|
4月21日 (水) 「たかやん議員日記」2004.第41弾!
「たかやん議員日記」2004.第41弾! 4月21日(水)
二中 9時。校庭では体育の授業がおこなわれていた。「なにやってんだ!」懐かしいT先生の声が聞こえる。彼は昔から子ども達の前に色々な顔をして登場する。今日は恐い顔をずっと維持する日なのだろう。校庭にはかすかな緊張感が漂っていたから・・・。 さっそく授業を見せてもらった。 最初は2年生の英語。新任の女の先生の文法の授業だが、子ども達が自然に手を挙げているのに驚いた。授業の中の自然な質問に半分近くの子達が手を挙げていたのだ。次に見たのは1年生の英語の授業。What kind of hamburger do you like? とか What kind of TV program do you like? という質問を1年生にしていた。そしてそれに答える1年生。若い男の先生だったが、使う日本語も中国語のように話し、子ども達の笑いが絶えなかった。そしてECルームでは去年まで五中にいた、あのF先生が過去形の授業をしていた。子ども達の緊張度は高い。よく見ると机の上には何も置いてない。I先生の声に集中できるようにノートは出させていないのだ。それにしてもなんとテンポのいい授業なんだろう。子ども達が乗せられてしまうのも分かる。 1時間目と2時間目。英語の授業以外も自由に見学させてもらった。学校全体がいい雰囲気だったことに驚いた。去年そして一昨年の騒がしい、荒れた学校のイメージはもうない。先生達の表情も明るい。AETの授業が見れなかったのは残念だったが、僕はニコニコ顔で二中をあとにしたのだった。
二中の昨年度の不登校生徒は約50名。その半数が今年の春の卒業生だということだった。 外トイレは新しいせいもあるが、きれいだった。バス停の人も利用できるようにと作られたそうだ。なかなか粋な計らいである。
六中 3時間目から5時間目まで自由に見せてもらった。3年生の数学のT先生。1年生の国語のT先生。1年生の社会のI先生の授業には感心した。子ども達の表情が違うのだ。とにかく集中している。ぐいぐい授業に引き込まれていく。そういう話術と「気」を持っているのだ。 こういう名人がいるのだから、六中のレベルはもっともっと上がるはずである。 僕にも昔憧れる先輩がいた。憧れた恩師もいた。そういう先生の表情やリズムを真似をすることで、テクニックや気を盗むことで授業はよくなっていくのだと思う。
どの階でも子ども達は笑顔つきの挨拶をしてくれた。ちょっぴり六中時代に戻った気がしたたかやんであった。
六中の不登校生徒は14名ということだった。
|
4月22日 (木) 「たかやん議員日記」2004.第42弾!
「たかやん議員日記」2004.第42弾! 4月22日(木)
太田市 今日は「刷新の会」で群馬県の太田市に視察に行った。五人で揃っていく初めての視察である。関越道で冗談を言い合っているうちに、あっという間に太田市役所についてしまった。この太田市というところは、「行政改革」では全国的に有名なところで、物凄い市長がいるという話だった。市役所は12階建て。12階にはバイキングレストランがあり、本当にいい眺めの庁舎だった。僕らは午後2時から4時過ぎまで、色々な説明を聞いたり、質問をしたりして、勉強させてもらった。面白いなあと思ったのが、市役所で使っている封筒。市内の企業の広告を封筒の裏に載せることで、封筒の製作コストを落としているのだ。そして清掃車などの公用車にも広告を載せてしまうという斬新なアイデアにも驚いた。市役所の総合受付の女の人は「有償ボランティア」で自給580円で働く一般市民だし、児童館も委託してしまい、年間数百万も人件費を浮かせていたりするのだ。ユニークだったのは、市長が公用車を自分で運転するということ。人件費をこれでも削減している。それでいて、小学校1年生から高校3年生まで「国語以外は全部英語」という私立の学校を市が全面的にバックアップして設立させてしまおうとしていたり、市長が毎日のように市役所で待ち伏せし、全然知らない一般市民と語ったり・・・・。市役所は会社。市長は社長。(本当にそう呼ばれている。)そして市民はお客様。だからお客様の要望を第一に考えるという発想が楽しかった。
僕が一番聞きたかったのは例の「英語教育特区」のことだったが、来年度からということで、詳しい話は聞けなかった。新座市の教育委員会から「英語かるた」を預かって持っていったのだが、そのカルタは自慢できるものだった。子ども達の描いた絵をベースにしてあり、実に温かい感じのする英語カルタだった。
議員の仕事は行政のチェック。勿論教育行政も含めてチェックすること。お客様にサービスが行き届いているか、ちゃんと行政が無駄なく機能しているか、それを調べるのが僕達の仕事である。お客様の市民の為に目を光らせることが我々の仕事なのだ。そしてそれを市民のみなさんに報告することが議員の仕事だと僕は思っている。
|
4月23日 (金) シムの感想
シムの感想 みんなとってもえいごがじょうずになった。たいよう、くみ、まみこ・・・みんなすごい。はつおんもきれいだし、ながいあいだはなせるようになったし、びっくりした。あいこもすごい。シムはとてもうれしいです。みんなといっしょにいたじかんとてもみじかかかったけど、とてもたのしかった。ありがとう。たかやんもありがとう。またあいましょう。
基礎英語2 みんなで基礎英語2を聴いた。みんなの苦手な助動詞をこの1ヶ月間やっていたのだが、折角のこのチャンスをみんなで逃してしまったらしい。ああもったいない。 * 基礎英語2をやった。難しかった。毎朝聴こう。(太陽) * 馬鹿たれ!お前はこの3ヶ月毎朝聞いているじゃなかったのか?
五目並べ 今日は祥吾と五目並べをやった。「相手にならない。」って言われて、少し悔しかった。基礎2はいい復習になった。(祐希) * 祥吾はかなりはしゃいでいた。両方の黒板に「うんこ」の絵を描いて喜んでいた。
ショック 「六中のテニス部をまじめにやればやるほど下手になってく。」って言われて超ショックだった。(麻美) * まじめっていうのが味噌なんだけどね。要するに真面目に間違った練習やると下手になるということな訳で・・・・本当にひどくなっているんだ。でも麻美達は何も悪くはないんだよ。教えてもらってないってことだから・・・・。勉強も同じで、間違ったやり方を続けていくとどんどん分からなくなったりするんだ。気をつけようね。
ひさびさめぐ 今日はひさしぶりに来た。なんか久々だったからいろんなことを忘れていた。英語も基礎英語全然聴いてないし・・・・損したなーって思う。(めぐ) * そう大損だったね。だけど8月の分はしっかりもらってしまおうね。今度こそ大損しないように・・・。
直士 今日の直士は「こら、集中せい!」と云われること5回。苦手な英語に全く気合が入っていなかった。折角の才能が泣くねえ・ああもったいない。英語が5になるっていうのに。
|
4月24日 (土) さよならシム
さよならシム 今日の英会話がシムの最後の授業である。2日ヶ月がもの凄く短く感じるのは、それだけシムの教え方が上手だったからだろう。最後にみんなで英語でお礼を言おうね。それでシムに誉めてもらえたら嬉しいね。
寝返り 空が寝返りを打ったのは20日のこと。首がすわっていないくせにいきなりひっくり返ったのには驚いた。子供たちには大人が想像できないような可能性がある。その可能性を信じているのといないのとでは子供たちが大人たちからうける感じがかなり違うのではないかなと思う。子供の変化を、成長を大人の物差しだけで決め付けてはいけないのだ。
美子 最近一番乗りで来るのが美子。勉強することが楽しくなってきたらしい。まだまだできないことは沢山あるけど、確実に進歩しているのが分かる美子である。 * 今日たくさんいろいろ出来た。勉強も何時間もできるようになった。最高で4時間も出来た。今度は10時間やりたいです。いっぱい勉強したいなあ。(美子)
一日一冊 一日で本を読んだ。すんごい楽しかった。皆も読んでみな。英語の自己紹介が段々長くなってきた。英語をペラペラ喋れてた気がしていい感じだった。(太陽)
発音 今日はフォニックスのリスニングテストをやった。「発音が汚い!」と大ブーイングを受けた。ショックだった。(航) * 子供たちの耳は正直だからね。俺もそう思うよ。紅美や真実子の方が航よりきれいなことは確かだね。トレーニングしかないよ。通じるかどうかと発音がきれいかは別問題なんだ。
かわいかった・・・ 小学生かわいかった。宿題進んだ。でもなんかいつもより勉強した気がしない。家で世界地図やる。(紅美) *8月からは小学校1年生から太陽までということに決まったよ。花も藍子も急にお姉さんになるということだ。創記のお兄さんていうのもすごいなあ・・・。とにかくみんなよろしく頼むね。 たかやん
|
4月25日 (日) 「たかやん議員日記」2004.第43弾!
「たかやん議員日記」2004.第43弾! 4月25日(日) 激痛 金曜日の午後から痛みはあった。お腹の左側と左の腰が妙に痛かったのだ。それでも気のせいかと思って、塾をやり家に帰ってきて風呂にも入った。寒気がして、熱がでてきたので、こりゃあ久しぶりに風邪ひいたかなぐらいの感じだったのだが・・・・・痛みが増し、汗がでてきて・・・吐いて・・・これはもう駄目だと「救急」で堀の内病院へ行った。
レントゲンを撮ると、痛みのあった辺りに白い影があった。「長さは9ミリですね。」「結石に間違いないでしょう。」尿管結石だった。どうりで痛いわけだ。僕はそのままベッドの上で点滴をされ、朝のテニスとサッカーには行けなくなってしまい、午後からの塾もできなくなってしまったのだった。ごめんね、創記。連絡してくれたのに・・・そういう訳で電話できる状態じゃあなかったんだ。
テニス 日曜日のテニスはたった1時間だったけど、面白い練習になった。現役の高校チャンピョンとラケットを握ったばかりの芽依が同じコートで同時に練習したのだから・・・・。芽依はおでこにボールがポコって当たって、べそをかいていたっけ。こんな練習をやるところはまず無いだろう。昔の六中でもあまりなかったと思う。ミニバスの選手とNBAの選手以上の差があったと思うから。 それでもみんなで楽しくできてしまうところが面白いのだ。泰佑は確かに上手になっていた。昔からの癖はそのまま残っているけれど、さすがにチャンピョンだけのことはある。体の切れがよかった。
サッカー 泰佑の代は僕と毎朝サッカーをやった代である。本当に久しぶりのサッカーだった。泰佑も赤いハチマキを締めて、太陽のチームで大活躍した。なんといっても背がでかいので、ヘディングシュートは、はほとんどフリーで打っていた。僕はお腹が痛かったので、余り走らないようにしていたのだが、不思議とボールがまわってきて、5得点と結構点を入れることができた。結局11対10で僕、亮、浩司、藍子、真実子のチームが、太陽、泰佑、和伸、祐希、めぐのチームに勝ったのだった。 あの頃は愛がいて、恭子がいて、太智がいて、貴正がいて、季がいて・・・毎朝サッカーでアップをしていたなあ・・・。そして今日みたいにOBがたくさん来てくれて・・・。東村祐二も角ちゃんもいて、みんな仲がよくて、本当に楽しくていい部活だった。あの頃の六中を思い出したたかやんであった。 たかやん
|
4月26日 (月) 「たかやん議員日記」2004.第44弾!
「たかやん議員日記」2004.第44弾! 4月26日(月)
六中テニス部 昨日の夜、六中テニス部の3年生の女の子からメールがきた。彼女達は僕が六中から去ることを条件に入部してきた子達だから、僕はもう殆んどの子達の顔を知らない。「たかやんに六中のコートで教えて欲しかった。」「もうすぐ最後の団体戦なんです。」「朝練だけでも来てくれませんか?」という内容だった。 当時の六中の校長が「テニス部の募集をしない。」と突然いい始めてからもう2年以上経ったのだ。あの時、子ども達は実にいい勉強をさせてもらった。大人達の裏と表を見ざるを得なかったのだから・・・。いじめがあるとか、規則を守らないとか嘘八百言われて攻撃された子ども達。あの子達の一番の味方は顧問の角ちゃん。その角ちゃんも校長たちにいじめられて本当にかわいそうだった。 あの時思ったことは、どうしてみんな六中のコートに来て、実際の練習を見て判断しないのだろう、ということだった。子ども達の表情を見ようともしないで、あの校長の意見だけを聞いて、判断してしまう大人達。一度でもいいから僕らの練習を見に来てほしかった。そしてそれを見て判断して欲しかった。
今、六中のテニス部には顧問が3人いるらしい。今回の子ども達の思いを、先生たちはどう受け止めるのだろう。残念ながら今の僕に六中の練習に行く時間はほとんどない。時々テニスコートの脇を通るが、練習はいつも同じ。コートにはボールがたくさん落ち、危険な状態のままで練習をしている。ラインも描いてないことが多い。10年以上続いたゴミ拾いもしていないようだ。そういうコートに戻りたいとは思わないというのが正直なところだ。だけれども子ども達の気持ちには心が揺れるのも事実なのだ。 六中の先生たちは子ども達の気持ちに心が揺れるだろうか?教育委員会はどうだろう・・・。先生たちは子ども達にどういう言葉を返すのだろう。
|
4月27日 (火) 「たかやん議員日記」2004.第45弾!
「たかやん議員日記」2004.第45弾! 4月27日(火) 小学校
中学校の教員を長くやっていたせいか、小学校へ行くとどうもドキドキする。子ども達が新鮮というか、先生達の子ども達への接し方が違うというか・・・掲示物も違うし、机のサイズも違うし・・・・。 昨日行った第四小学校は新座で四番目に作られた小学校。その割には第五小とか第六小とかが無いけれど。
驚いたのは先生達の平均年齢が50歳を越えているらしいということ。確かに若い先生が少ない感じがした。 子ども達は楽しかった。「おじさん、何しにきたの?」『君達に会いに来たんだよ。』「誰?」『たかやん』「いらっしゃい!」とハイタッチをしてくれる子もいた。全員で「こんにちは!」といってくれたクラスもあった。
授業は思ったよりも落ち着いていた。学級崩壊は去年は1クラス。今年は0。不登校も昨年度は3人。今年は0人。新しい教室ができたせいか、去年よりも学校全体が明るくなったと感じたたかやんであった。
|
4月28日 (水) 「たかやん議員日記」2004.第46弾!
「たかやん議員日記」2004.第46弾! 4月28日(水)
第四中 9時から2時間授業を見学させてもらった。今回は田中幸弘議員も一緒。ある意味では僕よりも四中をよく知っている人だ。 校長のI先生は僕と同期で、五中で9年間も一緒にいた仲間である。いつの間にか我々の世代も校長になるくらい歳を取ったのかなあと、時の流れを感じた 。 印象に残ったのは数学の若い女の先生と社会の若い男の先生。子ども達とコミニュケーションが取れているのだろう。教室の雰囲気が明るかった。彼らがこれからの四中を子ども達と一緒にリードしていくのだろう。
そして美術のティームティーチングに驚いた。数学や英語のティームティーチングは何度も見たことがあるが、美術は初めてだったからだ。その美術の授業は張りがあって、子ども達も先生たちも楽しみながらやっているようだった。
校長室から外を見ると、ストリートバスケットのゴールが二つ見えた。中庭にこういう遊べるところがあるというのはいいと思った。卒業生のアイデアに市がこたえたのだそうだ。 中学校に遊びだけのための施設があるというのは珍しいのだ。
「先生!」養護の先生が僕を見てそう呼んだ。「あらま、久しぶり。元気?」「元気です。私のこと覚えてますか?」『もちろんさ。』彼女は転校してしまったので、1年間しか理科を教えられなかった子だった。教師というのは不思議な職業で、そういう教え子でも忘れられないものなのだ。名前は勿論、当時のクラスの子ども達まで思い出すから笑ってしまう。職業病かも知れない。
2時間の見学があっという間に終わり、二中の校庭でしばらく幸弘さんと教育を語った。「また一緒に行きたいね。これは楽しい。」と幸弘さん。そう学校見学は楽しいのである。子ども達がいるから・・・・。 たかやん
|
4月29日 (木) 熱血先生
熱血先生 岩崎さんから素敵なメールが来ました。いい話なので日記に載せさせてもらしました。
我が家の上の娘の熱血先生についてまたおもしろい話が有ります。 その先生は五年二組の担任で娘は五年一組です。しかしその先生の考えでは「私は五 年二組の担任をしておりますが五年生の担任です」と言っています。ですからこの先生にクラスと言う概念は無く、「五年生は皆、私の生徒」と言う考えの先生です。 隣の教室に乱入し、「給食を残すな」と毎日叫んでいるそうです。給食が残ってい て、もう食べられませんと生徒が言えば隣のクラスの生徒を引き連れて来てその残っ た給食を残らず平らげて行くそうです。娘にとってそんな豪快な性格の先生はとても 好きな先生みたいで毎日が楽しみみたいです。こんな先生がいるおかげで学校は今、 とても落ち着いていて、学校崩壊と言う事とは無縁の状態です。 小二の下の娘も「岩崎の妹か」と声をかけられ、一瞬びっくりしたようですが「ク ロールがうまくなったね」と一声お褒めの言葉でメロメロになっておりました。 生徒のやる気をうまく引き出す先生です。昔の我々の時代にはこんなおもしろい先生 はいなかった。 * 僕は今の時代にこういう先生がいてくれることが嬉しいですね。担任という枠をはずしているところがいいですね。その先生が活躍できるのは、きっと学年の先生からも信頼されているからしょう。「この学校の生徒は、私の生徒」という風に学校中の先生が思えるようになったらいいですね。僕の中学校の先生達はこういう熱血ではなかったけれど、愛情がいっぱいでした。“教育は愛だ!”は正しいです。
あれから2年 2年前の今日、僕らは信じられない気持ちでテレビを見ていた。ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んでいった、あのシーンである。17日にはニューヨーク行きの飛行機に乗る予定だったから、ショックは大きかった。そしてもう1機が突っ込み、やがてビルが崩壊し・・・・・マンハッタンが煙に包まれていくのを見た。まるで映画のようだった。 1週間後、僕らはその場所にいた。グランドゼロからはまだ炎が出ていた。ビルが粉々になって、その煙が地面を白くしていた。その匂いを嗅いだとき、僕らは初めて現実を感じた。 公園にはたくさんの行方不明者の写真が貼られていた。日本人もたくさんいた。家族のメッセージを読むと、涙がでてきた。フェリーからマンハッタンを見ると、異様な光景だった。ツインタワーが消え、煙がマンハッタンの半分を覆っていた。町ではオサマ・ビン・ラディンの顔写真のTシャツが飛ぶように売れていた。そして星条旗も・・・・ あれからもう2年がたったのだ。 たかやん
|
4月30日 (金) 「たかやん議員日記」2004.第47弾!
「たかやん議員日記」2004.第47弾! 4月30日(金)
化学物質 午前11時すぎ、外から入ってきた煙で気持ちが悪くなった。武蔵パーテーションの煙である。煙そのものはよくは見えないが、その匂いの凄さに体が反応するのだ。余りの匂いに窓を閉め、しばらくソファーで寝込んでしまった。タイミングを逸したので、抗議の電話もできなかったが、またしてもあの会社には裏切られた思いになった。夕方エレベーターで下の人に会ったので、「今日匂い凄くなかったですか?」と聞くと「ひどかったわよね!本当にひどい匂いだった。」「気持ちが悪くなったわよ。」という返事が返ってきた。 あの会社はいったい何を燃やしているのだろう。「木と紙しか燃やしません。」と平気で嘘をついているが・・・・住民にこれだけの被害を与え続けて、何にも感じないのだろうか・・・・・。
|
|
|
|