Diary 2004. 6
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6月21日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第97弾!

台風
ひどい雨と風だった。「馬鹿野郎!梅雨に台風文部省!」という句を思い出した。それにしても東京都の日の丸と君が代の処分はひどい。僕らの時代にそういうことをやったら、間違いなく「学園紛争」になっていただろう。あの頃の高校生はいいなりにはなっていなかったから・・・。そして先生たちももっと肝が据わっていたからいいなりにはならなかっただろう。「愛国心」は無理やり押し付けるものではない。自然に湧いてくるものなのだ。北風と太陽の話を理解していないのだろうが、馬鹿だねえ・・・・。
君が代を大声で歌ったら、愛国心が強い?まさかねえ・・・。日の丸に敬礼したら愛国心が強い?そういう外見でしか見ることができないアンポンタンにはそれしかないのだろう。
愛国心ていうのは、日本人を愛するということだ。僕はそう思う。君が代を歌おうが歌うまいが、日の丸に敬礼しようがしまいが、日本人ならみんな仲間。朝鮮系日本人も、中国系日本人もアイヌ系日本人もアメリカ系日本人もブラジル系日本人もみな同じ。そういう広い心を持った人が「愛国心」を持っているといえるのだと思う。そりゃあ旗が会ったっていい。歌があったっていい。だけど大事なのは人だ。旗や歌の為に人が辛い思いをするのはよくない。まるで中世の魔女狩りのように、江戸時代の踏み絵のように人のこころの中までコントロールしようとしているようだ。
どんな宗教を信じたっていい国で、歌や旗を強要することなどあってはいけない。僕はそう思う。


6月22日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第98弾!

「たかやん議員日記」2004.第98弾!   6月22日(火)

県庁
今日は善保と大佑と県議の吉田よしのり氏と3人で県庁の方たちから色々教えていただいた。最初の1時間は「埼玉県における高齢者福祉の課題について」。次の1時間は「公立高校入試の改正点について」。両方とも実に分かりやすい説明で、いい勉強になった。
人口700万人のうち65歳以上が100万人いるという現実。そのうち痴呆が約6万人。平成19年には約8万人になるだろうという話だった。色々具体的な例で痴呆と介護の現実を教えてもらった。この問題は他人事ではない。どこの家庭でも起こることだし、自分自身にもそうなる可能性があるのだ。
高校入試が分かりやすくなった。推薦入試の時、校内で選抜をうけることは無くなった。誰でも推薦入試に参加することができるのだ。内申を自分で確認できるようにもなった。昔から僕が主張していたことが実現しただけに、聞いていて嬉しかった。校内選考には随分泣かされた。実力のある生徒が一部の先生に嫌われると校内選考で落とされるのだ。「授業態度が悪い。」というのが理由だ。要するに授業態度への報復である。これには本当に泣かされた。
内申を確認できるのも子ども達にとっては嬉しいことだ。僕は昔から全部本人と親に教えてきたが、内申を教えない先生が結構たくさんいたのだ。子ども達が自分の内申を知らないで受験する。教師だけが知っている。これは良くない。「お前達の内申は俺が握っているのだよ・・・・」そういう態度が色々な事件を引き起こすのだ。

埼玉県庁の議会棟はまるで高級ホテルのようだった。昔税金の無駄遣いをしたのだなあと思った。



6月23日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第99弾!

「たかやん議員日記」2004.第99弾!  6月23日(水)

教育実習
6年前、二中をやめて後悔したことが二つある。一つはサッカー部の顧問を続けられなかったこと。あのときの3年生は最高だったけど、2年生にも実にいい子達がたくさんいたのだ。僕はあの子たちとサッカーを続けたかった。だけど続けると学校をやめられなくなることが分かっていたのだ。彼らを残して学校をやめることなどできないということが自分で分かっていたのだ。だから僕は「来年の春、みんなと卒業するよ!」と宣言した6月から、サッカーの練習に行かなくなったのだ。

もう一つは「教育実習生」の面倒が見られないということ。五中でも六中でも実に多くの卒業生達が僕のところに「実習」に戻ってきた。それが二中の子達にはしてあげられないということが心残りだったのだ。だけど、子ども達は二中にちゃんと戻ってきた。だから僕は今日彼らに会いに行ったのだ。

突然行ったのだが、二中は校長始め他の先生方も実に笑顔で迎えてくれた。そして僕は子ども達に会えたのだ。授業を見学し、実習生の部屋で教育を語った。彼らにとって、二中は故郷なのだ。そして僕もまた彼らにとっては故郷だったのだと感じた。6年前の中学校3年生は21歳の若者に変身していた。彼らが「先生」と呼ばれているのを聞いて、なんだか僕がむずむずしてしまった。

今日は二中で懐かしい人に沢山会った。本当に思い出に残る一日になった。二中のみなさん、今日はありがとうございました。あと二日、あの子達をよろしくお願いします!
たかやん


6月24日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第100弾! 

「たかやん議員日記」2004.第100弾!  6月24日(木)

参議院選挙
どういう結果がでるのだろう。今までの選挙は知らない人ばかりだったけど、どういう訳だか今回の選挙から実際にあってことのある人がやたらと増えているのだ。国会議員なんて遠い存在だったのに・・・・。今回僕は「緑の会議」という政党を応援している。地球の環境に目を向けた政党である。管直人が好きだから「民主党」という手もあるが、年金問題は僕の考えと残念ながら違う。イラクへの自衛隊派遣を決めた「自民党」と「公明党」は論外である。戦争はもうこりごりである。ブッシュに媚を売って何がいいのだ。それでも誰に投票するかは難しい。選挙は面白いゲームなのだろう。ゲームには参加した方が面白い。投票率が高いといいなと思う。


6月25日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第101弾! 

「たかやん議員日記」2004.第101弾!  6月25日(金)

農業委員会
今日の委員会は1時間で終わった。月、一回のこの委員会。新座の農業について真剣に話をしたことは一度もないのだそうだ。これから新座の農業をどうしたらいいか・・・・それを考えられると思ったから、この委員会を楽しみにしていたのに・・・・そういう話はしたことが無いのだそうだ。それでいて報酬は高い。今日の会議のように1時間で終わっても、報酬は3万円以上。自給3万円のアルバイトはなかなかないだろう。今のような会議なら委員は5人でも十分だ。そして報酬は10分の1でいい。それでも多いくらいかも知れない。
僕は新座の農業の未来を心配している。本気で新座の農業の未来を考えている人はどこかにいるはずである。


6月26日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第102弾!

「たかやん議員日記」2004.第102弾!  6月26日(土)

3年
新座のAETの雇用条件に「最大3年」というシステムがあることを今日知った。これは新座市にとって、新座の子ども達にとってマイナスのシステムだと僕は思う。1年契約で駄目ならどんどん換えていくというのはいいかも知れないが・・・最大3年という根拠はどこから来るのだろう。能力のあるAETの先生はどんどん残せばいいではないか。もっともっと続けたいのに、3年が過ぎるからとやめていく人が多いのだ。こういう「決まり」はどのようにしてできたのだろう。4月から採用しないことにも不満だ。子ども達にとっては4月から一緒にスタートすることが望ましいと、僕は思うから・・・。9月議会は「英会話」かな?



6月27日 (日)  「たかやん議員日記」2004.第103弾!

「たかやん議員日記」2004.第103弾!  6月27日(日)


ここ5日間ほど咳が止まらない。だから夜中はほとんど寝られないでいる。「喘息」の人の気持ちが初めて分かったかも知れない。それくらい咳が辛いのだ。思い当たるのは大佑の風邪。うつってしまったかなあ・・・・

参院選
明日は参院選の手伝い。朝も早いからもう寝るか・・・・・。ああ、苦しい・・・・。


6月28日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第104弾! 

「たかやん議員日記」2004.第104弾!  6月28日(月)

選挙カー
朝から「みどりの会議」の選挙カーの運転をした。中村敦夫の声のテープを流しながら、ひたすら走った。東村山の市長選で惜敗した小倉まさ子さんにだが、今回の参議院選には選挙事務所もない。国会議員の供託金は600万円。普通の人には払えない金額なのだ。「だから節約するしかないのよ。」と小倉さん。勿論僕の運転もボランティアである。全国に「みどりの会議」の名前は浸透していない。厳しい戦いになりそうである。


6月29日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第105弾!

「たかやん議員日記」2004.第105弾!  6月29日(火)

勉強会
今日は「刷新の会」の勉強会。T講師を招いて「環境問題」「都市づくり」の勉強をした。これがまた面白かった。普段僕が考えていたこととかなり近い話を聞けて嬉しかったし、(ああ、なるほどそうか!)という話も沢山あったのだ。世の中に頭の良い人はいるもんだなあと思った。とにかく発想が柔らかいのだ。2時間という時間があっという間に過ぎていった。本当にいい勉強になったのだった。


6月30日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第106弾!

「たかやん議員日記」2004.第106弾!  6月30日(水)

ボーナス
二中をやめて後悔したことを二つ書いたが、教師をやめて後悔したことはこれ。そうボーナスが無くなったのだ。これはハッキリ言ってきつかった。当たり前のようにきていたボーナスが全然来ない。6年前で100万円は軽く越えていたのだから、いったいいくら損をしたのだろう。そう思うと悲しくなるから、思わないようにしている。勿論教師をやめていいことも沢山あった。心から嫌な人間と毎日顔をあわせなくてよくなったし、何と言っても自由な時間が増えたし・・・・。そして自分のやりたいことができるようになったのだから幸せだっただ。でもボーナスは・・・・・
そのボーナスが6年ぶりに来た!金額は驚くほど少ないが、やっぱり嬉しい。教師になって一年目、その時の6月にもらったボーナスを思い出す。十万円いったかいかないか・・・・そんな金額でもやっぱりボーナスは嬉しかった。世の中にはボーナスとは縁のない人たちもたくさんいる。そういう人の気持ちを忘れないようにしなくてはいけない。それでも今日はちょっと幸せな一日だった。


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