかやん日記  第224弾!  2016年8月11日(木)

5時
今朝の起床は5時。今日もオリンピックが気になって、気になって・・・特に体操の個人総合が気になって・・・まあ、ハラハラドキドキしながら応援していた訳で・・・最後の鉄棒は見ていられないくらい、緊張した自分がいて・・・なんでだろう?って不思議だった。そして、内村航平選手の優勝が決まった時は、『やったーっ!!』って叫んでいた。いやあ、よかった、よかった。

7時50分
朝練の約束は8時。少し早めにコートに行き・・・コートのラインを掃きながら、宮下さんを待つ。宮下さんは8時に登場。そして練習がはじまった。8時半頃、試合が始まったのだが・・・今日の宮下さんは強かった。バックハンドのスライスが冴えわたり・・・大事なところでの僕のボレーミスもあり、2連敗。10ポイントタイブレークでも8-10で負けて・・・ちょっとショックだったのだった。

幸せ
その後、健ちゃんの長男のゆういち君(柳川高校の1年生)と練習をしてもらって、すごく楽しかった。高校生と打つのは久しぶりで・・・ゆういち君は本当に礼儀正しいし、凄く幸せな時間だった。

ダブルス
その後は同年代でのダブルス。漆畑さんと僕が組んで、半田さん・宮下さんと戦った。途中1−3、2−4とリードされていたのだが・・・漆畑さんの流れを変えるショットがさく裂して・・・7−5で勝つことができたのだった。いやあ、気持ちのいい試合だったぞ!!

パソコン
困った!来週から駅立ちをする予定だったのだが・・・パソコンの調子が悪く、画像を取り込めなくなってしまった。僕の議会報告は写真がないと、本当に詰まらないものになってしまうし・・・どうしよう・・・とほほほほ。ここに来て、パソコンも買い替えってか!!
まずいぞ!!

『一生懸命』超幻のたかやん日記   2004.第159弾!  8月22日(土)

子ども達のエネルギー
旅の疲れと寝不足でかなりへばっていたが、子ども達のエネルギーに負け、朝の7時からサッカーをやった。昔から不思議に思っていたのだが、子ども達と一緒に動いていると段々自分も動けるようになってくる。多分子ども達のエネルギーを僕はもらいながら動いているのだと思うのだ。1時間半のうち休憩は5分だけ。あとはずっとボールを追いかけていた。今日はどういうわけか、体の切れがよくて10代20代の子ども達と互角のスピードで走ることができた。水は2リットルは飲み、汗びっしょり。寝不足の体はどこかへ行ってしまったようだ。
子ども達は7時前に来て、公園のゴミを拾うようになった。公園に愛着を感じ始めたのだと思う。
*今から12年前の僕は真夏の朝、90分間サッカーをやり続ける体力があったということだ。子どもたちからパワーをもらっていたことは間違いない訳で・・・・そして、久しぶりの日記を見て、当時の子どもたちが堂坂公園の掃除をはじめたことも嬉しかった。それは子どもたちの心が育っていったということだから・・・。

絶対に打ってはいけない!961
ワクチンを接種して、副反応が出てからの彼女たちの時間は、苦痛と後悔の時間だったはずです。彼女たちは毎日、毎日、言葉ではいい表せない程の苦しみを味わってきたのです。製薬会社の嘘と欲に塗れた政治家達、医者たちの大嘘と戦う彼女たちを応援するのが僕ら大人にできること。そういう意味でも、TPPは反対するしかありません。TPPにはISD条項があるのですから。     
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今日の写真1
左から石神井高校23回生の宮下さん、24回生の僕、そして36回生の石田君です。こうして3人が集まったのは初めてだったので、『みんなで写真撮ろうぜ!』となったわけです。

今日の写真2
テニスの師匠である半田さんです。みんなは「はんちゃん」と呼んでいるようですが、僕はまだ「はんちゃん」とは呼べません。なかなか勝てないのです。今日も3セットやって3連敗。足の速さと球際の強さに差があります。もっと鍛えないといけません。明日の朝も半田さんと練習です。

今日の写真3
我がマンションの住民が大切にしている燕の赤ちゃんです。巣から落ちて、一度は巣に戻したのですが・・・また下に・・・羽を痛めてしまったのかも知れません。カラスに襲わせないように、優しい住民が新しい巣を作ってくれました。
*この日記を読んだ全ての人が、明日も幸せな一日を過ごせますように・・・たかやん

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8月12日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第225弾!  2016年8月12日(金)

『一生懸命』幻のたかやん日記  第225弾!  2016年8月12日(金)

7時50分
今日の朝練も約束は8時。半田さんとシングルスの試合をやった。練習をしてから、続けて3セット。宮下さんには勝てたのに・・・半田さんには負け続けている。僕が半田さんを「はんちゃん!」と呼べるようになる日は遠い。

幸せ
その後、健ちゃんと練習をしてもらった。『健ちゃん、15分だけ打ってくれない?』「あ、いいっすよ!」手首が少し痛かったのだが、健ちゃんと打っていたら、忘れてしまった。
楽しくて、気が付いたら30分以上経っていたのだった。

夏期講習
今日も13時からは夏期講習。今日も英語と数学に燃えに燃えた。2学期が楽しみになってきたぞ。彼らが教えたとおりに勉強してくれたら・・・だけどね。

『一生懸命』超幻のたかやん日記 2004.第163弾!  8月26日(木)

*12年前の一般質問の様子です。今の一問一答とは違うやりとりでした。こんな感じで、当時の教育長とやりとりをしていたんですね。長いので、無理しないで読んでみてくださいね。空がもう直ぐ陵平の同じ学年になります。陵平の心の中を思うと胸が痛くなります。

〇11番(高邑朋矢議員) こんにちは。11番、高邑朋矢です。教育問題について、4点質問をさせていただきます。
 最初は、3年半ほど前に大貫陵平という、当時二中の2年生が亡くなった事件です。その事件について、まず質問したいと思います。
 教育問題、いろいろあるのですけれども、なぜまず陵平の話を先にするかというと、やはり命ほど大事なものはない、教育問題の中で子供の命ほど大事なものはない、私はそう思っています。まずそのことをお聞きしたいと。
 これが大貫陵平です。執行部の皆さんもよろしいですか。教育長、大貫陵平です。13歳と10か月ほどしか生きられませんでした。なぜ死ななくてはいけなかったのか。私は、先輩の議員たちも、その当時、2000年の12月議会でしょうか、5名ほどの方が陵平のことについていろいろな一般質問をされています。その質問内容、それから答弁の内容、すべて私は読みました。読ませていただいて、やっぱりどうも納得できない。ただ、納得できなかったのですけれども、幾つかの点、教育長の答弁と私が思うところと共通するところがありましたので、その共通すること、四つのキーワードなのですけれども、一つはカウンセリングマインドという言葉を教育長は大分使われています。この間の答弁でもその言葉を使われていたので、私もそのカウンセリングマインドという言葉はとても大事だと思っているのです。
 そのカウンセリングマインドですけれども、私が一番最初にカウンセリングマインドという言葉、それから態度に接したのは、私自身が15歳のときでした。当時の私は、とても悪い子で、勉強もできなくて、とてもどうしようもない悪餓鬼だったのです。あるとき、新宿の西小山中学校というところにいたのですけれども、ついに、ここで言っていいのかどうかちょっとわからないのですけれども、貨幣偽造という重大事件を引き起こしました。教師の息子であったジュンというやつと2人で、百円玉をつくってしまいました。新宿の自動販売機を、片っ端から百円玉を入れて、私らがつくった百円玉を入れて、それで30円のファンタを盗んで、つり銭の70円を盗んでということをやったのです。そういう子だったのです。
 当然、戸塚警察が動きました。ところが、その警察よりももっと早く、担任の河合先生という先生が動いてくれたのです。それで、私らは警察より先に先生につかまりました。その河合先生につかまって、職員室の一室に連れていかれて、ほかの先生にはわからないところでお茶を出されて、それでこう言われたのです。怒られると思ったのです。そうしたら、「高、ジュン、おれはおまえらが好きだよ」と、先生がこう言ったのです。もう私は泣きました。もうぼろぼろ、ぼろぼろ泣いて、もうこの先生のために悪いことは絶対、この先生に誓って悪いことは絶対しないのだというふうに言ったのを、自分が思ったのを覚えています。先生は、もちろんほかの先生にも言わなかったですけれども、親にももちろん通報しませんでした。反省文ももちろん書かされませんでした。ただ私らの間だけで解決をしました。その相棒は、今都立高校の先生をやっているのですけれども、そのときのその先生の一言がなかったら、私も教員になりましたけれども、多分私らはそういう人生を送らなかっただろうと思います。
 それから、同じ学校に兵藤静馬という教頭がいました。あだ名を兵ちんというのですけれども、その先生が私らに数学を放課後教えてくれました。その先生のおもしろかったところは、私を兵ちんと呼んでくれと言うのです。教頭先生を兵ちんと呼ぶのは、ちょっと心が、そういう訓練がされていなかったものですから、だけれども私らは兵ちんと呼びました。すると、兵ちんは、私らが「兵ちん」と言うと、「あいよ」と答えてくれるわけです。それで、一生懸命数学を教えてくれて、私らは数学が大好きになりました。物すごい、教頭先生なのですけれども、生徒といつも一緒にいる、放課後、いつも勉強を教えてくれる。私は、そういう2人のとってもすてきな先生と出会えたのです。私が最初にカウンセリングマインドというのに接したなと思うのは、実はその先生2人です。
 次にカウンセリングマインドという言葉と出会ったなと思うのは、教員になろうと思って、函館中部高校という高校へ行きました。夜間高校だったのですけれども、そこで教育実習をやったわけです。当時の子たちは、看護婦の学校へ行っていまして、午前中は看護婦の学校へ行って、そして定時制で私たちの授業を受けるという、そういう生徒だったのです。年上の生徒もいました。ですけれども、一生懸命、私の話を、授業を聞いてくれるわけです。当然、下手くそなのです。下手くそなのですけれども、最後にそこの教頭先生がこういうことを言われたのです。「君らの授業はとても下手だ、話にならないぐらい下手くそだ。だけれども、君らは僕らにはないものが一つある。それは、子供たちの言葉をしゃべれるということなのだ」と、こういうふうに言われたのです。「子供たちの言葉を、君たちはまだしゃべれる。子供たちの共通の言葉を持っている、それをぜひ失わないでください。僕らは残念ながら失ってしまったけれども、君たちはまだ持っている、生徒と同じ気持ちになれる、それを失わないでほしい」、そういうふうに函館中部高校の教頭先生は言われました。私は、教員になったときに、それだけは失わないで生きていこうと、そう思ったのです。
 そして、私は新座五中という学校に赴任をしました。そこには、石島陽子議員がそこにおられますけれども、私の生徒でした。隣の隣のクラスには、笠原先生がいました。3年4組の担任を私はやったのですけれども、全く高校の名前も知らない教師だったのです。浦和高校という名前しか知りませんでした。あとの高校の名前は何も知らない。そんな大学出たての教師が何とかやってこれたのは、その先生に言われた、君は子供と一緒の言葉をしゃべれると、その言葉を信じたのです。それだけで、私は教員を続けました。何もわからないので、しようがないから、一緒になって子供と勉強することしかしませんでした。一生懸命勉強したら、学年で1番になったのですけれども、とにかく子供と一緒の言葉を持っているということは強いのだなと、そのときに感じたのです。
 五中で次にカウンセリングマインドに会ったのは、その次の年に神宮司久子という先生が、皆さんの中にもご存じの方いらっしゃると思うのですけれども、神さんという人に会いました。私らの学年主任、当時は学年主任も授業をやり、クラスを持っていたのですけれども、意見の合わないところもたくさんあったのですが、その神さんが、放課後、1年1組の教室に残っていまして、子供たちと何かやっているのです。何をしているのかなと思って尋ねたら、「私はあなたみたいにうまく教えられない。だけれども、できない子と一緒に勉強することはできる」と言って、放課後ずっと、できない子と一緒に勉強しているのです。教えているのではないのです。一緒に勉強しているのです。私は、そこにまたカウンセリングマインドを見た気がしたのです。要するに、教えるのではなくて、一緒に勉強するのだと、それで子供たちは救われていくのだと。私は、神さんからそれを勉強させてもらいました。
 ほかにもとってもすてきな先生方はいらっしゃいましたし、まだまだ名前を挙げたい人はたくさんおられるのですけれども、私はどうしてもわからないのは、陵平がベランダでお菓子を食べて、そのときにほかの先生たちがみんなでとんでもないことをしたと言って、反省文を書かせて、親に通報して、そして次の週には、学年集会でみんなの前で決意表明をしてもらうと。その先生たちに、教育長が言われるようにカウンセリングマインドがあったのだろうか、私はそれをちょっとお聞きしたいのです。
 カウンセリングマインドと同じく、時系列という言葉を教育長は使われているのですが、その指導というのはそのときだけの指導ではないと、5月ぐらいからそういうことが頻繁に起きて、4回ぐらいあって、そして全員で指導したのだということを言われているのです。私も確かに、その日だけの指導というふうな見方は実はしていなくて、やっぱりそういう時系列的な流れがあると思います。そういった意味で、私も二中におりましたので、二中という学校の時系列的なものをちょっとここでお話しさせてもらいたいと思います。
 五中で10年いまして、六中で10年いまして、本当に楽しい学校生活を送りました。二中へ行って、陵平が入ってくる2年前ですか、私が入ったのは。2年前か3年前かです。一番最初に驚いたのは、まずこう言われたのです。その当時の二中ですけれども、二中のことを悪く言う先生がいると。だから、君はよく言ってもらいたい、二中はいい学校だ、二中はいい学校だと、そういうふうに言ってもらいたいと、こういうふうに最初に言われたのです。もう全然納得できなくて、いい学校だったらいい学校と言うし、だめならだめと言うし、だけれども、よくてもだめでも、とにかくいいと言っていればよくなるのだと、これをまず最初に言われたのです。それが非常に驚きました。
 次に、生徒と仲よくするなと、こう言われたのです。これは、私にとって一番ショックな言葉でありまして、生徒と仲よくしなくて、だれと仲よくするのだいという、それこそカウンセリングマインドはどこへ行ってしまったのというような発言で、私はとっても驚いたのを覚えています。
 そして、教室へ行ったらもっと驚きました。3年2組の教室に入っていったのですけれども、チャイムが鳴って、教室へ入って「おはよう」と言ったら、子供たちはだれ一人反応しません。あれっと思ったのです。だれ一人反応しないのです。もう一回、「おはよう」と言っても、だれも反応できない。だれかが「起立、気をつけ、礼」、初めて「おはようございます」と。これは、私は五中でも六中でも全く味わったことのないことだったので、「これはおかしいよ、おまえたち。これは二中病だよ。普通、人が「おはよう」と言ったら「おはよう」と言うのだよ」ということを一番最初に言いました。
 そして、ベランダに放課後出たのです、私自身がベランダへ出ました。ちょうど天気がよくて、風が気持ちよさそうだったので、ベランダに出たのです。そうしたら、「ベランダへ出ちゃいけないのです」と生徒が言うわけです。ベランダへ出たら何とか先生に怒られますと、物すごい勢いで言うわけです、生徒会の子だったのですけれども。ベランダへ出てはいけないと、「おまえ、ベランダへ出てはいけないって、何だそれは」と言ったら、「そういう学校の決まりなのです」と。「そう、でも出ない?」と言ってみたのですけれども、「いや、そんなことはとってもできません」という、そういう雰囲気の学校だったのです。時間が来たら、チャイムが鳴ったら外へ出ていいけれども、チャイムが鳴る前には廊下にも出られない。チャイムが鳴ったら席へ着く、チャイム着席というやつなのですけれども、2年間とてもトレーニングをされてきたのだと思うのですけれども。要するに、もうそういう習慣になってしまっていた。
 それを、子供たちはどういう表情をしていたかというと、全然表情はありません。目が死んでいました。確かに静かなのです。とても静かです。しいんとして授業を受けている。だけれども、生き生きとした発言がないのです。笑いがないのです。
 こういうこともありました。夏、暑いとき、7月ぐらいですか、水筒を持ってきた生徒がいたのです。水筒に麦茶を入れて持ってきたのです。その生徒が、自分の友達に麦茶を振る舞ってあげたわけです。私は、「いいやつだな、おまえ。この暑いのに、自分一人で飲まないで、みんなに上げたんだ。よかったね」と、こういうふうに言ったのですけれども、その生徒がどうなったかといいますと、体育の先生につかまりまして、親を呼び出しにされて怒られたわけです。どうしてか。学校に飲み物を持ってきてはいけないのだと、こういう規則があったわけです。
 だけれども、私は、あの暑さの中で、よく親も麦茶を持たせ、その子がまた友達に上げたと、人としてとてもすてきなことを親子でしたのではないかと思っているのです。それを、学校の規則を守らなかったからという理由で、怒って、しかも親を呼び出してしまうと。親を呼び出すというのは、私からすると最後の最後の切り札ではないのかなと、そういうふうに思っているのです。何しろ、私は自動販売機を荒らしていますから、それでも先生は親に通報しなかった、それで私は助かっているわけです。ですから、私も21年間の教員生活の中で、何かどんなに悪いことをしても、実は親に通報したことはないのです。要するに、私以上に悪いことをしたやつはいないから。それが私の判断基準だったのです。ところが、二中ではそうではなかった。そういう時間の流れがあります。
 それから、教育長が使われている言葉の中に、共通理解という言葉がよく出てきます。私、とても大事な言葉だと思っているのです、共通理解という言葉が。共通理解ということは、要するにカウンセリングマインドを持つことをみんなで理解しようぜと、そういうことだと思っているのです。ところが、それに共通理解、共通行動という言葉がつくと、ちょっとのことを見逃すと、子供たちはどんどんエスカレートしてしまうから、みんなでそれを食いとめようと、本気で怒りましょうと、こういうことではないかと思うのです。
 まさに二中の場合、二中のこの指導方法は、共通理解と共通行動の中で起きたことであって、要するに、4回のお菓子を食べたということが、教師は許せなかったのです。許せなくて、本気になってしまったのです。お菓子を食べたということに本気になってしまった、それが私は、この事件を引き起こしていると、そういうふうに思っています。教師が本気にならなくてはいけないことは、ほかにたくさんあるはずなのです。どうやったらこの子を学校に来させられるのだろうかとか、どうしたらこの子がわかるようになるのだろうかとか、そういうことを教師は本気で考えなくてはいけないのです。ところが、学校の小さな決まり、それを守らない、これを守らせるということに本気になってしまった。それは違うのではないかなと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 高邑議員、時間がもうなくなりますから、最後まで言わないと。通告分の。
〇11番(高邑朋矢議員) ええ、大丈夫です。
 四つの質問です。教育長は今、二中で起きた事件をどのように考えていますか。あの事件は、教育長は学校に責任はないと、あの指導法に間違いはなかったのだと言われているのですけれども、本当に今でもそういうふうにお考えなのでしょうか。カウンセリングマインドは、あの指導の中にあったのでしょうか。それをまずお聞きしたいです。
 それから、管理職試験のことをちょっと書いたのですけれども、いろんな管理職の方と私は会ったのですけれども、やっぱり子供と仲よくするなとか、みんなでとにかくいい学校だ、いい学校だと言いなさいと言うような人が、どうして管理職になれるのかわからないのです。
 それから、英語教育のこともちょっとあったのですけれども、AETの先生がいらっしゃった、でも全然全く英語もしゃべれない、全く会話ができない人が管理職をやっているわけです。何で難しい管理職試験に通った人が、そういう基本的な英会話もできないのでしょうか。何か特別な仕組みがあるのでしょうか、それをちょっとお聞きしたいと思います。
 それから、今度新しく英語教育が導入されるということで、私はとてもいいことだと思っているのですけれども、今までAETの方が来られて何年間かたっていますけれども、実際に英語の授業をごらんになったことがありますか。私は、それをちょっとお聞きしたいのです。
 それから、AETの方が来て、子供たちが本当に英語がしゃべれるようになったのでしょうか。どう思われますか。
 それから最後に、規則を守らない生徒、例えば頭髪が黄色いだとか茶色いだとか、服装が、スカートが短いだとかいう生徒を学校に入れないという中学校があるのです。その学校に、やっぱり行った先生たちは、最初の出会いから、私も二中に行ったときに、ルーズソックスをはいてきた女の子がいきなり家に帰されてしまったので、とてもびっくりしたのですけれども、学校にとにかく来たという子を、なぜ服装がおかしいということで帰してしまうのでしょう。そのルーズソックスの女の子は、結局は不登校になりました。そんな権利が学校にあるのですか、それをお聞きしたいのです。そういう学校が今現在もまだなおあるということをどう思われますか。
 それから、そういう学校の規則を守らない子を教室から排除して、特別に授業をやると。特別の教室に詰めて、プリント学習をやったり、あるいは先生が話をするという、個別指導という、そういう指導をやっている中学校があるわけですけれども、そのことについて教育長はどう思われますか。
 以上4点を、全小中学校の教員のリーダーとして答えていただきたいというふうに思っています。よろしくお願いします。
〇議長(三村邦夫議員) 暫時休憩いたします。
   休憩 午前10時51分
 
   再開 午前11時06分
〇議長(三村邦夫議員) 休憩前に引き続き会議を開きます。
 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 教育問題にお答えをいたします。
 カウンセリングマインドについて、たくさんお話をお聞きしました。長いお話だったので、私も一つだけ、答弁の前に、カウンセリングマインドについて自分の体験をちょっと申し上げたいと思いますが、私も同じような体験をいたしております。
 小学校のときに、家庭科室でほうきとボールで野球をやっていて、校長に見つかりまして、後で職員室に担任から呼ばれました。「何か言うことはないか」、そのときはわからないで下を向いていましたが、とにかくしかられるな、何か怒られるなということはわかりました。そして、「あんなことをして、まさかおまえが」と、一言最後に言われました。その最後の言葉で、自分で涙をこぼしたのを覚えております。
 以後、教師になって、自分の教えた6年生の子が、浦和市のサクラソウのところへ行って、あれは天然記念物で、取ってはいけないものを取って持って帰ってきた。そして、それがわかって、その子を私は職員室へ呼んで、同じように、大変しっかりした子でしたから、「あんたはリーダーなのに、まさかおまえが」と同じことを言いました。それは、自分が身にしみて感じた言葉だからであります。その子は、それだけで終わりになりましたが、やっぱり涙をこぼして職員室を出てまいりました。
 教育というのは、そういうふうに、一言一言の言葉の中で、いろんな影響を相手に与えるものだということを、改めて、お互いに共通理解で、最初にお話ございましたが、カウンセリングマインドという言葉については、お互いに共通なものを持っているというご質問がありましたので、あえて私も同じようなことがあるということで申し上げました。教育にとっては、一番大事なのは、そういうハートとハートだろうなといつも思っております。
 ご質問にお答えをいたします。二中のこの件につきまして、現在どう考えているか、これはもう大変答えが難しいところでありますが、いつも私の心の隅では、これはなぜ起こったかということについては課題でありますし、起こらないように今進んでいるかどうかということも課題であります。ということで、考えているかといえば、今も相変わらず課題であるという答弁にさせていただきたいと思います。
 二中にカウンセリングマインドがあったかという、こういうご質問であります。カウンセリングマインドの概念規定がいろいろあると思うのです。今のように、いわゆる相手の気持ちになって、あるいは相手の気持ちを聞いてという、聞いてあげるというようなカウンセリングマインドの考え方もあれば、相手の身に、立場に立って、その子供をよりよくしてあげようというふうに考えて接することもあれば、カウンセリングマインドの考え、概念規定がいろいろあります。私は、学校のいろいろな校則をつくるということについては、このカウンセリングマインドの一環というふうに考えております。つまり、この子供をきちんと社会生活ができるように、生活習慣を身につけさせてあげなければいけないのではないかというのが出発点であろうと思います。社会生活ができないで、自由奔放で、他人に迷惑をかけても何も感じないというような子であったらいけない、それには規則なら規則を守るということが基本的に大事なことであるという、そういう社会生活の基本をやっぱり身につけてあげる、それはその子の気持ちを考え、その子をよくしてあげたいという気持ちから出発することだろうと私は思っております。そういう意味で、カウンセリングマインドはあったかといえば、一生懸命校則をつくったりして、しっかりした学校生活を送りなさいという学校の姿勢については、私は広い意味でのカウンセリングマインドはあったと考えております。
 次に、2点目であります。管理職が英会話ができないのはなぜか、これはちょっと回答に困るのですけれども、管理職試験に英会話の試験はありませんので、実際問題、教員の中で英会話ができる教員というのはごく少数であります。うっかりすると、英語の教師でも、完全な英会話というのは難しいというふうに言われておりますし、英会話の力を身につけるというのは、これは大変なことであります。一般の社会にある、専門の養成所がありますね。具体的な名前を出すとちょっと支障があるのでしょうから、駅前にいろんなあれがあります。大体、1年通っても、まだ片言が精いっぱいというのが普通なようで、そういう話を聞いたことがあります。大変英会話というのは難しいので、次の英会話の授業を見たかということについては、もちろん見ましたが、話せるようになったかということになりますと、まだとてもそこまでいくような段階では現在ないわけでありまして、そんなに簡単に話せるようにならないということも、私はいろいろと聞いております。
 それで、自分も片言でしゃべろうとしても、難しいなと、本当に難しいと思います。そういう意味を含めますと、私は、英会話というのは1年やそこらで身につくものではないという基本を持っておりますから、系統的に9年間を通してしっかりと、小学校1年から中学3年までの間のカリキュラムをつくって、段階を踏んで指導を進めるようにということで指示して、今カリキュラムを作成しているところであります。話せるようになったかならないかということは、今後の問題ということでご理解賜ればと思いますし、管理職の英会話ができないことについては、これはそういうシステムではなくて、できればいいのでしょうけれども、現在のところ、できない者が多いと言うきり言いようがございません。
 四つ目の質問でありますが、例えば茶髪で学校に来た場合に、登校した場合に、学校は学校へ入れない、家に帰す権利があるのかどうかということであります。これらは、法的に争われた時代があります。それで、福岡地裁で違法ではないという判決が出ております。というのは、そういう格好で来て、まず学校の規則を守ろうとしない気持ち、あるいはそういう服装で来た場合に、もう授業を受ける気がない、もともとから先生の言うことを聞く気持ちがない、そういう者を受け入れることがいかがなものかと、それは当然指導すべきであろうというようなニュアンスの判決であります。個別指導についても同じであります。これも、個別指導についても、やはり判決で、必要に応じてそれは可能であるということが出ております。
 本市で、個別指導が実施に行われております。これも私ども承知しております。その例を、逐一私どもも把握をしております。必ず校長が事前に相談があります。全部そういう事例を比較しながら、この例の場合には確かに必要であろうと。そうしたら、次には親御さん、保護者と必ず相談をいたします。保護者と相談の上で、お互いに理解し合って、ではこの部分は家庭で、この部分は学校でというふうに、お互いに指導の分担分けをしたりしてやっているのが普通でありまして、学校が勝手に一遍に帰れというようなことではなくて、前段階、再三指導を加えながら、どうしても他の子供に迷惑がかかる、あるいは学校へ来て全く勉強する気がなくて、例えば壁をけ飛ばして壊しながらわめいているとかいうようなことのときには、やむなくこういう個別指導を進めていますということでご理解いただきたいと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 「まさかおまえが」という経験をされているそうなのですけれども、陵平の場合も「まさかおまえが」だったと思うのです。「まさかおまえが」というのが、全員の教師に同じように言われたことで、彼は非常に大きな罪の意識を感じたのだと思うのです。
 彼は、確かにそこで反省をしています。反省文が、ここに「反省文 2年5組 大貫陵平」。
   僕は、9月29日、昼休み中に〇〇君たちとベランダに出て話をしていました。そのとき、〇〇君がハイチュウを食べていて、僕も食べたくなって、ハイチュウをもらって食べてしまいました。今思えば、本当にばかなことをしてしまったなと思います。お菓子を食べている人は、2学期に入ってから少し見かけていましたが、一度も注意しませんでした。議長で、中央委員で、部長で、班長で、みんなにたくさんの仕事を任されている自分が、注意一つできなくて、ついには自分自身が食べてしまったのが情けないです。また、池田先生が一人一人確認をとっていたとき、「全員大丈夫です」と言っていたけれども、そんなわけもないのもわかっていました。そのとき何も言えなかったことを、今では何をやっていたのだろうと思います。本当に済みませんでした。ライターを持ってきたのは僕です。スプレーとかにはつけてはいないけれども、持ってきてしまいました。そのときは、軽はずみな気持ちでした。別に何をしようかと考えずに持ってきました。
 今後どのように罪を償うか考えた結果、僕は2の5の教室を、放課後、できる限り机の整とんとごみ拾いをします。また、合唱祭の練習をたくさんして、みんなをリードして、一生懸命頑張ります。仕事を進んでやり、みんなのクラス、学年の役に立てるよう頑張ります。これからは、十分に注意できるようにします。今回は、先生方の貴重な時間をたくさん使っ
てしまって、本当に済みませんでした。今後、絶対にこのようなことがないように、気をつけて学校生活を送ります。済みませんでした。
 
これは、完璧な感想文なのです。「まさかおまえが」ということに対して、彼はこういう感想文を書いているのです。物すごく反省をしているわけなのです。
 ただ、そのときに、本当に私らが今考えなくてはいけないのは、本当に彼はそんなに罪を犯したのかということなのです。臼倉先生の小学校のほうきとボールの話もそうですけれども、大したことではないではないですか。違うのですか。学校の規則に書いてあるから、それを破ったら、本当に人として恥ずかしいことなのですか。
 私は、休み時間にお菓子を食べた生徒がいたら、「おれにもくれよ」と言いました。一緒に食べました。学校の規則はそうかもしれませんけれども、とりあえず「ごみはごみ箱に捨てろよ」「朝飯はちゃんと食ってこい」、私はそういうふうにしていました。もっと、教員って、違うところに本気にならなくてはいけないのではないでしょうか。こういうことに本気になるという共通理解が、私は怖いと思っているのです。行き場がなくなってしまうと思っているのです。
 しかも、このことで親に電話をしているのです。これは非常につらいです。私、この議会に来てちょっとびっくりしたことは、市長の一番最初の施政方針のときに、結構お休みになっている方がいらっしゃったのです。私も眠くなってきたりしたので、余り人のことは言えないのですけれども、教育長もそういうときがありました。そのときに、私はそれは大したことだと思っているのではないのです。市民の皆さんはまた別の問題で、いろいろな事情があるでしょうから、ああ、お疲れなのだなと、そう思っていましたけれども、そのときに、もしも執行部のみんなから、教育長はリーダーなのに、市長の話を聞いていなかったではないか、全員から言われて、反省文を書かされて、家族に通報されて、寝ていましたよと通報されて、あげくの果てに全小中学校の教員の前でリーダーとして決意表明をしなさいと言われたら、教育長はどういう感じがしますか。私が言っているのはそこなのです。陵平は反省をしているのです、もうこれで十分ではないですか、これだけ反省文を書いて。何でこんなことで、親に電話をして、親に学校に謝らせに行かされて、そこが私は納得できないのです。
 それからもう一つ、ここの教師集団が私から見てアマチュアだなと思うところは、子供たちの世界の中で、だれかの名前を言うということは、これはタブーなのです。わかりますか、これはいじめの原因になるのです。一番のいじめの原因になるのです。教師にちくるというのは、言葉は悪いですけれども、子供たちの中では最低なのです。5人の子供たちが最初につかまって、21人に最後になったということは、16人の子供たちは、彼らから言うと教師に売られてしまっているのです。いつ、売った子たちが、これはいじめに遭ってもおかしくないのです。どうしてそんなことを、そんな簡単なことがわからなかったのかなと私は思うのです。本当にこれ、プロとしてはおかしいのではないかと。私は、ここはやっぱり違っていたのではないかと思うのです。それをどうお考えでしょうか。
 それから、管理職試験に英会話はないということなのですけれども、さっきちょっと仕組みということもお聞きしたと思うのですけれども、テストを多分されると思うのです。そのときに、内申書みたいなものはあるのでしょうか。私も教員を21年間やってきて、よくわからなかったことの一つなのですけれども、本当に公平なテストで、問題が公になって、そして点数が全部発表されて、そしてトップの方から受かっていく仕組みが本当にあるのでしょうか。それとも、高校の入試のように、担任の内申があって、半分は内申で見ると、あるいは最初から内申で切られると、そういう内申とテストと両方のシステムなのでしょうか。それをちょっとお聞きしたいなと思うのです。
 それから、確かに法的には、規則に従わない生徒は登校させないと、それはわかるのです。ですけれども、一番最初の始業式にそれをやるということは、本当に学校として正しいことですか。要するに、初めて会う先生と、初めて会う生徒なのです。その先生の会い方によっては、子供が変わる可能性があるではないですか。そのチャンスを、どうして最初から逃してしまうのでしょう。もうこいつは無理だと決めつけているから、帰すのではないですか。何回も何回も指導してきた、でもそれは、指導の仕方がもしかしたら間違っているのではないですか。子供は教員で変わるのです。教師の姿勢で変わるのです。信じなかったら、絶対に生徒は教師を信じません。最初から疑ってかかっていくような、規則を破っているから、おまえは来なくていいのだと、法的にもこうなっているのだと、それで本当にいいのでしょうか。
 この間、委員会で、二中の電気がずっとつけっ放しだったという話をしました。その後、六中の電気もつけっ放しになりました。どうしてか。職員室のガラスを割られるのが怖いのです。要するに、自分たちの指導に自信がないから、職員室の電気をつけっ放しにするのです。子供たちに間違ったことをしていなければ、電気なんて消していって平気なのです。最初から子供を疑っているではないですか。新座市のリーダーとして、教育長はそれが正しいと本当に思っておられますか。2回目の質問を終わります。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 再度のご質問にお答えをいたします。
 お菓子を食べることは大したことではない、ここいら辺から見解が大分違うかなと。小さなことの積み上げが大きなことになります。私は、いつもそう思っております。
 この間、「学校教育だより」にも、ブロークン・ウインドーズのことを書きました。やはり、まちにたばこ一つ落ちていたら、みんながそれを拾ってしまう、壊れているところがあったら直す、お互いにそれをやっていくと、みんなが自然とまちをよくしていくと、そういう内容でありますが、私はまさに同じだと思っているのです。お菓子では小さくて、ほかのことでは大きいという、そういう大きい小さいの比較は教育にはできないように思います。そのケース・バイ・ケースによって、やはり対応するのが本当であろうし、学校として決まりは決まりできちんと設定することは非常に大事なことと思っておりますから、子供の世界でちくることがタブーになっている、これはもう十分承知をしております。こういう実態の中でどうするかということで、今まで頑張ってきているのが学校だというふうに思っております。
 管理職試験については、内申書、テスト両方のシステムなのかと。内申書と言っていいかどうかちょっとわからないのですけれども、これは県の教育委員会が実施するものですから、市の責任で行うものではなくて、県の試験でありますので、市で答えていいのかどうかちょっとわかりませんけれども、承知している範囲では、私どもが出す範囲では、当然志願書というのがあります。これを、受験する人はみんな知っているわけです。毎年、40人、50人、60人と受験しておりますが、そういう人はみんな形式は知っております。校長の推薦書、評定書等があります。それから、当然テストがあります。テストは、論文、論文も長論と短論といいますか、短い論文、それから面接は個人面接、集団面接、いろいろあります。試験が全部一通り終わると、試験官十二、三人の採点が、大体見当ですけれども、あるようであります。これらについての詳しいことは県でありますので、今の数字についてはちょっと責任を持ちかねますけれども、おおよそそんな見当かなと思っております。
 始業式に、初めて教師の会う日に帰したということであります。こういうことにつきましては、あくまでも個別の問題になってきますから、ここで一般論を述べることは私は非常に危険だと思っております。したがいまして、学校の校長の判断でやっていることなので、私はその校長の判断を当然学校の中で協議をしながら行っていることと考えておりますから、それはそれで一つの方法と考えております。
 それから、各職員室の電気のつけっ放し、これは学校が自信がないからだと、こういう発想は、学校は生徒指導の自信がないからという発想の意味に今受け取れましたので、そういう発想はまずほとんどゼロに近いのではないかなと。つまりだれがやっているのだかわからないです、これは。どういう人が来てやるのだかわからない。特に行事等があると、その前日のあたりにねらわれることが多いわけであります。したがいまして、大きな行事があるときにはつけておいて、それを一つの防御の姿勢にするということであって、子供に対して自信がないからやるのだという、そういう発想は全くない、管理上やっているということでご理解をいただきたいと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 小さなことの積み重ねが大きなことになると、そういうふうに思っている人が多いのです。私は、それがおかしいと思うのです。例えば、名札をつけていない生徒がいます。それをほうっておくと、みんな名札をつけないのでないかという発想なのです。スカートが短い生徒がいる、そうするとみんながミニスカートになってしまうのではないかと、こういう発想なのです。
 昔、五中にいたときに、ソックスというのが、三つ折りにしなければいけないというふうに言われた時代がありました。一番初代のころです、石島議員が生徒のころですけれども、そのときに神宮寺先生が、三つ折りにしなさいと、これは学校の規則ですと言ったので、私は職員会議で手を挙げて、「何で靴下を三つ折りにしなければいけないのですか。僕の今の感覚では、三つ折りというのはおかしいのではないかと思うのですけれども」と勇気を出して手を挙げましたら、神さんが一言、「三つ折りの靴下のことをソックスというのです」と言って、そこで職員会議が終わってしまったのですけれども。要するに、三つ折りを伸ばすと、今度はハイソックスが出てくるだろうと、ハイソックスを許すと今度はワンポイントが出てくるだろう、ワンポイントが出てくると色物が出てくるだろうと、こういうような発想なのです。だけれども、私が言いたいのは、そこに教師が本気でそれを注意する人がいたっていいです。いいけれども、本気でみんながそんなことに集中していいのかということなのです。
 私が現実に、六中にいた時代、自慢ではないですけれども、うちのクラスの子供たち、女の子は、ルーズソックスではない子が1人しかいませんでした。ルーズソックスではない子が1人しかいませんでした、私のクラスは。だけれども、勉強はできましたし、みんなの目は輝いていましたし、やることはやっていました。一方、同じ新座市の学校なのに、片や、1人のルーズソックスの女の子が、これはもう、おまえ何だという顔をされて排除されていくと。同じ新座市です。何で同じ新座市でそれだけ違うのかと。
 それで、校長の意向に従うしかないと、そういうふうに言われましたけれども、では校長が間違っていると思われたことはないのでしょうか。その排除していく方は、例えば生徒がブルマーをやめてくれと幾ら頼んでも、いや、女子生徒はブルマーだよと言い続けた人なのです。広島に修学旅行とずっと決まっていたのに、突然京都、奈良に変えてしまったわけです、職員会議で大反対があったのに。署名運動が何千も集まったのに、たった一部の人が反対していますからという理由で、職員会議もみんな賛成しましたとか言って変えてしまうわけです。どうしてそれが、その人の判断が正しいというふうに、校長になると何でも判断正しいのですか。おかしいではないですか。
 個別の指導だから、いろんな時系列はもちろんあるのです、それはわかります。だけれども、とりあえず生徒だって、新しく来た先生がどんな先生か、もしかしたらと思うではないですか、少し期待して来るのです。それを最初から、校門から入れないで帰してしまうと。これは、子供の側から見たら、おまえ、不良になれよと言っているのと同じではないですか。もう学校はおまえを必要としないよと。確かに学校の規則は大事かもしれません。でも、もっと大事なものがないですか。リーダーとして本当にそれをおっしゃっているのですか。新座市の子供たちに大事なことは、学校の決まりを守ることなのですか。もっともっと温かいものはないのですか。私は、それをお聞きしたいのです。
 教育長だって、間違いがあるではないですか。私もたくさん間違いをしてきました。それをみんなで寄ってたかって、小さなことだから、小さなことは大きくなるに決まっているのだからといって、13歳、14歳、15歳の子供たちに学校の決まりを押しつけていくことが本当に新座市の教育なのですか。新座市の中学校を卒業して、どこかの高校へ行ったら、どこも通用しないのではないですか。学校の決まりなんて、中学校を卒業したらどこへも通用しないのです。本当の学力をつけることではないのですか。学校が楽しくて楽しくてしようがない、新座市の学校はどこも楽しいと、そういうのを目指すのがあなたの仕事なのではないですか。
 もう一度お尋ねします。あの陵平に対する指導は、本当に何の間違いもなかったのでしょうか。学校に本当に責任は全然ないのですか。ごめんなさい、済みませんと言った方が、学年主任の方が言われたそうですけれども、申しわけありませんでした、たった1人の先生です。
 では、どうして、ご両親が何が指導があったのかということを尋ねられたときに、1か月間も何も答えないのですか。学校に隠したいことがあったからではないですか。自分たちの指導が間違っていると思ったからではないのですか。もう一度お尋ねします。答弁してください。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 再度のご質問にお答えをいたします。
 どこまでがご意見で、どこが質問なのか、ちょっと判読が難しいのですけれども、校長が間違っていることはないのか、これはもう、そのときそのときの校長が精いっぱい判断したことであって、結果は当然後で出てくるものであろうと私は思っております。人間だれでも、そのときに精いっぱい頑張って、いろんな情報を集めながら、自分としてこれが正しいと実施しているのが校長でありまして、それを正しいとか正しくないとかという判断を私の方からはできません。
 規則より大事なものはもっとあるのではないか、これは教育の価値の問題で、では規則なければいいのかという問題になってくると、またこれは別の問題になってくる。このお菓子の問題は、何度も指導を繰り返して、結局広がり始めている現状があって、こういうところから学校の生活の崩れが出てくるのだという学校の判断です。随分指導した結果、先ほど時系列という言葉を言われましたけれども、まさにやった結果、結果的にどうしてもだめだから、最後には学年で指導したということであります。そういう規則を守れない者をきちんと守らせる指導、これは学校は絶対に大事なことです。温かいものがあるとかないとかというのは別問題、規則を守らせること自体が、私は教師の一生懸命の情熱だと思っています。温かいといったら、それ自体が温かいと思っている。
 中学校を卒業したら役に立たないのかどうかという結論も、私はそういう規則を、その規則が高校へ行って役に立たないのだというふうに言えるのかどうか、私はそういうことを身につけていくことが大事というふうに思っております。
 1か月も何も答えないということがありましたけれども、この答えたか答えないかにつきましては、いろいろな事情があって、答えたか答えないかについて答えられません。当時、いろいろなことがありました。それだけです。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 今の話で、精いっぱいやったのだからいいのだと。精いっぱいやって、本気でやって、本気でそれが正しいと判断したのです。私もそう思っているのです、彼らは本気だったと。でも、本気だったから、死んだのではないですか。本気でやったから、陵平は死んだのではないですか。それで何で間違っていないのですか。子供が1人死んでも、本気でやった、だからいいのですか。学校の規則の方が、陵平の命より大事だというのですか。本気でやりました、判断しました、いいですよ。その結果、子供が1人死んだのです。命が1個なくなったのです。それでも、規則を守らせることが大事だというのですか。規則って、そんなに大事なのですか。
 そうしたら、教育長、きのうだって携帯電話鳴っていたけれども、おかしいではないですか。議場に携帯電話を持ってきてはいけないわけでしょう。だけれども、私はそんなことを、くだらないことだと思っているのです、私だって今ここに入っているし。だけれども、みんなで本気でそれを怒ったら、おかしくなってしまうのではないですか。学校の決まりを守れという先生がいたっていいのです、昔からいるのだから、怖い先生は。だけれども、そのことにみんなで本気になることが怖いと言っているのです。子供を追い詰めていくと言っているのです。
 私は、21年の中学校の経験から言っています。先生がどれだけ中学校を経験されているか知りませんけれども、子供をよくすることが学校の目的ではないのですか、教育の目的ではないのですか。学校の規則を守ったら、子供はけがしようが、死のうが、どうしようがいいのですか。一生懸命先生がやれば、結果はどうだっていいわけですか。一生懸命やって、間違ったらごめんなさいではないのですか。子供がこれだけごめんなさいと言っているのです、間違っていましたと。何で教師が言えないのですか。何で新座市の教育界のリーダーであるあなたがごめんなさいを言えないのですか。おかしいと思わないですか。本当に大事なのですか、子供の命よりも、学校の決まりを守らせるということが。もう一度お尋ねします。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 命の問題と規則の問題とを並行で論争すること自体が、私はちょっとできないことだろうと思っております。命というのは絶対的なものでありますから、何よりも優先するというのは当然のことであります。それを、規則云々で、規則と命とどちらが大事なのだと言われても、それは当然、命の方が大事ということは当たり前のことでありまして、そういう論争だとちょっと言いようがないのですけれども。
 当時学校では、何回も保護者会を開いたりしております。そのときに、参会者の一人に、これはそのことが起こった随分後のことでありますが、「兄のころに比べて、ますます学校は明るくきれいになり、子供は学校が楽しいと通っている」と。「茶髪でもいいというような考えも出てきているようだけれども、それは納得できない」、参会者がみんな、大勢の意見として拍手したというような記録もございます。
 そういうことで、規則を守るということは、私は大事なことだと思っています。これがなかったら、全くフリー、社会生活の基本ができなくなると私は思っております。だから、とにかく学校は社会生活がきちんとできるような基礎基本を身につけさせてあげる場所でありますから、したがって、学校がこういう規則をきちんと決めて、皆で守ろうよとやって、みんなが守っていて、しかし守らない子ができてきた、それに対して指導したことについて、私は何ら問題ないと思っております。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 規則を守らせることが何ら問題はないということなのですけれども、では、休み時間にお菓子を食べてはいけない、ベランダへ出てはいけないという規則は必要だったのですか。本当にとても大事な規則でしょうか。だって、規則って幾らでもつくれるのです。教師がつくってしまえばいいのですから。勝手につくれるのです。違いますか。
 例えば、4月から10月までは半そで、短パンのことと規則をつくれるのです。掃除のときは半そで、短パンのこととつくれるのです。つくったことは、みんな守らなくてはいけない。それがリーダーとしてのお考えなのでしょうか。
 命が何よりも優先、では、何よりも優先だったのに、どうして何が起きたのかというご両親の問いかけに対して、その当時の校長は、出張がありますからとか研修がありますからとか、そういうことで逃げられてしまうわけですか。命が何よりも優先だったら、陵平のことが一番大事ではないですか。研修よりも、出張よりも先に、陵平のことを考えるべきではないのですか。口では命が優先と言いながら、学校の規則を守らせることの方が大事だとおっしゃったように私には聞こえるのです。
 規則が守れなかったらどうなるのだ、本当に大事な規則とそうではないものがあるのではないですか。本当に大事な規則が、お菓子を学校に持ってこないだったら、教員だって持ってこなければいいではないですか。何で職員室、お菓子食べているわけ。ラーメン食べている先生だっています。お茶飲んで、コーヒー飲んで、たばこ吸って、最近はたばこは吸っていないみたいですけれども。本当にみんな守っていますか。体育教官室で吸っている人だっていますよ、今現在。
〇議長(三村邦夫議員) 時間です。
 答弁願います。
 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 再々質問にお答えをいたします。
 基本的に平行線かなというふうに考えは思っております。例えば、校則を教師が勝手につくるという、こういうような考えになってしまうと、私はやっぱり学校への不信感が出てくるのだろうなと思います。学校が勝手につくるという、そういう発想ではなくて、学校は子供をよくしたい、あるいはしっかりした学校をつくりたいということを考えて校則を一生懸命つくっているのであって、勝手に好きなことをやっているような意味でとられると、これは違うのではないかと思うわけです。
 先ほども申し上げましたが、命の問題と校則の問題とはまた違うものだと。命はもう何よりも優先するというのはそういう意味でありまして、規則が大事だから、命をどうとかということは、これは全く別問題であります。そういうことで、校長が出張云々で会わなかった、会ったというような問題の経過も、私としては承知をしております。いろんなことが当時ありました。本当に出張で、どうしようもない出張で、日にちを変えてくれと言ったこともあります。それは、いろいろな経過があります。一部分だけではなくて、時系列がそれこそいろいろありますので、ということでご理解いただきたいと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 以上で、11番、高邑朋矢議員の一般質問を終わります。
 1時まで休憩といたします。
*議会でこんな発言をしていたんですね。今の僕よりかなり熱いのは当たり前です。生徒の命の問題だから・・・。今の子どもたちも「内申」という魔物にプレッシャーを感じながら生きているのは同じです。学校で何があっても、先生に何を言われても、絶望はしないで欲しい。そう思います。相変わらず「内申」をチラつかせる教師は日本全国に大勢いるようですが・・・そんな偽物の為に命を落とすことはないのです。何があっても、君たちには限りない未来があるのですから・・・。

絶対に打ってはいけない!962
ワクチンを接種して、副反応が出てからの彼女たちの時間は、苦痛と後悔の時間だったはずです。彼女たちは毎日、毎日、言葉ではいい表せない程の苦しみを味わってきたのです。製薬会社の嘘と欲に塗れた政治家達、医者たちの大嘘と戦う彼女たちを応援するのが僕ら大人にできること。そういう意味でも、TPPは反対するしかありません。TPPにはISD条項があるのですから。     
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今日の写真1
わがマンションの友達が作ってくれた新しい燕の巣です。赤ちゃん、かなりかわいいです。

今日の写真2
我が家の赤ちゃんココアです。もう一日中ママにべったりで・・・ママも僕のことは一番最後です。

今日の写真3
新座市のゆるキャラのゾウキリンンです。今、ゆるキャラランキングで上位にいるらしいので、みんなで投票して、更に上にいけるようにしたいものです。

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8月13日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第226弾!  2016年8月13日(土)

『一生懸命』幻のたかやん日記  第226弾!  2016年8月13日(土)

7時50分
今日の朝練も約束は8時。困ったのは手首の痛みだ。試合になったら、何とかなるだろう・・・そう思っていたのだが、練習をしている間に、激痛が走り・・・試合をやっていても、全く打てないくらいの痛みが襲ってきて・・・1セット終わったところで、『すみません・・・手首を痛めてしまって・・・』とリタイヤしたのだった。折角、誘ってもらって、着替えのシャツも5枚用意して・・・・やる気満々でコートに立ったのに・・・半田さんには申し訳ないことをしてしまった。しっかり、直して恩返しをしなくてはいけない。

久しぶりに・・・
五中4期生の3年1組のメンバーと超ミニクラス会をやった。僕が最初に出会った1年生も、もう50歳。「そうだよ。今年51になるんだよ」ということで、まあ担任と生徒というより、仲間のような存在である。

空飛ぶ眼鏡事件
今日のメンバーの中に道哉もいた。あれは2年生になりたての頃だったと思う。朝、図書室で「基礎英語」を聞いていた時に事件は起きた。隣にいた大と喋っていた道哉に腹を立て、僕が道哉を引っぱたいたのだ。
「あん時さあ、窓が開いていたのが問題だったんだよね!」と道哉。道哉の眼鏡は勢いよく3階の図書室の窓から飛び出して、地面へ・・『眼鏡、どうなったんだっけ?』「そりゃあ、粉砕ですよ」『俺、メガネ代払った記憶がないぞ・・・』「あった、あった、道哉の眼鏡事件」当時の学級通信にも書いたので、みんなが知っている事件である。後になって考えると、道哉はとても真面目な子で・・・大も真面目で・・・後にも先にも僕にひっぱたかれたことはない筈。そんな道哉を引っぱたいたのだから、俺はどうかしていたのだ。当時の僕は25歳、なんて酷い教師だったのだろう!!若いっていうか、バカっていうか・・・今の彼らの半分の歳だったんだよねえ。「今ならアウトでしょ!」「アウトでしょう!!」
その1年後、道哉は所沢の我が家に半年近く居候をするのだから、面白い訳で・・・道哉は今日も眼鏡をかけていたのだった。


2次会でカラオケをやることに・・・頼みもしないのに、千春の歌がリクエストされる、される・・・マイクを持たされる、持たされる・・・。「よく歌ったよねえ」「理科の時間に歌ってたよね」『理科の授業でか?』「そうだよ」「それで、成績が一番ってどういうこと?」
「朝勉やってたからじゃん?」「朝勉・・あった、あった」「その分、授業で歌うたってたんじゃないの?」『まさか・・・でも、成績がトップだったことは確かだよ』「ほら、賢いやつらがいたじゃん」「俺たちが足引っ張っても、あいつらが引っ張り上げていたからさ」
「やっぱりこの歌でしょ」大空と大地の中で、かざぐるま、恋、あたい、銀の雨、時のいたずら・・・「先生、よくそんなに高い声でるね」「え?この人先生なの?」『まさか、同級生ですよ。』「ああ、びっくりした」「同じクラスだから、同級には違いないけど・・・」という訳で、50歳に完全に同化していた62歳の担任であった。勿論、理科の授業のときに、いつも歌っていた訳じゃあない。朝の学活と帰りの学活では歌っていた記憶があるけど・・・。

お疲れ!!
美香、幹事おつかれ!道哉、久しぶりに会えてよかったよ。いのけん、一杯笑ったね。もりっこ、おかえり!!そしてアキとババツ・・・昨夜もよく飲み、よく語り、よく歌ったね。今度はもう少し、人数を増やしてやりたいね。祐二にも会いたいなあ・・・

『一生懸命』超幻のたかやん日記  2004.第167弾!  8月30日(月)

パパイヤ!!
今日は「一般質問」の通告の締め切り日。2時過ぎ市役所へ行くと、大佑と幸弘のネームプレートに電気が付いていた。これはきっと控え室で打ち合わせをしているなと思って、(ちょっぴり受けをねらって・・・時々やっている挨拶をしてみようとふと思って・・・)ドアを開けるなり「パパイヤ!」と叫びながら入った!!ところが中にいたのは大佑と教育委員会の先生方3人。僕の目は点、そして中の4人の目も点・・・・。
「ごめんなさい。」「あいやすいません。」穴があったら入りたい状態のたかやんであった。議会中、羽根善保がいると「おはよっちゃん!」とかいいながら部屋に入ったりするのだが、その乗りで叫んでしまった僕が馬鹿だった。いやホントに失礼しました!
*12年前は幸弘も善保もいたんだなあ・・・・それにしても、いきなり「パパイヤ!」はないよねえ・・・この時の市教委のメンバーって誰だったんだろう・・・謎である。

絶対に打ってはいけない!963

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今日の写真1
真ん中が「空飛ぶ眼鏡」の主人公、道哉です。我が家に居候していた7人の男の子達の一人です。左が山形なまり爆発のもりっこ、右か今回の幹事の美香。二人とも、わが1組のピアニストです。

今日の写真2
マイクを持っているのがアキ。我が家に居候していた7人の一人です。サッカー部のキャプテンで足も速く、当時から担任の次くらいに女の子に人気がありました。(笑)ピースをしているのがババツでテニス部のエース。市大会、班大会、県南大会とずっと勝ち続けたエースでした。

今日の写真3
みんなで最後に歌いながらの記念写真です。一番右がいのけんです。この日もみんな『中学時代に誰が好きだったの?』という質問に全員が答えていましたねえ・・・。答えなくても全員が知っていた人もいましたけれど・・・このお店。タバコ臭くなかったのがよかったですね。僕はタバコアレルギーなので・・・あっという間に25歳に戻れた、楽しい時間でした。みんなありがとうね。

*この日記を読んだ全ての人が、明日も幸せな一日を過ごせますように・・・たかやん

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8月14日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第227弾!  2016年8月14日(日)

『一生懸命』幻のたかやん日記  第227弾!  2016年8月14日(日)

2時半
結局、我が家に戻ったのは2時半過ぎ。ココアが元気よく迎えてくれた。あっという間に寝て・・・気が付いたら空が朝練に行く時間で・・・飛び起きたのだった。

激痛
右手首が痛い。パソコンのキーボードがうまく叩けない状態である。ドアノブを開けるのも痛いし、冷蔵庫を開けるのも痛い。体のどこかが痛いというのは辛いものだ。ケガをしている人、病気の人・・・そしてワクチンの副反応で苦しんでいる人たちのことを思う。

オリンピック
水泳、体操・・・オリンピックを見ていて思うのは、勝負を終えた後の若者たちの清々しさである。日本の若者が中国の若者に声をかけ、ガッチリと握手をする。日本の若者がともに戦った他国の若者とハイタッチをしてお互いの健闘と称えてハグする。その清々しさに心が洗われる。その一方で頭の固い、年寄りのバカな政治家たちが領土のことで問題を起こす。若者たちが体を張って勝負をするオリンピック、人相の悪い年寄たちがお互いに脅しあい、罵り合いながらお互いの主張を引っ込めない領土問題。  
核兵器であれだけの犠牲者を出したのに、核兵器を持たなきゃやられる!と主張する人相の悪いじいさん、ばあさん。双方の国の人相の悪い政治家たちが問題を起こす・・・それが領土問題。その後ろには軍需産業が蠢く・・・それが戦争。もう二度とあんな戦争はごめんである。若者がドーピングなしで、正々堂々と勝負するオリンピック・・・人相の悪い人たちは彼らから隣国との付き合い方を学ばなければいけない。

子ども達の名前
自分でも驚くことだが、担任をしていると20年以上過ぎてもその子ども達の名前は忘れない。まあプロなんだから当たり前といえば当たり前のことなんだけど・・・・そういうプロ仲間の先輩からこんなメールが来たので紹介します。彼は今年の3月、定年退職した校長です。新座市にもこういう先生がたくさん増えて欲しいです。

7月17日(土)に、23年前に6年生を担任した子ども達が私の退職を祝ってくれました。当日、我が家に教え子のT君が車で迎えに来てくれました。10分ほど早く会場に着くと、すでに数名の教え子が来ていました。教え子の顔を見ると、とっさに名前が出てくるのが不思議でした。挨拶にやって来た教え子が名乗る前に、私が「○○さんでしょう。」と
声をかけると、とても喜んでいました。

誰かが持ってきた卒業アルバムがあったので、広げてみると最後に全員の集合写真がありました。このアルバムは業者に頼まず。。。6年生と1年かけて作成した思い出のアルバムです。(私はこのアルバムを持っていません。)
アルバムの中の懐かしい顔々。。。そして、この会場に集まった顔々。。。
どこか雰囲気が残っているものです。中には、アルバムの中から飛び出てきたように変わらぬ顔がありました。一般に女子の変化が大きいです。男子は見てすぐ名前が出ましたが。。。女子はしばらくしないと名前が出てこない人もいました。

当時の6年生も36歳になり、立派になっていました。何の因縁か。。。当時、6年生を担任していた私も36歳でした。
結婚した人は、男子も女子も皆ほとんど子どもを持ち、家庭を築いていました。
女子は実家や旦那に子どもを預けてきたようです。子どもを預かる旦那から子どもに泣かれてSOSが携帯に入ったりして、その対策を教えているお母さんもいます。

当時の瑞穂第三小の教育が大変特殊だったことが話題にあがりました。また、教え子達がそれを誇りにしていることも感じました。そして、話はとうとう、瑞穂三小のような学校が今もあったら、自分の子どもを入学させたいということになりました。国語が大好きだったという話、今でも鉄棒の逆上がりが出来ると言う話、みんなでよく走ったという話には。。。思わず「そうそう。」と声が出ました。合唱をつくったこと。。。ハレルヤ、モルダウの流れ、美しきあおきドナウ。。。表現。。。利根川、子どもの四季、カタクリの花。。。勉強が終わると
夕方の6時、7時だったことも話題にあがりました。中には、うちの旦那が出来ない倒立をやったら、子どもも旦那もびっくりなんて話には、みんなドッと笑いました。

当時、6年生は2クラスでしたが、どういう訳か、この2クラスの子ども達が大変仲が良かったことも話題にあがりました。そう言えば、今日の23名の中に、私の教え子ではない隣のクラスの人が2人も混じっているのでした。。。何の違和感もなく。。。
私がその二人の名前までも当てたことが当時のクラスの関係をよく現していると思います。
また、教え子の中の半分ほどが4年、5年、6年と3ヶ年も担任をした子ども達だったのです。

夜7時に始まった会もあっと言う間に夜10時を過ぎました。お店の方に、集合写真を撮ってもらい。。再会を約束して2次会へ流れました。
*これも12年前の日記です。自分の中高時代の友達の名前は忘れても・・・教え子たちの名前は忘れられない・・・教師脳の不思議です。毎日、毎日子どもたちを名前で呼び、学級通信に繰り返して書いていると・・・海馬が喜んで、長期記憶に落とし込むのでしょう。僕の最後の教え子たち(二中の3年2組)も34歳・・・僕自身が中学校を卒業してから、もうすぐ20年が経とうとしているのですね。

絶対に打ってはいけない!964
ワクチンを接種して、副反応が出てからの彼女たちの時間は、苦痛と後悔の時間だったはずです。彼女たちは毎日、毎日、言葉ではいい表せない程の苦しみを味わってきたのです。製薬会社の嘘と欲に塗れた政治家達、医者たちの大嘘と戦う彼女たちを応援するのが僕ら大人にできること。そういう意味でも、TPPは反対するしかありません。TPPにはISD条項があるのですから。     
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今日の写真1・2・3
8月7日(日)の「第18回わいわい川遊び」で大活躍してくれた佐藤さんです。彼は五中の卒業生なのですが、黒目川のことなら、何でも知っています。子どもたちが採ってき魚を説明する佐藤さんの目は子どもたちの目と同じように輝いていました。
彼は“新座の宝”です。この日、佐藤さんの「お魚教室」に参加できた小中学生は幸せでした。魚の名前は勿論、色々なお話を分かりやすくしてくれました。新座の小中学校の先生たちも一度、彼の授業をうけるといいと思います。

*この日記を読んだ全ての人が、明日も幸せな一日を過ごせますように・・・たかやん


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8月15日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第228弾!  2016年8月15日(月)

『一生懸命』幻のたかやん日記  第228弾!  2016年8月15日(月)

71年間の平和
東京新聞の朝刊に憲法9条はアメリカに押し付けられたものではなく、幣原喜重郎の発案だったという記事が掲載されていた。「昭和の三傑」に書かれていた通りだ。
幣原はその頭脳でアメリカを騙し、日本を守ったのだ。騙されたアメリカは何とか憲法を変えようとして、その手下の日本人に「改憲」を叫ばせている・・・・それが今の日本の状態だろう。「改憲」を叫んでいる手下に限って、「押し付けられた憲法」と言うのだから、ちゃんチャラおかしい。それが証拠に手下たちはアメリカに押し付けられた「日米地位協定」や「日米安全保障条約」は「押し付けられた」とは言わず、黙ったままだ。沖縄の米軍基地についても同じである。戦後、日本の経済が大成長したのは、幣原のお陰だということを確認しながら、終戦記念日を祝うとしよう。

親友からのメール(一部)
たかやん様

8月12日の日記、読みました。
12年前の一般質問のこと。私は傍聴席に居たと思います。臼倉さんの姿も良く覚えています。あの質問がもう12年も前のことなのですね。たかやんの長い発言に、時間が無くなっちゃうのに〜〜って思って聴いてました。(いつもたかやんは目いっぱいに時間を使うけれど)

私は陵平君とは会ったことが無いけれど、本当に責任感が強い子だったのだろう、その強い責任感が反省文に出ています。そのような子を、大人が追い詰めてしまって、なんてかわいそうな。誰でも、一生のうちには自分が消えてしまいたいと思うことは何回かあると
思いますが、でも実際には命を絶つなんてしないし、できない。彼は中学生だったのに、それを乗り越えてしまうほどの、それもよほどの心の苦しさであったと思われます。元気であったら、立派な社会人になっていただろうと思いますね。

12年前にたかやんの一般質問を聴いているときは、ただただ深刻な事が新座であったのだという認識だけでしたが、私は毎年近しい人が次々に逝ってしまい、悲しいことばかり。
中学生の陵平君を失ったご家族の苦しさや悲しさが、たかやんの日記で今の私は何倍にもなって感じています。     千恵子

*そうか、千恵子さんはあの時の僕の質問を聞いていてくれたのか・・・しかも、覚えていてくれたのか・・・そして、今、陵平の苦しさや、陵平の家族の苦しさを当時の何倍にも感じてくれた・・・親友がそう思ってくれたこと、それが嬉しい。

兄貴
陵平のお兄さんの走太君と飲んだ。飲みながら陵平の話をたくさんした。陵平のアルバムも見せてもらった。昔の二中の話もした。みんなが陵平の記憶がだんだん遠くなっていくなかで、僕は少しずつ陵平のことを知っていく。学校では優等生だった陵平が家ではなかなかの腕白だったことや、物凄い負けず嫌いだったこと。そしてチャレンジ精神が旺盛だったことなどを兄貴は語ってくれた。
好きな食べ物がオムライスというのは僕と同じだった。走太君は「本当にオムライスかなあ・・・」と疑ってはいたけれど・・・。兄貴と弟は3歳違い。「僕が今経験していることを、あいつはすぐに追いかけたはず。それができないことが悔しい・・・」「バイクの免許だって、16になったらすぐ中型を取ったと思う。」と兄貴。僕は二人の横顔がそっくりだと思った。「そんなこと言われたのは初めてです。」と走太君。だけど多分17歳になった陵平は今の走太君に似ていたはずだ。大貫陵平・・・僕の手帳の中で笑う13歳の少年はもうすぐ18回目の誕生日を迎える。
*これも12年前の日記だから、陵平は生きていればもう直ぐ30歳になる筈。空が13歳になった。陵平のように正義感が強いから心配である。父親のように非行に走ることもなく、学校の先生に嫌われるようなことはしない13歳の空。これから先も担任や顧問、学年の先生たちに恵まれて思い切り生き抜いていって欲しい。そう願う空父である。

絶対に打ってはいけない!965
彼女たちもオリンピック中継を見て、ワクワクドキドキしているのでしょうか。それとも、苦しくてそれどころではないのでしょうか。ワクチンを接種して、副反応が出てからの彼女たちの時間は、苦痛と後悔の時間だったはずです。彼女たちは毎日、毎日、言葉ではいい表せない程の苦しみを味わってきたのです。製薬会社の嘘と欲に塗れた政治家達、医者たちの大嘘と戦う彼女たちを応援するのが僕ら大人にできること。TPPは反対するしかありません。TPPにはISD条項があるのですから。     
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今日の写真1・2・3
8月7日(日)の「第18回わいわい川遊び」の午後は思い切り遊びました。黒目川は子供たちの笑顔で溢れていました。そして、大人たちの笑顔も・・・子どもが笑顔だと大人も自然に笑顔になるのですね。There never was a good war or bad peace.
「いまだ嘗て、よい戦争や悪い平和なんてものはあったためしがない」という言葉を思い出しました。

*この日記を読んだ全ての人が、明日も幸せな一日を過ごせますように・・・たかやん

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8月16日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第229弾!  2016年8月16日(火)

『一生懸命』幻のたかやん日記  第229弾!  2016年8月16日(火)

137弾!
手首の痛みがとれないので、朝から137弾の再校正に取り掛かった。今まで書いたものは殆ど記事と写真を入れ替えた。ここまで来ると、駅に立つのは9月の1日からにした方がいいかも知れない。中学生は29日から2学期が始まるらしいが、駅で会う高校生、大学生たちは9月1日からだろうから・・・そうなると、また記事の入れ替えがあるかも・・・
まいっか・・・

シールズ解散
昨日で解散したらしい。スマップの解散には興味がないが、シールズの姿が見られなくなるのは寂しい。彼らの国会前での訴えは見事だった。中学時代に、新宿の西口広場で反戦歌を歌っていた大学生のお兄さんと同じようなオーラを感じたのは僕だけではないだろう。


17時からは小学生の塾。約分で躓く小学生。計算には強くても、分母と分子を同じ数字で割るという単純な約束が分からないと・・・約分はできない訳で・・・できるまで、繰り返し、繰り返しトレーニングをしたのだった。

塾2
20時からは中学生の塾。わが塾には英語の評価で言うと、「月からスッポン」まで揃っているのだが・・・この夏休み「スッポンチーム」には1年生の教科書の基本文を徹底的にトレーニングしてもらっている。「スッポンチーム」がやがて「お月様チーム」に入れるように、2年生、3年生と諦めずにトレーニングを続けていく積りである。

研修
この夏休みは研修が大変だった!と友達の先生たちがこぼす。「林間学校の途中に研修だからと帰されてかわいそうだったなあ。」とか「何よりも研修優先なんですって!」とかいう声がたくさん聞こえてくる。本末転倒なのだ。子ども達の為の研修なのに、こどもを置いて研修はないだろう。
そして研修を受け持つのが「学校以外の経験がなく」「子どもと一緒にいた経験が少ない教師」では困るのだ。まあこれは新座市の問題ではなくて県レベルの問題なのだけれど。教師はもっと外の世界を知らなくてはいけない。一番大切なことは、共感能力を高めることだ。そして、もっと自分の授業をいろんな人に見てもらって・・・率直な感想を聞いて、自分の授業のレベルを高めていくことが大切なのである。
*これも12年前の日記から・・・今の研修がどうなっているかは、分かりませんが・・・変わっていることを期待します。

絶対に打ってはいけない!967
彼女たちも僕たちと同じようにオリンピック中継を見て、ワクワクドキドキしているのでしょうか。それとも、苦しくてそれどころではないのでしょうか。ワクチンを接種して、副反応が出てからの彼女たちの時間は、苦痛と後悔の時間だったはずです。彼女たちは毎日、毎日、言葉ではいい表せない程の苦しみを味わってきたのです。製薬会社の嘘と欲に塗れた政治家達、医者たちの大嘘と戦う彼女たちを応援するのが僕ら大人にできること。TPPは反対するしかありません。TPPにはISD条項があるのですから。     
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今日の写真1・2・3
子どもたちが川に溢れている・・・そして魚取りに夢中になっている・・・本当にいい光景でした。それを見ている大人たちの嬉しそうな顔もまた、周りの人たちを幸せにする笑顔でした。来年もがんばるぞ!!

*この日記を読んだ全ての人が、明日も幸せな一日を過ごせますように・・・たかやん

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8月17日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第230弾!  2016年8月17日(水)

『一生懸命』幻のたかやん日記  第230弾!  2016年8月17日(水)

三姉妹
卓球三姉妹の応援をしていたら、夜中になってしまった。オリンピックは心臓に悪い。それにしても三人とも頑張ったなあ・・・。おっさんも頑張らないといいことはない訳で・・・頑張らないとね。

受験勉強
久しぶりに大学受験用の勉強をしてみた。何故かそんな気分だったのだ。数学をやって、日本史、世界史、英語とやってみた。これが結構面白い訳で・・・少しだけ、大学を受けてみたくなったのだった。

準備
いよいよ明日から3泊4日の北海道旅行である。北海道のニセコに行くのは12年ぶり。前回は空がまだ1歳の時だったから・・・本当に久しぶりである。新幹線のチケットは勿論、トランクに何を詰めていくのか・・・忘れ物がないようにしないと、折角の旅行が台無しになってしまう。東久留米まではタクシーでの移動になるだろう。母さんを亮のところに預けて・・・明日は5時起きかな?

『一生懸命』超幻のたかやん日記  2004.第133弾!  7月27日(火)

夏休み6
羊蹄山の見える友達のペンションにお邪魔した。朝は絞りたての牛乳に色とりどりの「自家製」のパン。色々なジャム。そしてご飯の人はおかずもたーくさん。夕飯にはお寿司を目の前で握ってくれ、大きな毛蟹が茹でたてでポンと出てきた。俊ちゃんとは大学の3年4年と同じ講座で教育実習も一緒にやった仲だ。本当に良い奴で奥さんのあけみちゃんの料理の腕と笑顔は最高だ。北海道に行くとこういう友達と会えるのが嬉しい。「ラミーナ」という名前はアイヌ語のラム「心」とミーナ「微笑む」からとったそうだ。ラミーナは「木の香り」と「光」と「風」を大事に建てられたペンションだ。
http://www3.lap.dion.ne.jp/ramina/
*これが12年前の日記。日記のいいところは、記憶が記録として残っているところだ。大きくなった空が僕の日記を読んで、僕たちの愛情を感じてくれたら一番嬉しい。

絶対に打ってはいけない!969
彼女たちも僕たちと同じようにオリンピック中継を見て、ワクワクドキドキしているのでしょうか。それとも、苦しくてそれどころではないのでしょうか。ワクチンを接種して、副反応が出てからの彼女たちの時間は、苦痛と後悔の時間だったはずです。彼女たちは毎日、毎日、言葉ではいい表せない程の苦しみを味わってきたのです。製薬会社の嘘と欲に塗れた政治家達、医者たちの大嘘と戦う彼女たちを応援するのが僕ら大人にできること。TPPは反対するしかありません。TPPにはISD条項があるのですから。     
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今日の写真1・2
「第18回わいわい川遊び」の裏かたメンバーです。こういうイベントは裏で支えてくれる人がたくさんいないと成立しません。魚とり、川遊び、そしてこども食堂・・・・今回ほど、多くの裏方さんが参加しての川遊びはありませんでした。忙しいなか、自分の時間を割いてくださったみなさんに感謝、感謝です。

今日の写真3
空が作ってくれた朝ごはんです。どうやら夏休みの宿題だったらしいのですが・・・なかなかナイスな宿題でした。今日は朝練がなかったので、こうしてトライできた訳で・・・・・五中陸上部の日程にも感謝です。
しばらく日記が掲載されないと思いますが、心配しないでくださいね。

*この日記を読んだ全ての人が、明日も幸せな一日を過ごせますように・・・たかやん

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8月18日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第231弾!  2016年8月18日(木)

『一生懸命』幻のたかやん日記  第231弾!  2016年8月18日(木)

川掃除のお知らせ
来月の川掃除は18日(日)に行う予定です。9時に栗原1丁目公園に集合です。持ち物は、黒目川を綺麗にしたい!という心だけです。トング、ごみ袋、軍手はこちらで用意します。
この毎月のイベントは新座市の環境対策課が全面的に支援してくれています。
夕方17時から石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加も大歓迎です。
連絡は090-6497-5737 たかやん

ココア
僕らが家を出ようとすると・・・ココアが狂ったように、後を追ってきた。いつもなら、諦めて家に入るのに・・・なかなか入らないのである。大きなトランクを持っていたからかも知れないが・・・ココアなりに何かを感じたのだと思う。「大丈夫だよ。直ぐにババが来てくれるからね」そう言って、僕らはココアとさようならをしたのだった。

東久留米
ひばりが丘ではなく、僕らは東久留米に向かった。ひばりが丘だと急行は停まるのだが、階段しかないので大きなトランクを持って上がるには辛いからである。「そう言えば、倶知安の駅にはエスカレーターもエレベーターもなかったよね」前回は空を抱っこしながら、ベビーカーを持って、階段を上り下りしたのだ。若くて健康な時は感じないが・・・膝が痛かったり、足が痛かったりするとお年寄りや障がいのある方たちの気持ちがわかるのである。

東京
初めての北海道新幹線。僕らは新幹線のホームで飲み物を買って、10時20分発、はやぶさ13号に乗り込んだ。驚いたのはトイレにウォッシュレットがついていたこと。僕が大学に行っていた時代は和式だったのに・・・しかも、新函館北斗まで4時間17分で行くというのだから凄い。大学時代には考えられなかったスピードである。

青函トンネル
連絡船と比べて、けた違いに速かった。ただ、連絡船の方が情緒は豊かだった。恋人と乗るなら連絡船。家族と乗るなら新幹線ってところだろう。

倶知安
着いたのは18時13分。懐かしい俊ちゃんの笑顔が改札の向こうに見えた。俊ちゃんとはゼミも一緒で教育実習も一緒にやった仲間である。空やひとみとも12年ぶりの再会ということになる。
ファミール・イン・ラミーナ
12年ぶりの明美ちゃんも変わってなかった。そして、俊ちゃんの娘のあずさちゃんは大人の女性になっていた。僕と俊ちゃんは昔話に盛り上がり・・・大いに飲んで語ったのだった。

そうだったっけ?
笑ったのが、教職のこと。「高邑はさあ・・いきなり俺に相談してきたんだよ」『何を?』「きゃあ、教職を取りたいって・・・先生になりたいって・・・」『え?俺お前に相談したんだ!』「そうだよ。でも、教育原理も教育心理も憲法も取ってなかったから・・無理だと思ったんだよね」『え?憲法だけじゃなかったっけ?』「何も取ってなかったの!」『俺、憲法だけだと思ってた・・・それで教育大にも付き合ってくれたんだっけ?』「そうだ、そうだ。いやあ、そうだった」当時、俊ちゃんは車を持っていたので、北海道教育大まで僕を乗せて行ってくれたのだ。『同じ、国立大のよしみで教職の単位、取らせてもらえませんか?』勿論、断られた僕は、札幌の本学に電話をして・・・『水産学部の3年なんですけど、札幌で教職の単位取れますか?』と聞いた。すると「可能ですが・・・北大100年の歴史の中で、それをやった学生は誰もいませんよ」と言われたのだ。
『そっかあ・・憲法だけじゃなかったんだ。なんか思い出してきたぞ!』「そんで、お前毎週札幌に通っていたじゃん。」話は尽きることなく・・・いいねえ。学生時代の友達は。

絶対に打ってはいけない!968
僕は北海道に来ています。久しぶりの旅行を楽しんでいます。家族と楽しい時間を過ごしています。ワクチンを接種して、副反応が出てからの彼女たちのは、そういう幸せを感じることができないのです。製薬会社の嘘と欲に塗れた政治家達、医者たちの大嘘の為に苦痛と後悔の時間だったはずです。彼女たちは毎日、毎日、言葉ではいい表せない程の苦しみを味わってきたのです。     
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今日の写真1
我々が乗ったはやぶさ13号です。初めて見るタイプだったので、ちょっと感動しました。

今日の写真2
青函トンネルの最も深いところは海底から140も下のところなんだそうです。どうやって掘ったんでしょうね。日本の掘削技術のすごさに感動です。

今日の写真3
トンネルと超えて、特急に乗り換えると・・・懐かしい光景が飛び込んできました。大沼公園です。残念ながら駒ケ岳はよく見えませんでしたが・・・教育実習に行った函館中部高校の子どもたちと一緒にボートに乗ったことを思い出しました。

*この日記を読んだ全ての人が、明日も幸せな一日を過ごせますように・・・たかやん

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8月19日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第232弾!  2016年8月19日(金)

『一生懸命』幻のたかやん日記  第232弾!  2016年8月19日(金)

川掃除のお知らせ
来月の川掃除は18日(日)に行う予定です。9時に栗原1丁目公園に集合です。持ち物は、黒目川を綺麗にしたい!という心だけです。トング、ごみ袋、軍手はこちらで用意します。
この毎月のイベントは新座市の環境対策課が全面的に支援してくれています。
夕方17時から石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加も大歓迎です。
連絡は090-6497-5737 たかやん

5時
6時に車が迎えに来るということで、5時過ぎには全員起きていた。北海道に来て、最初のイベントは熱気球である。ほんの数分のフライトなのだが、ネット予約で2400円くらいだったか・・・勿論、乗るのは空一人。僕らは下から空がふんわり浮いていくのを眺めていたのだった。

朝ごはん
兎に角、ラミーナの食事は豪華である。これでもかというくらいの質と量なのだ。普段は炭水化物に気を付けて食べている僕だが・・・目の前のご馳走には勝てなかった訳で・・・俊ちゃんと明美ちゃんが作ってくれたご馳走を存分に食べたのだった。

空中散歩
9時。ヒルトンホテルまで俊ちゃんに送って貰って、ジップラインツアーに参加した。これがまた面白いのだ。もともと高いところとスリルが大好きな僕は勿論、空もかなりの余裕で空中を散歩した訳で・・・途中、ワイヤーが2本のところは父子で手を繋いで下りたり、後ろ向きに手を繋いで助走して・・・途中で両手を離したり・・・大満足の二人を空ママがスマホで撮影する・・そんな2時間だった。

2時過ぎ
僕が北海道に帰ってくると知って、同級生の小出と小出の奥さんのきみちゃん、そしてテニス部でもあったルカの3人が恵庭と札幌から来てくれた。そして、3時頃から宴会が始まり・・・カラオケが始まって・・・

ビックリ!!
最初に空が歌ったのには驚いた。そして、もっと驚いたのは、昔の自分の歌声とそっくりだったこと。空の声はずっと空ママの声に似ていると思っていたのだが・・・歌声は間違いなく僕と似ていた訳で・・・

トリオ
笑ったのは僕が歌う歌に必ず俊ちゃんと小出が参加して、3人でハモりながらの歌になったこと。同じ時代に生きた男たちはどの歌も知っていた訳で・・・それがまた奥さんたちに大うけだった。

一緒に暮らす?
空と空ママが上に行ってからのお話。『ねえ、ルカ。俺なんでルカのこと、ルカとかルカ子とか親しい呼び方してんだろ?昔達、そんなに仲良かったっけ?』「なに言ってるの!あなた私と一緒に暮らさないって言ったでしょ!」『え?・・・』「毎日、ごはん作ってくれたらいいからって。」『・・・』「アパート代も安くなるし、いいかなって思ったんだけど・・・あなたがいないとき、住田君と二人になるから・・それは嫌だなって・・・やめたんだけどね」とルカ。それを聞いていた俊ちゃんたちはのけ反って・・・「マジかい!」「初めて聞いたぞ!」「だって、高邑君はその時彼女がいたから、安心だったわけ。住田君はいなかったでしょ?」とルカ。いくら彼女がいたって、一緒に暮らすということは・・・何が起こるかわからない訳で・・・なんてことを当時の僕らは考えてなかったに違いない。あの時、ルカと一緒に暮らしていたら・・・きっと僕らの人生は少しだけ変わったに違いない。

絶対に打ってはいけない!969
僕は今12年ぶりに北海道の友達のところに来ています。そして家族で久しぶりの旅行を楽しんでいます。大学時代の友達と楽しい時間を過ごしています。ワクチンを接種した貴女たちは、そういう幸せを感じるこができません。頭がよかったのに、大学に行くことすら出来なくなってしまったのですから。製薬会社の嘘と欲に塗れた政治家達、医者たちの大嘘の為に人生を奪われたのです。絶対に許せませんよ。そういう奴らは・・・
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今日の写真1
生まれて初めての“熱気球”に乗る空です。天気が悪いと乗れないので、ついていました。

今日の写真2
ジップラインツアー・・・笑顔で降りてくる空です。長いコースでは250mもあるので、かなり楽しめました。両手離しや後ろ向きにも挑戦し、全て出来たのですが・・・調子に乗って逆さまになると、「落ちて死にます」と終わった後で言われて・・・無茶をしなくてよかったと思いました。

今日の写真3
カラオケ3兄弟です。左が学生時代軽音楽部だった小出です。今はハム作りに燃えているそうです。右が大学1年生の頃からサラリーマンだった俊ちゃん。学費を自分で稼がなくてはいけなかったので、1年生の頃から学校に卒業アルバムを売り込む仕事をしていたのです。だから俊ちゃんはいつもスーツにネクタイをして学校に来ていました。面白いでしょ?

*この日記を読んだ全ての人が、明日も幸せな一日を過ごせますように・・・たかやん


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8月20日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第233弾!  2016年8月20日(土)

『一生懸命』幻のたかやん日記  第233弾!  2016年8月20日(土)

川掃除のお知らせ
来月の川掃除は18日(日)に行う予定です。9時に栗原1丁目公園に集合です。持ち物は、黒目川を綺麗にしたい!という心だけです。トング、ごみ袋、軍手はこちらで用意します。
この毎月のイベントは新座市の環境対策課が全面的に支援してくれています。
夕方17時から石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加も大歓迎です。
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雲丹
「ごめーん。昨日ウニ出すの忘れてた!」と俊ちゃん。昨夜は超豪華なお刺身が出てきたのだが、どうやら、本当ならそれにウニも入っていたらしい。朝から丼一杯のウニがあるのは幸せなことで・・・血糖値も糞も忘れて、うに丼を食べた空父です。

警報
午後からカヌーで川下りだというのに、北海道は朝から各地で川が氾濫し、大雨洪水警報がでていた。『台風も来ているみたいだし、カヌーは諦めて、1日早めて帰る手もあるね。』と空父。「カヌーが一番楽しみだったのに・・絶対に帰らない。お天気の神様に祈る!」と空。『じゃあ、予定通り帰るか・・・』と空父。まあ、僕も晴れ男なんだけどね。

13時
僕がトイレから出ると、既に彼女は待っていた。彼女の名前は「あやこ」。『川の水位は大丈夫ですか?』「ぜーんぜん大丈夫ですよ!」(ホンマかいな・・・)あやちゃんは猛スピードでヒルトンホテルまで飛ばし、ニセコアウトドアセンターに向かったのだった。

カヌー
あやちゃんは僕らを乗せ、尻別川の出発点まで猛スピードで走った。そして僕らはカヌーに乗った。空は一人用で僕らは二人用のカヌーである。元々、舟の操舵には自信があるので、空ママが前で僕が後ろ・・・「はいストップ」「バックで・・・」「はい漕いで!」と声を掛ける。それでも空ママが間違った時は、後ろで舵を切って、難なくカヌーを操った訳で・・・超楽しい2時間だった。

台湾
僕らはカヌーで知り合った。ロウさん一家と友達になった。会話は勿論英語である。ロウさんの双子の息子たちも空と同じ中学校1年生ということで・・・大いに盛り上がったのだった。

お祭り
「夜はお祭りに行きたい!」と空。ところが外は大雨。流石に厳しいかも・・・そう思っていたのだが・・・僕らが出るころには雨がピタっと止んで・・・まあついていた訳で・・・

結局
どうやら空のお願いは効いたらしい。空だから空の神様が気を利かせてくれたのかも知れない。明日の帰り・・・台風の影響でどうなるか分からないが・・・空がいれば大丈夫だろう。そんな気になってきた空父である。

絶対に打ってはいけない!970
僕は今12年ぶりに北海道の友達のところに来ています。そして家族で久しぶりの旅行を楽しんでいます。大学時代の友達と楽しい時間を過ごしています。今日はカヌーで2時間も遊びました。ワクチンを接種した貴女たちは、そういう幸せを感じるこができません。頭がよかったのに、大学に行くことすら出来なくなってしまったのですから。製薬会社の嘘と欲に塗れた政治家達、医者たちの大嘘の為に人生を奪われたのです。絶対に許せませんよ。そういう奴らは・・・
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今日の写真1
中州で休憩をしたところです。超親切だったガイドの佐竹さん、三部さん、深町さんと一緒に撮ってもらいました。

今日の写真2
家族が笑顔になれるって本当にいいですよね。日常から解放されて、笑顔になった空ママです。

今日の写真3
雨が上がって、水蒸気を多く含んだ空気があり、川面が冷えていると・・。霧が発生します。その霧の中を漕いで行く空です。

*この日記を読んだ全ての人が、明日も幸せな一日を過ごせますように・・・たかやん

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