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1月11日 (金) 『一生懸命』 幻のたかやん日記 第11弾! 13.1.11(金) たかやん
『一生懸命』 幻のたかやん日記 第11弾! 13.1.11(金) たかやん
川掃除のお知らせ 今月の川掃除は明後日13日(日)に行います。栗原1丁目公園に9時集合で、11時まで頑張ります。掃除の方向は。川下から川上の方向・・・馬喰橋から都県境まで清掃します。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意します。途中までの参加、途中からの参加も大歓迎です。反省会は午後5時から。反省会のみの参加もOKです。
ゆとり 久しぶりに見守り無しの朝だった。会議があるので、東門は教頭先生にお願いしたのだ。見守りをしないと、凄くゆとりがあることが分かった。朝の45分間はなかなかの時間なのである。うーむ、たまにはいいかも・・・。
控え室 机が一つ無くなるだけで、こんなに寂しい感じがするものなのか・・・4人会派から3人会派に・・・クラスから、友達が数人転校して行ったような・・そんな感じがしたのだった。
会議 今日は朝から議会運営委員会。午後1時から、議会改革特別委員会。会議、会議で・・・まあ、疲れたっていうか、何というか・・・家に帰ってきて、どっと疲れが出たのであった。
言葉 例のバスケット部の事件はやはりビンタだけではなかった。「キャプテンをやるか、二軍に落ちるか・・どちらかを選べ!」という酷い言葉があったのだ。言葉の力は強い。特に先生の言葉、指導者の言葉には子どもたちを傷つける力があるのだ。大人にだって、言葉は人の心を傷つけるには十分の武器になる。どこかの議会でも心無い野次が飛ぶことがある。 言葉の重みを考えられない人間はどこにでもいるのである。
東京オリンピック 日本国民の目が東京に集中する。世界中の目が東京に集中する。3.11がなかったとしたら・・・そりゃあ結構なことだろうさ。第一の問題は金だ。被災地に落ちるべき金が東京に落ちるようでは困るのである。原発の事故の処理に使われるべき金が東京に回るようでは困るのである。そして、一番問題なのは国民の関心が福島から東京に、東北から東京にうつってしまう・・・・それが怖い。東北だけではない。沖縄の基地問題もオリンピックに目が向けられるだろう。福島を犠牲にし、沖縄を犠牲にしての東京オリンピックでは困るのである。消費税もTPPも忘れ、オリンピックに集中していく・・・やっぱり恐ろしいわ。
塾 いよいよ受験シーズンである。子どもたちは大変だが、この時季の緊張した雰囲気が好きである。15歳の子どもたちが、自分の未来に向かって本気になる。真剣な目になる。その姿を見るのが好きなのだ。その時を一緒に過ごせることに幸せを感じるのである。
今日の写真1 母さんの笑顔が好きです。父さんが死んでから、あまり笑わなくなった母さんですが、空といるとこういう顔で笑います。昨日、仲がよかった友達が亡くなったと聞いて、声を上げて泣いていた母さん。長く生きれば、それだけ悲しいこともあるのでしょうが・・・僕らが出来るだけ母さんを笑顔にしなきゃ・・そう思うのです。
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1月16日 (水) 『一生懸命』 幻のたかやん日記 第16弾! 13.1.16(水) たかやん
『一生懸命』 幻のたかやん日記 第16弾! 13.1.16(水) たかやん
川掃除のお知らせ 今月の川掃除は13日(日)に行いました。来月は2月10日(日)に行います。栗原1丁目公園に9時集合で、11時まで頑張ります。掃除の方向は。川下から川上の方向・・・馬喰橋から都県境まで清掃します。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意します。途中までの参加、途中からの参加も大歓迎です。同時進行で、恒例の味噌作りも行います。そちらは丸一日の作業になります。
ツルツル 今朝も道路は凍結していた。あっちでツルン、こっちでツルン。中には自転車で転んだらしく、顔が血だらけの人も・・・今朝の見守りも歩きで行き、歩きで帰ってきたのだった。
アリナミン どうも体が重い。アリナミンとやらを飲みたいくらいである。寒気がして、ボーっとしている。塾がなくてよかったあ・・・。
議運 午後からは議運。昨日の代表者会議に引き続いての議運は、代表者会議を尊重して・・・スムーズに終わったのだった。
阿部整骨院 兎に角、久しぶりに背中が痛くて・・・阿部整骨院に行って、ほぐしてもらった。空も体調が悪いらしく、スイミングはお休み。塾もお休みの日なので、親子でお休みの水曜日になったのだった。
子ども達は悪くない! 体罰で揺れる大阪の高校への対応がおかしい。部活の活動を無期限停止にするとか、入試をやらないとか・・・誰に責任があるのか、今何をしなくてはいけないのか・・・全く理解できていない。子どもたちに責任はないのだ。一生懸命、その学校で生きてきた子どもたちを、もう一度殺そうとでもいうのか・・・下手をすると、陵平の時の様に、「それくらいで・・・」とか「家族に問題があった・・」とか、死んだ側が攻撃を受けるようになるのだ。どの高校でも、一生懸命生きている子どもたちに大人は寄り添って生きなくてはいけない。誰一人として、見放してはいけないのだ。バスケット部だって、悲しみを乗り越えて活動していくのが筋だろう。体罰の無い、新しい指導法でこの悲劇を先生と生徒で一緒になって、彼の分も頑張る。それが彼の死に対する思いやりではないのか。彼がどんな絶望の中で死んでいったのか・・・それを考えられれば、何をしなくてはいけないか・・・彼がどうしたいと思っているか・・想像できるだろう。自分の仲間達の未来を奪うことなど、彼は望んでいないはずだ。自分の可愛い後輩達の夢を壊すことなど、望んでいないはずだ。バスケットマンからバスケットを奪うことを望んでいるはずがないのだ。彼が望んでいるのは、言葉も含めての体罰の無い部活動の指導の筈だ。そんな体罰などなくても、生徒はやる気になるし、試合でいい動きもできるのである。日本全国で教養のある、優秀な指導者を育てることだ。こういうことを二度と繰り返さないようにする為に、全国の先生達が学ぶことが大事なのだ。
今日の写真1 今朝の東門です。駅立ちと同じで、いい天気のこともあれば、さむーい日のこともあります。子ども達の表情も毎日違います。家庭での教育が透けて見えてくることもあります。いつもいい表情で登校してくる子を見ていると、(どうやって育てているんだろう・・・)と教えてもらいたい気持ちになることもあります。それくらい、こころを暖めてくれるのが子ども達の表情です。そして、大人もいい表情をして、子どもたちを暖めてやらないといけないなあ・・と、思うのです。
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1月17日 (木) 『一生懸命』 幻のたかやん日記 第17弾! 13.1.17(木) たかやん
『一生懸命』 幻のたかやん日記 第17弾! 13.1.17(木) たかやん
川掃除のお知らせ 今月の川掃除は13日(日)に行いました。来月は2月10日(日)に行います。栗原1丁目公園に9時集合で、11時まで頑張ります。掃除の方向は。川下から川上の方向・・・馬喰橋から都県境まで清掃します。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意します。途中までの参加、途中からの参加も大歓迎です。同時進行で、恒例の味噌作りも行います。そちらは丸一日の作業になります。
重い 今朝は異常に体が重かった。布団から出られない・・そう思ったくらい重かったのだ。それでも今日は今年初めての試合があった訳で・・・昭和の森に向かったのだった。
一生懸命 コートに立ったら、勝つことだけを考えなくては・・・そう思ってプレーした。相手は4歳年下の背の大きいプレーヤーだった。僕のスピン系のサーブを高い打点でリターンしてきて、何度もエースを取られた。サーブに威力がなく、足が動かないのである。勝つチャンスが無かった訳ではないが、5ゲーム取るのがやっとで・・・初戦で敗退したのだった。ただ、二人ともジャッジは綺麗だったし、一生懸命戦ったことだけは確かなことで・・・気持ちのいい試合だった。今回は僕の力がなかった、練習が足りなかったということだ。いくらトレーニングをしてもラケットを握らないと、テニスは勝てないのだ。もっと練習しなくっちゃ!!
熱 ひとみは喉が痛いと言い、熱を測ると37度5分。空は38度を超えていた。塾にも咳をする子が多くなったから気をつけてはいたのだが・・・昨日からダルいと言っていた空。お腹の次は熱か。僕も背中は痛いし、体は重いし・・寒かったり、暑かったり・・・熱を測るのが怖い。
あの日 18年前のあの日。僕と亮は六中の噴水前に停めたパジェロの中で眠っていた。寒い日だった。パジェロの温度計はマイナス5度を指していた。僕らは住む家が無く、パジェロの中で寝ていたのだ。僕らはホームレスを笑えない。自分がホームレスだったからだ。そして、車の中で寝ていた神戸の人たちの悲しみや学校の校庭で毛布に包まって寝ていた人たちの寒さを自分の体で感じることができた。あの日は神戸もマイナス5度だったから・・・・。神戸の人たちは家族を亡くし、住む家を無くし、水に不自由し、トイレに困っていた。それに比べて僕らは幸せだった。家族はバラバラになったが、水は飲めたし、トイレもあった。友達の家に行けば、お風呂にも入れたし、ご飯も食べさせてもらえた。そう、僕らにはいつでも、どんなときでも友達がいた。ホームレスになっても暖かいものに囲まれていたのだ。だから僕らは幸せだった。そして、しみじみと噛み締めるのだ。今の生活がどれだけ幸せなのかを・・・。暖かい家に住み。水もトイレもあって、カーテンがあって、布団があって、電話やテレビがある。机があって、パソコンがあって、エアコンもある。そして3食、ちゃんと食べることができるのだ。お酒だって自由に飲める。友達を家に呼べて・・・語ることもできる。18年前のあの日の僕らは、その全てがなかった。毎晩、寒くて、寒くて・・・暖かい亮の足に暖めてもらって、やっと眠ることができたのだ。そんなことをしみじみと思い出す一日なのである。
今日の写真1 小学生達が中学生の英語の教科書を暗誦しているところです。暗誦に合格すると、何も見ないで書くテストをします。それに合格すると次の課に進めるというシステムです。
今日の写真2 中学生よりも綺麗な英語を書く小学生が多いかも知れません。英語もピアノやテニスと同じで小さい頃からちゃんとやっておいた方がいいと思います。勿論、やりすぎで嫌いにしてしまったら元も子もありませんが・・・そこは、教える側の力量でしょう。計算や漢字も同じかも知れませんね。
いつの間にか2時になろうとしています。そろそろ寝ないといけません。おやすみなさい!
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1月18日 (金) 『一生懸命』 幻のたかやん日記 第18弾! 13.1.18(金) たかやん
『一生懸命』 幻のたかやん日記 第18弾! 13.1.18(金) たかやん
川掃除のお知らせ 来月の川掃除は2月10日(日)に行います。栗原1丁目公園に9時集合で、11時まで頑張ります。掃除の方向は。川下から川上の方向・・・馬喰橋から都県境まで清掃します。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意します。途中までの参加、途中からの参加も大歓迎です。同時進行で、恒例の味噌作りも行います。そちらは丸一日の作業になります。
逞しくなった? 我が家の半数は熱でダウンした。空は朝から39度あり、学校は勿論お休み。病院へ行くので、僕の見守りもお休みさせてもらった。病院で検査をすると「インフルエンザではありません」という診断。ホッとしたのだが・・・熱はやっぱり39度ある。ところが・・トイレに起きたときに「お腹が空いた」と空。「食欲があるのはいいことだぞ」と食パンを焼いてやるとパクッと食べた。おまけに「算数パズルやる」と言い始めた。目の前で僕がやっていたのが気になったらしい。「熱があったら無理だろう・・・これ、難しいぞ!」と言うと「熱があるから脳の働きがよくなって、できるかも・・・」と空。39度の熱があるのに、頭を使ったり、ピアノを弾いてみたり・・・逞しいというか、何というか・・・早く治って欲しい親としては、嬉しいのと心配なのと・・・一方のひとみも37度5分の熱。空よりも寝ている時間が長く・・・。僕は完全に主夫になったのだった。
焼き芋 そんな中、母さんと久しぶりに散歩をした。郵便局まで歩いて行ったのだ。小さな手押し車?を押しながらゆっくり歩く母さん。雪を避け、車を避けながら・・・郵便局にたどり着いた。帰り道、近くのスーパーでみかんを買っていると・・・「幸せですね!いい息子さんで!」とTさんが声を掛けてくれた。そして、ホカホカの焼き芋を僕らにプレゼントしてくれたのだ。母さんと歩いているだけで幸せなのに、美味しい焼き芋まで食べられた訳で・・・幸せ一杯である、
肉うどん 夕飯は肉うどん。お肉屋さんで美味しいお肉を買って、小松菜を入れただけの簡単な夕飯を作った。ここでも3杯も食べた空。明日には元気になって、熱が下がるといいな。
暗誦 夕飯の後は塾。受験生以外の中学生達は英語の暗誦に燃えた。そう、小学生には負けてられないのだ。流石に中学生が本気になると、なかなか凄い訳で・・・みんないい顔をしていた。そして、暗誦に合格して・・・スペルミスが無くなって合格!今まで出来なかったことが出来た時の子ども達の顔を見るのが好きだ。その顔を沢山見たくて、僕は塾をやっているのかも知れない。
今日の写真1 冬の川の中に入るには胴長が必要です。前は冷たい川にジャージで入っていたのですが、血行障害で痛い思いをしたので・・・胴長をみんなで買いました。2年間は川に入っていたのですが、血行障害以来、もう2年近く・・・僕は川の中に入っていません。若い世代?が入ってくれているのです。今度みんなでお金を出し合って、折りたたみ式のリヤカーを買うことになりました。大物が上がった時に、台車よりも楽だからです。最近は、参加者が増え、トングも不足してきました。こっちは100円ショップでも買えるので、少し多めに購入しようと思っています。ゴミ袋と軍手は市役所の環境対策課が支給してくれます。そして、川から出たゴミも、環境対策課が持っていってくれているのです。
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1月19日 (土) 『一生懸命』 幻のたかやん日記 第19弾! 13.1.19(土) たかやん
『一生懸命』 幻のたかやん日記 第19弾! 13.1.19(土) たかやん
川掃除のお知らせ 来月の川掃除は2月10日(日)に行います。栗原1丁目公園に9時集合で、11時まで頑張ります。掃除の方向は。川下から川上の方向・・・馬喰橋から都県境まで清掃します。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意します。途中までの参加、途中からの参加も大歓迎です。同時進行で、恒例の味噌作りも行います。そちらは丸一日の作業になります。
朝練 久しぶりに朝練をやった。3時間程汗をかいて、気持ちがよかった。少しは痩せたかな・・・
熱 空の熱が下がらない。38度から39度をうろうろしている。朝から暇でしょうがないらしく・・・コナンのビデオを見たり、割り箸でピストルを作ったり、ピアノを弾いたり・・・ちゃんと寝ていないので、熱が下がらないのかも知れないなあ・・・。
塾 入試が近いので、中三の子達は今日も塾。集中し、気合を入れての塾はなかなか楽しかった。
『たかやん塾日記』2004.第236弾! 11月13日(土)
陵平へのメール 今日は陵平の18歳の誕生日。生きていれば愛や泰佑と同じ高校三年生だ。それを思うと陵平の人生がもったいなくて、もったいなくて・・・悲しくて、悲しくて、僕は陵平にメールを書き始めた。
陵平。僕はね、君に謝らなければいけないことがあるんだ。それはね、陵平。僕が二中から逃げてしまったこと。「生徒と仲良くするな!」「理科準備室に私物を持ち込むな!」と毎日のように責められてね、僕はこのまま二中にいたらもう病気になって死んでしまうんじゃあないかと思ってしまったんだよ。最初の日に「二中の校歌」を覚えてね。五中や六中と同じように10年いようと決心してきた学校だったのにね。ダメだったんだ。僕に管理、管理で生徒を縛り付ける教育はどうしてもできなかったんだよ。僕はね、弱虫だったからたった1年で二中をやめてしまったんだ。6月にはもう「来年の春みんなと一緒に卒業する。」と宣言して、3年2組の子ども達と一緒に卒業してしまったんだ。大好きだったサッカー部の子達と別れるために、6月から練習行くのを我慢して、嫌われるのを我慢して・・・僕は二中をやめてしまった。しばらくは二中の前を通ることができなかったよ。胃が痛くなって来るんだ。あの頃いじめられたことが思い出されてね。子ども達との思い出は最高なのに・・・二中の前を通ることができない・・・僕はね。二中に神経をやられてしまったのかも知れないね。 いつも考えるんだよ。もしあの時僕がいたらって・・・・もし僕だったら、ベランダでお菓子を食べた陵平に会っていたら「俺にもくれよ!」と言って一緒に食べていただろうなあ。「見つかるんじゃないぞ!」って言ってね。あの理科準備室は3年生だけじゃなくて、1年生や2年生も休み時間に遊びに来ていたから、もしかしたら陵平もきていたかも知れない。そうしたらきっとそこで何かを飲みながら僕と話をしていたから、「お菓子事件」をそ んなに真剣には考えなかったんじゃないかと思うんだ。 陵平。僕があの時二中にいたら、君は今高校3年生で受験勉強の真最中で、きっと恋愛の真最中で・・・・そういうことが何もできないで、死んでしまったのは、僕のせいかもしれない・・・そう思うことがよくあるんです。 ごめんね、陵平。僕が弱虫で、ごめんね。あの理科準備室で君の笑顔に会いたかったよ。12歳、13歳の君と会いたかったよ。 陵平・・・18歳の誕生日おめでとう!陵平って木村拓哉と同じ誕生日だったんだね。 陵平。最近、やっと二中へ行けるようになったんだよ。胃が痛くなくなってきたんだ。それもみんな陵平のお陰かも知れない。
ありがとう陵平。おやすみ、陵平。 たかやん
塾日記を整理していたら、当時の日記が出てきた。あの時、僕が二中をやめてなければ、僕はきっと「残り1年3ヶ月」と言いながら、子どもたちと楽しい時間を過ごしていたのだろう。政治とは無縁で、塾とも無縁で・・空も生まれてないのだろう。そう考えると、辞めてよかったのだと思う。そのお陰で、今の家庭があり、沢山の友達と出会うことが出来、沢山の小学生達とも出会うことができたのだから・・・それでも、時々陵平のことを思うのだ。二中で出会えなかった陵平のことを思ってしまうのだ・・・そして、相変わらず全国で「指導死」が無くならないことを申し訳なく思うのである。
脱線 昨日の塾で「18年前はホームレスだったんだぜえ・・・」という話をしたら、中学生達が食いついてきた。「えーっ!」「なんでなんで!」「そんなことあるの?」「他にもそういう先生いたの?」「ばーか!日本全国探したって、ホームレスの教師なんか、いるわけないだろう!・・・」「じゃ、何でホームレスになったのよー!」「それはね・・・」昔も今も脱線するときは思い切って脱線することにしている。俺の人生そのものが、線路の上を走ってなかったのだから・・・脱線しながらも、目的地に着くところが人生のいいところだ。
今日の写真1 先生に当たり外れがあるとよくいいますが・・・それは本当です。21年やっていれば、当りも、はずれもたくさん見てきました。自分が子どもたちにとって、あたりだったか、はずれだったかは、子どもたちが決めることです。僕は先生にはずれたことがありません。幼稚園から高校まで、自分にとって、常に最高の先生と出会っているのです。小学校1年〜3年は向後美佐子先生でした。御茶ノ水大卒の笑顔の素敵な先生でした。この写真の僕は先生の隣にちゃっかり写っています。雰囲気が空と似ていると言えば似ているかも知れません。DNAって奴ですかねえ・・・。当時の先生は27歳くらい・・今から50年前の写真ですから、先生も77歳くらいになっている筈です。とっても会いたい・・・そう思います。
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1月20日 (日) 『一生懸命』 幻のたかやん日記 第20弾! 13.1.20(日) たかやん
『一生懸命』 幻のたかやん日記 第20弾! 13.1.20(日) たかやん
川掃除のお知らせ 来月の川掃除は2月10日(日)に行います。栗原1丁目公園に9時集合で、11時まで頑張ります。掃除の方向は。川下から川上の方向・・・馬喰橋から都県境まで清掃します。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意します。途中までの参加、途中からの参加も大歓迎です。同時進行で、恒例の味噌作りも行います。そちらは丸一日の作業になります。
激痛 昨夜、突然その痛みは始まった。右の手首に激痛が走ったのだ。原因は分からない・・・何らかの原因で骨か筋だかがずれたのだと思うのだが・・・。寝たら治るかと思ったら・・夜中中痛くて眠れないくらいで・・朝も痛みはひいてなかった。困ったのは、今日はテニスの試合だということだ。使い物にならない右手でラケットを握れるはずもなく・・・ それでも、何とか試合の格好に着替えて・・・昭和の森に向かったのだった。
宮崎さん 今日のパートナーは北大の先輩の宮崎さんだ。僕が1年生の時の4年生で、とっても優しい先輩である。僕は1年生からレギュラーで・・・4年生の宮崎さんにボールボーイをして貰い、申し訳ないなあと思った記憶がある。テニスというスポーツはいつ強くなるか分からないスポーツで・・・宮崎さんは卒業してから、もの凄く上手になったのだ。そんな宮崎さんとのダブルスを棄権する訳にはいかない訳で・・・痛み止めを飲んで試合に臨んだのだった。
マッチポイント 第1シードとの試合はやはり出遅れた。1−5でリードされたのだ。だけど、僕らのペアーはお互いをカバーし合って、7−7に追いついたのだ。そして8−7でマッチポイントがやってきた。流れから言って、勝つ雰囲気だったのだが・・・そのポイントを取れず・・・結局タイブレークまでもつれ込んで・・・負けてしまった。宮崎さんには本当に申し訳ないことをした。手首が怖くて、スマッシュが打てなかったのである。全てのショットが中途半端で・・・情けないことに、シングルスに続いて、ダブルスも負けたのであった。とほほ。
諦めない それでも僕は諦めない。才能が足りないところは練習で補うしかないのだ。最高の先生もついている・・・諦めないで、自分と先生を信じて、戦っていきたい。
おかしい・・ 空の熱が下がらない。38度を切らないのだ。インフルエンザではなくても、普通の風邪でないことは明らかで・・・明日は病院で精密検査をしてもらうつもりである。
韓流 母さんと韓流ドラマの世界にはまっている。主題歌が一日中頭の中をグルグル回っている。「日本のテレビは詰まらない」と88歳の母さんが言う。竹島問題で揺れに揺れている日韓関係だが・・・お互いを好きになれば、解決する方法が見つかるのではないだろうか。そんな可能性を感じさせるのが韓流ドラマである。
今日の写真1 お昼に宮崎さんと鍋焼きうどんを食べました。その時に、宮崎さんがアイパッドを取り出して・・・僕らは錦織の試合を生で見ることができたのです。宮崎さんはいつもテニスを研究しているらしく・・・本当に素敵な先輩なのです。
今日の写真2 いなげやに行った時に、明治の板チョコが88円で売っていました。昔、昔達矢と朋矢で大バトルになった「チョコレート事件」の大本になったのがこのチョコレートです。当時はもっと、もっと高級で・・・今の感覚からすると2000円くらいだった気がします。88円じゃあ喧嘩になりませんもんねえ・・・。僕はこの板チョコで本当に悩み、幼い心を痛めたのです。
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