Diary 2004. 4
メニューに戻る
4月11日 (日)  「たかやん議員日記」2004.第31弾! 

「たかやん議員日記」2004.第31弾!  4月11日(日)

鉄腕アトム
文教経済委員としての初仕事?は鉄腕アトムが新座市に住民登録をしてから1周年記念の式典に参加することだった。午後2時に新座駅に行くと、そこには議会で見慣れた市役所の人達と議員の人たち、立教大学のブラスバンド。そしてアトムを見に来たたくさんの子ども達がいた。鉄腕アトムは手塚治虫の50年前の作品。その作品の中に、アトムは2003年に高田馬場で生まれたと書いてあるらしい。須田市長は新宿区長と掛け合って、住民票を新座市に移してもらえないかと交渉したというのだから面白い。今日から新座駅も高田馬場駅同様「空を越えてラララ・・・」のあの歌が列車の発車時刻にかかるらしい。高田馬場は僕の中学校のある駅である。面白いところで鉄腕アトムと繋がっていたのだ。


4月12日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第32弾!

「たかやん議員日記」2004.第32弾!   4月12日(月)

宜野湾市
今日の会派の会合で、5月の視察は沖縄の宜野湾市と那覇市に決定した。理由は教育特区の英会話である。宜野湾市は新座市と同じように今年度にスタートするというので見に行くことにしたのだ。群馬県の太田市は来年度から「国語以外の教科は全て英語」という学校ができるらしい。その為の授業が今年度からはじまるというので、そこにも視察を申し込んでみたが、「視察の受け入れはしていません。」ということで断られてしまった。那覇市の方はNPOの支援システムがあるらしく、それを見に行くことになった。5月の12,13日の予定なので、その前に我が新座市の小中学校の授業を見に行かなくてはいけない。明日からまわり始めよう。もう普通の授業が始まっているはずだから・・・・。


4月13日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第33弾! 

「たかやん議員日記」2004.第33弾!  4月13日(火)

教育委員会
9時過ぎ、スーツを着て出かける前に教育委員会に一応電話を入れてみた。「これから市内の学校の視察へ行くのでよろしくお願いします。」という電話だったのだが・・・K部長の返事はスケジュールを教えて欲しい。「何時にどこどこというスケジュールが分かると応対するほうも助かるのですが。」というものだった。僕は「普段の授業を見たいので、あまり準備されても困るんです。」といったが、「議員さんを迎えるのに失礼があってはいけないので。」僕は「別に校長に相手をしてもらわなくてもいいんです。普段の授業を見に行くのですから・・・。」K部長の立場も分かる。学校の立場も分かる。だけれども教育長が議会で「新座の学校はガラス張りです!」と胸を張って言ったのだ。「どうぞ何処の学校でも自由に見学してください。」と言って欲しかった。本当は午前中に二中と東野小に行こうと思っていたのだが、「急に今から行くといわれても学校の方が対応できないので、明日からにしてもらえませんか?」とK部長。そこで僕は午後を提案した。「では午後から五中にいきます。」「分かりました。」五中と聞いて安心したのかどうかは分からない。とにかく僕はこれから五中へ行く。僕が教師生活をスタートした学校からの視察スタートも悪くはないと思ったのだ。僕の原点は五中なのだから・・・。

しばらくしてK部長から電話がきた。「午後は身体測定と対面式なんです。」ということだった。そういえば六中も今日は身体測定があるといっていたっけ。「それでは明日五中と二中にうかがいます。」と僕は言った。明日から僕の議員としての本当の仕事が始まるのだ。新座の学校をよくしていく。それが僕の使命なのだから。

これを読んでいるみなさん。僕に見てきて欲しい学校、クラス、授業があったらメールください。一緒に行きたいときもメールをください。 お待ちしています。  たかやん


4月14日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第34弾!

「たかやん議員日記」2004.第34弾!  4月14日(水)

昨日。あれから僕は教育委員会へいった。K部長と話をしに行ったのだ。市役所の7階は懐かしい匂いがした。スケジュールの打ち合わせということだったが、僕らはいつの間にか教育を熱く語っていた。今の新座の教育委員会にも頭の柔らかい人はいるんだなと思った。

4月14日(水)五中。
僕が大学を卒業して10年通った学校へまず最初に行った。懐かしいテニスコートがあり、懐かしい家(自分が住んでいた。)があり、懐かしい校庭があった。
最初に見たのは2年生の「英会話」の授業。市の加配の英語の先生とAETのティームティーチングだった。僕は生徒の席に座り、一緒に授業を聞いた。まだ4月ということもあるだろうが、「英会話」というより「日本語会話」が多かったのが残念だった。AETは何度もDon’t speak Japanese! Stop talking!
と叫んでいたから。授業の進め方は楽しかった。スキヤキソングもよかったし、ゲームだって工夫されていた・・・・だけどまず真剣にAETの英語に耳を傾けるという基本ができていないのが残念だった。いくらネイティブスピーカーがいても、耳を澄ませて聴かなければ意味がないと思う。

去年の5中にはF先生という凄い先生がいて、一人だけでほとんど英語という授業をしていたのだが・・・・あの先生はどこへいったのだろう。

不登校生徒の数は17名ということだった。単純に計算すると6校で100名くらいになるが実際はどうだろう。


五中に厳しいことを書いているのかも知れない。だけれども僕は五中が好きなのだ。僕が10年。娘が3年通った学校なのだから。「好きです五中」僕の大好きだった、山口常義校長が言った言葉を僕は忘れない。帰るとき、あの校歌が音楽室から聞こえてきた。僕はちょっぴり泣きそうになった。

                  たかやん


4月15日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第35弾! 

「たかやん議員日記」2004.第35弾!   4月15日(木)

校正
議会便りの校正をしに議会事務局へ行った。議会事務局というのは本当に大変な仕事をしていると思う。議会の運営は勿論、視察の交渉、受け入れ、録音と記録etc,etc。議員は30人。それこそ色んなタイプの人がいるのだから・・・・・。
この日は「刷新の会」の平松大佑も、隣りの最大会派の若手のH議員も仕事に来ていた。大佑は議会のない日も議員控え室で仕事をすることが多いと言っていた。そうそう、僕ら「刷新の会」は毎週火曜日の9時から「勉強会」をすることになった。6月議会に向けての準備をもう始めようというのだ。
僕は自分の一般質問の原稿を読み、校正をしていった。僕の質問に対するトンチンカンな答弁をどうまとめていいものやら、頭を抱えた。この一般質問は新座市議会のホームページから検索できるから、市民のみなさんも読んでもらいたい。どの議員が質問し、どの議員が質問をしていないか・・・・質問に対する答弁が全部出てくるからなかなか面白いと思いますよ。例の野次も記録に残っていることがありますしね。   たかやん


4月16日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第36弾!

「たかやん議員日記」2004.第36弾!  4月16日(金)

三中
今日の視察?は三中。ここでも英会話の授業を中心に見学させてもらった。最初のクラスは1年生。それも初めての「英会話」のクラスにお邪魔した。担当の加配のS先生は22歳。AETの先生は21歳。若さ溢れるコンビに僕は好印象を持った。生徒一人一人の名札を確認しながら握手していくS先生。僕は昔の入学式を思い出していた。授業が始まると校長のM先生も教頭のK先生も子ども達と一緒に英語を発音していた。子どもと一緒にやる。そういう先生たちが少なくなってきた中で管理職が英会話を生徒と一緒に勉強する。いいことだなあと思った。
残念だったのは一人の男子生徒に授業が振り回されていたこと。最初の授業だから子ども達は日本語でAETに質問し、それにAETが英語で答え、それをS先生が通訳するとういパターンで授業が進んでいったのだが、ある女の子がDo you like swimming?とAETに英語で聞いたら「何、英語使ってんだよー!」と彼が叫んだのだ。そしてその一言でクラス中が萎縮してしまった。英会話のクラスで英語を話したら怒鳴られるのでは、その女の子は辛かったと思う。普段はうるさい子も大人が5人もいると静かになるものだが、彼はそういうパターンには当てはまらなかった。彼は「勉強する権利」を教わってないのだろう。「勉強できる幸せ」も習ってないのだろう。僕が英語教師だったら、教室からつまみ出していた。少なくても「つまみだすぞ!」とは言っただろう。他の子たちの勉強する権利を守る為に。一年生の今の時期にこの状態だということは、小学校6年生の時はどうだったのだろう。「学級崩壊」が心配である。

2時間目の1年生は授業にかなり集中できていた。AETの英語をリピートする声の大きさも1時間目のクラスより最初から大きかった。1年生らしい英語の授業だった。

3時間目の3年生は授業がなかなか始まらなかった。英語係の子が教室を確認しなかったかららしい。まあそういうことはよくある話である。問題はその後の授業。まず人の話を聞くということができていなかった。一人ずつ英語で自己紹介するのだが、My name is Takayan. I like dogs.というそれだけのパターンの英語を話すだけで大騒ぎ。「俺なんていえばいい?」「わかんねー!」「ねえ、ねえどうすんの?」と誰かが話していても全くおかまいなし。うるさくて何を英語でいっているのか全然聞こえなくて困った。とうとうS先生が大きな声を出した。22歳の新任の先生と21歳のAETが3年生の初めての授業で大きな声を出す。できたら避けたい状況である。1年間がうまくいくか、いかないかがかかっている授業なのだから・・・・。だけど怒鳴っていいのである。子ども達は筋の通ることで怒られたときは納得するものだ。そういうことで教師は妥協してはいけないのである。服装とか髪型とかで怒られると反発するのとは対照的だ。子ども達はS先生の気迫に負け、少し静かになった。
3年生だとういうのに、AETの英語がほとんど聞き取れていない子が多いのにも驚いた。聴くトレーニングをしていないのだろうが、聴かなくては話せるようになるわけはないのだ。身近にネイティブスピーカーがいるという幸せに気付いていないのだろう。ただひたすらワイワイガヤガヤするだけの授業で終わってしまったのがとても残念だった。
3中の子ども達は全体的に笑顔が多かった。挨拶も笑顔でしてくれる子がたくさんいた。でも、肝心の授業態度は感心できなかった。もったいないなあと思った、たかやんであった。

最後に校庭のトイレを見た。意外ときれいだった。ペーパーホルダーもちゃんと付いていたし、トイレとしての機能もちゃんとありそうだった。

三中の不登校生徒は3月末で21名とのことだった。


4月17日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第37弾!

「たかやん議員日記」2004.第37弾!  4月17日(土)

駐車場
昨日の午後は空のポリオワクチンで第三庁舎へ行った。車で来た人も多く、駐車場は大混雑。庁舎の近くは満車状態。その中にぽっかりと空いた空間があった。その駐車場は「公用車」と書かれてあった。くわえ煙草で指示を出す、シルバーのおじさんに「ここは駄目なんですか?」と聞くと、駄目だという。10台以上は止まれると思われる駐車場に公用車は1台も止まっていなかった。この日、公用車はあの駐車場に何台止まったのだろう。何台止まる予定があったのだろう。ポリオワクチン投与のあとは、あまり日に当ててはいけないというのに・・・・。あまりにも杓子定規な対応に僕は少し頭にきたのだった。(6月の議会で質問してみようかな・・・・。)


4月18日 (日)  「たかやん議員日記」2004.第38弾!

「たかやん議員日記」2004.第38弾!  4月18日(日)

職員室の電気
3月の議会中に「二中と六中の職員室の電気が夜中中付いているのを知っていますか?」という質問をした。「生徒を信頼していないから、自分達の指導に自信がないから、ガラスを割られたくないから電気をつけっぱなしにするんです。」と僕は言った。それに対しては「先生方が遅くまで残っていて、行事の前などは泊まることもあるのです。」という苦しい答弁が返ってきた。僕は卒業式や体育祭の前の日には泊まっていた人間だから、そんなことは知っている。卒業式や体育祭は「毎日」はないということを言っているのだ。電気代の無駄遣いだということを言いたかったのだ。

昨日の夜、初めて二中の職員室が暗くなっているのを見た。いいことだと思った。学校という世界は「節電」の努力をしない傾向にあるのだ。子ども達も他の教室に移動するとき、教室の電気はつけっぱなしにしていまうことが多いのである。トイレの電気などは常に付いていて当たり前。廊下の電気も昼間から付けっ放しのことが多い。教師も生徒も電気はただだと思っているふしがあるのだ。電気は必要な時以外は消す。それでいいのである。


4月19日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第39弾!

「たかやん議員日記」2004.第39弾!  4月19日(月)

むかついた!
東京都のある進学塾の先生に「新座六中のレベルは低い。教師が手抜きをしているとしか思えない。」と言われた。「漢字は読めないし、算数の基礎ができていない。」とも言われた。中学校だけではなく、小学校の教育も否定された気がした。
正直言って、むかついた。新座の教育をなめるなよ!と思った。新座の教育に疑問は感じながらも、21年間は新座の中学校にいた僕なのだ。自分の子ども達も新座の小中学校に9年ずつお世話になった。今は孫が西堀小で「毎日楽しいよ。東久留米の小学校より楽しいよ。」と笑顔で勉強している。だから外部の人にハッキリと言われると、やはりなにくそと思ってしまうのだ。「新座にだって、能力の高い教員はたくさんいるんだ!」そう叫びたかったし、悔しかった。本気で新座の教育を変えていかないと・・・・。東京都から馬鹿にされるのはお断りである。                     たかやん


4月20日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第40弾!

「たかやん議員日記」2004.第40弾!  4月20日(火)


ベランダが一瞬暗くなった。Mパーテーションの焼却炉が活動を始めたのは今日も8時15分ごろだった。物凄い匂いが立ちこめ、とてもベランダに出られる状態ではない。洗濯物も洗いなおさないといけない状態である。電話で抗議をするが、煙は30分以上出っ放しだった。「焼却炉の扉を開けたままか、助燃装置を使っていないかのどちらかのはずです!」「今、何を燃やしてますか?」と僕。「紙と木だけです。」とMパーテーション。紙と木だけであんな煙がでるわけがないのだ。ドアをそのまま燃やしているから、塗料も一緒に燃えているのだ。だからあの煙を吸うと、頭が痛くなるのだ。

今日は刷新の会の勉強会の日。みんなにこのことを話すと、羽根よしひろが「僕が交渉してみます。」と言ってくれた。
今月の26日には吉田よしのり議員も一緒に、みんなで第四小へ行くことになった。現場を自分の目で見に行く仲間と会えてよかったと思った、たかやんであった。


| 1 | 2 | 3 |
2004/4
SuMoTuWeThFrSa
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 

前月     翌月