Diary 2007. 6
メニューに戻る
6月1日 (金)  「たかやん議員日記」2007.第152弾!  6月1日(金)

「たかやん議員日記」2007.第152弾!  6月1日(金)

5時55分
今日は自転車で駅に向った。途中で高野前議会事務局長と会った。「おはようございまーす!」と後ろから声をかけると、「お、早いですね!」と笑顔で挨拶してくれた。東久留米駅で議会報告を配り始めたのは5時55分。いつもよりちょっぴり早めのスタートになった。

どういう訳だか・・・
今朝はいつもの倍近く議会報告が無くなった。ひばりヶ丘と同じくらい無くなったのだから凄い。

歌う市議会議員
7時半頃、池田はるお東久留米市議会議員が登場した。僕の後ろに椅子を置き、ギターを弾いて歌を歌い始めた。その歌がPPMのdon’t think twiceになった時、僕は思わず一緒に歌いながら議会報告を配ってしまったのだった。中学時代に歌った歌は、大人になっても覚えている。不思議だなあ・・・。僕は一緒に歌ったり、足で拍子をとり、拍手をしたりしながら、8時過ぎまで議会報告を配り続けたのだった。ああ、楽しかった!!

バラバラ・・・
そう言えば、昨日国会に行こうと東久留米の駅に着いたら・・・パトカーと消防車が止まっていた。駅の様子も何だかおかしい・・・。そして「ただ今、駅構内に起きまして、人身事故が起きましたため、電車の運転を見合わせております。」というアナウンスが聞えてきた。(ゲーつ!遅刻しちゃうよー!)
そしてホームへ行ってみると・・・沢山の警察官がビニール袋を持って、何やら摘んでは入れている。(ゲゲーっ!!)よく見ると、ピンク色のものが赤く染まっている物体が・・・それは人の体の一部な訳で・・・人間が列車に轢かれるとあんなにも粉々になってしまうのだ。あれはいかん。暫く鶏肉とかが食べられないかも・・・。

どうも・・・
昨日の参議院議員会館で途中に「どうも・・・」と右手を上げながら入って来たのは、鳩山邦夫参議院議員。そして少し話をして、また「どうも・・・」と言って、チラッと僕を見て、笑顔で右手を上げて帰って行った。不思議な空気を持った人だと思った。

第二次議会改革特別委員会
久し振りに市役所へ。玄関で素敵な笑顔に会えたから、今日はついている。今朝の東久留米でもたくさんの笑顔に会えたし・・・今日はいい日だ。
13時半から特別委員会の傍聴をした。ちょっと失礼かなとは思ったが、傍聴なのでいつものジャージ姿でノートを取った。写真撮影も許可してもらい、審議の様子を撮影した。詳しくは、たかやんの第二写真館で・・・・             たかやん



6月2日 (土)  「たかやん議員日記」2007.第153弾!  6月2日(土)

「たかやん議員日記」2007.第153弾!  6月2日(土)

4時半
いつもは5時に起きるのだが・・・ちょっと早く目が覚めてしまった。流石に体が少し重い気がした。

重税感
6月からいくつのものが値上がりするのだろう・・・マヨネーズはいいとしても、豆腐は困るし、ガソリンの値上げは厳しい。僕のように自転車が多い人間でも、やっぱり困る。そして増税・・・。定率減税が元に戻ったなどという人もいるが、増税以外の何ものでもない。増税が限界にくると、政府は倒れる・・・・。自民党の時代はそろそろ終わりそうな気がする。

俺オレ詐欺
社会保険庁のミスは俺オレ詐欺のようなものだと言った人がいたが、本当にそうだと思う。取り立てるだけ、取り立てて・・・その記録を失くしてしまう・・・悪代官どころか、極悪代官である。国民が年金を信用しなくなって当たり前である。僕らだって、60歳から貰えることになっていたのに、いつの間にやら65歳。それだけでも十分に詐欺行為である。

大宮第二公園
久し振りに大宮第二公園へ行った。テニスの県大会の決勝を見に行ったのだ。男子のシングルス決勝は30歳の片桐選手と高校2年生。片桐選手は中学生の時に見たきりだったのだが・・・・「こんにちは!おひさしぶりです」と片桐選手が僕に気付いて、挨拶をしてくれた。15年以上経っているのに、僕のことを覚えていてくれて、僕はとっても感動したのだった。

女子ダブルスの決勝は結局ファイナルで負け。僕達は「奥信州」といううどん屋さんへ行った。そのうどん屋さんは、昔よく行ったところだったのだが・・・・「あら?おひさしぶりです!」と若奥さんが僕のことを覚えていてくれた。彼女とも10年以上会っていないのに・・・空を見て「お子さんですか?」と若奥さん。「そうです。」と僕。「男の子が欲しかったなあ・・・あたしは女三人だから・・・」「えっ!僕は一人しか知らない・・」「それはお互い様でしょ?」と二人で大笑い。若旦那とも久し振りの挨拶をして、僕らはお腹一杯になって、奥信州をあとにしたのだった。

議員定数削減
第二写真館でお知らせしたように、次の選挙では定数がかなり削減されそうである。政党や組織と関係のない僕や、これから新しく出馬しようという候補には厳しい選挙になるかも知れない。選挙は来年2月。悔いの無いように今の自分にできることを“一生懸命”やりたいなと思う。                           たかやん


6月3日 (日)  「たかやん議員日記」2007.第154弾!  6月3日(日)

「たかやん議員日記」2007.第154弾!  6月3日(日)

公園
朝の8時から二家族で遊んだ。そこにもう一人加わって・・・・・みんなでたっぷり汗をかいた。子ども達の遊びが、昔に比べて高度になっている。どんどん危険なことに挑戦しようとしているのだ。子どもの成長は早い。そして気をつけなければ・・・と思った。

新座民報
日曜日なので「新座民報」が郵便受けに入っていた。いつも思うのだが、毎週発行するのだから凄い。議会があるときは勿論、無い時も発行する・・・継続は力なりというが、そういうところは見習わないといけない。僕の議会報告は月に一度。それでも書いて、編集して、ホームページにUPして、印刷して、配って・・「あれ?一月たっちゃった!」となる訳で・・・。6月号の作成に取り掛からないといかんなあ・・・。

ヒラシコソキサ、ホチョハリギョ
久し振りに理科の授業をやった。子ども達に「海豚は何類だ?」と聞くと「爬虫類!」と元気よく答えがかえったきた。「爬虫類ときたか・・・爬虫類ってえのはな、亀や蜥蜴の仲間やで・・」「じゃあ魚類だ!」「ホンマかいな・・」
「じゃあ、若布は何の仲間だ?」と聞くと「苔類!」という答え。「あのねえ・・・」「分かった、裸子植物だ!」と滅茶苦茶言う。頭のいい子達なのだが、動植物の基本は出来ていない。みんなで「ヒラシコソキサ、ホチョハリギョ」を大合唱したのだった。

一般質問
5日が締め切りということで、一般質問の通告書の作成に取り掛かった。と言っても、一般市民から寄せられた声の中から選ぶ作業をしただけなのだが・・・。「どうしよっか?」「うーん、結構難しいよね」会議は1時間半ほどで終わった。

分身
久し振りに長男の亮と会った。特別に何を話した訳じゃないが、元気そうで少し安心した。自分の体は100億のお金を積まれても売れないが、息子にならあげられると思う。手でも足でも、腎臓でも、角膜でも・・・それで息子が元気になるなら、あげられるものは全部あげてもいい。そう思うのだ。
そう言えば、父さんも詩集の中で僕達のことを分身と呼んでいたっけ・・・。
分身達の為にも、いい生き方をしないと・・・。健康に気をつけて、出会った人たちを大切にして・・さあ、明日からまた新しい一週間が始まる。
                             たかやん


6月4日 (月)  「たかやん議員日記」2007.第155弾!  6月4日(月)

「たかやん議員日記」2007.第155弾!  6月4日(月)

月曜日の公園
流石に土日が終わった後の公園はゴミだらけだ。空き缶、ペットボトル、アイスクリームやお菓子の残骸・・・でも一番嫌なのは煙草。山のようなゴミを拾いながら、高校生や中学生じゃなければいいがなあ・・と思ってしまう。児童公園・・・小さな子達が集まるところ。いつも綺麗にしておきたいと思う。

石神小
8時前、Mちゃんは玄関で僕のことを待っていてくれた。僕の首に手を回し、僕が「よいしょ!」と持ち上げると、「きゃっ!」と嬉しそうな声を出す。僕もMちゃんもお互いに少しコツをつかんだような気がする。
石神小ではたくさんの先生や子ども達に元気のいい挨拶をもらった。月曜日の朝、一週間頑張るぞ!っていう気持ちになる。幸せ、幸せ・・・。

一般質問
午前中は明日の締め切りに備えて、通告書を書いた。今回は質問を絞ってやろうと思ったのだが、それでも結構あるなあ・・・

テニス
昼前から2時間テニスをした。西堀コートで2セット。大分日焼けした気がする。議会の前に少し地肌も焼いておかないと・・・帽子の形がそのまま残ってしまう・・・

英会話
今日は再び英会話に燃えようと決意した。毎日の法則を信じて、頑張ろう。

大佑
と、ここまで書いたところで大佑からメールがきた。「一般質問しなかったんですねえ〜」というメールだった。(ガーン!何かおかしいと思ったんだよなあ・・・明日の9時から議運だったべさ)すると大佑から電話がかかってきて・・・「やっちゃいましたね!」と大佑。「まいっか。オレもう一般質問飽きたから、答弁する側に回るわ。次の市長選に出る!」

これで教育委員会からは表彰状がくるかも知れない。今回の僕の質問はかなり大変だったから・・・・。教頭・校長も喜んでいるかも知れない。大変な仕事になったかも知れないから・・・。その分、子ども達と接する時間が増えるのなら、それでいいや。あーあ、一般質問しない議会なんて、初めての経験だ。折角会議までやったのに・・・応援団のみなさん、本当にごめんなさい!ああ、穴があったら入りたい・・・。とほほ・・・。

それでもMちゃんのお迎えを忘れたのではなくてよかった。神様が「少し気をつけなさい」と言ってくれたのだと思う。    たかやん


6月5日 (火)  「たかやん議員日記」2007.第156弾!  6月5日(火)

「たかやん議員日記」2007.第156弾!  6月5日(火)

ああ大失敗・・・
通告の日を間違えたなんて・・ああ、大失敗である。昨夜は流石に落ち込んだ。ため息をついていたら、奥さんが「大丈夫よ。取り返しがつかないことじゃあないでしょ・・」と言ってくれて、涙がでそうになった。自分では強がっていても、単純なミスで大失敗をしたことが頭を離れなかったのだ。5日が締め切りとずっと思い込んでいた・・・5日、5日と自分で勝手に決め付けていたことが敗因だ。これからは日程をもっとしっかり確認しよう。本当に取り返しのつかないことにならないように・・・・。

Mちゃん
8時前、Mちゃんの笑顔に会えた。僕を待っていてくれた笑顔だった。失敗をいつまでも考えていてはいけないと思った。Mちゃんとは今朝も沢山話をした。友達のSちゃんのこと、そして同じボランティアの宮本さんのこと。Mちゃんは車椅子なのに、もの凄く楽しそうに学校へ行く。僕には健康な体がある。いつまでも失敗したことを考えていたら恥ずかしい・・。

ヒアリング
9時半から議運。当然、昨日のことが話題になった。星川さんに「どうしちゃったの?」と聞かれたから「もう質問に飽きたんですよ」と言ったら、「じゃあ、議員を辞めなさいよ」と言われてしまったから、「今度は答弁する側になります。」と言ったら「それならよろしい」と言われた。よろしくないよ。まったく・・・。

一般質問をしない議会というのは経験がない。まるで担任をしない1年間のような気分かも知れない・・・。僕は21年間、担任をし続けた。担任は大変だけど、担任をやらなきゃ、つまらない・・・。だから新任の時からずっと最後まで担任に拘ったのだが・・・。
議運が終わって、ヒアリングが始まるが、僕のところには誰もこない。ああ、本当につまらない。

検査入院
この議会中に須田市長が3日間いないことが分かった。検査入院だという。何も無ければいいのだが・・・。市長のいない議会など今まで経験がない。一般質問の答弁は副市長がするらしい。「元気のでる街づくり」の源なのだから、元気に帰ってきて欲しい。

パパでもいいよ
朝の会話。「パパ、きょうのおむかえパパでもいいよ。」「何だよ、昨日はパパの顔を見た瞬間泣いたくせに・・・」「きょうはなかないよ」
そして幼稚園に迎えに行くと・・・(しょうがないなあ、パパが来たか。)という顔の空。ニヤニヤ笑っている。それでもママの姿を見つけると、もの凄く嬉しそうな顔の空。糞!ママにはどうしても勝てない。パパのところに来るのは、ママに怒られた時と眠くて抱っこして欲しい時。それ以外はまずママが優先である。          たかやん




6月6日 (水)  「たかやん議員日記」2007.第157弾!  6月6日(水)

「たかやん議員日記」2007.第157弾!  6月6日(水)

朝の仕事
駅立ちをしなくても5時起きが習慣になって、朝の仕事が楽しくなってきた。時間に追われないから、ゆったりとした気持ちでできるのだ。庭の掃除やゴミだし、部屋の片付け・・・時間が無いと大変に感じることが、時間があると楽しく感じるのだから不思議だ。

絶対はない・・
昔は絶対に嫌だと思っていたけれど、今ではなかなかいいんじゃないと思うものが幾つかある。
1. トランクス・・・・穿くまではブリーフしか考えられなかった。物心ついたころからずっとブリーフだったのだから、当たり前といえば当たり前。それが一度穿いてみると・・・二度とブリーフは穿けなくなった。

2. 短い靴下・・・・中学生や高校生がテニスをする時に履く短い靴下。僕には到底考えられない靴下で・・・ところが試しに履いてみると・・・足首が楽で、長い靴下を履くのが辛くなってしまった。要するにファッションじゃなくて機能なのだ。

3. パパ・・・昔は「パパとかママとかふざけるなよ!ここは日本だ!」と言っていたのに、今ではパパとママ。これがまた、短くて使いやすいのだ。もう少し大きくなったら、「お父さん、お母さん」にした方がいいとは思うが、今はパパ、ママでいい感じ。

4. 教師・・・学校の先生にだけは自分はならないと思っていた。立派な人がなる職業だと思っていたから・・・それが朝日新聞の「今、学校で」を読んで変わった。こんなに酷い先生ばかりだったら、俺のほうがましだ!そう思ったのだ。

5. 人前で話すこと・・・小さい頃は大嫌い。シャイな子どもだったから、まさか人前で話すことが楽しく感じるとは思っていなかった。多分、中学3年の時の舞台が僕を変えたのだと思う。僕はヴォーカルだった・・・・。

6. 作文・・・・小学校の時から一番苦手だったのが作文。文章を書くことが嫌で嫌でしょうがなかった。それが今では毎日書かないと気がすまないのだから人間は分からない。書くのが好きになったのは、読んでくれる人が沢山いたから・・・・学級通信『一生懸命』や部通信「ボール行きます!」そして「たかやん塾日記」は僕の宝物である。そしてこの「議員日記」も・・・・
                                  たかやん


6月7日 (木)  「たかやん議員日記」2007.第158弾!  6月7日(木)

「たかやん議員日記」2007.第158弾!  6月7日(木)

絶対はない2
昨日のつづき・・・
7. 議員・・・小さい頃、やりたくない仕事の1位が議員、2位が教師だった。政治は汚いものだというイメージはつい最近まであった。確かに今でも汚い政治家は山ほどいるのだが・・・・まさか自分が天職だと思っていた教師を辞めて、議員という仕事をするとは夢にも思っていなかった。人生は本当に分からない・・・。

8.坊主・・・昔は肩まである長髪だった。坊主という単語は自分にはなかったなあ・・・。それが一度やったらトレードマークみたいになって。今じゃあ、長い髪は考えられない。仮に生えてきても、今の頭でいいや。

9. 帽子・・・僕にとって帽子は鬘のようなもの。少し前まではナイキの帽子が主流だったのだが・・・最近は100円ショップの帽子が気に入っている。ナイキの帽子が30個以上買える値段で、ナイキの帽子よりいい感じなのだから笑ってしまう。

マナー
この間の日曜日のお話。僕の教え子4人があるテニスの大会に出場した。そして2回戦であの若い衆議院議員のT.Sのチームと戦ったのだそうだ。
「どうだった?」「いやあ、うまかったですよ。パートナーがかなり強かったですね。」「で、勝ったの?」「いや4−6で負けました。」「へーえ、お前達で負けるんだから本当に強いんだ。」「そうですね。強いですよ。でも、ジャッジが下手すぎですね。ラインの内側のボールも平気でアウト!にしますからね。」「そりゃあ最悪だなあ・・・」傍で見ていた人も「あたし絶対にあの人には投票しない!」とかなり怒っていた。
僕も札幌藻岩高校のファンだったので、彼のことも影ながら応援していたのだが・・・ジャッジが下手と聞いて、ガッカリした。テニスの試合で負けても、それはそれだけのことなのだが、下手?なジャッジで勝っていくプレーヤーは一生「あいつは汚い」と言われてしまうのだ。折角いいテニスをしても、マナーが悪いとみんなから嫌われてしまうのである。自民党の国会議員だから、マナーなどどうでもいいと思っているのかも知れないが・・・。

立教中学
昔の五中、六中のライバルは東京の立教中学だった。そこには西村博文という教育大出身の顧問の先生がいて、僕はその先生に憧れていた。僕が高校時代に憧れていた名選手達・・・八木沢、大里、中島さん。そして鷲田。そういう日本のトップ選手を育てた人だったのだ。日本一になるにはどうしても関東や全国で立教を倒さないといけなかった。僕が彼に憧れたのは、彼のテニス技術の指導力よりも、彼の「心の指導力」の凄さにだった。僕は彼から沢山のことを学んだ。そしてそれはずっと僕の心の中で生きている。だから立教中の教えは新座の中学生達の心の中で生きていたのだ。この夏は西村先生と久し振りにテニスをする。66歳を越えても、まだ僕とシングルスの試合をやるのだから凄い。僕の憧れは続く・・・。                            たかやん   


6月8日 (金)  「たかやん議員日記」2007.第159弾!  6月8日(金)

「たかやん議員日記」2007.第159弾!  6月8日(金)

上はいいけど、下はダメ!
この間の議運の時、半袖・短パンで帰ろうとしたら、食堂のおばさん(失礼)に「駄目よ、議員なんだから・・・上はいいけど、下は駄目!」と怒られた。でも暑いので、今朝も半袖・短パンで出動?した。どんな格好で行っても、受付のお姉さん(失礼、女性)は最高の笑顔で挨拶してくれた。「おはようございまーす!」僕は弾むように階段を駆け上がったのだった。

初日
議会の初日というのはいつも緊張するものなのだが、今日は全く緊張しなかった。一般質問がないとこういう気持ちになるのだと思った。毎回あるヒアリングも僕だけない・・・・つまらないから、隣りの「刷新の会」の控え室に行くと・・・善保と大佑が僕より早く来ていた。いつもなら、攻撃的突込みを見せる大佑が大人しい・・・どうも顔色が悪い。「どうしたの?」と聞くと「いやコンタクト片方しかしてないんで・・・」と訳の分からない答弁(?)今日の大佑は一日静かだった。

何かが変・・
この議会から収入役の高野さんがいなくなり、数名の部長達がいなくなり、教育部長が最前列に座り、大分景色が変わった。でも一番変なのは、財政部長だった榎本部長が左サイドへ行ってしまったことだ。一番答弁の多かった人が、左サイドに行ってしまったのが、僕には寂しく感じられた訳で・・・

傍聴
今日は川越の友達が朝から傍聴に来てくれた。本会議の前の「幹部連絡会」まで傍聴したというのだから気合が入っている。同じく「幹部連絡会」を傍聴した星川さんから「知り合いなの?」と聞かれたから「親友です」と言っておいた。本当に親友なのである。

全協
今日の議会は殆どが全協に費やされた。僕も2点ほど質問したのだが・・・一番もめたのが、「保谷・朝霞線の覚書」と「尾崎議員の住所問題の結末」である。星川さん・笠原さんが中心になって質問は続いたが、僕が聞きたかったことは「それで市民が納得するのですか?」という一点だ。政治的判断は市長によって違うと思う。それが僕と違うことがあったっていい。違って当たり前だから・・・。だけど、その内容を市民が知ったときに、説明できないのでは・・・・困るのである。詳しくは後ほど・・・。

コムスン
テレビのコマーシャルを見て、どうも雰囲気が怪しいなあ・・・と思っていたら、やってくれた。現場の声も少し聞いてはいたのだが・・・酷い会社である。みんなでコムスンから撤退すればいいと思う。働いている人も、介護を受けている人も、別のしっかりとした会社に乗り換えることで、あのグループを生き返らせてはいけないと思うのだ。「介護を受けている人たちのため」とか「働いている人たちのため」とかよく言えると思う。そんな理念が少しでもあったら、こういうことにはならなかったはずなのだから・・・・
                                  たかやん




6月9日 (土)  「たかやん議員日記」2007.第160弾!  6月9日(土)

「たかやん議員日記」2007.第160弾!  6月9日(土)

サーバー
丸二日以上、サーバーがダウンして、みなさんにはご迷惑をおかけしました。僕のサーバーは友達のコンピューターなので、そこに何かがあると時々ダウンします。彼も人間なので、復旧作業に時間がかかったようです。

さて、土曜日の朝です。

朝の漫才
「パパ、うんこ」「おう分かった。ちょっと待って!」「まてない・・・でちゃうよ。」「分かった。ちょっとだけ待って!」「ま て な い」「待って」「パパ!」「分かった!今、出そうなんだから・・・・」「でちゃう!」「俺も、出そう・・・うーん!」「でちゃう・・」「出てる・・・・」「パパ!」「(出た!)今出るからね。」「はやくでてきて!」「はい。交代!」このトイレの外と中の会話を聞いていたママは大爆笑。朝から漫才をやっていた父子であった。

招待状
教え子のCから結婚式の招待状が届いた。というか自分で取りに行った。石神に住んでいると、こういう時に便利である。彼女の家に行くのは家庭訪問以来・・・・久し振りに行くと、彼も一緒に待っていてくれたのだった。相手の男性は都立高校の先生。僕は一目で彼が気に入った。
Cは六中テニス部の卒業生では最初に学校の先生になった女の子である。僕としてはテニスを続けてくれているだけでも嬉しいのに、学校の先生になってくれたのだからこんなに嬉しいことは無い訳で・・・
「たかやんに歌ってもらって、お話をしてもらって・・・・いいかな?」「勿論だよ。何を歌う?」僕らは来月の結婚式の話におおいに盛り上がったのだった。

感動
午前中は片山2丁目に議会報告を配布しに行った。そこで初めて会ったIさんに「あ、これはこの間ひばりヶ丘で頂きました。是非、こういう視点で頑張ってください!」と言われた。Iさんがいうのは「ジャージ問題」を取り上げた議会報告だった。ひばりヶ丘で朝会った人の声を初めて聞いた。僕の報告をちゃんと読んでくれ、そしてメッセージをくれたことに、僕は感動したのだった。

どこかで・・
午後からは石神3丁目を少しまわった。畑中に住んでいる時は、ゆっくりまわれなかったが、今は地元なので本当にのんびりと歩いてみた。子ども達も知った顔が多いし、24歳から44歳までは教え子世代・・・そしてその上は嘗ての保護者世代。今日も色々と生の情報を教えてもらったり、僕が伝えたり・・・・「あら、先生!どこかで見た顔だと思ったわ!」流石に担任はみんな覚えていてくれる。ありがたいなあと思う。     たかやん




6月10日 (日)  「たかやん議員日記」2007.第161弾!  6月10日(日)

「たかやん議員日記」2007.第161弾!  6月10日(日)

大忙し
朝の8時からお昼まで塾。朝の勉強は時間が進むのがはやく感じる。途中の雷雨にはビックリした。地球の温暖化と関係があるのではないか・・・そんなことを思った。

闘魂
金曜日。懐かしい声を聞いた。五中時代仲の良かったS先生だった。彼女が新任で入ってきたときに、僕と同じ学年になって・・・よく喧嘩もしたけれど、僕は妹のように思っていた先生だ。僕の学級通信「一生懸命」に対して、彼女の学級通信は「闘魂」。小さな体で「闘魂」という名前。そして大きな字。僕はその闘魂のファンでもあった。彼女の社会化の授業はそれはそれは面白く、勿論気合も入っていて・・・僕はちょっとだけ、ライバルを意識していたのだった。僕が一般質問をして、彼女が答弁書を書く・・・昔では考えられないことだった訳で・・・。「俺が校長で、そっちが教頭っていうのはありそうだったけど、まさかこんな形で会うとはねえ・・・」「ほんとに・・・」僕らは暫く、昔の話に盛り上がったのだった。

道徳の授業
教育委員会のヒアリングが語る会の控え室であった。勿論相手は僕ではなくて勇さん。「道徳の授業を必修に」という勇さんに「小中学校では必修です」という先生達。思わず吹き出してしまう僕。「道徳って何やっているの?」と勇さん。「昔はねえ・・・サッカーやっていたなあ・・」と僕。「今、そんなことやったら大変です!」と先生達。僕は道徳の時間によくサッカーをやった。その頃の校長達は、時間割など見ていなかったか、見て見ぬ振りをしていたか・・・あまりうるさいことを言う校長はいなかった。じゃあ、僕が道徳の授業をやらなかったかと言えばそうではない。僕は多分誰よりも道徳の授業は上手かったと思う。それは子ども達が一番よく知っている。「たかやんのお話」は理科の授業よりもためになったらしいから・・・。

御通夜
教え子の旦那さんが亡くなった。まだ40歳だった。教え子数人と新座墓苑へ行くと、「邑君!」と声がした。振り向くと三村さんが立っていた。「僕の息子と三中で同級生なんだ。」という。御通夜には三中の制服を着た子ども達が沢山きていた。中学校2年生で父親が居なくなってしまう・・・可哀そうでしょうがない。空が中二になるまであと10年。体に気をつけて元気に生きていかないと・・・・。

夜勉
今日は五中の教え子達が二人来てくれた。一緒に夕飯を食べて、語って・・・。9時半からはまた塾。今日は塾に始まって、塾に終わった。議会も楽しいけれど、子ども達と勉強するのはもっと楽しい。                          たかやん


| 1 | 2 | 3 |
2007/6
SuMoTuWeThFrSa
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

前月     翌月