Diary 2004. 3
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3月31日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第23弾!

『たかやん塾日記』2004.第73弾!   3月29日(月)から

六中のテニスコート
ソフトテニス部が練習をしていて、硬式テニス部が練習をしていない。この一年で何度こういう状態を見ただろう。コート4面がガラガラで、ラインが消えていて、ゴミが落ちている。もう僕らの六中テニス部ではないことは分かっているが、悲しいものがある。練習もほとんど子ども達だけでやっていて、練習内容もワンパターン。ちっとも楽しそうじゃあない。だらけた楽しさはあるかも知れないが、「真剣」な目には出会ったことがない。たまにOBらしいのが来ているかと思えば、セーターにジーパンに普通の靴だったりする。ボールボーイをやる子はゼロで、みんな座って見ている。コートにはボールが散乱し、その中でただボールを打ち合っている・・・・。僕らのテニス部では考えられなかったことが毎日繰り返されている。僕は子ども達がかわいそうでしょうがない。六中テニス部のOB達がかわいそうでしょうがない。僕らのテニス部のOB達は「後輩の練習のため」に来てくれた。それが原則だった。ボールだしをやるのは当たり前。昔自分がやってもらったことを後輩に返すのは当たり前だった。現役の子達もたくさん試合をしてもらった。そして「こうすれば全国へ行けるんだ!」「こうすれば強くなれるんだ。」そういう話をしてくれて、中学生は目を輝かせたものだ。僕らのテニス部は誰でも受け入れた。小学生も近所のおばさんもOKだった。イレギュラーの子達にはいい練習相手だったりするのだ。コートにはいつも人が溢れていた。朝早くから、暗くなるまで僕らはボールを追い続けた。あの熱気がもう無い。トレーニングの代わりに、テニスコートで野球をやる。そんな部活になってしまった。男も女も関係なく練習していた部活が、完全にバラバラに練習をするようになってしまった。真剣な目と笑顔。大事な二つのものがあのコートには無い。
あの時、泣いた子達はこの4月から高校2年生。あれからもう2年が経とうとしているのだ。全国大会優勝間違いなし、といわれた才能溢れる子達は「県大会」で勝つことすらできず、卒業していった。あの子達と僕らとの貴重な時間はもう取り返すことができないのだ。僕らの「夢」を潰していった大人達。この現実をしっかりと見て欲しい。そしてもう二度と子ども達の夢を壊すようなことはしないでもらいたい。自分たちの都合で、欲で、僕らの六中テニス部をバラバラにした大人達。子ども達はちっとも楽しそうにテニスをしていないのだよ。麻美も藍子もちっとも楽しそうじゃあない。そして真剣な目も夢も彼女達は持っていない。「強い」だけが大切なことじゃあない。そんなことは分かっている。五中にも六中にも全国大会に行けなかった子達はたくさんいるのだ。そういう子たちも六中のコートには戻ってくれていたのだ。強い子も弱い子も、僕には大切だ教え子なんです。全国へ行こうが行くまいが、僕にとっては同じ生徒なんです。だってずっと一緒に走って、トレーニングして、コート整備して、ゴミ拾いしてきた仲間なんですから・・・・。あのコートを奪うことはできても、僕らの絆を切ることはできません。そして顧問をやってくれた祐二や角ちゃんとの絆もね。                     たかやん

僕の議員としての仕事は、泣いている子ども達を汚い大人達から守ること。


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