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5月2日 (水) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第124弾! 2012.5.2(水) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第124弾! 2012.5.2(水) たかやん
傘 今朝も雨の中を傘を差さないで登校する子が多かった。親も先生も「雨の怖さ」「雨に含まれる放射性物質の怖さ」を言わないのだろう。特に先頭の上級生が傘を差さないと、それに続く子達も傘を差さない訳で・・・・子ども達の意識の低さは、大人の責任である。何があても被爆量を少なくする為には、普段の生活から意識をしないといけない訳で・・・あの時、こうしていればよかった・・・では、遅いのである。
会議 朝の見守りに行ったまま、午前9時半過ぎから13時過ぎまでPTAの会議だった。それがまた、思いのほか楽しかった訳で・・・色々な意見が出たからだと思う。そして、PTAが少しずつだけれど、変わっていくのを実感したのだった。
田中幸弘のブログ 久しぶりに見たが、なかなかいいことを書いている。例えば・・・
“内部被ばくの恐ろしさについて、「永遠のパソコン少年の理科系うんちく」さんがご自分のブログで説明している。 たいへんわかりやすいので、以下掲載させていただきました。
御用学者たちの間では未だに内部被曝の危険を出来るだけ低く見せようという試みがされているが(参照:池田信夫さんのブログ)、御用学者の集まりでもある IAEA(International Atomic Energy Agency) ですら、2005年の時点で「(チェルノブイリ級の)重大事故の後は300キロ圏内の農蓄産物は出荷停止にすべきだし、放射性物質を含んだ食物の摂取に関しては厳格な制限が必要」との提言を出していたことは注目に値する(参照)。
2005年当時、これを国際標準とすることに猛反対したのが、日本の原子力安全・保安院と原子力安全委員会だ。そんな国際標準ができてしまえば、万が一の事故の際に莫大な被害を国全体にもたらすことが明らかになってしまい、原発の安全神話が崩れてしまうからだ。
典型的な「安全神話作り」の歴史だが、いざチェルノブイリ級の重大事故が起きてしまった今となってしまっても、未だに安全神話の維持のために内部被曝のリスクを過小評価し、その結果、数十万人の人たちに不必要な被曝をさせつづけている、というのが今の現状である。
内部被曝を外部被曝と同じシーベルトに変換することには意味がない。外部被曝を起こすガンマ線と、内部被曝を起こすアルファ線・ベータ線とではDNAに対する影響のしかたが大きく異なるからだ。
外部被曝と異なり、体内に取り込まれた放射性物質は、たとえごく少量でもその近傍の細胞を確実に傷つける。傷ついたすべての細胞が癌化するわけではないが、傷つく細胞の数が多ければ多いほど、その損傷がもとで癌・白血病・心筋梗塞などの疾病を引き起こす可能性が高くなる。内部被曝による疾病を避けるためには、摂取する放射性物質を可能な限り少なくすることが必要だ。
ちなみに、1ベクレル(Bq)とは1秒間に1つの原子核が崩壊して放射線を出す放射性物質の量。100Bq/Kgの放射性物質を含む米1キログラムは、1秒間に100回放射線を出す。そんな米を80グラムを含む一膳のご飯を食べると、それがお腹の中にある間に1秒間に8回放射線を出す。1日だけお腹の中にとどまったとしても69万回だ。
ICPP(国際放射線防護委員会)の研究によると、1日あたり10ベクレルの放射性セシウムを含む食事を2年間続けると(つまり100Bq/Kgの米を毎日1膳ちょっと食べ続けると)、体の中に1400ベクエルのセシウムが常に残留した状態になるという(参照:内部被ばくを考える市民研究会のブログ)。
そんなご飯を食べるか、と言われてもちょっと食べる気になれないのは当然だ。それを「風評被害」と呼んで過小評価することは、「少女売春」を「援助交際」というオブラートに包んだ言葉に包んで過小評価するのと同じ行動だ。”
とまあ、こんな感じで・・・内部被爆を過小評価している人には是非読んで欲しいところだ。僕らの人生も、子ども達の人生も一度切り。杞憂に終わればそれでいい・・・後悔だけはしたくないのである。
車 最初の車はホンダの青いクイントだった。次が日産バネット、そして三菱パジェロ、今がトヨタのカルディナ。そのカルディナも17万キロ程走り、限界に・・・。我が家の次の車はホンダのNBOXになる予定である。ボンネットが剥げていない車になるのが嬉しい。(笑)
今日の写真1 これが刷新の会の時代の田中幸弘です。今、僕が座っている席が幸弘の席だったんですねえ。前回の市長選は178票差で惜敗した幸弘。今年の夏は、どういう戦いをするのでしょう・・・
今日の写真2 「もうほっておけない!」という声の主の後姿です。あれから4年も経っているんですね。片山FCに所属していた彼ですが、サッカーは余り好きじゃないみたいです。
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5月3日 (木) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第125弾! 2012.5.3(木) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第125弾! 2012.5.3(木) たかやん
憲法記念日 アメリカに媚を売っている政治家達が「アメリカに押し付けられた憲法は改正せにゃならぬ」・・・などと言っても、全く説得力がない訳だが・・・確実に言えることは、敗戦国日本が米軍の下で戦争に参加できない仕組みを盛り込んだのが、日本国憲法であることだ。この憲法がなければ、戦後の日本の復興は有り得なかったし、僕らの世代もアメリカの手先になって、戦争に参加していたかも知れないのだ。そういう意味で僕ら国民をしっかりと守ってきたのが、今の憲法である訳で・・・僕らが生まれてから半世紀以上、日本がどこの国とも戦争をしてこなかったのは、やはりこの憲法のお陰なのである。まあ、そのせいで・・・北方領土や竹島、尖閣諸島では悔しい思いをしている訳だが・・・日本の若者達の命の方が重いという考え方もある訳で・・・やっぱり、ありがたい憲法だと思うのである。
あと二日 5月5日に日本の原発54基全てが停止する。原発0になる日が子どもの日というのがいい。子ども達の未来の為に原発はいらないのだ。廃棄物の処理方法が分からない人間が、エネルギーだけ取り出そうとしても無理なのである。原発は核兵器を作り出す装置で、たまたま電気ができるだけ・・・そう言った人がいたが、日本政府が原発再稼動に拘るのも、実のところ、核を保持したいという思想と繋がっているのかも知れない。原発が全て止まった夏であっても、日本の夜景は北朝鮮のようにはならない。電気は余るのだから・・・。
アクセス数2 最近、どうもアクセス数が多い。まあ、色んな人が読んでくれていている訳で嬉しいことなのだが・・・選挙前よりも多いのには驚く訳で・・・どんな人が読んでいるんだろうねえ。
五中?六中? 最近、八石で会うお母さん達の中に、五中生や六中生が多いことに驚いている。自分の学年は勿論、覚えている訳だが・・・他の学年の子で暫く会ってないと・・・(似ているなあ・・)(どこかで見たことある子だなあ)と思っていても、なかなか声をかけられず・・・昨日も六中の陸上部だった子に「テニス部はたかやんでした!」と、言われ「えーっ!やっぱりー!何ジャージだったの?」「青です」という会話があったばかり・・・次郎の同級生だったり、雅央の同級生だったり・・・楽しいのである。
今日の写真1 壇上のよっちゃんと議長席で笑う幸弘です。刷新の会時代は、この二人と一番語ったかなあ・・・文さんの話も面白かったし・・・僕にとっては、楽しい2年間でもありました。今はその「刷新の会」という名前がないのですから・・・時の流れを感じます。
今日の写真2 僕が大好きだった、榎本部長です。(この時は会計管理者)「みんなが忘れた頃になら載せてもいいですよ」と言われていたので、約束通り、今日の日記に登場してもらいました。議会で色々とやり取りをしていると、人柄がでるものなのです。僕は榎本さんのちょっとした仕草や表情が好きでした。
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5月7日 (月) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第129弾! 2012.5.7(月) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第129弾! 2012.5.7(月) たかやん
80弾! 朝の時間は議会報告の作成に・・・・80弾も、もう直ぐ完成・・入稿の予定である。
歩き 登校の見守りは歩きを原則にすることにした。子ども達の目線で者が見えるし、会話もその方が楽しい。自転車は楽だけど、歩きには歩きのよさがあるのである。大好きなおばちゃんとのハイタッチもしやすいしね。
サッカー 東門の見守りの後は、校庭で4年生とサッカー。M君の右足のシュートはとても小学生とは思えないほど強く・・・ビックリした空父であった。
こころの涙 見守りから、帰ろうとするところで、こころとばったり。何故か泣いているこころ。「どうした?」「たかやん、あのね・・・」僕とこころの関係はお互いがいくつになっても、変わらない気がする。中学校で3年間、担任をし・・喧嘩も十分にやり・・・お互いを信頼しきっているのだ。涙の訳はここには書けないが・・・僕は何があってもこころの味方である。
議運 9時半からは議運。ダッシュで坂を登り・・・10分ちょいで市役所に着いた。昨日のランニングが効いたのかも知れない。控え室で半袖・タンパンからスーツに着替えた空父であった。
昼練 お昼を食べ、1時間程テニスの練習をした。食べたら動く・・それが大事なのだ。その後、トレーニングルームでストレッチ、20分ランニングをやり、色々なトレーニングをおこなった。汗ビッショリになり・・・シャワーを浴びて・・・塾が始まった。
100 この3日間で血糖値が100程下がった。ご飯を朝昼晩、ちゃんと食べての結果だから、嬉しい訳で・・・やはり食後の運動と食べ物そのものと、アルコールを抜くことが大事なのだ。現在の体重は70キロ。体脂肪率は17%。これから脂肪を減らして、筋肉量を増やす予定である。
今日の写真1 ぎゅうから貰った、アサリでーす。味噌汁が旨かったでーす!ありがとうね、ぎゅう!
今日の写真2 我が家のピアニストです。そして、どうも僕のピアノの先生になりそうです。凄く親切に教えてくれるので、僕にはいいかも知れません。もう先生は、すやすや寝ています。 明日は校庭の石拾い・・・PTAの会長は見守りに引き続き、石拾いに燃えます。明日もいい日になりそうです。
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5月8日 (火) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第130弾! 2012.5.8(火) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第130弾! 2012.5.8(火) たかやん
5時 そろそろ、駅立ちの準備をせないかん。あの寒さとは暫く会わないと思うが・・・それでも、駅立ちとなると、色々と準備が必要なのである。
歩き 今日もまずは、子ども達と一緒に歩いて学校へ行った。東門の子ども達は、段々挨拶が上手になってきて・・・とっても、いい感じ。あと少しである。
石拾い 9時半から校庭の石拾いということで、校庭の見守りのまま、石拾いを始めた。みんなが集まる前に拾い捲る・・・子ども達が裸足でも怪我をしないように、石以外の物も拾う。9時半になってからは、人も増えて・・・あっという間に、石拾いが終わってしまった。やっぱり、人が多いということはいいことで・・・お母さん達が多かったので、お喋りを楽しみながらの、楽しい石拾いだった。
ランニング 昼過ぎに20分間走で汗をかいた。昨日のランニングが足にきて・・・今日はヨレヨレだった。継続は力なり!を信じて頑張ろう・・・。
塾 教師をやめて、もう14年の月日が過ぎた。自分が幸せだなあと思うのは、学校をやめてからも、子ども達と向き合えていることだ。僕を必要としてくれる子ども達との出会いは、僕が元気でいる限り続いていく。そして、毎日のように発見があるのだ。今の子ども達は小3から中3まで・・・全ての学年がいる。実に、実に楽しいのである。
こづえ先生 ココアを散歩していたとき、こづえ先生の実家の前に見慣れない車が止まっているのを発見。思い切って、ピンポンと鳴らしてみた。裏から登場したのは、紛れもなく・・こづえ先生だった。こづえ先生はこころの時の教育実習生。熱い熱い先生だった。子ども達も「こづえ先生!」となついて・・・最後の日には、子ども達がワンワン泣いた記憶がある。こづえ先生に会うのは20年ぶりくらい・・・それでもお互いに直ぐに分かるくらい、変わっていなかった。
今日の写真1 最近、空がはまっているモケケです。一番左は、空が絵を描いて、ひとみが作った作品です。何がいいのかはわかりません。いつの時代も、子ども達の感覚は親の感覚とはちょっと違う訳で・・・それがいいのかも知れません。
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5月9日 (水) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第131弾! 2012.5.9(水) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第131弾! 2012.5.9(水) たかやん
自転車 今朝の見守りは自転車で行った。会派の集まりが9時なので、歩きでは間に合わないからだ。東門に行くと、久しぶりに純一も来てくれて・・・楽しい見守りになった。子ども達の挨拶も、日に日に大きくなってきて・・・気持ちよく、自転車ダッシュで家に向かった、空父であった。
自転車2 午後から雨という予報だったので、カッパを持って自転車に乗った。坂道も猛ダッシュで登り、水道道路では自動車と競争した。市役所まで要した時間は11分。6月議会では10分を切りたいものだ。
9時 久しぶりに4人が集まった。そこに乱入してきた星川さん。立川議員専属のアドヴァイザーになっている。色々と話したいことがあったのだが・・・まいっか・・・。
大規模改修1 9時半に臨時議会がスタートした。議案の説明が終わったところで、全協に・・・僕は小学校の大規模改修工事で使うコンクリートが安全なものなのか・・・改修前と改修後に空間線量を測るのか・・・という質問をした。新しいコンクリートを使うことは殆どないようで、ちょっと安心したのだが・・・念には念を入れて、チェックして欲しいものだと思う。
大規模改修2 本会議では質問する積もりはなかったのだが、木村さんの質問に対する答弁が怪しかったので、質問することにした。学校というところは、先生や子ども達だけのものではなくて、地域の宝物でもあるのだ。色んなところから意見や要望を吸い上げる仕組みが欲しい。そういう内容の質問をした。1億円近く予算よりも低い価格で契約したのだから、駐車場を整備したり、バリアフリー化を進めてはどうなのだろう。
議運 本会議、全協、本会議・・そして議運。今日は会議が続いた。今日のメインの議題は「議会便りの編集」だった。
今日の写真1 20年ぶりのこづえ先生です。当時は20歳で、僕は38歳・・・記憶に残る、教育実習生でした。まあ、僕についた実習生で記憶に残らない子はいませんでしたけどね・・・。「一生懸命」もこづえ先生のと、僕のと二つ出した記憶があります。僕は実習生に学級通信を書かせていたんですねえ・・・。
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