Diary 2013. 7
メニューに戻る
7月11日 (木)  『一生懸命』 幻のたかやん日記  第192弾!  2013.7.11(木)   たかやん

『一生懸命』 幻のたかやん日記  第192弾!  2013.7.11(木)   たかやん

川遊びのお知らせ
8月の川遊びの日程が変更になりました。例年は第一日曜日に行っていましたが、今年は8月の第二週、11日(日)に行います。

熱い・・
普通は暑いと書くのだが、熱いと書きたいくらい、朝から熱かった。交通指導員さん達も苦しそうだ。特に午後の見守りはきついらしく・・・色んなところで、指導員さんが倒れているらしい。早い梅雨明けも困ったものである。

優しいハイタッチ
石神の松村さんとの朝のハイタッチ。4年生は優しくハイタッチするのだが、我が腕白の2年生は思いきりのハイタッチをする訳で・・・「もっと優しくしてね!」とおばちゃんに言われてしまった。「お前達、もう少し優しくしてごらん。もう、おばあちゃんなんだから分かるだろ?」「分かるよ・・」昨日、そう言っていた2年生の二人だったが・・・今朝は実に優しくハイタッチしていた。そして、松村さんも、もの凄く嬉しそうにハイタッチしてくれたのだった。

東門
子ども達は元気だった。ハイタッチしてくれる子が増えて・・・嬉しい限りである。「帽子を被ろうかなあ・・・」と校長先生。「被った方がいいですよ」と僕。東門の見守りは、二人だったので、楽しかった。

亜細亜
今日は久しぶりの亜細亜。長久保先生との練習である。昨日の検診で大丈夫と言われたので、どんなに暑くても気合を入れて走ろう!そう思っていたのだが・・・
12時40分からの練習はきついなんてもんじゃなかった。昼ごはんを食べてなかった影響もあるかも知れないが・・・暑くて、頭がボーっとしてきたのだ。それでもボールを追いかけ、何とかコツを掴んだ気がする。長久保先生のコーチングはいつも的確である。

高速
夕方から塾なので、帰りは高速で・・・ところが、高速入り口でETCのところが閉鎖されている。どうやら、ETCが故障したらしいのだ。結局、久しぶりに現金で払ったのだった。

熱射病?
家に帰って、シャワーを浴びたところまではよかったのだが・・・その後、寒気がして・・エアコンの付いた家の中で、長袖、長ズボンで塾をやった。血糖値も89しかない。慌てて、野菜ジュースを飲んで、水分を取り込んで・・・塾の後半には、いつものように半袖・短パンになっていたのだった。ホッ・・・

本気
今日の中学生のクラスでは、久々にマジで怒った。死んだ目をした中学生など見たくはないのだ。「どんなに出来なくても、見捨てる事はしない。でも、本気じゃないなら、今すぐ辞めろ!」「ふざけるな!」と怒った。出来ない子を出来るようにするのが僕の仕事なのだ。両方やる気がなけりゃあ、出来ない事が出来るようになる訳がないのだ。

重大事件発生!!
先日、校長から学級通信「一生懸命」に対する注意がありました。
その1 Tmoya では誰だか分からないから、きちんとTakamuraと書くように。
その2 言葉遣いが悪すぎる。
その3 必ず提出するように。
その1、その2については、これはセンスの問題ですから、勿論N0!その3については、ゴミ箱に捨てるような人には絶対にあげません。42枚しかないんですから。みんなも廊下になんか落とさないで下さいね。この○秘通信。

『一生懸命』2年1組 1980年から・・・
* この学級通信から分かる事は・・・。俺は当時の校長が言ったことを、頭から相手にしていなかったということ。25歳の若造の頃から、権力を振りかざしてくるタイプの人間には楯突いていたのだ。25歳ではあったが、当時の校長が「大して担任の経験のない、学級通信など書いたことの無い教師」だったことは直ぐに見抜いていた。だから、彼の言葉が心に響かなかったのだ。若かったからかも知れないが・・・全く相手にしていなかったのだから笑える。教師になって3年目。怖いのは校長ではなく、尊敬する先輩と、鋭い目を持つ子ども達だった。

今日の写真1・2・3
お昼過ぎの練習ですから、本当に汗ビッショリになりました。それなのに、長久保先生は長袖でテニスをしていました。軽−く打つ、長久保先生のフォアーハンドとバックハンドです。そして、久しぶりのツーショット。一歩でも二歩でも先生に近づきたい・・・そう思っている弟子なのです。

20130711-1.jpg 20130711-2.jpg 20130711-3.jpg



7月12日 (金)  『一生懸命』 幻のたかやん日記  第193弾!  2013.7.12(金)   たかやん

『一生懸命』 幻のたかやん日記  第193弾!  2013.7.12(金)   たかやん

川遊びのお知らせ
8月の川遊びの日程が変更になりました。例年は第一日曜日に行っていましたが、今年は8月の第二週、11日(日)に行います。

三宅洋平
朝の6時から、三宅洋平の動画を見た。選挙は戦いじゃない、選挙は祭りだ!そういう若者を僕は応援することにした。三宅洋平・・で、検索してみてください。

見守り
今朝の見守りも楽しかった。近所の沢山の方達に「おはようございます!」「いってらっしゃい!」と声を掛けて貰ったのだ。

先生?
面白かったのは、あるおじさんに「先生ですか?」と声を掛けられたのだ。その方が、昔の教え子のお父さんだったから、返事が複雑になる訳で・・・「はい!いや、今は違うんですよ」「今、子ども達が大変ですからね。先生が見守っているのかと思いまして・・・」「はあ、そうなんですけれどね。」お父さんは自分の娘の担任だったとは思ってないらしく・・・八石小の先生だと思ったらしい。「先生!」と呼ばれると、いまでも反応してしまうわたし。恐るべし21年間の記憶・・・。

滑り台鬼
東門のついでに校庭の見守りもしてみた。空は相変わらず滑り台鬼で遊んでいた。滑り台を使って、追いかけ、逃げ、飛び降りる・・・訳で、まあ怪我はし易いのだろうが・・そうやって、子ども達は運動神経を鍛えている訳で・・・不意に押したりしなければ、大丈夫なんじゃないかなあ・・と、安心して見ていた。

給食費
恥ずかしい話なのだが、給食費が農協の講座から引き落とされなかった。そう、お金を入れるのを忘れていたのだ。銀行じゃあなくて農協というところがねえ・・・。担任の先生にも事務の先生にも迷惑をかけてしまったのだった。学校の帰りに農協に寄り、お金を入れた空父であった。

告別式
午前中は告別式に参加した。Mさんのお父さんは88歳で亡くなった。母さんと同じ年齢である。しかも、母さんと同じ脳梗塞という病気で・・・。Mさんが男三人の兄弟の二番目だということを今日始めて知った。僕は父さんが亡くなった日のことを思い出し・・・そして、母さんが亡くなる日のことを想像した。いつかはそういう日が来るのだ。どうしようもなく嫌だけれど子どもは親を送らなければいけない。親に送らせてはいけないのだ。

片付け
今日は金曜日。片付けの日だ。テニスクラブもお休みで、ジムもお休み。そして、小学生の塾がないので、夕方まではゆっくりできる日なのだ。こういう日に片付けないと、どんどん家が乱雑になっていく訳で・・・金曜日は片付けとポスティングの日にしようと思っている。

ポスティング
そう、最近ポスティングをサボっているのである。駅立ちはしているのだが、ポスティングは・・・・だから金曜日。選挙の無い、雨の降らない金曜日にはポスティングに行くことにしよう。

夏休み
楽しかった1学期も終わり、クソ暑い夏休みがやってきてしまった。暑い上に学校が無い訳だから、こんなに詰まらないことはない。よく“待ちに待った夏休み”なんて言うけれど、俺には“待ちに待った2学期が始まりました”の方がピッタリする。第一、金に縁のない俺には“海外旅行”だの“○○ツアー”だのは全く別世界の話だし・・・「今年の夏休み、ちょっとアメリカに行って来たの」なんて聞くと、(なんだ、コノヤロ・・・)と思ってしまうのだ。でも、今年の夏休みはちょっと違う。俺にも誇れるものがあるのだ。そうです。それは“合宿”ですよ。もう楽しみで、楽しみで・・だから、合宿以外の日は精一杯テニスをして、泳いで、体を鍛え、本を読んで、勉強して、頭を鍛えようと思っている。そうすれば、何かこう久しぶりに充実した夏休みになるのではないか。そんな気がするのだよ。

『一生懸命』幻の学級通信 第16弾!  1980.7.23 から

* ここで言う合宿とは、クラス合宿のことで・・・クラスの全員が、2班に分かれて、僕の家で2泊3日の合宿をした訳で・・・。みんなで三食作って、勉強して、真夜中に航空公園で肝試しをして・・・所沢の狭いマンションに一度に20人以上が泊まったのだから、どうかしている。勿論、押入れの中はベッドになって・・・エアコンもないのに、どうやって寝たんだろう・・・今、こんなことをやったら、教師をくびになる前に、家を追い出されるだろうなあ・・・とほほほほ。

今日の写真1・2・3
去年の川遊びの写真です。魚が採れて嬉しそうな父子と母子とおっちゃん二人です。こういう笑顔がいたるところで見ることが出来る訳で・・・川遊びは楽しいのです。

20130712-1.jpg 20130712-2.jpg 20130712-3.jpg



7月13日 (土)  『一生懸命』 幻のたかやん日記  第194弾!  2013.7.13(土)   たかやん

『一生懸命』 幻のたかやん日記  第194弾!  2013.7.13(土)   たかやん

川遊びのお知らせ
8月の川遊びの日程が変更になりました。例年は第一日曜日に行っていましたが、今年は8月の第二週、11日(日)に行います。

三宅洋平
今朝も6時から、三宅洋平の動画を見た。それが、なかなかいいのだ。彼なら、もしかしたら・・・僕らの言いたいことを、今までとは違う言い方で、言ってくれるような気がしたのだった。

朝練
空はスイミングの朝練へ、僕とひとみはテニスの朝練へ。木曜日の長久保先生との練習で、ちょっとコツを掴んで・・・バンバン打っていたら・・・右の背中の筋肉を傷めてしまったのだった。とほほほほ。

昭和の森
それでも昭和の森に行った。今日はダブルスだったのだ。シングルスなら行かなければいいのだが・・・昭と3年ぶりの毎日選手権。前回は第1シードと戦っている最中に、俺の肺に穴があいて・・・いつも俺が足を引っ張っているから、今日は俺が試合を作ろうと思っていたのだが・・・背中に力が入らなくて・・・3−6,4−6で負けてしまったのだった。とほほほほほほほほ。

暑中見舞いもうしあげちゃう!  富山発 新座行き
みんな元気でやっていますか?今夜もナイターでジャイアンツが大洋に負けていたけど、みんなは暑さに負けずに、しっかり勉強しとるでしょうねえ。早いもんだよ、時の経つのは・・もう10日も経っちゃった。見方によれば、あと30日もある訳だから、残りの日々を充実して過ごせばよいのですが。
北陸は涼しいぞーっ!今も長袖着て、これを書いています。ずっと降っていた雨のせいかも知れないけど。兎に角、寒いくらいです。そんな富山でどんな風に暮らしているかというと、一番大切な仕事が父さんの送り迎え。家から病院まで50mくらいなんだけど、車椅子で行くんです。これが朝と夕方。次が買い物。オートバイでブーンと行って来る。そして雪のお風呂。この三つが僕の仕事です。あとは、それはそれは暇でしてねえ・・。専ら本を読んでいます。このペースで行くと・・・帰るまでに40冊は行きそうです。

病院
何回行ってもいい気持ちがしないところです。当たり前かも知れないけれど、健康そうな人がいない・・・そんな感じです。入院している人は勿論、付き添いの家族の人たちも何となく疲れているようで、見ていて可哀想になってきます。車椅子に乗った人達は何時間も外を見ています。僕がいつもの格好をして、日焼けした顔で階段を上がっていくと、とても羨ましそうな目で見られます。そんな病院で、母さんはいつもニコニコして、誰とでも明るく挨拶して・・・父さんの病室だけは、何となく明るいムードです。何といっても、みんなが折ってくれた千羽鶴が窓に飾ってありますから・・・。今日、初めて病室で父さんと雑談しました。話は父さんの中学時代。「こんなこともあってのう」と富山弁と標準語をミックスした言葉で父さん、随分、楽しそうに喋ってました。僕は「ふーん」「へえ〜」「それで?」という調子で聞いていました。父さんが中学生の頃は戦争が始まるチョイト前の大変な時代でね。でも、しっかりとした自分を持っていたんですね。夢もあったしね。何かスケールが凄いなあと思いました。自分が中学の頃って、そんなんこと考えてもいなかったことばかりでね・・・。みんなに聞かせたかったなあ・・・。

『一生懸命』幻の学級通信 第17弾!  五中 3年1組  1980.7.31 から

* 父さんにすい臓癌が見つかって・・最後の夏。僕は富山から「一生懸命」を発行したんですねえ。原稿を新座に送って、印刷してもらって、それを祐二と光一が届けてくれて・・・1組の子達は、父さんに千羽鶴を折ってくれて・・・本当に心の温かい子ども達でした。父さんが死んで33年。あの時15歳だった子ども達も48歳。

今日の写真1
去年の川遊びの写真です。去年は学校の先生も参加してくれました。中学校の先生も、小学校の先生も・・・嬉しかったですねえ。


今日の写真2
この4人。全て僕の教え子です。3人は五中の1人はたかやん塾の・・・

今日の写真3
投網名人の佐藤君も五中の卒業生です。小学校も中学校も、佐藤君を先生にして、一度理科の授業をするといいと思います。僕が言うのだから間違いありません。(笑)

20130713-1.jpg 20130713-2.jpg 20130713-3.jpg



7月14日 (日)  『一生懸命』 幻のたかやん日記  第195弾!  2013.7.14(日)   たかやん

『一生懸命』 幻のたかやん日記  第195弾!  2013.7.14(日)   たかやん

川遊びのお知らせ
8月の川遊びの日程が変更になりました。例年は第一日曜日に行っていましたが、今年は8月の第二週、11日(日)に行います。

毎日選手権
昨日の練習で痛めた背中。試合をして、更に悪化したらしい。起きたときからピリピリ痛む。それでも、この試合をずっとイメージしていたのだから、行くしかない訳で・・・昨日に続き、痛み止めを飲み、頑張る事にする。
シングルスの1回戦は5−5から5−6となり、3回セットポイントを凌いだのだが、5−7で落とし、セカンドも2−2から取られて、最期は3−6で終わったのだった。長久保先生と出会って1年。あれだけトレーニングをしてもらったのに・・・シングルスも打てなくて、負けてしまった。最初は申し訳ない気持ちで一杯だったのだが・・・じゃあ、勝つにはどうすればいいんだ!と考えるようになって・・・先生にお願いして、一から出直しだ!そう思ったのだった。

練習
毎日5キロ走ってはいたが、テニスは週に1度という割合でしか練習していなかった。そんなに甘いものではないのだ。過去の貯金など、もうすっかり使い果たしているのだ。練習をして、練習をして、練習をして、やっとその先にゴールが見えてくるのである。五中や六中の子ども達に負けないように練習をしよう。日本一になるにはそれしかない。

お父さん
「ごめん、負けちゃった・・」と言うと、「お父さん、テニスの試合、負けてばかりだね」と空に言われた。空の為にも、強いお父さんでいたいし・・・格好いいお父さんでいたい。そう思った。それには練習しかない。弱い選手は努力して、強くなるしかないのだ。自分が出来る限りの練習をしよう。

夕方
昼はいつの間にか寝てしまって・・・夕方は二人でココアの散歩に行った。雨が降りそうだったが、何とか降られる前に戻ってこれたのだった。

神さんへ
「地下組織」への協力ありがとう。色々と無理を言うかも知れませんが、よろしくお願いします。でも、調子に乗りすぎた時には一発!“チョップ”を喰らわせてください。そう言えば、最近チョップの声が聞こえてきませんが、身体の具合はいいんでしょうねえ。神さんからチョップを取ったら、残るのは例の○○○しかないですからねえ・・・。兎に角、よろしくお願いします。8日には元気に登校しますから・・・

父さんの目

父さんは優しく雪の顔を見る

ただ ただ 優しい目で雪の目を捉えようとする

雪はその目の意味を知らない

父さんが病気だということを知らない

甘えて父さんに抱きつこうとする

だけど 父さんは それを受け止めることができない

孫を抱く力がないのだ

その時の 父さんの目は悲しい

俺が高一の頃 ひょいと俺を肩車して

軽く屈伸運動した父さん

あれから十年たった今 俺の子どもを抱けないでいる

父さんにできるのは 優しい目で見つめることだけなのだろう

入院してから 雪に手紙を書いてきた父さん

「おじいちゃんはきっと元気になりますから、また一緒にお風呂に入りませう」とあった

雪が「じーちゃん!」と言って、寝ている父さんの顔を覗き込む

その声に目を開け 雪を見つめる父さん

その目は ひたすら優しく そして悲しい


『一生懸命』幻の学級通信 第18弾!   1980年 7月31日  Tomoya   より

夏休みだというのに、僕はこうして学級通信を書いていたらしい。その原稿を多分、神宮司久子(神さん)に送っていたのだろう。それを神さんが学校で印刷し、祐二と光一がクラスメートに配って歩いていた・・・そう言えば、祐二は元気なんだろうか。だれか、祐二のこと知らない?会いたいなあ・・・村田祐二。神さんにも会いたいけど・・・ま、それはもうちょっと待っていてもらうとして・・・祐二には生きている内に会いたいのです。

今日の写真1・2・3
川遊びですから、大人も子どもも遊びます。そして、大人も子どもも遊ぶとこんな顔になるのですね。この笑顔が見たくて・・・今年の夏も、川遊びに燃えるのです。

20130714-1.jpg 20130714-2.jpg 20130714-3.jpg



7月15日 (月)  『一生懸命』 幻のたかやん日記  第196弾!  2013.7.15(月)   たかやん

『一生懸命』 幻のたかやん日記  第196弾!  2013.7.15(月)   たかやん

川遊びのお知らせ
8月の川遊びの日程が変更になりました。例年は第一日曜日に行っていましたが、今年は8月の第二週、11日(日)に行います。

激痛
朝、背中の激痛で目が覚めた。全く、軟弱な身体だぜ・・・今日から毎日、兎に角練習をすると決めたのだから、激痛だろうが何だろうが、練習はやる!そう決めて布団から出たのだった。

DVD
朝一番にしたことは、韓流ドラマを母さんと一緒に見たこと。それが、なかなか面白い訳で・・・笑う度に背中が痛くなるのだが・・それでも二人で笑いながら見たのだった。

ダウン
朝ごはんを食べて、またダウン。背中が痛くて・・・何も出来ない状態だった訳で・・・気が付くと、1時過ぎまで寝てしまったのだった。

練習
背中は痛くても練習はした。今日が日本一になるための初日だと思って練習をした。たったの1時間の練習だったけれど、初めの一歩の練習には意味がある訳で・・・楽しい1時間だった。

若返りホルモン
人には若返りホルモンがあるらしい。一つはセロトニンで、もう一つはオキシトシンというホルモンだそうだ。この二つのホルモンをしっかり分泌させて、大いに若返りたいものである。

宿題
覚えていますか。俺の宿題。そうそう詩の宿題です。まあ、俺の予想では殆どの人がまだやってないと思うんですけど・・・兎に角、夏休み中には必ずやる事。その時、その時の自分の気持ちを無理しないで、自分の言葉で表現すればいいんです。夜、布団の中で書くのもよし、お風呂の中で考えるもよし、勿論、トイレの中だって、歩いているときだっていい。長くても、短くても“自分の気持ち”が表現できればそれでいいんです。

高校
一学期の面接で殆どの人が希望校を決定してたけど、もう行ってみたかい?やっぱり自分の目で、なま(夏休みはある意味じゃあ生じゃないかも知れないけれど)の高校を確かめる必要があると思うな。特にその高校の生徒をしっかり見ること。学校なんてさ、概観や設備じゃないんだから。なんたって、その学校の生徒なんだよ。兎に角、自分に合っているかどうか、しっかりと見てくることです。行ってごらん。そしてね、ファイトを燃やすのさ。

ナイス青年達とクソ親父
富山から帰ってくる途中での話し。白馬村を時速60キロで走っていた時、前のウンコ色の自動車が右のウィンカーを付けたと同時に右折した。そのウンコ色の車の直ぐ右斜め後ろを走っていた俺は急ブレーキ!何とか接触は免れたが、スリップandダウン!『この野郎!』と言おうと思ったら、感じのいい青年が二人「大丈夫ですか?」「すみません。怪我ありませんか?」と言った。そこで俺は『平気、平気。怪我もないですから・・』なんてね。そこへおっさんがやって来て「いやあ〜大丈夫。何か、後ろの方でスリップした音聞こえたから・・」『平気です』「あっそう、じゃいいんだ」とおっさんは行ってしまった。ところが、実は俺の前を走っていたウンコ色の車は、そのクソ親父の車だったのだ。その青年達は、クソ親父の前を走っていた車で・・・
それにしても、ナイス青年達とクソ親父だった。よく中年の人が「最近の若い者は・・・」と言うけれど、こんな話もある訳で・・・世の中、そんなに簡単に割り切れる訳はないやねえ・・。

『一生懸命』幻の学級通信 第19弾!   1980年 8月13日  Tomoya から

* 夏休みの8月13日に発行する学級通信は何を意味するのか・・書いた本人にもよく分からない。分からないけれど、1980年の夏休みに『一生懸命』を発行したことは確かだということだ。昔の『一生懸命』を読んでいて面白いのは、その日によって字が違うこと。もともと綺麗な字を書く方ではないのだが、読みやすいときと、そうでないときがある訳で・・・きっとシラフで書いたときと、酔っ払って書いたときがあるのだと思う。やっぱりふざけた教師だったのだ。

今日の写真1.2.3
黒目川には鮎をはじめとして、色んな魚がいます。アユ、オイカワ、カワムツがその代表選手かも知れませんね。左から、オイカワ、カワムツ、鮎です。今年の夏は、どんな魚達と子ども達は出会うのでしょう。今から楽しみでなりません。


20130715-1.jpg 20130715-2.jpg 20130715-3.jpg



7月16日 (火)  『一生懸命』 幻のたかやん日記  第197弾!  2013.7.16(火)   たかやん

『一生懸命』 幻のたかやん日記  第197弾!  2013.7.16(火)   たかやん

川遊びのお知らせ
8月の川遊びの日程が変更になりました。例年は第一日曜日に行っていましたが、今年は8月の第二週、11日(日)に行います。

三宅洋平
今朝は5時半から、三宅洋平の動画を見ながら(正確には声を聞きながら)塾の準備をする。小中高生に何を教えるか・・・朝から頭をフル回転する。何事も仕込みが大事なのである。

もうちょっと・・・
体育館で佐倉田さんが俺の事を呼んでいた。「たかやん!こっちにこいよ!」でも、佐倉田さんの世界に行くことはできない。「おじさん、もう少し待ってください・・・」「おう、わかった」と笑顔の佐倉田さん・・・。暫くして、五中のPTA総会が始まり、僕は勿論教師として参加した。そして、その途中で意識が遠くなり、目が見えなくなって、耳が聴こえなくなったのだ。死ぬということは、こういうことなんだなあ・・・と、思った。目が見えなくて、何も聴こえない・・・それが死なんだ・・・そう思った瞬間、何かを感じて、俺は生き返った。そう、空の足に蹴られたのだ。もうちょっとで、死んでしまうところだった。ああ、夢でよかったあ・・・。

5時半
塾の準備を始める。今日は3クラスあるのだ。しっかりと、準備をしなくてはいけない。子ども達を伸ばす・・・それが僕の一番の仕事なのだ。

7時45分
登校班の5人の子ども達と一緒に登校する。最近の子ども達に対する犯罪は見境がない。子ども達の周りに、大人がウロウロすることが大事なのである。

芝刈り
見回りから帰って来てから・・・庭の芝を刈った。少しさっぱりした・・・。芝を刈っていたら、床屋さんに行きたくなった。

練習
1時かんだけ練習をした。兎に角、365日、ラケットを振ることを決めたのだ。今日が日本一への第一歩なのだ。

川遊び
市役所に行った。8月の川遊びの後援申請の手続きをしに行ったのだ。秘書公聴課、教育委員会、みどりと公園課に申請をしたのだった。

ランニング
昼ごはんを抜いて、ジムへ。気合を入れて、30分ダッシュして、お風呂とサウナに入って・・・さっぱりしたのだった。


5時から10時までは塾。子ども達の頭の柔らかさに感動する。小学生も中学生も高校生もなかなかいい頭をしているのである。

痛み止め
背中が痛い。こういう時は痛み止めに頼るしかない訳で・・・情けないのである。

ホッピー
芋焼酎をホッピーで割ると・・・頭がグルグルと回るのである。あっという間にへべれけになる訳で・・・今夜も途中から、意識がなくなったのだった。

ファイト

最近の私  何だかとっても変わったみたい
何にでもぶつかっていける そんな気がするのです
昇ってくる太陽を待っているような くすぐったい気持ちです
振り返ってみると  心の中が曇ってしまいそう
きっと何かを期待しているのだろうけど 自分では分からないけれど
頑張ってみたい気分です

そうだなあ〜  ご飯が美味しくなりました
太ると知りつつ お菓子も一杯食べたくなって
「今、幸せですか」って聞かれたら 
今なら 「はい」と言えるかも知れない

もっと沢山の幸せを求めてしまうけれど 精一杯幸せになりたい
今、私がいちばん欲しいもの「ファイト」
この気持ち 大切にしていきたい          −T−

『一生懸命』幻の学級通信 第22弾!   1980年 9月16日から

*夏休みに宿題を出した記憶がなかったのだが、この『一生懸命』はそれが嘘だということを語っている。理科の教師が、担任の生徒に「詩」を書いて来い!と言っていた訳で・・・
中学校3年生の女の子の「ファイト」彼女の苦しかった時を知っていた担任には、とっても素敵な詩だと思った記憶があります。そして、33年後の今、彼女の「ファイト」に元気を貰ったのです。ファイト!

今日の写真1・2・3
去年の川遊びです。オイカワの群れに、お魚教室に、スイカ割りの様子です。今年も大玉のスイカが3個、エイトが持ってきてくれる予定です。楽しみ、楽しみ!


20130716-1.jpg 20130716-2.jpg 20130716-3.jpg



7月17日 (水)  『一生懸命』 幻のたかやん日記  第198弾!  2013.7.17(水)   たかやん

『一生懸命』 幻のたかやん日記  第198弾!  2013.7.17(水)   たかやん

川遊びのお知らせ
8月の川遊びの日程が変更になりました。例年は第一日曜日に行っていましたが、今年は8月の第二週、11日(日)に行います。

三宅洋平
今朝は5時から、三宅洋平の動画を見る。彼の歌や言葉を聴いていると、嘘つき政治家達の選挙前の公約など、薄っぺらに見えてくる訳で・・・・気分がいいのである。

共産党
「あたしは今回は共産党に入れるわ」と母さん。余程、自民党のやっていることに頭に来たのだと思う。僕が小さい頃、我が家は“社会党”だった。ところが、父さんの中学の先輩が自民党から立候補して・・・我が家は自民党になったのだ。その先輩の名前は住栄作。海軍主計大尉としてレイテ島で終戦を迎え、内務省から中央労働委員会へ。(多分、ここで父さんと再会)その後、衆議院議員となり、法務大臣になった人だ。住栄作が立候補してから、父さんと母さんはずっと住栄作を応援していた。要するに自民党の大応援団になったという訳だ。その母さんが今回は「共産党」と言っている。なんか、分かる気がする。
原発再稼動にTPPに消費税増税に憲法改正・・・「戦争だけはダメ!」と母さんは怒る。自民党はどうかしているのである。

五中
久しぶりに五中に行った。ビックリしたのはテニスコートの回りにあった芝生(武道場の出来る前)が宅地になっていたこと。7時35分過ぎに五中につくと、朝練の子ども達が校舎の周りを走っていた。そして、市教委のM部長の笑顔が見えた。「あれ?どうして?六中学区じゃなかったでしたっけ?」「八石は五中なんですよ」「あ、そっかあ・・・」「懐かしいなあ・・」「でしょう・・・」五中は僕と長女の母校である。

東門
五中からダッシュで我が家に戻り。自転車に乗り換えて、空達の班を追いかける。いつもの朝の空気を感じる。交通指導員さんのTさんとKさんに挨拶をして、松村さんとハイタッチして・・・沢山の八石の子達と挨拶を交わして・・・黒目川を越えたところで空達に追いついたのだった。そして、東門へ。4つの班を無事渡して・・・子ども達とハイタッチして、家に戻ったのだった。

感動の全員集合
昨夜は本当に嬉しく思いました。連絡網で回したのが7時半過ぎ。集合時間は8時。ご飯食べずに来てくれた子もいたね。いくら1組だといっても、まさか全員が集合するなんて思っていませんでした。見たいテレビも、やりたい勉強も振り捨てて来てくれたみんなに感謝します。8組の諸君にも、剣道部の諸君にも、心配して駆けつけてくれた諸君にも“ありがとう”

              庸介へ            9.19

今、お前の居ない教室で授業を受けている

数学、 前で喋っているのは小山先生

今日の授業は3次関数

授業はいつも通りに進んでいく   お前の席だけがポッカリと空き

その隣には典子   独りで座っている

昨夜はどうしていたんだ   腹減らして   寒さに耐えていたんじゃないか

いくらお前や伸之が 強そうなことを言ったって

やっぱり俺は 心配しちまうんだ

電話 嬉しかったぜ  俺との約束は守ってくれたんだな

この間 久々に3組の奴らが集まった

そこに お前と伸之がいたら どれだけ楽しかったことか

あと7.8分で授業は終わる   教室は笑いに包まれている

授業はいつも通りに進んでいく

お前の席だけがポッカリと空き  

その隣には典子 独りで座っている

庸介! 早く帰って来い   仲間のとことに帰って来い

『一生懸命』幻の学級通信 1980年 9月18日から・・・

* これは庸介が家出した時の詩だと思います。1年生の時に担任した8組の庸介を3年1組と剣道部と元3組のメンバーで探したんじゃないかなと・・・ハッキリ覚えてはいないので、誰か教えてください。金八がテレビの中でやっていたような事が、当時の五中にもあった訳で・・・毎日がドラマでした。

今日の写真1・2・3
スイカ割りのスイカは五中の10期生のエイトが市場から持ってきてくれました。スイカ割りを進めてくれているのも11期生の次郎(我が家の最後の居候)です。今年も五中人が大活躍してくれそうな気がします。

20130717-1.jpg 20130717-2.jpg 20130717-3.jpg



7月18日 (木)  『一生懸命』 幻のたかやん日記  第199弾!  2013.7.18(木)   たかやん

『一生懸命』 幻のたかやん日記  第199弾!  2013.7.18(木)   たかやん

川遊びのお知らせ
8月の川遊びの日程が変更になりました。例年は第一日曜日に行っていましたが、今年は8月の第二週、11日(日)に行います。

三宅洋平
今朝は4時半過ぎから、三宅洋平の動画を見る。毎朝見ても飽きないところがいい。底知れぬパワーを感じるのだ。

7時40分過ぎ
ゴミ出しをして、登校班と一緒に八石へ。途中、班長のNちゃんに「ねえ、小学生でも1週間が過ぎるのは速く感じる?」と聞くと、Nちゃんは「うん」と笑顔で答えた。あと2日で夏休み。過ぎて行く時間は誰にとっても速く感じるものらしい。

東門で
今朝も元気のいい沢山の子達とハイタッチ。一方で、校長先生が目を見ながら挨拶しているのに、全く反応できない子ども達も多数。彼らには「元気よく挨拶しようぜ!」「おはようって言われたら何て言うんだ?」「校長先生が挨拶してるんだぜ!」と、うるさい。「知らない人には挨拶をしてはいけない」と言っている親もいるようだが・・・まさか毎朝立っている校長を知らない児童はいない訳で・・・八石の子ども達の挨拶を何とかしなきゃ!と、今朝も思ったのだった。挨拶は人としての基本だからねえ・・・。

鍛える
早朝は脳みそを鍛え、午前中から昼過ぎにかけては、身体を鍛える。これが、なかなかいい感じである。そして、夕方からは本気で仕事。子ども達に真剣に向き合う時間。22時以降は自由時間という訳で・・・糖尿なんか、クソ喰らえ!である。負けねえぞ。

5キロ
時速10キロから12キロの間で5キロ走った。30分かからないで5キロを走る訳で・・・時間の節約である。

15分で・・・
中学生達が余りにも英語を書けないので・・・小学生達に15の英単語を15分で覚えてもらった。結果は15点満点が二人に13点が一人。アルファベットを書けるだけの小学生でも15分あれば15の単語を覚えられることが分かった。要するに集中力なのだ。大きな声を出して単語を読みながら、繰り返し書く・・それだけで海馬が刺激されるのだろう。

父さんのこと
たくさん、たくさん心配してくれてありがとう。本当にありがとう。父さん、とっても幸せだったと思います。だって、自分の生まれた故郷で本当にたくさんの人達の優しい心に包まれるようにして逝ったんですから・・・。
この2週間、まるで半年くらいの感じがしました。授業のやり方なんか忘れちゃったんじゃないかと思うくらいです。悪い事ばかりで、いいことなんか、何もなかったような気がしてました。でも、久々に1組に入って、みんなの顔を見たら・・・ジーンときちゃって、もう嬉しくなって(やっぱり学校っていいなあ。1組っていいなあ)そう思いました。

それにしても、土曜日の男女混合サッカー、あれは面白かったね。みんな本当に楽しそうでさ。2週間分の汗、いっぺんに流したようで、本当にスカっとしたよ。みんな、ありがとうね。

『一生懸命』幻の学級通信 五中3年1組  1980年 10月14日 より

* 父さんが危篤になったのが、体育祭の予行の日で・・それから2週間、僕は五中に戻って来れませんでした。僕が五中に帰った日。1組の子ども達全員と校庭でサッカーをしました。みんなが僕の帰りも待ちわびていてくれたことを肌で感じたのを覚えています。2学期の期末テスト。1組は断トツの1位でした。それは毎朝の“朝勉”の成果でもありました。いいクラスでした。師弟というよりは兄弟のような関係が今でも続いています。

今日の写真1
左から、「兄貴」「ちゃんカワイ」「てつ」「なおさん」「まさはる」です。いちばん年上は勿論、「兄貴」で・・・いちばん若いのが「てつ」です。

今日の写真2
わいわい川遊びのいいところは、こういう若い夫婦が小さな子ども達を連れて参加してくれることです。「毎年、楽しみにしているんですよ」と言われると、超やる気になります。

今日の写真3
川遊びの主役は子ども達ですが、名わき役がこの魚達です。アユやオイカワが元気に泳いでいてくれるから、わいわい川遊びができるのです。

20130718-1.jpg 20130718-2.jpg 20130718-3.jpg



7月19日 (金)  『一生懸命』 幻のたかやん日記  第200弾!  2013.7.19(金)   たかやん

『一生懸命』 幻のたかやん日記  第200弾!  2013.7.19(金)   たかやん

川遊びのお知らせ
8月の川遊びの日程が変更になりました。例年は第一日曜日に行っていましたが、今年は8月の第二週、11日(日)に行います。

三宅洋平
今朝は5時半過ぎから、三宅洋平の動画を見て・・それから活動を開始する。選挙も後二日。みんな疲れがピークになっているところだろう。頑張って欲しいものだ。

終業式
7時45分、1学期最後の見守りスタート。今日も我が登校班は妙に元気である。正門のところでG先生と挨拶。子ども達全員とハイタッチして、東門に向かう。

東門
今日はいつもよりも沢山の子達がハイタッチしてくれた。明日から夏休みということで、子ども達のテンションも高かったのかも知れない。校長先生ともハイタッチする子ども達。見ていていい感じである。

掃除
見守りの後は、職員室でちょっと仕事をして・・・4階のPTA会議室の掃除を軽くやって・・・ゴミを捨てて・・・我が家に戻る。


それから薬局と病院に行って・・・ヤオコーで昼ごはんと夕飯の買い物をして・・・
7月号の作成に取り掛かる。

満点
20時からの塾は中学生達が頑張り・・・英語のテストは全員が満点。ちょっと嬉しくなった。みんな頑張ったので、「歌うたって!」というリクエストに応えて、ギターで歌を歌ったのだった。

               サッカー
クラスみんなでサッカーをやった

男子も女子も思い切り校庭をかけて
みんな みんな あの涙が 汗となって   吹っ飛ばすかのように

いつの間にか笑顔になって

1組って最高だなあって いつものように感じたりして

そうしているうちに   「集合!」 っていう懐かしい声

みんなの あの汗と泥

何年かぶりのように感じるこの時間を

「気をつけ!礼!」「ありがとうございました!」

                        ―階段ですれ違った女の子―

階段ですれ違った女の子が誰なのか・・・この詩の作者を担任は覚えている。そして、この時の1組の子ども達の目の輝きと、表情もハッキリを覚えている。人間の感覚って不思議なものなのだ。父さんが逝って、学校に戻ってきた時の、僕と子ども達とのあの感覚が今蘇る・・・

今日の写真1.2.3
言葉はいらないですよね。この笑顔・笑顔・笑顔。もう直ぐ、またこの笑顔達に会えるのです。8月11日(日)いい天気になるといいなあ・・・。

20130719-1.jpg 20130719-2.jpg 20130719-3.jpg



7月20日 (土)  『一生懸命』 幻のたかやん日記  第201弾!  2013.7.20(土)   たかやん

『一生懸命』 幻のたかやん日記  第201弾!  2013.7.20(土)   たかやん


川遊びのお知らせ
8月の川遊びの日程が変更になりました。例年は第一日曜日に行っていましたが、今年は8月の第二週、11日(日)に行います。

三宅洋平
いよいよ明日は投票日。自公の過半数は危険だし、民主はいかん、維新はもっといかんと思う訳で・・・。いよいよ明日は投票日。自公政権の暴走を止めなくてはいけない日だ。

朝練
空の練習を見るのは楽しい。今朝の朝練のメニューは・・・
200×1  150×1  75×4  50×4  100×2   100×1
25×8×2  25×8   50
25×4×4  25×8×2  50×8   100×1  total 2600m
と、こんな感じの練習で・・・朝から2600m泳ぐ空であった。空父も頑張らねばならぬ。

28分
一方の僕は、テニスのトレーニングをした後、5キロを28分で走った。10キロを28分で走るランナーから見たら、屁みたいな存在かも知れないが・・・1年前の僕から見たら、大進化なのである。もっと、もっと進化して、1キロを4分で走れるようになりたいなあ・・・。

夏休み初日
今日から40日間、朝の見守りが無い。ちょっと寂しい気もするが、自分の時間が確実に確保できるのは嬉しい。その時間を何のトレーニングに当てるか、自分の為に、子ども達の為に何をするか・・・それがこの夏の楽しみである。

午後練
そして、空の午後練のメニューがこれ
200×1  75×4  100×2  50×3×4  50
50×8  75×4×2  25×4 50×4×2  25×4 50×4×2  total 2600m
という訳で・・・今日一日で5200m泳いだ空であった。

人生について (随筆)
「生きる」とはどんなことなのだろうか。哲学めいたことをいう積もりはないが、これが非常に大きな意味を持つ事は確かだ。生まれてくれば、いずれ「死」がおとずれる訳だが、ただ「死」があるから「生」があるだけの意味なら、全然面白くない。生まれるからには「生きる」こと「生き抜く」ことである。しかし、ここで考えなければならないのは、何故、何の為に「生きる」かである。これは重要かつ難しい問題だが、生きているうちに解決できる日がくると信じている。人生において「生きる」意味、また「人生をどう生きるか」「何のために生きるか」を悟ったとき、人は人生の中で、自分は何をすべきかを、本当に知ることができるのだろう。15年間、いろいろな経験を経て、今、考えるのだが、生きることは、ただ「楽」な方向へ進むことではない。「難」の方へ、何回失敗しても、それでも突進することに意義があるのではないだろうか。人生の中で、自分は自分と恒に戦ってゆくのだから・・・。人生は自分を試す場であり、時間であるから・・・。
 人間の事を「考える葦」と言った人がいたが、その通り、人間自身は「葦」のように非常に弱いものだと思う。それなのに、生物の中で人間に勝るものがいないのは、何といっても、人間が「考える」生物であるからである。人間の考えることは恐ろしいほど可能性がある。人間は鉄砲を考え出した。その為、他の生物を支配する形となった。人間は言葉も考え出した。その為、自分と相手の気持ちを伝達することができた。人間は考えて文化を生み出した。その為、生活上のあらゆることに役立ってきた。まだ人間には素晴らしい素質がある。人と人の間には心の触れ合いがあり、そこには人間にしか感じないものがあるに違いない。そして人は自分の可能性をあらゆる面で精一杯発揮できるのである。それなら、その人間の素晴らしいものを日々の生活の中で感じていかなくては面白くない。何といっても精一杯生き抜いて、人生を味わえなくては面白くない。だから、先に挙げた「人生をどう生きるか」という問題に対する自分の現在の答えは「人生は自分を鍛えてくれ、自分は積極的に自分を鍛えようとしなければならない。そして、自分の本当の人生を味わえなくてはならない」ということだ。雨の降る日などは、しみじみと人生について考えさせられた。「勝つ」だけが人生ではない。勝つだけの人生は面白くない。負けて勝つために努力する姿が素晴らしい。そして、努力の末に勝ったならば、その人生は充実したものといえよう。人は「山があり、谷がある人生」という道を全力疾走で駆けていけば、その人は人間として、やるべきことをやったことになるのだろう。自分の力を出し尽くした人生をつくり上げるための努力をしてゆこうと感じてやまない。そして、その為に一日も早く、本当の「生きる」意味を自分自身で理解したい。−D−

『一生懸命』幻の学級通信  3年1組    1980年11月5日 より

* これは当時の五中の3年生の書いた文章です。15歳でこの随筆を書いた少年は、塾にも行かず東大に進学しました。学力テストでは負けたことはありませんでしたが、中間・期末テストでは勝ったことがありませんでした。僕が483点取ると、かれは484点取ったからです。このクラスの面白いところは・・・3年の2学期末テストの前日(普通なら一番気合を入れなきゃいけない日)担任が「遊ぼうぜ!」と言ったら、男子全員が五中の校庭に集合してソフトボールをやったことです。今なら「非常識」と親からも校長からも怒られそうですが・・・それを可能にしたのが、2年間の「朝勉」でした。2年生の時は試験前。3年生になってからは毎日・・・他のクラスよりも1時間早く登校して、一緒に勉強したのです。才能もありましたが、努力をして学年でトップになったクラスでした。今、僕自身もまた、この3年1組に学ぶべき時期に来ているのかも知れません。「朝勉」の響きが心に何かを訴えているのです。

今日の写真1
これが僕の学級通信の3年分です。こうして綴じてくれる人がいたから、残っている訳で・・・残っているから、結婚式の時に披露できる訳で・・・

今日の写真2
3年分って、これくらいの厚さになるんですねえ。年間244号で×3=732号になります。今よりも学校に行く日が多かった頃のお話です。

今日の写真3
当時は手書きだったんです。余り上手ではありませんが、自筆というのは、それはそれで味があっていいものかも知れません。要はなんだっていいんです。子ども達の心に届けば・・・。

20130720-1.jpg 20130720-2.jpg 20130720-3.jpg



| 1 | 2 | 3 | 4 |
2013/7
SuMoTuWeThFrSa
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   

前月     翌月