Diary 2004. 3
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3月11日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第9弾!

「たかやん議員日記」2004.第9弾!    3月11日(木)

今日の議会は「一部市長提出議案に対する質疑」。4つの議案が提出されている。一番目は介護保険。共産党のK議員の質問が始まる。5分もしないうちに船をこぎ始める人たちがいる。大分お疲れのご様子だ。K議員の話は聞いているだけで勉強になる。水道事業会計予算では「刷新の会」の田中さんが質問をした。いつになったらああいう質問ができるのだろう。一に勉強二に勉強だ。


3月12日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第10弾!

「たかやん議員日記」2004.第10弾!   3月12日(金)

視察
今日は委員会の最初の日。バスで市内を回るというので、ちょっと遠足気分。9時半に集合なのに9時10分前には市役所についてしまった。控え室でみんなでわいわいやっているとM議員が「はやく来てください!」と僕を呼びに来た。僕はバスが発車するものだと思い、コートを着てバスの方へ行こうとすると・・・「違う違う!こっちこっち・・・」とM議員。そっちの方へ行くと・・・「文教委員会開催中」と札のかかった部屋にたくさんの人が集まっていた。(まじかよ・・・・)前の日に委員長からも何も言われなかったし、会派の先輩達も何も言ってなかったから・・・てっきりそのままバスに乗るのかと思っていたのだ。委員会っていうから僕は中学校の委員会のようなイメージでいたら大違い。役所の人たちが勢ぞろいして僕を待っていた訳で・・・・全員の自己紹介で委員会がスタートしたのだった。視察の行き先は志木駅。東野小、三中、片山小、栄ふれあい広場、平林寺等等。東野小では同期の友達に、三中では先輩のと塾生に会えたけれど、朝から大失敗のたかやんであった。



3月13日 (土)  「たかやん議員日記」  3月13日(土)

「たかやん議員日記」  3月13日(土)

真実子
色々とまわりを心配させている真実子だが、英語と国語の授業では食い入るように僕の目を見ている。ああいう目をされるとやる気がでてくるのが人情ってやつで・・・益々国語と英語の授業に気合が入るたかやんであった。
* 今日はまた英語をやった。お風呂で勉強しよっと。国語もやった。明日は私の好きな詩が出るから楽しみだなあ。(真実子)

心からの言葉
今日また至さんの本で授業をした。あたしはこの本凄くいいなあって思う。心からの言葉がたくさんあって。うちの父ちゃんがこういうの書いたら、感動して泣いちゃうね。(美佳)

半分うんこ
最近、至くんの本にはまっている。涙が浮かんできたよ。うまく消化できてないけど、なんでだろう、半分消化した気がするよ。今日でまた当分これなくなっちゃうけど、暇があったら勉強しに来るね。(舞)

幸央、浩司そして・・・
幸央と浩司の弟の和伸が初登場した。笑顔が幸央に似ていた。
* 初めて授業を受けて楽しかった。みんな面白い人ばっかでよかった。(和伸)

                  たかやん


3月14日 (日)  たかやん

ん!」と呼んで、直士が「はーい!」という日が来るのかなあ・・・・。

美子特訓
「下へ行って、100回大声で暗誦してこい!」「今日は優しく教えないからな!」早く来た美子とマンツーマンの数学の授業が始まった。−3−9がマイナスとマイナスだからプラスの12という美子。「それは掛け算の話だろ!」と俺。「ノートに書くんじゃなくて、頭の中に書くんだ!」「書いただけじゃだめだ。書いたら使え!」というわけで、今日はテストテストテストテストテスト。今日の特訓で美子は半分できるようになった。あと半分!

優花と渚
試験前だというのに8時近くになって登場したのが優花と渚。仲がいいのはいいが、遅れてくるのまで付き合っているようじゃあ駄目。最後まで二人とも集中できていなかった。やるときは一人でもできるようにならないとね。

魔法のノートの魔法が・・・・
毎日書いて、毎日出せば魔法がかかりやすくなるのに、塾に来てあわてて書いている子が多い。自分から魔法を放棄してはいけない。寝る前にじっくり、あるいは朝一番に書くから意味があるのだ。折角のチャンスを逃してはいけない。

通分と約分
みんなが意外と弱いのが通分と約分。小学校の基礎ができないまま、中学生になってしまったのだ。いつもいっているけど自然にできるようにはならない。勿論塾でもトレーニングはするけど、いつまでもそんなことばかりはできないよ。家で自分でトレーニングしなきゃ。テニスの素振りと同じだよ。ここでフォームを習ったら、家で一人でやってみるんだ。

土日
試験前の土日は朝から晩まで勉強するためにある。部活がないから「遊ぶ」なんていうのは天才のやること。僕ら凡才はトレーニングに励まなくてはいけない。小学生じゃあないんだから・・・・火曜から期末テストなんだよ。分かっているかい?


3月15日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第11弾!

「たかやん議員日記」2004.第11弾!  3月15日(月)

金曜日の失敗に懲りて、今日は一番に席についた。委員会は議会と違って質問の回数も決まっていないし、わりかし軽い感じで質問ができるから面白いか知れないよと加藤さんや田中さんが言っていたが、その通りだった。隣りの笠原先生(昔の同僚だからどうしてもそう呼んでしまう。)がバンバン質問した後に僕もいくつか質問させてもらった。質問の内容は議事録に載るらしい。委員会での発言も録音されているのだ。しっかり話さないといけないと恥ずかしいことになるのだ。



3月16日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第12弾!

「たかやん議員日記」2004.第12弾!   3月16日(火)

委員会の二日目で最終日。並木平八議員の質問の後に僕は質問した。「英会話のプログラムを松香フォニックスに委託した経緯を教えて欲しい。」「その際、どれだけ教員の意見を取り入れたのかお聞きしたい。」「資料を見せていただいているが、小学校1.2.3年生のものしかない。4年生から中学校3年生までのものを見せて欲しい。」「その1年生から3年生までのプログラムの中身も英語を英語で教えるとうたっていながら日本語の時間があるのはなぜか。」「特色ある学校作りということで資料がきているが、学校名がアルファベットになっている。実際の学校名を教えてもらいたい。」「市が委託している市営のテニスコートの管理人の委託内容と時給を教えて欲しい。」「数年前まで市営のテニスコートにはシングルススティックがなかったが、今現在はどうか。」という内容の質問をした。
驚いたのは「まだそれ以降のプログラムは出来上がっていない。」という回答だった。4月から本気でやろうとしているプログラムがまだ出来上がっていないとは・・・・・。そして英語を英語で教えるということは最初のうちは無理であるという回答にもまいった。最初からやらなくてはそれこそ無理だと思うから・・・・。

市営のテニスコートのシルバーさん?の自給は750円。委託した業務内容は朝夕の門の開閉とコート整備。受付等々とのことだった。「市民がお金を払っているコートで市民がコート整備をするのはおかしいのではありませんか?」「管理人が命令口調でコート整備を要求するのはおかしいのではありませんか?」という質問には「一応マナーといことで・・・」「そういう苦情もありますのでシルバーの方には指導しておきます。」という答えだった。750円の自給で朝と夕方にコート整備をしただけで、あとは市民に文句をいうだけっていうのは納得できないから、「市民のみなさんに使っていただいているという意識が大事なんじゃあないですか?」「使わせてやっているんだという感覚がおかしいんですよ。」「まずは一緒にコート整備をすることから始めてほしいですね。」と言った。 

条例案の議案第一号「新座市防犯推進条例」の原案に僕は反対した。市民の責務という文言に違和感を覚えたからだ。どうやら市民のパトロールを考えているらしいのだが、今一般市民が防犯パトロールへ行くことを義務にされたらたまったものではないと思ったからだ。みんなで防犯に勤めましょうというのなら賛成だけれども、責任と義務なんだということでパトロールすることや警察のアンテナになることを期待されたら困るからだ。執行部は「警察のアンテナになることを期待している。」とはっきり言っていた・・・・。何の為の警察だ。なんの為に高い税金を払っているのかと思うのは僕だけではないだろう。ある議員は「義務ということが今の社会で必要なんです。」と声高々に言っていたが、僕は神経を疑った。市民の防犯パトロール・・・・危険な目にあったらだれが責任を取ってくれるのだろう・・・・。 


3月17日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第13弾!

「たかやん議員日記」2004.第13弾!   3月17日(水)

一般質問が始まった。トップバッターはN議員。どうやらいつもトップバッターらしい。「新しい議員のみなさん、当選おめでとうございます!」という一言にみんな大笑い。ほのぼのとした雰囲気で質問が始まった。「志木駅南口を新座口にできないか?」「市役所の地下の喫茶店くらい喫煙を許可してはどうか・・・」という内容だった。僕は志木駅の両サイドが新座市だということを初めて知った。昔東武鉄道が敷かれるときに、野火止の農民達が筵旗を立ててそれに反対したことも・・・・。市長の答弁は両方とも「NO!」だった。

このところメモを取ることが急に多くなった。漢字がポットでてこないことが結構ある。だから机の上にはいつも電子辞書が置かれているのだ。たくさん書いているうちに段々思い出していく気もしている。

田中議員の配達している卵が美味しい。「一日に一回しか産まない卵なんだ。」「スーパーで売っている卵はホルモン剤を使って、一日に3回も4回も産ませている卵らしい。僕と同じ塾の先生かと思ったら、そういう仕事もやってるんだよねえ。凄いなあ。  たかやん



3月18日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第14弾!

「たかやん議員日記」2004.第14弾!   3月18日(木)

学校評議委員制度という言葉を初めて聞いた。3年前に始まった制度らしく、学校をガラス張りにする為に、地域の人たちから意見を聞こうということなんだそうだ。「校長が評議委員を選びます。」と教育長。それじゃあ意味がないと僕は思った。校長にとって都合のいい人を選ぶに決まっているからだ。PTAの役員が保護者の代表でないのと同じように、評議委員は地域の代表ではないのだ。学校をガラス張りにしたいと本気で思っているのなら、学校に批判的な人を最初から選ばなくてはいけない。校長とPTAと町内会長の仲良しグループで学校評議員会を作っても、自画自賛で終わってしまうのだ。それでは学校はよくならない。そう思っているのは僕だけ・・・・?         たかやん



3月19日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第15弾!

「たかやん議員日記」2004.第15弾!   3月19日(金)

議会中に携帯電話が鳴ったのは今日で2回目だ。2回とも同じ人なのだが、あわてて議場から外へ出た。僕もいつ同じことをするかも知れないから気をつけよう。中学生が授業中に携帯の音をバイブにするのに忘れてしまって、気まずい思いをするのと同じである。生徒には携帯を禁止しておいて、自分は授業中に平気で電話をする教師もいる。明日明後日はお休みということもあって、今日は豪快に眠る人がいた。中には1時間以上ずっと目を閉じたままの新人もいたし・・・・傍聴も少なくなって緊張感がなくなってきたのか、いつもは野次を連発する議員もかなりお疲れのご様子だった。

さて今日は僕の給料日。月収は40万円だが、色々引かれて339430円が僕の銀行口座に振り込まれた。議会一日の費用弁償は2500円。簡単に言うと、市役所に仕事で行くと一日2500円支給されるということらしい。それはこの金額の中には入っていない。この金額が多いと思うか少ないと思うかは人によって違うと思う。少なくても僕はこの金額以上の仕事をしたいと思っている。この不景気な時代に、やりたい仕事を二つもやれるなんて・・・本当にラッキーなのだから。がんばりまっせ!          たかやん


3月20日 (土)  高校の同窓会

高校の同窓会
石神井高校テニス部のOB会に参加してきた。ひとみと空と三人で久しぶりの先輩の家に行った。昔中学生、小学生だった女の子達が二十三四の素敵な女性になっていた。先輩立ちは52歳と51歳。二人とも余り変わってなくて、とてもいい顔をしていたので嬉しかった。そう夫婦揃って石神井のテニス部だったのだ・・・・・。
テニスコートには60過ぎの先輩から15歳の高校1年生(優希)まで、実にたくさんの人達がいた。そして今年76歳になったという僕の先生も・・・・・
僕たちは、先生や先輩達に挨拶をしてから懐かしの“西側コート”でテニスを始めた。その当時硬式テニス部のコートは2面だけで、“西側コート”が男子コート。“東側コート”が女子コートだったのだ。当然僕らの記憶にあるのは“西側コート”な訳で・・・・・そこでテニスをしていると色々なことが蘇ってくるのだった。夏の暑い日のボールボーイ。午前中4時間、午後4時間。練習中は水を飲ませてもらえなかった。僕らはトレーニングの最中に関公園の橋の下の湧き水を隠れて飲んでいた。「飲料には適しない。」という水を平気で飲んでいたのだから大したものだと思う。
僕らは“西側コート”に毎日5回ローラーをかけた。雨が降った次の朝は20回かけろという命令があり、本当に20回かけていた。冬の間は筵をかけ、霜からコートを守っていた。その筵を干すのは大変な仕事だった。コートの両脇のフェンスによじ登り、危険な思いをしながら筵を引っ張りあげていた。
“西側コート”と道路の反対側には農家の“肥溜め”があった。僕が知っているだけで3人その肥溜めに落ちた。そうボールを拾いに行って落ちるのだ。僕のダブルスのパートナーの天野もその一人だった。
僕らの時代コートの中で1年生が笑うことは許されなかった。だけど天野が落ちた時、物凄い匂いがして、3年生の先輩達が笑い転げて・・・“西側コート”のネットについていた僕も思わずクスっと笑ってしまった。2年生の先輩達は1年生の前では笑ってはいけないという決まりがあったのだが、さすがにクックッと笑っていた。
天野は首までウンコにまみれていた。何が何だか分からず・・呆然としていた。そんなことがあったのも“西側コート”だった。
学校での懇親会での後、数人で武蔵関で飲んだ。かっこよくて憧れていた先輩が52歳。可愛かった1年生(2年後輩)が48歳。そして31年ぶりにあった同級生が50歳。もう先輩も後輩もない歳なのだろうが、やっぱり先輩は先輩で兄貴のような存在だったし、後輩は後輩でなんだかかわいかった。僕らはお酒を飲みながらあの頃の自分達に戻っていた。あれだけ苦しかった練習が「宝物」のように思えるのは何故なんだろう・・・・。今の僕があるのは石神井の“自由”な校風と無関係ではないだろう。五中や六中の練習の原点が石神井の練習にあることは言うまでもない。そして今の土曜のテニスもまたそうなのだ。


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