Diary 2005. 2
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2月11日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第42弾!

「たかやん議員日記」2005.第42弾!  2月11日(金)

紀元節と天長節
今日は僕の誕生日。いつの間にか51歳になった。小さい頃「昔は紀元節といって、お祝いしていたのよ。」とよく言われた。どうやら日本の誕生日ということらしい。僕の息子の空は4月29日生まれ。昔でいうと天長節。二人とも国民の祝日なので、みんなに覚えてもらい易い。
今日は9時前から「味噌造り」にたくさんの教え子達や友達が集まってくれた。前の晩からつけておいた大豆を煮て、麹と塩を混ぜて、大豆を潰して、麹と塩と合わせて・・・団子を作って樽に仕込んでいった。
その作業をしながら飲むお酒の美味しかったこと。話の楽しかったこと。ギターを弾いて歌も歌った。久しぶりにうどんも打った。味噌造りは3時頃終わったのだが、パーティーは夜中近くまで続いた。本当に楽しい誕生日だった。

朝からたくさんのメールももらった。久しぶりの子達からもたくさんもらった。電話もあった。久しぶりの声に涙がでそうなくらい嬉しかった。
僕は幸せである。本当にたくさんの教え子達がいつも側にいてくれるから・・・。そして友達もたくさんいてくれるから・・・。
みんなのお陰でこの今日の誕生日を迎えることができました。ありがとう。
そしてお母さん。一緒に暮らしていると、いつも笑顔というわけにはいかない僕だけど、お母さんのお陰でこんなに大きくなりました。本当にありがとう。 そしてお父さん。僕はどんどんお父さんの亡くなった年齢に近づいていきます。でもいくつになってもお父さんを越えることはできません。お父さんのように、強くて逞しい男になりたいんだけど・・・・お父さん。笑わないで、僕のことを空の上から見ていてくださいね。そしてたまには夢の中にでてきて、僕を叱ってください。
お父さん。僕は今日51歳になりました。


2月12日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第43弾! 

「たかやん議員日記」2005.第43弾!  2月12日(土)

オホーツク街道
僕は司馬遼太郎が好きで、たくさんの本を読んだ。その中の「街道を行く」シリーズの“オホーツク街道”に心が動き、網走まで出かけたことがある。その竪穴式住居を見るために、わざわざ北海道へでかけたのだから、それを見たいというそのエネルギーの大きさは自分でも驚くほどだった。僕達はオホーツク海でカモメと戯れ、貝を拾った。オホーツク海を渡って来たであろう、彼らの姿を想像しながら・・・・・今日は司馬遼太郎が亡くなった日。


僕はもともと左利きである。その左が今日はことごとくやられた。まず頭の左側が痛かった。風邪かも知れない。そして朝のサッカーで左の足首を捻挫し、左の股関節を痛めた。ついでに左の膝も痛い・・・・・。右脳が悪いのかも知れないが・・・・・。



2月13日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第44弾! 

「たかやん議員日記」2005.第44弾!  2月13日(日)

ダチョウクラブの卵
今日も片山のダチョウクラブにお邪魔してきた。いつもあそこの卵が目当てなのだが、大抵野菜にも目がいき、そしてケーキにも手が出てしまう。あそこの卵はスパーで売っている卵とは全然違う。味も匂いも色も栄養も格段の差があるのだ。この話はダチョウの卵ではない。日曜日にダチョウクラブで売っている、美味しい鶏の卵の話だ。

普段は何をしているの?
議員になってからよく聞かれる。議会は3ヶ月に一度しかない。議会のない月も色々あるが、基本的にはフリーである。そういう時「何をしているの?」という訳である。
僕は普段夕方から“仕事”なので、午前中は一応空いている。朝のトレーニングを除いてはフリーである。教員時代はこういう時間が全く考えられない時間だったので、気持ち的には物凄く「ゆとり」ができたかも知れない。トレーニングの後はお風呂に入って本を読んだり、空がいい子にしているときは書き物をしたりしている。勿論授業を見ることができる日は何があっても出かけることにしている。学校には“空気”がある。その“空気”はごまかしがきかないのだ。いい空気を持っている学校はいいし、悪い学校は悪いのである。新座市の学校の“空気”をよくしていくことが僕の仕事だと思っている。子ども達は学校の“空気”を吸って毎日生きているのだから・・・・



2月14日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第45弾! 

「たかやん議員日記」2005.第45弾!  2月14日(月)

バレンタインデー
五中時代は毎年100個以上もらっていたが、歳とともにどんどん数は減少していき・・・・今年は遂に10個を切ってしまった。とほほである。でも甘いものはもういいので、そういう意味では体にはいいことなのかも知れない。

団会議
今日は10時から団会議があった。今度の一般質問のすり合わせがテーマである。僕は今度の質問でどうしようか迷っている質問がいくつかある。そのこともみんなに聞いてみたかったのだが・・・・・。

小学校
52歳の先生が卒業生に殺された。ひどい話である。彼は僕と一つしか違わない。どんなにか無念だったろうと思う。17歳の少年が卒業したのは5年も前。その当時の先生はあまりいないかも知れない。どんな理由があったかは分からないが、精神に異常をきたしているとしか思えない。これで学校はますます扉を堅く閉ざすようになるだろう。学校とかスーパーとか、人が死ぬことは考えられない場所で人が死んでいく。何かがおかしい。どうしたら、そういう人間が育っていくのだろう。彼らはどういう教育を受けたのだろう。


2月15日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第46弾!

「たかやん議員日記」2005.第46弾!  2月15日(火)

自然宿
今日は朝から田中幸弘と二人で「新座自然宿」にお邪魔した。そこで僕達はムネさんという素敵な先生にたくさんのエネルギーをもらった。自然宿の子ども達にもあった。自然宿の空気を感じてきた。不登校の子ども達と接する人たちは、一度この塾を見学するといい。教育指導センターの先生たちも一度そこへいって見るといい。「適応指導教室」とは全然違う世界がそこにはある。どちらがいいと言っているのではない。そういう場所があるということを知って欲しいのだ。人から聞く話ではなくて、自分の目で見て、肌で感じて欲しいと思う。不登校の子ども達に対する活動は民間が遥かかなた先に行っている。行政は民間に完全に遅れをとっている。僕は今日そう感じた。とても有意義な時間だった。学校に行きたくてもいけない子ども達のことを本気で考えよう。いろんな人の力を借りて、一生懸命考えよう。

痛み
人間は痛みに弱い。サッカーで痛めた左足が思うように動かないと、(このままもう思いっきり走れなかったらどうしよう・・・)などと弱気になる。体のどこが痛くても楽しく生きていくのは難しい。どこかが悪いんじゃあないかと思ってしまうのだ。ところが体が思うように動くと、このままあと30年はサッカーができるんじゃないか・・・・などと平気で思ってしまうのだ。(少なくてもテニスはできると思うが・・・・。)健康が一番である。元気に生きるということが一番である。



2月16日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第47弾!

「たかやん議員日記」2005.第47弾!  2月16日(水)

栗小
今日の午後は久しぶりに栗原小学校にお邪魔した。英会話の授業を見に行ったのだ。授業の前に校長室で、あの松香洋子さんとお会いした。僕は10数年前に6中でフォニックスを知って感動し、彼女の本を読み、子ども達と一緒に英語を勉強してきた。その本を書いた本人と会えたのだから嬉しかった。
授業は楽しかった。6年1組と6年2組の子ども達が図書室で一緒に英会話に挑戦した。今まで見た授業と一番違う点は、「日本語」がほとんど聞えなかったということ。英会話の先生は勿論、二人の担任の先生も頑張って英語で話していた。そして子ども達も殆ど日本語を話さないで英会話に集中していたことに驚いた。6年生はなかなか音楽に合わせて踊りたがらない・・・・そういう話をたくさん聞いていたが、栗小の6年生は違った。しっかり踊り、しっかり声を出し、そして笑顔がいっぱいだった。
インタビューの時間はゲストの「先生」達に子ども達が英語で質問をするという展開だった。研究授業だからできるのだが、たくさんのネイティブの先生や英語の先生に果敢に挑戦していく子ども達を見るのは楽しかった。出来たら僕にもguestの名札が欲しかった。そうしたら子ども達と話すことが出来たから・・・・。

松香洋子
いつもなら授業を見たらすぐ失礼するのだが、松香洋子先生の講演があるというので最後まで残って講演を聴いた。素晴らしい内容の講演だった。新座市の全教職員に聞いて欲しい内容だった。松香先生の理論には、しっかりとした裏づけがあった。講演の中で僕たちは歌ったり、踊ったり、ゲームもやった。絵本の読み聞かせもあった。僕はいつの間にか子供に戻っていた。そしてあっという間に1時間が過ぎていった。この先生は本物だと思った。テニスの飯田藍と一緒だ。その人と一緒にいると子どものような気持ちに戻ってしまう。そんな素敵な先生だった。
プログラム自体も「どんどん新座の先生達が自分達で工夫して考えていくことが大切なんです!」と彼女は言った。松香のプログラムをただやればいいとは言わなかった。松香フォニックスの考え方をしっかりと理解して、あとは現場で子ども達の状態に合わせてどんどん自分達のプログラムを作っていって欲しい。そう言ったのだ。それはまさに僕達が考えていたことと同じことだった。そして彼女はこうも言ったのだ。「小学校は担任の先生の力が大きいんです。担任の先生の協力なしには英会話は成り立ちません。」その通りだ。小学校だけはなく、中学校だって担任の力は大きい。担任が一緒になって「英会話」に取り組むようなシステムができれば、そういう先生達が増えてくれれば、「英会話」は新座の教育を変えていく原動力になる可能性がある。僕はそんな「光」を今日の授業で感じたのだった。
聴くことから話す力が生まれることは間違いない。栗小の6年生は人の話を聴く力があった。落ち着いて人の話を聴くことのできる力は「国語」や「算数」でも基本なのだ。

新座の「英会話」を応援しよう。それが新座の教育力を高めていくきっかけになると思うから。今度の一般質問では小学校各クラスに1冊、英語の絵本(CD付き)が欲しいと声を大にして言おう。


2月17日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第48弾!

「たかやん議員日記」2005.第48弾!  2月17日(木)

大泉中央公園
今日は空を連れて、大泉の中央公園へ行った。野球場やテニスコートがあるのだが、僕らの行ったところはただの公園。おじさんやおばさん、そして幼児がたくさん遊んでいた。最初に陸上の400メートルトラックを空と一緒に一周したあと、僕はしばらくジョギングをした。小さな丘がたくさんあった。空はそこを登ったり、降りたり・・・・幼児の凄いところは同じことを何度でも繰り返せることだ。僕は気持ちのいい空気を吸いながら、新座市にはこういう公園があったかなあ・・・とふと思った。そう言えば本多の総合運動公園には行ったことがない。陸上のトラックには自由に入れるのだろうか・・・お年寄りや幼児が遊べる施設があるのだろうか・・・そんなことを考えながら、僕らは楽しいひと時を過ごしたのだった。

生活保護
塾から自転車でダッシュで帰って来ると、10時を大分過ぎていた。夕刊を見ると「生活保護 100万世帯超す」という見出しが一面のトップだった。今国民の生活はどんどん苦しくなってきているのだ。僕は教員が長かったから気がつかなかったけど、税金が払いたくても払えない人が増えているのだ。公務員になると特別な努力をしなくても毎月給料が入り、年に2回はボーナスが入ってくる。だからなかなか想像がつかなかったのだ。
僕は教員を辞めて、生まれて初めて社会の厳しい波にもまれた。督促状なるものも何度も見た。教員の時代には考えられなかったことだった。電話も何度も止められた。僕はあの時代を決して忘れない。今月は何とか乗り切った。でも来月は生活していけるのかしらん・・・・そういう思いをして生きている人が世の中にはたくさんいるのだ。


2月18日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第49弾!

「たかやん議員日記」2005.第49弾!  2月18日(金)

召集通知と議案
今日の午前中に「召集通知と議案」が我が家に届いた。去年議員になって初めに驚いたのはこの「召集通知と議案」が自宅に届けられたということだった。言ってくれれば市役所まで取りに行くのに・・・・・玄関まで市役所の方が届けて下さるのだ。議員というのは何か普通の感覚ではないのだな、と去年の今頃思った。そして今日もまた同じ事を感じてしまったのだった。

大泉中央公園
今日はお袋も連れて公園に行った。例によって400メートルトラックを軽く走ってから、色々なところへ行って遊んだ。小学生の男の子達の遊びを見て、昔の自分を思い出した。兎に角危険な遊びばかりやっていた。山手線の線路に入り込み線路の上に釘を置いたり、山手線、貨物、西武線の線路を横切って海城高校の方まで行き、戻ってくるのに何分かかるかとか・・・・屋上の縁を歩いたりとか・・・・高いところ、危険なところが好きな子どもだった。焚き火をしていたら、山手線を囲んでいる枕木に火が移り、大騒ぎになったこともあった。勿論逃げて捕まらなかった訳だけど・・・・。アパートの4階の高さの公孫樹の木の上に陣地を作り、通報されたこともあった。公園の火災報知器を押して、消防車を呼んでしまったこともあった。(どうして公園に火災報知器があったのかは今でも謎だ。)
子ども達は元気だ。遊びの天才だ。ゲームばかりやっている子達がたくさんいる中で、公園で体を張って遊んでいる男の子達に僕は拍手をおくりたくなった。



2月19日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第50弾!

「たかやん議員日記」2005.第50弾!  2月19日(土)

新座市子ども暗誦大会
前から楽しみにしていた子ども暗誦大会に出かけた。早朝緊急の用事が入ってしまい、最初の8人の子ども達の暗誦を聞くことが出来なかったのが残念だったし、申し訳なく思っている。プログラムには孟浩然の“春曉”が書かれてあり、小学校低学年の課題は“じゅげむ”高学年は“雨にも負けず”そして中学生の部は“枕の草子”が課題だった。どれも僕が授業でやったものだったので、とても親しみがあった。
それにしても子ども達の暗誦能力の凄いこと。嘗ての教え子達や今の塾の子ども達にも感じてきたことだが、子ども達は本当に素敵な才能を持っている。
小学校1年生で「おむすびころりん」を暗誦した子がいた。「くじらぐも」を暗誦した子がいた。僕はもう引き込まれてしまって・・・・4年生の「音」にも心が反応した。6年生のイマジンにも泣きそうになった。そして中学生・・・・2年生の「君死にたまふことなかれ」に心が揺れた。「初恋」も「美しい季節」も素晴らしかった。
緊張してつっかえたり、抜かしてしまったりした子達もいた。だけど僕はその一生懸命な姿に涙が出そうになった。出場した全ての子ども達に「ありがとう!」と言いたい。みんな「ありがとう!」

中学生の部に新座中、三中、四中が出場していなかったので隣りに座っていた教育長に「臼倉先生、新座中、三中、四中はどうしちゃったんですか?」と聞くと教育長は「落ちちゃったんだよ。」と残念そうにこたえた。僕はそれを聞いてほっとした。予選があったのだ。予選には6校全てが挑戦してくれたのだ。そして本選には残れなかった子達がいた。これはしょうがないことだ。一生懸命やっても出来ないことはあるし、負けることもある。大事なのは一生懸命やることなのだ。この企画は素晴らしい。是非毎年続けて、子ども達を燃やして欲しいと思う。

Dansinglish発表会
続いて行われたDansinglish発表会も楽しかった。子ども達がダンスをしながら英語を叫ぶのだが、会場から「かわいい!」「すごーい!」という声がたくさん聞こえてきた。音楽に合わせて踊るので、どうしてもダンスに目がいってしまうが、子ども達はかなり正確な英語を叫んでいたと思う。やはり体を動かしながら言葉を話すと定着するという松香フォニックスの考えは正しいのだろう。
3人組の滅茶苦茶ダンスの上手なグループにも感動したし、クラス全員が登場したグループにも別の意味で感動した。そしてどのチームも練習をたくさんしたんだなあと思った。この発表会でも僕はたくさんの笑顔をプレゼントしてもらった。

昔、中学校の謝恩会で初めて舞台で歌ったときのことを思い出した。僕達のグループはギター2本にベース、そしてボーカルというチームだった。貧乏でギターが買えなかった僕はボーカル。その頃はボーカルが一番カッコいいなんて知らなかったから、練習していても何か寂しかったのを覚えている。だけど本番でたくさんの拍手をもらった時、自分の中で何かが変った気がした。もしかしたら今日の子ども達もたくさんの拍手で何かが変ったかも知れない。僕達の拍手が子ども達にとって“自信”というプレゼントになったら幸せである。

今日は本当に寒い一日だった。市民会館の廊下は暖房が入っていたが、会場はともて寒かった。


2月20日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第51弾!

「たかやん議員日記」2005.第51弾!  2月20日(日)

ダチョウ牧場
日曜日になるとダチョウ牧場へ行くのが習慣になってきた。今日はスポンジケーキと卵と魚と野菜を買った。今日の本当の目的は田中幸弘との打ち合わせ。「一般質問の原稿」を持って相談しに行ったのだ。幸弘は年下だが、議員としては20年も先輩。その割に僕は「幸弘!」といつも呼び捨てにしているし、幸弘も「たかやん!」といってくれているので、先輩も後輩もないのだが、僕にしてみると教えてもらうことが山ほどあるのだ。先輩のアドヴァイスはなかなか的確だった。なるほどと思った、たかやんであった。

お寿司
明日から一週間ダイエットをするので、お袋を連れてお寿司屋さんへ行った。栗原にある右寿司は僕の教え子のお父さんの清右さんのお店だ。兎に角腕はいいし、話は面白いし・・・一度行かないと損をすると思うくらいのお店である。昔六中に来てもらって、子ども達に話をしてもらったことがあった。学年全員の子ども達が清右さんに感想を書くと、清右さんは子ども達全員に返事を書いてくれた。そういう素敵な人なのだ。今日も色々と教えてもらったたかやんであった。



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