Diary 2004. 3
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3月21日 (日)  『たかやん塾日記』2003.第248弾!   10月16日(木)

『たかやん塾日記』2003.第248弾!   10月16日(木)

母の誕生日
今日母さんは79歳になった。僕を産んでからもうすぐ50年。父さんが死んでから一人で22年も生きてきたことになる。母さんは小学校しか出でいない。勉強したくて、勉強したくてしょうがない女の子だった。・・・だけどお祖父ちゃんが小学校4年生の時に死んでしまって、女学校には行けなったのだ。通知表の成績は学校で一番。だけど母さんは進学できないで、箱屋さんに丁稚奉公に行ったのだ。そう花や藍子の歳の頃のことだ。母さんはどうしても勉強したくて、都立の商業の夜間を受験した。お祖母ちゃんに内緒で受けたんだ。だけどその合格通知はお祖母ちゃんが破ってしまったんだ。お祖母ちゃんはお祖父ちゃんの代わりに大黒柱になって働いていた伯父ちゃんに気兼ねをしたらしい。母さんはそれを知って泣いたけど、一度もお祖母ちゃんのことを恨んだことは無いと言っていた。
母さんは運動神経がよかった。荒川区で走り高跳びと100mで一番だったらしい。ママさんバレーの全国大会にも出場している。僕は父さんのDNAも半分もらったから今の僕な訳だけど、母さんのDNAだけだったら、スーパースターになっていたかも知れない。
(お父ちゃん、怒らないでね。今日は母さんの誕生日だからさ。)
母さんはテレビにも出たことがある。あの田中真紀子さんのお父さんの田中角栄さんと一緒にテレビで対談したのだ。その時田中角栄は自民党の幹事長。今で言うと阿部晋三さんというところだろう。僕は今でもその時の角栄さんと母さんの表情を覚えている。
母さんは小学校しか出ていないが、本を二冊も出版している。絵も描くし、ろうけつ染めの先生をしていたこともある。もしも母さんが学校に行けていたら・・・・想像するだけで楽しくなる。凄い人になったんじゃないかなと思うのだ。もっともそうなっていたら、父さんとは結婚しなかっただろうから、僕は子の世に生まれてこなかった訳だけど・・・。
「学校に行けることは幸せよ。」僕は小さい頃から母さんにそういって育てられた。どんなに遊んでいても「勉強しなさい。」といわれたことはない。その代わりに聞いた言葉が「勉強できるって幸せよ。」だった。
僕は高校受験の時に『石神井高校に行かせてください。』とお願いした。大学受験の時も『北大に行かせてください。』とお願いした。勉強したくてもできなかった母さんや父さんの分もお願いしたのかも知れない。高校でも大学でもあまり勉強する学生ではなかったけど、今でも心の中に母さんの言葉は残っている。「とんちゃん。勉強できるって幸せよ。」
だから僕は今でも勉強しているのかも知れない。勉強する楽しさを子供たちに伝えようとしているのかも知れない。母さんは英語が全然話せない。「女学校に行ってないから・・・」あれだけ頭のいい人が英語だけは全然駄目である。これはもうトラウマのようなものなのだろう。だから僕は今、母さんの分も英語の勉強をしているのだ。今日は母さんの誕生日。小さい頃は母さんが79歳になるなんて想像もできなかった。母さんも僕が49歳になるなんて想像できなかっただろう。母さん!誕生日おめでとう!       ともや


3月22日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第16弾!

「たかやん議員日記」2004.第16弾!  3月22日(月)

いよいよ「刷新の会」の「一般質問」が始まった。一番手は羽根さん。議運もそうだが、難しいことをどんどんやっていく羽根さんはちょっとかっこいい。初めての「一般質問」なのだから緊張しないわけがない。少し原稿を読み間違えたり、声がかすれたり・・・だけど僕はその一生懸命さに胸が熱くなった。きっと明日は大佑も僕も緊張するだろう。スムースにやるのは幸弘さんだけに違いない。僕ら新人は自分達のベストを尽くせばいいのだ。善保さん。お疲れ様でした!                  たかやん



3月23日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第17弾!

「たかやん議員日記」2004.第17弾! 3月23日(火)

朝の控え室には落ち着かない様子の大佑がいた。『どうしたの?緊張しているの?』「めちゃ緊張していますよ。」と大佑。「右手と右足が同時にでたら教えてください。」と訳の分からないことを言う。9時半からの「一般質問」の最初にやるのだから緊張するのも無理はない。大佑の第一声は「平松大佑、25歳です!」だった。これにはみんな大爆笑。選挙運動の続きを議会でもやっている。僕も『たかむらともや50歳。十の位を四捨五入すると100歳になりました!』と言おうと思ったがやめておいた。大佑と張り合ってもしょうがない。

僕の質問は教育問題4つ。答弁は全て教育長。原稿はない。自分の言葉で話さないと相手には通じないと思ったから・・・・。心配していたのは時間だ。僕らは子ども達の前で喋るのが商売だから、ツイツイ喋りすぎてしまうのだ。「一般質問」の最初の質問時間は25分。再質問は4回できて、合計20分。その時間内で相手から、僕らにとっていい「回答」を引き出すことはなかなか難しい。
僕の質問は4点あった。第一に「陵平の自殺を今、どう思っているか?」「再発を防ぐ為に何をしてきたか?」第二に「管理職試験の仕組みを教えて欲しい。」第三に「普段の英会話授業を見たことがある。AETが配置されてかなりの時間が過ぎたが効果はあったか。」第四に「規則を破った子ども達を学校に入れない。個別指導と称して別教室でプリント学習等をさせている中学校がある。これをどう思うか。」という内容だった。僕はカウンセリングマインドという言葉を多用する教育長に『陵平を指導した教師達にはカウンセリングマインドがあったのか?』というところから質問を始めた。僕の前にはA4版の陵平の写真。『これが陵平です。13歳と10ヶ月しか生きられなかった陵平です。』と言って、僕はみんなに写真を見せた。教育長は最初見ようとしなかったから、『教育長!これが陵平です!』と無理やり見せた。
それから先のことは、あとで議事録を見ないと確かではない。大分熱くなってしまったし、言いたいことの半分も言えなかった。陵平のお母さんとお兄ちゃんが陵平と一緒に僕を応援してくれていたのに・・・・ばばっちょと啓介と山ちゃんが応援に来てくれたのが嬉しかった。次は頑張る。              たかやん


3月24日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第18弾!

「たかやん議員日記」2004.第18弾!
卒業式
初めて小学校の卒業式に出席した。どうせ行くなら一番良い学校へということで、栄小学校へ行くことにした。6年2組の担任は石渡智樹。彼がどんな風に子ども達を卒業させていくかを見たいと思ったのも確かだ。式は「君が代」で始まった。僕は歌わなかったが両隣は元気よく歌っていた。僕は栄小学校の効果は思い切り歌った。なかなかいい校歌だと思った。
卒業証書授与がはじまり、子ども達一人一人が舞台の上で自分の夢を叫んだ。6年1組の雨宮里菜ちゃん。「私の夢はアナウンサーになって、世界中に夢を伝えることです。」
6年2組の吉川豪作君。「僕の夢はプロレスラーになって、世界チャンピョンになることです。」2組の担任の智樹は名簿を見ないで、子ども達の名前を呼んでいた。さすがに僕の教え子だけのことはある。
授与が終わると、学校長の式辞。懐かしい・・・キノッピーの声だ。キノッピーは式辞の最後にこんな作文を読んだ。ここにある小学校6年生が書いた作文があります。
「僕の夢はプロ野球選手になることです。その為に中学、高校と全国大会に出て活躍しなければなりません。活躍できるようになるためには、練習が必要です。ぼくは3歳の時から練習を始めています。3歳から7歳までは半年くらいやっていまいしたが、3年生の時から今までは365日中、360日は激しい練習をやっています。だから、1週間で友達と遊べる時間は5,6時間です。そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球の選手になれるだろうと思います。そして、その球団は中日ドラゴンズか西部ライオンズです。ドラフト入団で、契約金は1億円以上が目標です。ぼくが自信があるのは、投手か打撃です。去年の夏、ぼくたちは全国大会に行きました。・・中略・・・ぼくたちは1年間負け知らずで野球ができました。だから、この調子でこれからもがんばります。そしてぼくが一流の選手になって試合に出られるようになったら、お世話になった人に招待券を配って応援してもらうのも夢の一つです。とにかく一番の夢は、野球選手になることです。
(愛知県西春日井郡とよなり小学校6年2組 鈴木一朗)
そうあのイチローの作文だったのだ。それから卒業式は実に淡々とすすんだ。僕は来賓紹介の時に笑顔でこう言った。「みなさん卒業おめでとうございます!」「石渡智樹君!よく頑張りました!」その時2組の子ども達の顔がぱーっと輝いた。担任の先生を誉められると子ども達は嬉しいものなのだ。先生と生徒の心が繋がっているクラスは間違いなくそうなのだ。そして智樹自信も驚いて顔を真っ赤にしていたけれど、嬉しそうに笑っていた。
最後の学活ではギターを弾いて歌を歌うといっていた智樹。うまくいっただろうか・・・・体育館で深呼吸して泣くのを堪えていた智樹。それに気付いた女の子達が泣いていたっけ・・・・。卒業式そのものは随分硬い感じがしたけれど、智樹のクラスには温かい柔らかいものが溢れていた気がする。そして栄小学校全体にその温かいものを感じたたかやんであった。                たかやん


3月25日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第19弾!

「たかやん議員日記」2004.第19弾!  3月25日(木)

新座市防犯推進条例
前にも書いたが、僕は原案に反対をし、修正案に賛成した。防犯そのものには反対ではない。だけれども市民が警察のアンテナになることを「義務」とするのには反対なのだ。執行部は「義務規定ではありません。」といっているが、原案のように「責務」という文言であれば当然のように義務と責任だとなってくる可能性があるからだ。「市民パトロールをするのは市民の義務であり、責任なんです。条例は法律なんです。決まりを守りましょう!」という人が必ず現れるのだ。決まりを守る!何と響きのいい言葉だろう。だけどこの決まりは本当に市民の総意でできた決まりではない。警察のアンテナになんかなりたくない!という人達がたくさんいるのだ。みんなでできる限り防犯に協力しましょう。防犯の意識を高めていきましょう。というのなら分かる。それが「義務」であるとなったらどうだろう・・・・「あそこの家の人はパトロールにでてこない。」「義務なのに協力しないのはけしからん。」そうならないだろうか・・・・。今みんなが生活が苦しくてアップアップしている時に、朝から晩まで働かなくてはいけない人がたくさんいるのに・・・この無神経さはなんだろう。市民の知らないところでこういう条例が決まってしまうとろこが恐い。新座市の未来が心配である。


3月26日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第20弾! 

「たかやん議員日記」2004.第20弾!   3月26日(金)

あったまきた!
初めて議会で頭にきた。一般会計の決議の時に討論をするのだが、その討論の時に事件は起きた。討論は賛成、反対交互におこなわれる。僕が討論に入ろうとしたときにまず、議長がこう言った。「長くなりますか?」僕はその場の雰囲気も考えて、「いいえ、そんなに長くはなりません。」と言った。そして英会話のことを話し始めたのだ。もちろんいつものように原稿は無い。話し始めて1分もしないうちに、僕の目の前に座っている議運の委員長が両手で×のサインを送ってきた。僕は何のことだか分からず、後ろの議長の方を向くと、「いやそのまま続けてください。」そしてまた話し始めたのだが。また目の前で×を作るのだ。原稿を読んでいる議員なら問題はないのだろうが、前をみながら話す僕としては気になってしょうがないわけで・・・・それが余りにも続くので、言いたいことの三分の一も言わずに討論を終わってしまったのだ。後で聞くとあれは議運の委員長が僕の後ろにいた事務局長に送ったサインだったらしい。でも、人が話している時に目の前であのサインは無いと思うのだ。僕は議員になって初めてあったまにきたのだった。

僕の討論の中身はこうだ。
納得できないことはたくさんあるが、予算には賛成だ。特に教育特区で「英会話」をやることには大賛成である。「英会話」を義務教育でやる必要なんかない!という声もある。だけど僕はそうは思わない。お金持ちの子どもだけが「塾」で英会話ができるようになることのほうが恐ろしい。しかし・・・いくら予算を組んでも子ども達が「やる気」にならなくてはしょうがない。子ども達をやる気にするには教師がやる気にならなくてはしょうがない。今教師達は戸惑っていると思う。それどころじゃないわよ!と思っていると思う。総合学習の時間だけでもアップアップしているのだ。「学級崩壊」しているところもある。だから現場の声を聞いて決めたのかと聞いたのだ。だけどやると決めた以上はやるしかない。そして成功させないといけない。新座は教育で名前を売ろうとしているのだから・・・。教師をやる気にさせるには、頑張っている先生を教育委員会がしっかりと評価することだ。ところが新座の管理職はほとんど英語を話せないと教育長が議会で言っていた。それが心配である。教育委員会が毎日の先生達の頑張りを見に行くことは無理だろう。当然、管理職にその報告を求めることになる。ところがその管理職がみな「英会話」はできませんというメンバーだというのだ。これではどんなに頑張っていても、ちゃんとした評価はできない。だから管理職も子ども達と一緒に「英会話」の勉強をするくらいのことはやって欲しい。そして管理職全員がTOEICを受けるくらいの気持ちになれば、これは成功するかも知れない。市民の大切な税金を使っているのだから、是非本気でやって欲しい。そして新しいことに挑戦するのだから、失敗を恐れないで努力を続けて欲しい。AETに免許がないからとアシスタントという位置づけにこだわっているが、免許の持っている英語の教師が教えた結果が今の状態なのだから、もっともっと積極的にAETの人たちを活躍させて欲しい。例えば体育や理科の授業とかにも参加するとか・・・・。
今は公立高校も生徒の確保で大変な時代である。新座の小中学校も努力をしないと、人気はますます落ちていく。いつまでも「きまりを守ることが大切」とおかしな生徒指導にばかり力を入れていれないで、分かる授業をすることに力を入れて欲しい。子供というのは「勉強」の楽しさが分かれば荒れないものなのだ。教育委員会が努力することを条件に僕は賛成する。
とまあ、こんな感じの話をさっと5分で切り上げようと思っていたのだ。とにかく初めて納得できないことが起きたと思った。
(一般質問の教育長の答弁は予想していたので、あったまにきたという感じとはまた違った。僕自身も熱くなったしね。)                  たかやん


3月27日 (土)  「たかやん議員日記」  3月27日(土)

「たかやん議員日記」  3月27日(土)

体育の授業
今朝のサッカーは3対3.心臓が飛び出るくらいきつかった。バスケットをマジでやっている感じと似ていた。亮、祐希、和伸対僕、太陽、真実子。その中に祥吾が入ってきて・・・僕は怒鳴った。「走れ祥吾!」「ボールか人につけ!」「追いかけろ!」一番若い祥吾が一番走ってなかったのだ。僕達は途中からもう半袖。祥吾はジャンパーを着て、フード?を被ったまま・・・・「祥吾!いつまでも頭巾なんか被ってんじゃなーい!見えないだろうそれじゃあ。」しばらくして・・・「そうだ祥吾!それだ!」「もっと走れ!いいぞ!」祥吾はなかなか入ってこれないタイプなのだ。真実子はよく走るようになった。ヘディングでポストプレーまでやるのだから凄い。和伸はさすがサッカー部。ボール捌きが柔らかい。祐希はサッカーだとフットワークがいい。僕らはへとへとになってテニスコートへ向ったのだった。テニスの練習時間は3時間。和伸と祥吾が抜けて・・・5人の練習になった。こういう時はゲーム形式の練習が面白いわけで・・・祐希がテニスの動きを少し理解したようだった。真実子がいいボールを打つようになった。ヒッティングパートナーがよければ、まだまだ強くなるだろう。バックハンドとボレーが練習では打てるようになってきたから・・・・・祐希はサイドステップの癖が抜けない。バスケットの癖なのかなあ・・・とにかくへんてこな動きをするのだ。亮・太陽対僕・真実子の試合は途中で亮がリタイア。そう言えば僕も昔六中のコートから島家のトイレに駆け込んだっけ・・・・お腹が弱いのは遺伝だね。

Take
*今日はかなり寒かった。久しぶりに英語をやった。Takeの意味。取るくらいしか知らなかったから勉強になった。(祐希)
*今日はTakeをやった。ワールドカップ難しい。でも練習して言えるようにしよう。ディズニーランドいきたいっ!(美佳)
*今日Takeをやった。すごくよくわかった。また家に帰ったら十指法をやるかも?(和伸)
今日は英語でTakeをやった。色んな表現があって面白い。(太陽)

通知表
驚いた。テストの点数よりも授業態度やレポートやノート提出に重きが置かれていたようだったから・・・。それも悪くはないが、どうしても感情点が入ってしまうものなのだ。3の子を5にしたり、5の子を3にしたり。だから僕はテストの点数だけで評価をしていたのだ。授業態度が本当によければテストの点数に出るはずだ。きれいなノートやレポートをいくら作っても頭の中に入ってなければ意味がない。最初からレポートで点数をつけるのならば話は別だが。テストを軽く見すぎてはいけない。僕はそう思う。   たかやん





3月28日 (日)  お風呂

つかさ
月曜はつかさの「わかんなーい!」にエキサイトした。久しぶりに恭子が戻ってきた感じだった。モルと分子数と分子量のところだ。これでもか、これでもかと説明したのだが、つかさの反応は「わかんなーい!」『今、分かったっていったじゃん?』「それは分かったけど、そこがわかんなーい!」『いいか!1モルっているのはな・・・・』説明は延々と続いたが、つかさは「わかんなーい・・・」『もう駄目。今日は終わり、明日またやろう。』と頭を冷やすことにしたのだった。
そのつかさにヘッドフォンをつけさせて今日は教えた。ホワイトボードは使わないでノートで教えた。そのヘッドフォンをつけるとアルファー波がでるということなのだが…つかさは完璧に理解した。あのヘッドフォンは本物だと思った。

直士
休み時間になると将棋がやりたくてしょうがないのは直士。「ねえ、航君!やろうよ。」とさかんに誘う。航は将棋を始めたばかりで直士には丁度いいのだろう。下から「ピッ!…10秒・・・20秒・・・」と対局時計の音が聞こえてくる。そして「ウワーッ!」という叫び声、直士が航に2連敗した瞬間だ。「お願いもう一回!」「駄目だよ。今日は終わり。」「そこをなんとか!」「だーめ。」直士が航に勝つのはいつかな・・・・航は今日からちゃんと将棋の勉強をするらしいから。

トマト
真実子が持ってきてくれたミニトマトが随分たくさん生ったので、収穫して食べることにした。総責任者の真実子がトマトを収穫していると・・・・「うわーっ!きゃーっ!」という叫び声。『どうしたの?』「こんなでっかいなめくじー!あたしなめくじだめなの。」と真実子。その完全無農薬トマトは藍子と優花が下に行って、洗ってきてくれた。そしてトマトをみんなに配り始めたのだが・・・・「あ、あたしトマト駄目。」と言ったのが祐希とめぐ。反対に「ちょうだい、ちょうだい!」とうるさいのが藍子。トマトが好きな子もいれば嫌いな子もいるんだねえ。

お風呂
お昼と夜、一日2回。空とお風呂に入っている。空は泣いていてもお風呂にはいるとご機嫌になる。永遠には5回連続で泣かれたが、空には泣かれたことがない。声で安心するのだろう。睫毛が生えてくると目が見えるのよ、と山ちゃんが言っていたが、その睫毛が生えてきた。時々ニコッと笑う空。そろそろ僕らの顔を認識しはじめたのかも知れない。毎日のお風呂がますます楽しみになってきたたかやんであった。  たかやん


3月29日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第21弾!

「たかやん議員日記」2004.第21弾!  3月29日(月)

農業委員会
議員の委員会とは別に、農業委員のメンバーになった。新座の農業が心配だから・・・・。ところがこの委員会で話されたことは「農地転用」を許可することだけ。ぶどう園の隣りに産業廃棄物業者が廃棄物を置くことまで「許可」してしまった。理由は過去に許可しなかった例はないからというものだった。僕はこういった。「書類が揃っていればなんでも許可するのでは、この農業委員会の存在する意味がないのではありませんか?」「廃棄物を置かれたら、ぶどうは売れませんよ。」」「市長は観光都市新座にしようといっているのに、産廃をぶどう園の隣りですか?本当にそれでいいんですか?」と新人の癖に言いたいことだけは言った。採決結果は「許可」。採決をとる事自体が初めてじゃないかということだった。こうして新座の畑はどんどん姿を消していくんだなあ・・・と悲しくなったたかやんであった。


3月30日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第22弾!

「たかやん議員日記」2004.第22弾!   3月30日(火)

3月議会終了
2月の27日から始まった3月議会が終わった。最後の議案は「議員提出議案」だった。その議案は
第1号議案 今後も安心して住み続けられる公共住宅をめざし、付帯決議の前面実現を求める意見書。
第2号議案 埼玉県議会の海外行政視察にかかわる真相究明と関係議員の辞職を求める決議。
第3号議案 地方交付税等の財源確保を求める意見書。
第4号議案 生活保護の「見直し」に反対し、生存権を保障する制度の改善を求める意見書。
第5号議案 新生銀行の株式譲渡利益に課税できる法改正を求める意見書。
第6号議案 憲法第25条の生存権を保障する充実した年金制度を求める意見書。
第7号議案 自衛隊のイラク撤退と国連中心のイラク復興支援を求める意見書。
第8号議案 65歳まで働ける雇用環境の整備を求める意見書。
第9号議案 マンション対策の充実強化を求める意見書。
の9つ。これがかなりもめたのだ。第1号、第2号はすんなり可決されたのだが・・・第3号議案から意見が割れた。「刷新の会」は全員賛成。ところが公明党と新明解は全員反対。内容ではなくて、「共産党」が提出した議案だからという声が聞こえてきた。いいものはいい。悪いものは悪いでいけばいいのに・・・・。共産党は公明党の提出議案にも賛成している。頭が柔らかいのかもしれない。実は僕ら「刷新の会」も第7号議案で割れた。僕と幸弘さんとよっちゃん(羽根さん)は賛成。加藤さんと大佑は反対の立場をとったのだ。「刷新の会」は会派が絶対同じ意見でなくてもいいというのが原則なので、他の会派とは一味違うのである。結局共産党が提出した議案は全部否決され、1.2.8.9号議案だけが可決されたのだった。
議会が終わったのが8時前。大雨が降る中、僕らはかるく打ち上げをしたのだった。


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