Diary 2005. 2
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2月21日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第52弾! 

「たかやん議員日記」2005.第52弾!  2月21日(月)

ランニングとスクワット
今日も大泉中央公園へ行った。丁度片山幼稚園の遠足の子ども達と一緒になり、知っている先生に挨拶をした。
空は今日も元気一杯。山を登ったり降りたり・・・転んで泥んこになっていた。困ったのはブランコ。抱っこして乗っていたら、いつまでも降りようとしない。しょうがないから泣いたまま抱っこして、走り始めたらなんとか泣き止んだ。
陸上競技場を30分ほど走った。汗びっしょりになった。捻挫した足首も痛めた股関節も治ってきたみたいだった。空を抱いてスクワット。今日1日で500回くらいやったかな。体力が少しずつ戻ってきているのを感じる。

一般質問の通告
今日の17時が3月議会の一般質問の通告の締め切りだった。会派の控え室へ行くと、善保と幸弘がもう来ていた。3人で色々話しながら1時間半ほど時間をかけて、「一般質問」の通告書を作り、17時五分前に善保と幸弘と3人で仲良く提出した。(17時を1分でも過ぎると受け付けてくれない。)今回は全部で21人が「一般質問」するらしい。(9人はしないということ。)今回の僕の質問は教育長よりも市長への質問の方が多い。この財政難に「教育一本」とばかりは言っていられない。


2月22日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第53弾!

「たかやん議員日記」2005.第53弾!   2月22日(火)

リスニング
朝鮮語の勉強を始めてかなりたつ。ハングルはかなり読めるようになった。でもリスニングは全然だめ。かといって英語が完璧かというと、そんなことはない。12歳の時からもう40年近くやっている訳だから・・・親しみがあって当然なのかも知れないが・・・・。
39年前の新宿区立西戸山中学校の僕らの教室にはミセス・ホワイトというおばさんが毎週木曜日に登場していた。彼女は英語しか話せなかったので、僕らは必死になって耳を傾けた。ミセス・ホワイトを連れてきたのはミスター・中田で、僕らは彼のギターと歌で英語にはまってしまった。PPMを歌い、ジョーンバエズを歌い、そしてビートルズを歌って、僕らは英語を好きになっていった。語学の勉強は面白い。何でもそうなのだろうが、奥が深い。底がない。それでいて、トレーニングをしていると必ず上達する。それが楽しい。語学の勉強に年齢は関係ない。楽しんでしまえばいいのだ。僕はそう思う。
今まで少しかじってきたのは中国語、ドイツ語、スペイン語、そして朝鮮語。ドイツ語以外はまだこれからやってもいいかなと思う。
そして勉強したからには、その言葉を話す国へ行きたい。中国、スペイン、韓国・・・・色んな人たちとその国の言葉で話をしてみたい。でもきっと最後に残るのはやっぱり英語なんだろうな。そんな気がする。テニスやサッカーと一緒で、好きなものはなかなかやめられないから・・・・。

ダイエット
ダイエット1日目。ちゃんと1キロ痩せた。凄いなあ・・・・。新座市の予算も少し痩せていかないかなあ・・・・。体重オーバーだと成人病になってしまうから・・・・。


2月23日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第54弾! 

「たかやん議員日記」2005.第54弾!  2月23日(水)

病気とダイエット
健康の有難味は病気にならないとなかなか分からない。僕は股関節を脱臼骨折して3週間車椅子に乗ったときに、(もう一度思い切り走りたい。テニスをしたい。サッカーをしたい。)そう思った。
本格的なダイエットをやるのは初めてである。ごはん、納豆、マヨネーズ・・・・当たり前のものが物凄い“ご馳走”に見えてくるから不思議だ。今日はお袋のハンバーグを涎を垂らしながら見ていた。ダイエット・・・・食べ物の有難味を感じるには、いい方法なのかも知れない。自分で「断食」をしていると思えばいいのだ。精神も鍛えられるかも知れない。この野菜スープダイエットは1週間と決まっている。5キロ落とすのが目標である。久しぶりに60キロ台の自分に会えると思う。

お母さん
友達のお母さんが突然亡くなった。まだ74歳だった。僕のお母さんより6歳も若い・・・。友達はしっかりとしているように見えたが、内心は違うだろう。お母さんが突然世の中から消えてしまったのだ。覚悟していたこととはいえ、なかなか納得できるものではない。だけど子ども達はみんな母親の死を乗り越えて生きていかなくてはいけないのだ。それが子どもの宿命だ。子どもは親の死に耐えられるようにプログラムされている。だからみんな時間と共に立ち直っていく。だけど逆はいけない。親は子どもの死に耐えられるようにはプログラムされていない。僕もやがてはお母さんに別れを告げる日が来るのだ。そう考えただけで胸が苦しくなる。だけど、僕が先に死んではいけないのだ。お母さんの為に、僕は長生きしなくてはいけない。僕の中にお母さんは生きているのだから・・・・。

一般質問
今回の一般質問は本当に悩んだ。前からしたいと思っていた質問を取りやめにしたのだ。理由は自分でもよく分からない。何故かそういう気持ちになったのだ。お陰で心の中に何かモヤモヤしたものが見え隠れしている。


2月24日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第55弾!

「たかやん議員日記」2005.第55弾!  2月24日(木)

おじさん
昔、五中には物凄く恐い用務員のおじさんがいた。佐倉田さんというおじさんは、その当時まだ40歳くらいだった。本当に恐いおじさんだった。生徒は勿論、教師も生意気なことを言うと「カミナリ」が落ちた。
テニスが上手で、国体にも出たほどの腕前だった。バスケットも上手で、僕らと2時間くらいバスケットをやり続けたこともある。サッカーまで一緒にやった。その当時は学校でお酒を飲むことは当たり前で、僕らは毎月給料日の後の最初の金曜日の晩、和室で「大宴会」をやっていた。
そのおじさんが5日前に夢に登場した。何故かみんなでバスケットをしていた。「おじさん、元気じゃない!」と僕。おじさんは何も言わないで笑っていた。

塾の授業中におじさんの長男から電話があった。「たかやん、親父もう駄目みたいだ・・・・」

塾が終わり、堀の内病院に駆けつけた。おじさんは人工呼吸器をつけていた。薬で眠らされていた。でもおじさんの手は温かかった。「たかやんが来てくれたよ!」とおばさんが言うと、おじさんは目をうっすらと開けて、僕を見ようとした・・・・。

僕は父さんのことを思い出した。人工心肺をつけて眠っていた父さんを思い出して、胸の奥が痛くなった。僕はまたおじさんの手を握った。熱があるのか僕より温かい手だった。

あの頃の仲間達も来てくれたらしい。あの頃一緒に馬鹿をやった中間達が来てくれたらしい。おじさん、もう一度あの頃に戻って、みんなで一緒に五中の校歌を歌いたいね。「光があります、豊です」って。もう一度元気なおじさんを見たいです。ごめんね、おじさん。夢を見た日に直ぐに会いに行かなくて。おじさん。もう一度説教して欲しかったです。




2月25日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第56弾!

「たかやん議員日記」2005.第56弾!   2月25日(金)

第1回新座市議会定例会
あれからもう1年が過ぎた。僕が生まれて初めて議員になってから、もう1年が過ぎたのだ。議場に入るときに1年前の緊張感はない。だけど相変わらず名札を立て忘れ、幸弘に「たかやん名札たってないよ。」と注意されたのだった。

署名議員
今日の本会議でいきなり「署名議員」に指名された。署名議員は会議中退席することは出来ない。僕と文さんはこの3月議会中、つまり30日まで会議中トイレに行くことができないのだ。会議中トイレ?そんなのありかと思うかも知れないが、署名議員以外はありなのである。そして最初の休憩の後、ブザーが鳴ってからトイレに行くと・・・・「署名議員なんだから駄目よ!」と怒られたたかやんであった。

慣習
今日の本会議は会期の決定。市長施政方針、市長提出議案の一括上程並びに説明だった。市長は9時半過ぎから、休憩を挟んで12時過ぎまで一人で原稿を読み上げていた。議会の慣習なのだろうが、みんなに配って読んで置いてくださいでもいいのにと思った。時間の節約になるし、市長のエネルギーも使わなくて済むと思う。

ヒアリング
休憩時間には「一般質問」の通告書に対するヒアリングが行われる。今回の「一般質問」は対教育長だけではないので、教育委員会以外の色々な方が会派の控え室に来られて、新鮮な感じがした。こうして3月議会の1日目が終了したのはお昼過ぎだった。去年の1日目は三役決めでもめにもめて、夜中になったような気がする。こういう日もあるのだ。


コミセン
ひょんなことで3月にコミセンを借りることになった。「有料と無料の境目はどこですか?」と尋ねると「営利目的かそうじゃないかです。」というから「営利目的ではないのですが・・・」と言ったら「登録をしていないと・・・」と言われた。どっちが本当なのだろう。料金を払うことは嫌ではないのだが、同じ新座市民でも登録をしていないと“有料”というのはおかしいなあと思った。料金は朝の9時から夜の9時まで借りて3600円。無料と有料の差は大きい。その他は親切だったので、ちょっともったいないなと思った。どんな公共施設でも市民の立場に立ったサービスがこれからは要求されるのだから・・・・。

おじさん2
仕事の帰りに堀の内病院に寄った。おじさんは苦しそうだったが、必死に頑張っていた。おじさんはうっすらと目を開けて、僕のほうをじっと見て、何か言いたそうだった。そんなおじさんを見て、僕はまた父さんを思い出していた。おじさんが可愛そうでしょうがなかった。言いたいことがあるのだろうに・・・・僕はまた泣いてしまった。


2月26日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第57弾! 

「たかやん議員日記」2005.第57弾!  2月26日(土)

朝はサッカー
今朝も小学生、中学生、高校生、大学生、社会人が入り混じってサッカーをやった。みんなでハチマキをしてボールを追いかけた。もうヘロヘロになるまで走って、帰りは自転車。風が強くて参った。

告別式
友達のお母さんの告別式に出席した。自分の母親のことを想像した。いつかはこういう日が来るんだと思ったら、今母さんを大事にしなくては・・・と思った。午後は母さんを連れて買い物に行った。

今度の一般質問の通告は以下の通り。善保に「俺もたかやんみたいに議員じゃないような、こういう質問がしたいなあ・・・」と言われた。どうやら僕の質問は議員らしくないらしい。僕にはよく分からないのだが・・・・。うーん、勉強不足なのだろう。

財政問題  土地開発公社の現状をどう思いますか?
「街づくりは道路から」というキャッチフレーズで、土地開発公社が先行取得してきた土地がたくさんあると聞いています。今の財政難ではその土地を保持することが新座市の財政をさらに圧迫していくと思いますが、市長はどう考えていますか?
(資料請求) 土地開発公社が先行取得してきた用地とその用途。金額。市の買い取り状況と現在の状態がわかるもの。
また東久留米志木線の予算が昨年承認された訳ですが、本当に今この道路に52億というお金をかける必要があるのかどうか伺います。
市長

道路問題  水道道路の歩道はと切れと切れで非常に危険です。両側に歩道を作るのではなくて、片側だけ作るという方法で時間も短縮でき費用もかからなくできると思いますが如何ですか?
(資料請求) 水道道路の歩道整備の進捗状況のわかるものと今後の予定。
市長

農業問題   これからの日本は「食物自給率」を高めていかなくてはいけないし、農業に従事する後継者を育てていかなくてはいけないと思いますが、市長は新座市の農業の現状をどのように捉えていますか?農業委員会にそういう問題に取り組むよう依頼してはどうですか?
(資料請求) 新座市の農業の実情。専従・兼業別、農業による収入と作物の分かるもの。
市長

教育問題  1.現在新座市の不登校児童生徒の実態を伺います。(資料請求)・・・学校別のそれぞれの人数(家庭に引きこもる、学校の相談室を利用している、適応指導教室を利用している、等。)またピュアサポーターの実態についても伺います。資料請求(ピュアサポーターの実績がわかるもの。実働場所、実働人数、実働時間等。)
新座小跡地を適応指導教室に利用するという考えはないか伺います。家庭学習支援ができないかどうかも再度伺います。
市長 教育長

2.2000年に起きた二中の二年生の自殺について再度お尋ねします。その当時の教師達はその生徒をどのような生徒だと思っていたのでしょうか。またその際の生徒指導の様子を具体的に教えてください。
(資料請求) 教育委員会が当時の二中の2学年担当教員から聞き取り調査した際の文章全部。
教育長

3.英会話  1年間、新座市の小中学校を中心に「英会話」の授業を参観してきました。色々な問題点も見てきましたが、子ども達が劇的に変化してきたのも事実です。これからの新座の教育を高めていくうえで、非常に重要な役割を担うと思われますが、改善すべき点とこれからの展望を伺います。また財政が非常に苦しい状態ですが、小学校全クラスに毎年1冊程度の「英語の絵本」を揃えることは可能ですか?
市長 教育長

*告別式で今の2中の校長と教頭に会った。校長は僕の大好きなK先生だ。僕の一般質問で「二中」という名前がでることが随分気になったらしい。そうなのだ。今の二中のほとんどの先生や子ども達には関係のないことなのだから。これからは「二中」という名前を極力出さないで、陵平のことを語ろうと思ったたかやんであった。



2月27日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第58弾! 

「たかやん議員日記」2005.第58弾!  2月27日(日)

12月の一般質問です。こんな風に僕は質問しました。記録はテープを起こしたものをそのまま使わせてもらいました。陵平の両親の陵平に対する思い、そして当時の二中の子ども達への優しい思いが伝わってくれたらと思います。その思いは今でも「命の応援団」として続いています。次回の「命の応援団」は3月6日(日)18:00〜20:00 にいざほっとプラザ5F会議室で行われます。次回で24回目ですが、当時の二中の先生や教育委員会の先生方が一度も誰一人として参加されてないのが残念です。(連絡先048−478−4489 小松とし子)
英会話については12月とは反対の立場で今回は質問することになりそうです。新座中の英会話についても1学期より格段に進歩したという話を色々な方から聞いて、努力されていたんだなあと申し訳なく思いました。昔僕の周りにいた英語の先生達が凄すぎたのかも知れません。そもそもそうやって比較すること自体がいけないのかも知れません。とにかく新座の子ども達を応援したいという気持ちで一杯なたかやんです。では議事録をどうぞ。

 ◎高邑朋矢議員

〇議長(三村邦夫議員) 続いて、11番、高邑朋矢議員の一般質問を許可いたします。
  11番、高邑朋矢議員。
   〔11番(高邑朋矢議員)登壇〕
〇11番(高邑朋矢議員) 11番、高邑朋矢です。教育問題4点、質問いたします。
  最初は、中学校の生徒指導についてお伺いします。この写真を出すのはこれで4回連続4回目です。もういいではないかと思われる方も多分いらっしゃると思いますけれども、どうして私がここでこの話題を続けているかというと、陵平はもうしゃべることができないからです。彼の痛みだとか苦しみだとか恐怖だとかそういったものをしゃべれる人は私しかいない。私は今そういうふうに思っているのです。どうして私しかいないかというと、やはりその当時の、今のではありません、その当時の二中の雰囲気を一番よく知っていて、話すことができるのは、私しかいないのではないか、そういうふうに思っているわけです。
  たくさんいろんなことをこの1年間で3月から聞いてきたのですけれども、まだまだ話し足りないことが陵平もたくさんあるだろうし、私もたくさんあります。皆さんにきょうはその当時の、4年前の当時の10月2日にちょっと戻っていただきたいと思います。二中の体育館で行われた陵平が亡くなった次の日の全校集会の様子です。二中の生徒の気持ちになって聞いても構いませんし、先生の気持ちになって聞いても構いません。何かを感じてくれたらと思います。「この後、大貫陵平君のご両親からそれぞれお話をしていただきます」。陵平のお父さんです。『おはようございます。たくさんの人に足を運んでもらって、とってもうれしく思っています。きょうは校長先生にご無理を言って、この場でお話ししたいことがあって、こういう場所をつくってもらいました。今の黙祷の間、僕は目をつぶりませんでした。みんなが寄せてくれている思いを見ておきたかったからです。結構そういうやつって嫌な性格と思いません……。みんなが目をつぶっているのに、1人だけ違うことをしているやつって。もし陵平が僕みたいにちょっとひねくれた気持ちとずる賢い気持ちを持っていたら、あいつはまだそこに座っていると思う。きょう一番したかったのは、僕の大好きだったあいつが最後に書いた文章をみんなに伝えたかったんです。これから読みますから聞いてください。理解しなくていいですから、自分だったらどう感じるかなと一人一人の自分の気持ちで聞いてください。これから読む文章は二つあります。一つは反省文と題された文章です。
  「反省文。2年5組、大貫陵平。僕は、9月29日に昼休み中に廣谷君たちとベランダに出て話をしていました。そのとき廣谷君がハイチュウを食べていて、僕も食べたくなって、ハイチュウをもらって食べてしまいました。今思えば、本当にばかなことをしてしまったなと思います。お菓子を食べている人は、2学期に入ってから少し見かけていましたが、一度も注意をしませんでした。議長で、中央委員で、部長で、班長で、みんなにたくさんの仕事を任されている自分が注意一つできなくて、ついに自分自身が食べてしまったのが情けないです。また、池田先生が一人一人確認をとっていたとき、全員大丈夫ですと言っていたけど、そんなわけないのもわかっていました。そのとき何も言えなかったことを、今では何をやってたんだろうと思います。本当に済みませんでした。ライターを持ってきたのは僕です。スプレーとかにはつけてないけれど、持ってきてしまいました。そのときは軽はずみな気持ちでした。別に何をしようとか考えず持ってきていました。今後どのように罪を償うか考えた結果、僕は2年5組の教室を、放課後、できる限り机の整とんとごみ拾いをします。また、合唱祭の練習をたくさんやって、みんなをリードして、一生懸命頑張ります。仕事を進んでやり、みんなのクラス、学級の役に立てるよう頑張ります。これからは自分に注意できるようにします。今回は先生方の貴重な時間をたくさん使ってしまって、本当に済みませんでした。今後絶対にこのようなことのないように、気をつけて学校生活を送ります。済みませんでした」。
  そして、もう一枚です。「死にます。ごめんなさい。たくさんばかなことをして、もう耐えられません。ばかなやつだよ。自爆だよ。じゃあね。ごめんなさい。陵平」。あいつは確かにばかなやつです。おれたちをこんなに苦しめて、ばかなやつです。でも、精いっぱい生きたやつです。自分が生きれる限界まで生きて、耐え切れなくなって、生きることをやめた男です。ばかなやつですけれど、おれはいまだにあいつが大好きで、誇りに思っています。1枚目の反省文を病院で初めて読んだときに感じたことがありました。そのとき頭に浮かんだ言葉は、軍隊という言葉です。規則で人間を縛りつけ、その規則から外れた人間を罰し、その規則に従うことを無理強いし、そこから外れた人間には生きることを許さない、そんなイメージを浮かべました。だから、最初に言ったように、もしあいつがルールや約束に縛られずにちょっとずるいことができれば、きっとこんなことにはならないんだろうなと思いました。そして、2番目に気づいたことは、感じたことは、「先生方の貴重な時間をたくさん使わせてしまって、済みませんでした」という言葉の違和感です。みんな一人一人ちょっと想像してほしいんだけど、「先生方の貴重な時間を使わせてしまって、済みませんでした」って、自分の気持ちから出てくるかな。それで、これ、先生がみんなに向かってあるときどこかでそういう言葉をはいたんだと思う。「おれたちの貴重な時間を使わせやがって」。こんな乱暴な言葉かどうかわからないけれど、そういうふうに言ったんだと思う。だから、陵平がここに書いたんだと思う。そういう思いでこの反省文を何度も何度も読み返してみた。ここにはたくさんの周りからの圧力を感じているんです。みんなこの学校、居心地がいいですか。楽しいですか。多分12、13、14、15歳もいるのかな、仲間たちと会って、クラブ活動とか恋愛とかそんなことをしているのがすっごく楽しい時期で、ほんのちょっとしたことで笑ったりとかけんかしたりとかそんなことをたくさんできるすごく豊かな時間のはずです。みんなそういう豊かな時間を今過ごせているのかな。もしそうじゃないとしたら、嫌なことがあったら、許せないことがあったら、黙ってないで言おうよ。だれにでもいいよ。友達にでもいいよ。おれにでもいいよ。先生にでもいいよ。言おうよ。生きてなきゃしょうがないじゃん。
  陵平は本当に追い詰められちゃって、どうしようもなくなって死んだんだと思うんだ。なぜかってね、おれとあいつ、大切な約束をしていたんだ。あいつは小学校2年生のころからオートバイに乗っていて、結構速いやつだったんだけど、おれもずっとこのレースを続けていたから、あいつが免許を取れるようになったら、毎年岩手県で開かれている大会に一緒に出ようと。こっちではなかなか見ることができないんだけれども、テレビ放送もされていて、親子で出ると大抵珍しがってたくさん映してもらえるから目立っちゃおうよ、一緒に走ってって。ついこの間も、あと3年だね、そんな話をしていたんです。妙にきまじめなやつだから、そんな約束を普通なら絶対に破らないんです。でも、あいつ、約束破って、家族を置いて、飛んじゃったよ。みんなね、そう、先生たちもそうだよ。あのマンションに来て、10階のあの手すりから下を見てくださいよ、一人一人。それがどれくらい怖いことか。そして、その恐ろしさを乗り越えるその思いというのがどれほどのものか、一人一人体験してくださいよ。正しい答えを見つけようとしなくっていい。ただ、見て感じてくれよ。
  最後に一言、おれが今陵平に本当に一番言いたいことを言います。それは、ばかやろうということです。「ざけんなよ、てめえ。勝手なことしやがって」』。これが10月2日、4年前の隆志さんの全校集会でのスピーチなのです。そのときの父親の気持ちが私はよくわかります。
  3月からずっと教育長といろいろやりとりがありまして、幾つか考え方だとか事実だとかわかったことがあります。3月議会では、あの事件は私の中では課題であると。カウンセリングマインドというのが生徒指導では大事なのだと。ただ、規則を守ることが基本的に大事で、社会生活の基本を身につけさせてあげたいから、悪い芽は小さなうちに摘みたいのだと。そして、守らない子供を指導したのだから、何ら問題はないと。私が1か月間どうして学校側と両親が話し合いができなかったのか。事実を伝えられなかったのかという質問に対しては、本当にどうしようもない出張で、いろんな経過があるので、それで理解していただきたいと、そういうことを言われたわけです。
  6月の議会では、ではどういうことを具体的に教育委員会や学校はされたのですかという質問をして、資料請求をしました。そこでわかったことが幾つかあったわけですけれども、最終的には段階的な指導であって、問題はないと思うと、あの指導に問題はないという答弁でした。
  9月の議会では、その提出された資料は非常に手落ちがあるというか、具体的ではないということで、いろんなことを確認していったわけですけれども、10月1日には教育長が両親のところへ行って名刺を出されたことも確認しました。そして、1か月かかったことについては、学校内で起きたことではないから、調べるのに非常に時間がかかったのだと。最終的には、このときだけ新しい方法を使ってはいないと。普段のままの指導法をやったのだから、今まで問題が起きていないのだから、この指導法はあの事件とは関係ないのだと。陵平が亡くなったこととは関係がないのだと、そういうふうに言われたわけなのです。
  それで、この12月議会なのですけれども、複雑なようで、こんなことに置きかえていいのかちょっとわからないですけれども、サッカーをやっていまして、私はサッカーが好きでよく見るのだけれども、陵平たちがサッカーをやっていたわけです。ある子がユニフォームを引っ張ったと。ささいなことなのです。ユニフォームを引っ張る。でも、反則は反則なのです。そうしたら、レフェリーがいきなりレッドカードを出して退場させたのです。理由が、今までそれを随分注意してきたではないかと。要するに、イエローカードの累積でレッドみたいな形で出したわけです。それが教育長の言われる時系列の問題だと思うのですけれども、ただ生徒たちはどういう指導がされるかわかっていたと思うと言われたのですけれども、そのときの子供たちは本当にわかっていましたか。自分がやって、おまえが例えば5回目ではないかと、これは何かあきらめもつくと思うのですけれども、多分陵平は初めて警告をもらったはずなのです。今までほかの子たちはやってきたかもしれないけれども、彼らがやってきたわけではない。それなのに、担任が、レフェリーですね……
〇議長(三村邦夫議員) 高邑議員、時間が大分進んでいるから、四つの問題を。時間がちょっと。
〇11番(高邑朋矢議員) あと十分ですね。自分がやってきたことなら納得できるかもしれないけれども、そこで1時間半立ったまましかられて、反省文を書けと言われて、親に連絡がいって、しかも学年集会で決意表明をしなさいと。これは、子供たちが予想したことをはるかに超えていたというふうに私は思っています。
  最初の質問は、9月議会で言われたように、本当に学校にはそれでも責任がないと、そういうふうに思われるのでしょうか。それが1点です。
  それから、最近ご存じの方も多いと思いますが、新座市内の中学校でガラスが割れたり、体育館でぼやが出たり、いろんなことが起きているわけなのですけれども、そういうことと、そういうちょっとユニフォームを引っ張ったようなことであっても、例えば学校に入れないとか、親に通報してしまうとか、親を呼びつけるとか、そういったことが行われているわけなのですけれども、そういったことが関係ないかどうか。教育長はどういうふうに生徒指導の問題をとらえているでしょうか。その関連性をちょっとお聞きしたいと思います。
  それから、2番目は英会話なのですけれども、9月議会で資料を請求したのですけれども、5,000万円ほどかかる事業だということで、かなりのお金を使っているわけです。私は松香フォニックスのことはよく知っているつもりで、本もあるのですけれども、これはなかなかいい、確かなことを言っているのです。子供たちで英語を読めない子たちが、英語のつづり語を見て読み方を想像するという、例えばFATでファットという太ったという意味がありますけれども、その後ろにEをつけるとフェイト、運命になると。田中幸弘君にEをつけると運命になるという、そんなことを言いながら教えると子供は喜ぶわけです。それがマジックEという法則です。それから、礼儀正しい母音というのがありまして、GOAT、ゴート、ヤギです。これは母音が二つ並ぶと、2番目の母音は発音しないよと。最初の母音だけがそのままのアルファベット読みをしますよと。なるほど、子供はこれで納得するのです。ゴアトとは読まなくなります。ゴートと読むようになります。
  私は松香フォニックスが好きでずっとやっていましたので、松香フォニックスが嫌だと言っているのではないのですけれども、9月の議会の教育委員会から出された資料の中にも、小学校の低学年はいいと。でも、高学年はちょっと余りいい話はないし、中学生も1年生はいいけれども、2、3年生はなかなかちょっと大変だということが教育委員会の資料でもわかるわけです。特に私が問題だと思うのは、英語加配教員だけでなく、英語の教員が英会話の時間の指導を担当できるような体制づくりが必要であるというところなのです。つまり実際の今まで子供たちがずっとかかわってきた英語の先生が、AETと一緒にTTができない、チームティーチングができないのですね、今のシステムでは。つまり子供たちのこともよく知っている、英語でもベテランだ、その先生とAETがやりとりすれば、当然かなりいい授業ができるわけです。ところが、加配の先生というのは女の先生が多分ほとんどだと思うのですけれども、何人か男の先生がいらっしゃると思いますが、まず生徒指導から入らなくてはいけないという非常に厳しい状況なのです。
  私は、効果があることはやってほしいと思うのですけれども、この間新座中の英語の授業を見て、前と比べてどうかといったら、私はちっとも効果があるようには思えませんでした、残念ながら。生徒はよかったですし、先生たちも一生懸命やっていました。ただ、では英語の効果があるのかと聞かれたら、私は昔の授業の方がかなりよかったのではないかなというふうに思いました。ちょっとほかのシステムで、もっと安上がりな方法で、自分たちでプログラムを組んで、委託しないでやれる方法はないのかどうか、それをお伺いしたいと思います。
  それから、3番目は学校公開のことなのですが、9月の議会でふだんの授業が見たいと、見せてほしいと言いましたら、教育長は事前に手続をいただければいつでも公開いたしますと、そういうふうに議場で約束をしてくれたのです。それで、私は金子部長にこの議場で、では6年生の英語の授業と中学1年生の英語の授業を全部見せてほしいと。オーケーをもらったのですけれども、9月の議会で議場で約束してくれたのに、ついに連絡が来ませんでした、2か月間。これはどうしてなのでしょう。
  それから、教育週間ですけれども、こういうパンフレットを見て、新座市教育週間、1週間学校公開しますよと、新座市はどんどんオープンにしていますよと言っているのですけれども、実際にふたをあけると2日間しかやっていない。小学校でも多いところは4日、少ないところは2.5日、中学校は1日のところもあるわけです。これはやはり口で言うのは本当に簡単なのですけれども、実行してもらいたいなというふうに思います。
  最後に、不登校の問題なのですけれども、この間志木市へ行ってきました。志木市の市長は、地方自治体には多くの行政問題がありますが、最も大切なことは教育ですと、非常に教育に対して熱意をお持ちなのですけれども、新座市長は教育に対してどういうふうにお考えでしょうか。
  それから、志木市はホームスタディー制度というのがありまして、家にいても、それから適応指導教室にいても、もちろん学校でも、学校の相談室でも、どこでも勉強ができるというシステムなのです。新座市もそういうことができないだろうか、あるいはそれ以上のことができないだろうか。公共施設を利用してそういったことができないだろうかということをお聞きしたいと思います。
  それから、適応指導教室という呼び名なのですけれども、もし自分の子が学校へ行けなくなったときに、適応指導教室へどうぞと言われたら、ちょっと行きづらい感じがするのです。もうちょっと違った呼び名はないでしょうか。例えば旧新座小の跡に第七中という名前をつけるとか、大正小という名前を復活させるとか、もうちょっとそういう方法はないでしょうか。
  それから、新座市の適応指導教室も見たのですけれども、一番足りないなと思ったのは音楽と体育の授業はできないということなのです。私は、不登校の専門家ではありませんけれども、そういう子たちとも長くかかわってきましたので、結構大事なのが一緒に汗を流す体育と、一緒に心を和ませる、あるいは歌を歌う音楽だと思うのですけれども、新座市の適応指導教室は雰囲気はとっても明るかったのですが、運動する場所がありません。ピアノも置いてありません。設備は非常に不備です。メンバーとしては、そこにおられる先生方はとっても感じはよかったのですけれども、そういう点では非常によかったですが、では子供たちに対する設備が行き届いていたかというと、私はノーだと思います。そういう意味でも、児童館だとか、あるいは旧新座小の跡地だとか、グラウンドもあるわけですから、体育館もあるわけですから、そういうところを利用しての適応指導教室、名前は余り好きではないのですけれども、そういうものができないかどうか、伺いたいと思います。
  以上で1回目の質問を終わります。よろしくお願いします。
〇議長(三村邦夫議員) 暫時休憩いたします。
   休憩 午後 2時29分

   再開 午後 2時49分
〇議長(三村邦夫議員) 休憩前に引き続き会議を開きます。
  教育長。
〇教育長(臼倉正尭) 教育問題についてのご質問にお答えをいたします。たくさんありますので、簡潔に答弁をさせていただきます。
  まず、1点目であります。二中の件については、今でも大変私としては重い課題になっております。このことについて学校に責任がないのかというこういうご質問であります。人が生きていく上では多くの人とのかかわり、あるいは広い社会、もちろん教育界でも子供たちは生活をしているわけであります。そういう多面的にいろいろと考えていくと何かあるかもしれませんけれども、学校にあるかと、いわゆる一面的に問われれば、あるという認識は持っておりません。
  あわせまして、ガラスの破損の問題の関連がありましたが、ガラスの破損につきましては、現在だれがやったか一切わかっておりません。したがいまして、これについてはちょっと答弁のしようがございません。
  2点目の英会話のご質問であります。いろいろと前と比べてよくないとかというお話があったわけでありますが、見る人によってはよかったという人もいるし、いろいろだろうと思います。そういう点につきましてはともかくとしまして、英語指導の教員が英会話の指導を一緒にできないという、これはそういうことは一切ございません。そういうシステムにはなっておりませんで、やるやらないは、これは学校の中の話でありまして、これは校長の権限でやることであります。
  3点目の学校を見せてほしいと言ったときに、連絡が来なかったということでありますが、これもちょっとよくわからないのですけれども、いつもご答弁申し上げておりますが、通常の手続をしていただいて議会事務局を通して教育委員会へ申し入れをしていただきまして、学校との具体的な日程調整を手続をした上で公開をいたしているところでありますが、何かちょっとよくわからないのですけれども、その後日程調整の相談がなかったというお話なので、私どもとしてはちょっとこの実態についてはわかりません。とにかくそういう通常手続を踏んでいただければと思います。
  それから、学校公開日につきまして、何かことしは少なかったと、実際に1週間やるというのに2日間あるいは4日間だったというお話で、これはそのとおりであります。これも前にも答弁申し上げておりますが、ことしは国体の影響でいろいろな行事にしわ寄せが来ました。そういうことで、この11月の第1週の教育週間のところに秋の陸上大会等が入らざるを得なくなってきたというようなことでありまして、そのために中学校は1日ともう一日、土曜日の日に2日間、小学校は2日から4日間のうちの日数は2日から4日の間、学校によって多少違います。ということで開かれております。原則市としては教育週間と銘打っておりますので、市内全校の公開をすることを原則としております。去年はやったのですけれども、ことしはそういうわけでちょっと国体の関係で影響を受けてできないものも一部あったということを申し上げているところであります。なお、1週間丸ごと公開、全市を挙げてという市は、県内にもまずそうはないというふうに私どもは自負しております。
  それから、ホームスタディーの志木市の件でありますが、志木市のこのホームスタディー、今現在生徒が2人いるということは承知しております。そういうことの情報も県内のあらゆるこういう不登校対策とか生徒指導関係の情報は把握をしながら、何か活用できないかということで絶えず努力しているところでありますが、学習等の指導も、これはうちの市も当然さわやか相談室とかふれあいルームとかいろいろそういう対応でしているところでありまして、特に志木市と変わったような内容というのはほとんどないのが実情でありまして、むしろ私どもの方のピアサポーター制度、これはご存じかと思いますけれども、ピアというのは仲間とか同志とかいうのでしょうか、それからサポートはお互いに相談して助け合うとかそういう意味になると思います。そういう制度をもうつくって、実は不登校対応もあるのですけれども、不登校にならない、不登校になる前の対応、先手を打つのを何かできないか、いわゆる不登校防止の方策がないかということで考え出したのが、このピアサポーター制度であります。もちろん不登校になった子への対応もピアサポーターはしておりますが、一緒になって、お互い仲間になって、ちょっと何か悩みがあったら相談しやすいお兄さん、お姉さんがそばにいるということ、そういうのも防止の一つになるのではないかというので導入したのがこのピアサポーター制度でありまして、私どもとしてはこういう不登校児童に対するあらゆる情報を集めながら、とれる精いっぱいの努力をしているところであります。
  個名は、その適応室という言葉はどうなのだということですが、実際にはふれあいルームとなっております。また、そのふれあいルームには音楽室あるいは体育がないというお話がございました。実際に体育につきましては月1回程度になってしまうのですけれども、野火止公民館で2時間程度定期的に体育については行っておりますし、調理実習等も公民館を使ってやっていると。3階のふれあいルームの大きい部屋では卓球をやったり、そういうふうにして、庭には今度余り大きくはありませんけれども、野菜がつくれる花壇的なものもつくって、そういう実習も一緒にしているとか、この間も私が行ったらたまたまやっていたので、声をかけたら、一生懸命汗を流してやって、楽しそうにやっていたわけでありますが、そういう工夫をしているところでありまして、精いっぱい現状の中で努力していきたいということであります。
〇議長(三村邦夫議員) 市長。
   〔市長(須田健治)登壇〕
〇市長(須田健治) 高邑議員から私にもご質問いただきましたので、見解を述べさせていただきたいと思います。
  志木市長の例を引用されてのご質問でございますけれども、私も志木市長と同じように、この地方自治体を取り巻く環境は厳しいものがございますけれども、多くの行政課題があるわけであります。しかしながら、その中で教育も最も重要な課題の一つと、こういうふうに考えておりまして、志木市長は最も大切なのは教育だと言ったというお話ですが、私はやはり教育も最も重要な課題の中の一つと、こういうふうに認識しているというふうにお答えをしておきたいと思っております。
  それから、教育行政における政治的な中立性、この確保、これも法で規定がございますので、その観点から市長としては教育行政に直接の関与はできないというふうになっております。しかしながら、やはり地教行法あるいは地方自治法等で規定がございますように、予算の編成権は市長にございますし、また調整権、さらには財産の取得、契約締結権、予算執行権、こういったものは市長の権限ということになっておりますので、今後とも教育委員会の意向も踏まえながら、予算調整の段階で市長として全力でバックアップをさせていただきたい、こういう考え方でございます。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) まず、1番目の質問なのですけれども、学校の責任は一面的にはないと、そういう答弁なのですけれども、ここに平成12年10月31日の事故報告があるのです。「埼玉県教育委員会教育長様。新座市教育委員会教育長、臼倉正尭。児童生徒事故について報告。このことについて、管内新座市立第二中学校に事故が発生しましたので、下記のとおり報告します」。いろいろあるわけですが、最後の所見のところに、「大変痛ましい事故が発生し、ご家族の方々に深く哀悼の意を表します。市教委といたしましては、日ごろより命の尊重について道徳特別活動を初め、さまざまな教育活動を通しての取り組みを繰り返し実施するよう各学校に対し指導を行っていたところであります。事故発生後は直ちに臨時校長会議を開き、改めて命の大切さの指導の徹底と生徒指導体制について指導しました。今後同じような事故が発生しないよう、一人一人の児童生徒のより一層の理解に努めるとともに、命の大切さについての指導の徹底を学校に対して指導していく所存であります」。これを読みますと、生徒指導体制について指導しましたと。指導したということは、その体制がよくなかったと、生徒指導の体制が間違っていたから教育委員会は指導したのだということを教育長として私はやりましたと、こういう指導報告だと思うのです。
  さっきも言いましたけれども、陵平たちはお菓子を食べた。確かにルールは破っているかもしれないけれども、反省文を書かせて、学年の生徒の前で謝罪をするような、決意表明をさせるような、あるいは親に通報するような、そういう一発退場的なレッドカードをもらうようなことは余りしていないのではないかと思うのです。片方、先生たちが今度はどうだったのかということになったときに、きっとチェアマンの教育長がそこでいろんな判断をされたと思うのですけれども、先生たちの方は、生徒たちには「ほかにもいないの」と、「君たち、キャプテンでしょう。まさかそんなファールをするとは思わなかったよ」と、「ほかにもいたら教えてちょうだいな」と、「内申があるのは知っているよね」、そういうような多分指導をしたと思うのです。強い指導はしていないということですけれども、中学校2年生ですから、正直にみんな僕がやりましたとか、あいつもやりましたとか、こう言っているわけです。だけれども、教育長は調査をしろと、しっかり調べろと言っておきながら、調査は学校自体がしているわけです。言ってみれば、ファールをした人たちに調べさせているわけです。当然おれはファールやっていない、ファールやっていないというふうに言うに決まっているではないですか。何でそれを教育委員会が実際に出向いて判断をしなかったのか。
  それから、学校は調査したと、時間をかけて調査したと言っていますけれども、生徒の調査をしましたか。そのとき、陵平と一緒にいた子供たちの調査をしましたか。それから、学校に問題がないとしたら家庭に問題があるわけですから、家庭の調査をしたのですか。子供たちの調査もしない。家庭の調査もしない。ただ、調査をしたのは先生たちだけでは、これは幾ら何を調べてもファールをしたと名乗り出てくる人がいなくても、これは当然ではないのですか。そこら辺を、この教育委員会に対する事故報告もそうですけれども、教育委員会に対しては教育長は、生徒指導体制について指導しましたと、間違っていたから指導したわけですね。そういうふうにちゃんと言っているわけですよ、教育委員会に対しては。片方ではそういうふうに言っているわけです。だけれども、陵平の両親を初めとして議会では、学校には責任がないと。これはおかしいではないか。その辺の見解をお聞きしたいと思います。
  それから、ガラスの事件は調査中ということだったのですけれども、これは49枚割られたというふうに聞いているのですけれども、ほかにも割られたりしていないのでしょうか。私はどうしても気になるのは、結構このガラスの割られた学校を見てきていて、子供たちはよくなっていると、前よりもよくなっていると、落ち着いているというふうに思うのですけれども、それでもやっぱり何か服装だとか頭髪だとかそういったものに学校のルールにそぐわないものがあると、子供たちの学習権よりも先に帰りなさいと。あるいは、ほかの学校でもあめやガムが見つかったときに、正座をさせて、反省文を書かせて、あるいは親にすぐに連絡をするということが市内の至るところで行われているわけです。これは、いろんなところに子供たちの不満が出てきてもしようがないのではないかなというふうに、一概には言えないですよ、いろんな問題を、私も中学校に長い間いましたので、一概には言えないけれども、そういうふうに最初から排除していくようなやり方というのはどうかなというふうに思います。
  それから、英会話の方ですけれども、見る人によって大分違う。それはもう確かなことなので、それはしようがないと思いますけれども、学校に任せてあるということなのですけれども、その学校に任せているのが私はよくわからないのです。新座市を挙げてやっているプロジェクトを、学校に任せてやっているでいいのですか。だって、松香フォニックスのやり方が大事なのだと言っているのは教育委員会ではないですか。それなのに、プログラムをやる方は学校なのだから、学校のやり方に任せると。それは余りにもおかしいと思うのです。市の教育委員会からの資料の中に、英語の教員が英会話の時間の指導に担当できるような体制づくりが必要であると書いてあるのです。わかりますか。教育委員会からもらった資料の中にそう書いてあるのに、そんなことはありませんというのはちょっとおかしいのではないですか。
  それから、授業を見せなかった理由がよくわからないというのです。聞きたいのは私がわからないのですけれども、通常の手続というのは何ですか。金子部長に見たいと言ったのでは通常の手続ではないのでしょうか。議会事務局を通さないと、要するに議員は見れないと、そういうことなのでしょうか。校長や教頭の中には、どうぞいつでも見に来てくださいと言われている方はたくさんいるのです。いるけれども、手続を踏んでくれと教育委員会が何度も念を押すので、私は一番まともな作戦というか、しかも議場でお願いをしたわけです。だから、今ここでお願いしてもいいですか。新座市内の小学校6年生と中学1年生の全部の学校での英語の授業をぜひ見せてください。お願いします。
  それから、教育週間のことなのですけれども、確かに国体はありました。でも、国体があるというのは多分何年も前からわかっていたことですよね。要するに国体を大事にするのか、子供たちの学習活動を大事にするのかの問題ではないですか。あるいは、この教育週間ということを本気で考えているのかどうかということなのです。もし考えているとしたら、もっともっと授業を見せてもいいのではないですか。校内作品展だとか音楽会だとかそういうものはかなりの学校でそこに充てられているわけです。やっぱりそういうのを見たい人はもちろんいますよ、私だって音楽会や合唱コンクールは好きですから見に行きたいと思うけれども、今一番市民の関心があるのはふだんの授業なのだから、議場で新座市はもうどんどんオープンにしていますと言っている以上は、教育週間はもちろん、ほかのときでももっともっと楽に学校の授業を見れるような、そういうシステムを考えられないでしょうか。ましてや教育週間と1週間公開している学校は埼玉県内にいませんよと胸張って言っても、実質的に2日では、これは胸なんか張れませんよ。
  それから、市長の考え、思いはよくわかりました。重要な課題の一つであると。よくわかりました。ありがとうございました。
  それから、ふれあいルームという名前があって、時々公民館で体育や調理実習、卓球をやっていると。これはとてもいいことだと思います。私が提案しているのは、それを日常的にやったらどうかということなのです。志木市と差はないと言われましたけれども、まずホームスタディーというのが新座市にはありません。家に行って教えるというシステムがない、もうそこでまず負けています。それから、志木市の適応指導教室は志木総合センターというところにあります。つまり図書館はあるし、要するに児童センターみたいなところなのです。非常にきれいなところで、普通の人もいっぱい出入りしているところで、非常に環境がいいわけです。志木高校のすぐ目の前なのですけれども。新座市の適応指導教室は、とっても寂しいアパートのどう見ても入りたくないようなところで、中はちょっと明るくて、中にいらっしゃる先生方はとっても明るくて、私はちょっとほっとしたのですけれども、中学生の女の子が8人しかいませんでした。ほかの学校に相談室とか保健室にもしかしたら行っているのかもしれませんけれども、前回の統計ではやはり100名近い不登校の生徒がいるわけです。その子たちのことを考えたときに、やはり新座市は何とかしてくれるのだというような気持ちを、夢があるような、そういう何か方法を考えてもらいたいなと思うのです。
  1か所しかないと、小学生が通うのはとても無理です。新座市の適応指導教室もふれあいルームですか、小学生は一人もいませんでした。遠くて通えない子が必ずいると思うのです。各児童センターあるいは公民館、それからさっき言いました新座小の跡地、体育館だとか校庭だとかがある跡地、そういうところを利用すれば、かなりのことはできるのではないかというふうに思います。
  今予算が大変で財政が苦しいと。当然こういうことをやるとお金がかかると私も思っていました。志木市へ行って聞いたら、20人の今サポーターのようなボランティアの方がいて、有償ボランティアと言っていました。有償ボランティアがいて、最初の1年目の予算は200万円計上したと。だけれども、実際には1年目は70万円、2年目は60万円でできたのだと、こう言っているのです。だから、やっぱり知恵を使えば、自宅へ行ってそういう児童館でもオーケーで、しかも学校でもよくてという子供たちにとってはいろんな選択肢がある、そういうことがかなり安い予算でできるわけです。ですから、あそこ1か所ではなくて、ほかの施設も利用したようなそういう新しいことが安い予算でできるのではないかと思うのですけれども、いかがでしょうか。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正尭) 再質問にお答えをいたします。
  まず、1点目、第二中学校の件につきまして、県の教育委員会へ出した市教育委員会からの文書についてのご質問であります。間違っていたから指導しました、新しく指導しましたというふうに書いてあるのではないかということでありますが、そういう意図は全くございません。何でもそうですけれども、事故が起こったり、あるいはいろいろなことが起こった場合には、改めてそこでもう一度指導する。交通事故が発生しました。大変です。絶対にもう起こさないように頑張りましょう。こういうのはつきものでありまして、始終出しているわけでありまして、この場合も同じように緊急に校長会議を招集して、こういう事件が起こって大変だというようなことで説明した。それを報告したところであります。
  それから、もう一つは、調査で、教師が子供たちに内申書をちらつかせて調べたとかというようなお話が今ありましたけれども、そういう話は一切聞いておりません。むしろ非常に慎重に学校は調査をしたということを承知しております。
  生徒に調査をしたのかということでありますが、これももう再三お答えしているのですけれども、生徒にこういう場合に調査をすることは非常に困難であるということで、これはカウンセラーの指導あるいは警察等の話で、生徒にこういうことについて調べるべきではないというような指導を受けておりましたから、調査はいたしておりません。
  学校へ教育委員会が出向いて調べなかったのか。これは教師に対しては面接をして、全部調査をしております。
  家庭の調査をしたかというのは、家庭のちょっと意味がわからないのですけれども、要するに学校でいろいろと状況調査を学校なりにし、教育委員会が出向いて、個々に教師の聴聞をしたということであります。
  それから、ガラスとこの問題との因果関係というか、つながりということにつきましては、私は全く別に考えたいと思っております。ガラスにつきましては、これはもういろんな要素があると思いますから、一つの理由だけでこんなことをするということはあり得ないと思うので、それこそ社会的な大きな問題であろうというふうに私どももとらえておりますし、学校でガラスの割った者の特定ができない現在、そのことについて触れることは大変難しいと考えております。
  それから、英会話については学校に任せると言ったのは、英語教員とAETといろいろとチームを組むのは、これは学校でやることだから、それは学校の問題ですよと、校長の権限ですよということを申し上げたわけでありまして、英会話そのものの全部を任せていると、そういう意味ではありません。何度も申しておりますけれども、英会話のカリキュラムにつきましては教育委員会はプロジェクトチームをつくりまして、そこで市としての方針を全部出して、その方針をもとに松香フォニックスの方でカリキュラムを組み立てていったという経過がありまして、全部教育委員会の指示によって行われていることであります。何か全部を任せてしまって、何でも丸投げのような印象をお持ちのようですけれども、全くそれは違いますので、ご理解いただきたいと思います。
  それから、国体を大事にするか、子供を大事にするかと、これはまた全然比較にならないかなと私どもは考えるのですが、再三申し上げているように、今回そういうことで、実は11月1日から1週間できないのだったら、前後のどこかへできないかと随分当たりました。当たったのですが、それぞれぎっしり入っております。いわゆる秋の行事が入っておって、なかなかそれがもう融通がつかないという状況でありまして、結果的に本年はそういうふうになったということであります。
  ふれあいルームの件につきましては、志木市にはホームスタディーがあって、新座市にはないのではないかと、こういう比較になりますと、では志木市にはピアサポーターがあるのかということになって、これは全く別のことでありまして、私どもとしてはどこに何があるないではなくて、よりよいものは何かということを絶えずアンテナを張って取り入れたり、つくり出したりしているところであります。志木市の総合センターが環境がいいということで夢があるというふうな話がございましたけれども、そういう環境もいいことにこしたことはありませんが、明るく楽しくということをふれあいルームではいつも心がけて、今議員のご質問にもあったように、明るい雰囲気で今やっているということでご理解いただきたいし、ふれあいルームを1か所でなくてもっとふやしたらどうかということでありますが、大変いろいろとこういうことは前から話が出ているわけでありまして、明るいことを含めまして、教育委員会としては市長の方に保健所ですか、ああいうところの改築の話も一時出たことがあるのですが、そういうときにはぜひ教育相談センター、ふれあいルームを入れてほしいというようなお願いもしているところでありまして、2か所つくっていいかどうかというのは、また次の問題になるのかなというふうに思います。
  それから、手続の問題であります。はっきり申し上げまして、議員個人には学校の調査権はないと考えております。市民の皆さんと同様の扱いになるわけでありまして、事前にそれなので、申し出てほしいと申し上げているわけであります。本会議場でこう言ったから、これで了承するのかというのは、これは私どもとしては極端な話、適当でないのではないか。これはあくまでもここの話で、今後手続をいただければということであります。
   〔「どこにするの。手続はどこにす
     るの」と言う人あり〕
〇教育長(臼倉正尭) 先ほど申し上げましたけれども、議会事務局の方へお願いしたいと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 生徒指導体制について指導しましたと言ったけれども、別にこれは間違っていたからではない。これはよくわかりませんね。日本語の問題、私に日本語力がないのかもしれませんけれども、県の教育委員会は指導体制にも何かあったのだから、これは教育委員会を指導したのだなと、こう受け取るのではないですか。
  それから、内申書のことを、私はその場にいたわけではないので、ちょっとさっきそういう聞き方をしたのではないかと言いましたけれども、その当時の学校の雰囲気です。私は内部にいましたので、やはり内申書のことを言う人はたくさんいるわけですね、生徒指導をするときに。もちろんそうではない先生もいます。だけれども、教員の中には内申書を言うことで子供に言うことを聞かせる人たちはかなりたくさんいるわけです。だから、当然子供たちは内申書のプレッシャーを感じている。感じているからああいう反省文を書いて、先生たちの貴重な時間を使ってしまって申しわけありませんでしたというようなことを言うわけです。わかりますか。だから、内申書のことをぜひこれから中学校の先生たちに、内申書を使った指導をするなということを言っていただきたいなと思います。
  ガラスの件ですけれども、特定されていないしということなのですけれども、私がずっと聞いているのは、要するに子供の学習権というものをどうお考えなのかということなのです。だから、服装が違ったりとか何かしたからといって勉強する権利を奪うというのは、これはおかしいのではないかなと、そういうことを言っているわけです。
  それから、松香フォニックスのことですけれども、英語の先生とチームティーチングをやるなとは言っていないという答弁だったのですけれども、実際に英会話の時間は30時間あるわけですね、何時間ありますか。物理的にそういうことは可能ですか。加配の先生といつも全クラスのTTをやって、なおかつほかの英語の先生とTTをやることが物理的に可能なのですか。可能ではないから、英語の先生たちが自分たちとAETの授業をしたいということを言っているわけです。そこに問題があるのです。
  それから、調査権ということを言われましたけれども、私は調査権を使って学校を見るとかそんなことを言っているのではないのです。市民に開放しているのだと、授業はいつでも見ていいよと言っているのだったらば、私も市民の1人ですから、別に議員として見ることはない。一般市民と同じ扱いをされているというのだったら、どうして議会事務局を通すのですか。一般の人は議会事務局を通してなんかは学校を見に行きませんよ。わかりますか。私は、一般の畑中の住民として見に行きたいわけです。別に議員バッジをつけて、「何やってんだ、おい」というそんなことで行きたいのではないのです。ただ学校の様子を見たい。そういう市民はたくさんいますよ。だから、もっと敷居を低くしてくれと言っているのです。教育週間をやっていますよ、オープンですよと、それは口ではそうかもしれないけれども、実際には敷居が高いではないですか。それで、私らに対しても議会事務局を通してくれと、調査権というような言葉まで出てくるわけですから、私らだってなかなかそれでは行けないではないですか。それだったら、直接学校に言って、学校の方はいいと言っているのですから、それで行ってしまいますよ、いいですか。
  それから、よりよいものは何かと、不登校の子供たちに対して。保健所跡地ですか、そこにもしもふれあいルームをできたらという話をしていましたけれども、例えばさっき話した新座小の跡地とかそういうところはどうですか。もう校庭もあるし、体育館もあるし、多分プールもあるし、教室もいっぱいあるわけですね。そういうところがもうできているのだから、そういうところを利用したらどうですか。今ある児童センターはどうですか。そういうことはいかがでしょうか。それから、やはり家庭に出向いていくというそういうシステムをどう思いますか、お答えください。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正尭) 再度のご質問にお答えをいたします。
  英会話の時間につきましては、部長の方からお答えをします。
  それから、学校訪問のことでありますが、先ほど申し上げましたように、あくまでも議員でありますので、議会の方で手続をとって、正規のルートでお願いできればということであります。学校では、それは議員の方から行っていいかと言えば、当然いけないという立場ではないわけでありまして、どうぞということになるのは当然であります。お手続をお願いできればということであります。
  あと、ふれあいルームについては、新座小の跡地等々につきましてご提言がありました。これらについてはご提言としてお受けしておきたいと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 学校教育部長。
〇学校教育部長(金子広志) 英語加配教員とAETの授業、そして英語を担当する教師とAETの授業がともにできないかということでご質問がございましたので、お答えいたします。
  これが特区で始まったのが4月からでございまして、本年度から英語加配教員6名で中学校で授業が展開されております。当初は、確かに英語加配教員とAETが組んで英会話の授業を展開しておりました。当然英語の授業は英語の担当の教諭が進めていたわけですけれども、これらをどこでどう融合していくかというのは今後の課題であろうというふうに考えております。既にもう英語の担当の教員とAETが組んで授業をしているという学校も出てきておりますので、これは時間の制限もありますけれども、高邑議員がおっしゃるように、そのAETをさまざまな形で活用できるように工夫をしてまいりたいというふうに考えております。
〇議長(三村邦夫議員) 以上で、11番、高邑朋矢議員の一般質問を終わります。
  これにて一般質問を終結いたします。


2月28日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第59弾!

「たかやん議員日記」2005.第59弾!  2月28日(月)

校長1
僕の記憶に残る最初の校長は「丹治校長先生」。新宿区立西戸山小学校の校長だった。物凄く恐い先生で、毎回朝礼の時に「私の目をみなさい!」と僕らを睨みつけるのだ。そんな校長先生だったが、ある日僕は料理コンクールで1位になって、僕の作った料理を校長室に持っていくことになった。僕は嫌で、嫌で、もうドキドキしながら校長室をノックした。「こんにちは・・・あの、これ食べてください。」僕はやっとそれだけ言った。言い方がまずくて怒鳴られるのではないかとビクビクしていた。恐くて校長先生の顔はチラッとしか見ることができなかった。だけど丹治先生は今まで見たこともない笑顔で「そうか、君が作ったのか。ありがとう。」と言ってくれた。その日から僕は丹治先生が好きになった。朝礼の時もじっと先生の目を見れるようになった。そして丹治先生の目を見て話を聞いているうちに、この先生はなかなかいいことを言っているのだな、僕達にとって為になる話をしているのだな、ということに気付いたのだ。「私の目を見なさい!」丹治先生の言葉は今でも僕の心に残っている。
不思議なことに西戸山中学、石神井高校の校長は全然記憶にない。アルバムを見れば、ああ・・・と顔は思い出せるのだが、丹治先生のようなインパクトはない。北大の学長にいたっては顔を見ても分からないだろう。会った事も無いかも知れない。入学式も卒業式もでていないから・・・・。
だから次に記憶に残る校長は新座五中の初代校長ということになる。この人に僕はよく怒られた。「お前は・・・・」「お前は・・・・」そしてよく誉められた。「そうか、よかったな。」「うん、わかった。」51歳になった今でも時々お小言を頂戴する。この人と僕はたった1年しか一緒に働けなかった。新設校だったのに、1年で校長を辞めてしまったのだ。随分ひどい校長だと思ったから、「何でやめるんですか!」と食ってかかった。新任の僕を3年の担任にしておいて、部活で勝てないと怒られて・・・でもその時の新任の中間達の家全てに「家庭訪問」していたことが後で分かって・・・凄い校長だったんだなあと思った。よく怒られたけど、温かい校長だった。だからみんなが好きだった。



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